何かが壊れる日
長い事接していると何気ない事や日常の風景なんかも最近開通した北陸新幹線のように、堤防決壊での被害、何処かの大震災で未曾有の被害だった。
それらの当事者以外なんて一瞬で過ぎ去ってしまうよな!決して忘れてはならないのだろうが。
本当は心で泣いている事だって、笑える失敗だってきっと自分で蓋をして、仮面を被った大人を演じているに違いない。
それって人間にとってものすごく哀しい事なんだろうけど大人になっていくってこういう事なんだよな。
大学もようやく最上級生を迎えた年に僕らはとんでもなく大きい大波に攫われる出来事がはじまろうとしていた。
初夏に近づき、街の雰囲気もどこか華やかで人間の欲望やら快楽なんかの独特なオーラが街から込み上げている。
どこか怪しげに、今にも飲み込まれそうになる非日常的な雰囲気。
いつものことなんだけどそんな日常も非日常も目に止まらずただただ普通のリズムで毎日を無駄に生きているのだが、それでも時折みせる彼女の何気ない行為には少し気になっていた。
時には毎日、そう思えば一ヶ月全くと言って無いのが思い出しては忘れてのループなのだ。
今思えばその時違和感を感じ始めの後悔だったのかもしれない。
何もない所でよく躓くことは俺でもあるんだけどゆりは異常なほど多い。
まあいっしょに歩いている時は3年たったいまでも仲良く手を握って歩いているからいつでも受け止められるんだが、講義や友達とのショッピングなんかのときには多分すっ転んでいるんだろう…と心の何処かで心配が無かったわけでもない。
お互いに昔から大きな病気もなくここまでたどり着いた訳なのだから今更病気っていってもかぜやら熱やら肺炎やらでそれだけでも2人して本気で心配してたっけね。
もういいよってなってもお互いを思いやれるって事はこの世界で俺という存在が無くなるまでたった1人なのだろう。
そんな何処かの偉い学者さんの思想じみた事を考えてだしたのはやはり小説をよみだしてからなんだよな。と言ってもラノベでは無く太宰治とかの真面目なエロ無し小説。
小さい頃の本やら勉強がだいきらいだったこの俺様がなぜ変わったのか?
それはバイトでのある人物の言葉で人生がガラッと変わったんだ。
今ではあの人の言葉に感謝しつつ、大学講義がやけに楽しく思えるんだ。
まあ何にでも没頭するっていい事なんだろうけど
ゆりは隣で時折哀しい目をする時があった。
何十年も共に生活してきた犬が飼い主を尊敬し、優しく、哀しく見つめる犬の様な眼差しで。
そんな眼差しを可愛いと大きな勘違いをしていたオレがリセット出来ればいいのに…
どこかでゆりは知っていたのかも…
あたかも自分にこの先やってくる大波が本能でわかっていたかのように…