歯抜けのシビロ
朝日が差し込み、時刻は既に7時を回っていた。
数時間前にヴェーリヘを後にしたベン一同は、ルーデンツへと向かう為、
「ルース渓谷」を通ることになった。
この渓谷では、希少な薬草や猛毒の苔、傍観者御用達の食材が生えている。
俺も口にしたことはないが、美味であるに違いない。
既に絶滅してしまったらしいが、以前までは、
エンシェントエルフと呼ばれる種が、この地を代々守ってきたそうだ。
アルドーンオオムカデのような、「主」と呼ばれる個体の一つで、
生態系を崩さないようにする為の方法の一つとされている。
ルーデンツが襲われたのも、「主」の存在が無くなったことが、
大きな要因だそうだ。
「この渓谷を抜ければ、ルーデンツまではそう遠くはない。
ヴェーリヘのようにまた別の刺客が現れたら厄介だ、
さっさと通り抜けてしまおう」
イルイダのその言葉を聞き、誰一人として反対の意を唱える者はいない。
大勢の人々が、危険に晒されているのだから。
警戒を怠らず、慎重に進んで行く。
美しい川は、淀んだ気持ちを晴らしてくれるような綺麗な音を立て、
森に住まう小鳥たちのさえずりは、耳に心地よく届く。
これほど心地の良い空間は存在しないだろう。
「にしても、奴らはエンシェントエルフが居なくなったのを見計らって、
やってきたっていうのは大体合ってそうっすね」
バルツインは小枝を振り回しながら、欠伸混じりに呟いた。
「計画されていたことだったのだろうな」
「主をやったのも魔物の仕業っていう線も捨てきれないしな」
話をしながら歩みを進めていると、前方から歩いてくる人影が見えた。
段々と距離を詰め、その人物はベンたちの横をすれ違う。
色白で、微かに見えたのが、六芒星の痣が首筋にあったことぐらいだ。
「今のって?」
「いや、問題ない。奴からは妖しい力は感じ取れなかった」
再度後ろを振り向き、確認する。
人影は小さく、終いには消えてしまった。
ベンは、首筋の痣に妙な違和感を感じたが、胸の内に留めておくことにした。
「もうひと踏ん張りだ」
ルース渓谷も終わりが見え、凸凹の岩肌が顔を露わにする。
この長い一本道を抜けると、ルーデンツの領地となる。
「待っていただけますか?」
鮮明な声が聞こえた。
イルイダはいち早く位置を察知し、斬撃を浴びせる。
渓谷に轟く衝撃音に、動物たちは流れる様に避難する。
「危ない危ない」
「どこから湧いて出た」
「ずっとあなた達を見ていましたよ、ヴェーリヘからね」
少しも気づかなかった。
あれだけ神経を張り巡らしていたにも関わらず。
「隠密系のスキルか」
「半分正解ですが、半分間違いですね。私は、隠密も出来て、
戦闘も出来ますから」
にっこりと、歯が揃っていない口内を見せつける様に笑っている。
相手の能力は未知数、まずは探らなければいけない、
奴の才能を。
「歯抜けのシビロ」
バルツインが怯えた声で、そう呟いた。
「その名前はあまり好きではないので辞めて頂きたい」
「なるほど、歯抜けのシビロってのはお前の事なのか。
冒険者の歯を抜いて回ってるって変態野郎は」
イルイダもバルツインも知っているような口ぶりだ。
それほどまでに名の知れた要注意人物なのか。
「こいつは、危険対象人物で、階級は「鬼」相当だ」
主と同等の危険対象との邂逅に、震える体。
距離を取りながら、注意深く相手の動きを見極め、
隙を見つけて畳みかけていければベストなんだが。
大剣を振り回し、息も出来ない程の尋常ではない連続攻撃を繰り出すイルイダは、
シビロと互角に渡り合い、バルツインは遠距離からの支援に徹底し、
ベンはただ入り込める機会を伺っている。
数ではこちらが有利なのは間違いないし、「鬼」冒険者だっているんだ。
「なぜ私が危険対象として認定されているか、見せてあげますよ」
その直後、シビロの両手から大量の歯がちりばめられた。
「では行きますよ、「歯の嵐」」
歯が四方八方からイルイダを襲い、鎧にめり込んだ歯は、
フジツボのように悍ましく広がり浸食を始める。
「歯とは何をするためにあるか、ご存知ですよね?
噛む為に、あるんですよ」
「ああああ!なんだこれは!」
イルイダの苦痛な叫びと、多数の出血を確認する。
一つ一つを振り払おうと必死に抵抗するが、びくともしていない。
「イルイダ!今助ける!」
ベンは彼の懐に潜りこみ、「憤怒」のスキルにより、歯を溶かす。
イルイダには「存在証明」で熱耐性を付与しておいた。
「あああああああああ!!」
痛々しい叫びを聞きながらも、彼は歯を溶かすことに専念する。
仲間の苦しい姿をまじまじと見せられながら、
シビロの不気味な笑い声は一層強くなる。
一先ず、全ての除去が終わり、バルツインに介護を頼む。
「おい、歯抜け野郎」
怒りはさらに、「憤怒」の性能を高める。
彼の歩く場所は焦げ、ゆっくりとシビロに近づく。
「そのスキルの情報は既に貰っていますので、対処はしていますよ。」
手に隠し持っていた歯を上空に投げ飛ばし、
彼は唱える。
「目には目を、歯には歯を」
シビロは自らが投げた鋭い歯で、自傷を繰り返す。
叫ぶことすらなく、ただただ笑っていた。
「このスキルは、自身が受けたダメージを対象に与えるもの。
私は麻酔薬によって痛みは受けないが、あなたはどうかな?」
瞬間に、鋭い無数の痛みが体を走る。
思わず叫びをあげるが、痛みが止まることは決してない。
「憤怒」による熱量を上げたとしても、溶けることはなく、
避けることの出来ない恐怖と激痛に気絶してしまいそうになる。
意識を失えば、この痛みから解放されるのだろうか。
考えている時間が勿体ない。
「セラフィム!奴を裁け!」
「そんなことをしてもいいのかな?私に危害を加えるという事は、
君自身に返ってくるということなんですがね?」
そうだ、今ここであいつの首を跳ねたとして、
次は俺の首が吹っ飛んでしまうってことになるのか。
万事休すなのか?
こんなところで、立ち止まってて国なんて救えるのか?
なんでもいい、この状況を打破できる何かが。
「助けを求める奴に救いを与えるってのは、堕天する前にしか経験がないから、
あんまり期待しないでくれよ」
柔らかな少女の安心感に包み込まれるような声が聞こえた。
その後ろ姿は、何度も見覚えがある。
「我の友人に手を出さないで頂きたいな~」
「サタン!」
彼女は儚げに笑い、俺に語り掛ける。
「ベン、お前のスキル「存在証明」で我に価値をつけろ」
「何言ってるんだ...!お前にはもうほとんど魔力がないだろ!」
「あはは、お前の才能を信じろ」
彼はただ、彼女に意味を与える。
「存在証明」により、サタンは光を与えられた。
光に包まれ、サタンはルシファーへと変化を遂げる。
変化に伴い、ルシファーに固有スキル「明けの明星」が授けられた。
「さて、裁きの時間だ」