Ring a bell
「……最悪だ…。」
まだ覚醒しきっていない意識の中、俺、鳴瀬 雪はため息をついた。
「ううん…。」
俺は少しの仕送りという名の親の愛を受けながら都内近郊にありながら六畳一間のロフト付きで家賃4万という幽霊でも出るんじゃないかという好条件物件、大空荘(築40年)で絶賛引きこもり中であった。
窓から差し込む光の加減から、時刻は正午を少し回った頃だろうと思うがそれにしても
「…眠い。」
あんな夢を見た後だ、ろくに寝た気がしない。
平日の昼間から2度寝とは不健康極まりないが、こんな時間から惰眠をむさぼることができるのは引きこもりの特権である。
大体、毎日早朝から起床して学校やら仕事やらに行けるほうがおかしいのだ、うん。
そんなエネルギーを過剰に消費している大多数の人間とは違い、このわたくし、鳴瀬 雪は低燃費を心がけ不必要な時は極力エネルギーを消費しない大変エコロジーで地球にやさしい人間であると自負している。
今日は予定もないしもうひと眠りしようあくまでエコロジー、地球のためである。
「では…」
「いや、なにが『では…』ですか。」
「っ!?」
寝ぼけたことを考えていた頭が一気に覚醒するのが分かる。
ついに2年にわたる引きこもり生活に嫌気のさした両親の生霊でも出たのか、それともポストまで行くのがしんどいというだけの理由で発生した家賃のツケを大家さんが回収しに来たのであろうか、どちらにせよどれだけの価値があるかもわからない頭を下げなくては。
そんなことを考えながら一人暮らしの我が城(家賃4万)で聞こえるはずのない第三者の声のほうへ頭を下げた。
「違うんです。」
「いや、だから何が違うんすか雪君。」
「…ん?」
聞こえた声に違和感を覚え顔を上げるとそこにはここ一カ月で見慣れた隣人がいた。
「なんだ鈴か。」
「いや、なんだじゃないっすよ寝ぼけてるんすか?」
打上 鈴。つい一月ほど前にこの大空荘に引っ越してきた女の子である。
少し癖のあるショートの茶髪に栗色の瞳、女性なことを考えても小柄な彼女は寝ているロフトの階段を半分ほど登り、人懐っこい笑みを浮かべながらこちらをのぞき込んでいた。
「いい加減…起きたほうがいいっすよっ!何時だと思ってるんすか!」
そう言いながら鈴は枕を奪うと取り返されまいと自分の懐に抱きかかえた。
「何時だ。」
「もう14時すぎっす。」
「おおう…」
寝た気はしないが、予想以上に寝入ってしまっていたようだ。
だが、予定もないのに起床を咎められる謂れもない。
睡眠は生きるための三大欲求であり、必要悪、エコ、ラブアンドピースであると目の前でリスみたいに頬を膨らませて枕を取られまいとしている少女に説かなくては。(眠いからまだ寝てたい)
「…というか、どうやってうちにはいったんだ。」
「こんな築40年越えのボロアパートにセキュリティーなんてものがあると思ってたんすか。」
「……一応、鍵位はついてたはずなんだがなぁ。」
「大家さんに入りたいって言ったら『いいわよー。ついでに家賃も回収してきてちょうだい。』って喜んで鍵貸してくれたっすよ。」
「…もうそれアパートのセキュリティー関係ねーよ人の問題だよ。」
家賃未払いでセキュリティーに物申すのもいかがなものかと思うが。
そう結論付けながら俺は再度布団に戻り惰眠をむさぼる体制、もとい省エネモードに入った。
「いや、だから起きてって…っ言ってるでしょうが!……ってうわぁ!!」
懲りずに二度寝の態勢に入ろうとする俺の掛布団を引っぺがした勢いのまま、鈴はロフトの階段から転げ落ちていった。
「大丈夫かー?」
けだるい体を起こしながらロフトの下を見るとはちきれんばかりに頬を膨らませた鈴がこちらを恨めしそうに見上げてる。
「大丈夫なわけねーっす!布団なかったら死んでますよ!!」
