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蕎麦の魂

作者: 桐生甘太郎

落語の「そば清」の内容から創作を広げてみました。

腹が減った。先日見つけた痼が昨晩から熱を持ち、痛み出した。首の痛みは増していく。生来の癖で下腹も痛い。散々な年越しである。


それでもやはり男はすっくと立ち上がり、少ない小銭の残っている財布を服にしまい込んで粗末な家を出た。近所に蕎麦を食べに行くのが男の日課であり、そして日本人の年越しである。



男には前世があった。誰しもそういうものだが、やはり巡る世には縁というものがある。



前の世では、男はあだ名を、「そば清」と言った。いくらでも腹に入る自分の丈夫さを良いことに、蕎麦賭けをあちこちでやり、とうとう家を二軒まで建ててしまった。


男のいつものやり口は、初めにいい食べっぷりを男にとってはさほどではないくらいに見せておいて、カモが「いい食いっぷりじゃねえですかい」と寄ってくれば謙遜し、相手が蕎麦賭けを持ち掛けるまで待つのだ。


しかしカモのままで終わらず、噂を聞きつけた奴が「六十」の勝負を仕掛け、「三両で」と言ってきたのが、そば清一生の運の尽きであった。


腹ごなしのための妙薬と睨んで勝負の合間にこっそり舐めた薬草にその身をすべて溶かされ、そば清はついに命が潰えた。しかし、元号令和の世を暮らす彼の生まれ変わりも、蕎麦が大好物である。



もはや、はるか祖先が蕎麦屋を刺し殺した因縁でもあるのではと疑いたくなるほど、彼の魂は蕎麦と共にある。


十六文の蕎麦も、十銭の蕎麦も、六百五十円のそれも、するりするりと代替わりした体へ入っていく。


二代目は珍しいことだが少々よくないものに当たり、三代目は今、病を押して蕎麦屋へと歩いていた。



体の苦しい中、男は腹いっぱい蕎麦をかっこんで満足し、少々ふらつく足元を気にしていない風を装って家路に就いた。そしてつゆ加減や細いそばの喉越しを思い返して「まあ大丈夫だろう」などとごまかし、家に着くと首を二三度さすってから、薄い布団でぐっすり寝入ってしまった。


しかし悲しいかな、そのまま男は生涯起きなかった。



また次の世でも男は蕎麦を手繰るだろうが、あわやそれが自分を殺すだろうなどとは、決して思うまい。つくづく人生というのは奇妙な縁のあるものである。




おしまい

お読み頂き、有難うございました。


Twitterでつぶやき始めたら終わりまで書いてしまった話でした。

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