「おー、それは幸いだ。人の命一つ救えたならそいつも掛布団冥利に尽きるだろ。」
なお、本来の使用方法とはかけ離れているわけだが、それはそれとして。
「…で、俺の睡眠時間を削り取るためだけに来たわけじゃないだろう。なんか用事か?」
そういうと鈴は膨らませていた頬を戻しながらため息をついた。
「今日、スズの買い物に付き合ってくれるって約束したじゃないっすか!」
「………あー。」
「なんですか!『あー。』って!!さては今思い出したっすね!?」
「あー、いやいやもちろん覚えてたようん。」
すっかり忘れていた。
「大体なんで俺なんだ。買い物位一人でできるだろうに。」
「お姉ちゃんが『センパイの生存確認してあげる代わりに荷物持ちにでもなんでも使いな』って言ってたんで重いもの持ってもらおうかと。」
「奏め…」
打上 奏。鈴の姉に当たる人物とは学生時代からの旧知の仲である。
妹が明るく社交的な性格に対し、姉の奏はその逆であり、鈴がこの大空荘に来るときも『鈴、そっちに送りますので。』と唐突にメールが来たかと思えば『返信だるいので、あとお願いしますね。』とだけ言って俺からの返信をすべてシャットアウトし、妹の引っ越しを他人に丸投げするという社交性のかけらも持ち合わせていない人間である。
その自由奔放さゆえに学生時代から幾度となく振り回されてきたわけだが、こう何度もこのようなことが起こるとどこか慣れてきてしまっている自分が怖いやら悲しいやらで複雑な心象である。
「後、お姉ちゃんから伝言で、『どうせ万年引きこもってるだけなんだからセンパイと違って忙しい私に代わって妹のボディーガードするついでに少し外の空気でも吸ったらどうですか?』だそうです。」
「……あいつは俺をなんだと思ってるんだ…。」
「24にもなって定職に就かず引きこもってる社会から取り残された哀れなヒキニートだと思っているんじゃないっすか?」
「…それはお前が思ってることだろ。あと笑顔でそんなこと言うなトラウマになるだろうがよ。」
「てへへ…」
「……はぁ。」
その何かを誤魔化すときにする頬を掻く仕草をの中に今は離れている姉の面影を見た気がした。
やはり姉妹なのだと改めて認識すると、いつかの日々が胸に浮かび、懐旧の気持ちが沸き、自然と笑みがこぼれる。
「え、なんですか気持ち悪い…。」
「……本当にお前ら姉妹は年上である俺に容赦ないよな。」
「いやだって事実をありのままに伝えてるだけですし。」
「事実をありのままに伝えるのは報道番組だけでいいんだ。もうちょっと年上への敬意とかその他もろもろを含めた上で発言しろ。お前の中のオブラートはどこに行ったんだ。」
「雪君に使うオブラートは私の喉から出る前に溶けてなくなっちゃったっすね。」
「……へいへい、そうでございましたか。」
「ええ、そうでございますですわ。」
ふふっとくだらない会話を交えながらだらだらと外出の準備を進める俺を鈴は楽しそうに笑いながら見つめていた。
「…じゃあいくか。」
「はい!」
ようやく準備が終わった俺を尻目に『待ってました!』と言わんばかりに鈴は玄関へパタパタと走っていく。
まぁたまには後輩孝行してやってもいいだろう。普段地球のエコロジーにしか貢献してないからな。
そんなことを考えていると鈴は不意に玄関の手前でこちらにクルリと振り返った。
「でも…。」
「ん?」
「スズもお姉ちゃんもベース引いてる時だけは雪君は世界一かっこいいって知ってるっすよ!」
「………。」
「……ははっ、そりゃどうもだ。」
照れ隠しのように頬を掻き笑う鈴に対して、俺はちゃんと笑えていただろうか。
なぁ、鈴…。
「…さぁ、そろそろ出るっす!早くしないと日が暮れちゃうっす。」
あの日…2年前のあの時から俺は……。
「……そうだな。」
ベースは二度と弾かないと
届かない夢に手を伸ばすのはもうやめようと
…そう決めたんだ。