心理的心中
最近になって子供に手が係らなくなって、趣味のバドミントンにのめり込んでいる恵理子だった。
夫との愛は離れ、情を残すのみの淡泊な関係で、夫婦関係も今では思い出したように、数か月に一度のものとなっていた。
その情も果たしてどこまで相手を思いやってのものなのか……現在バドミントンクラブの若い先生といかがわしい仲であるとの噂である。
そのことを最もよく知っていたのは夫である安理だった。
理由は簡単、カーナビに残っていた某リゾートの履歴や、スマホの記録。そういうモノには妙に敏感な夫で、神経質な職場で、更にことさらナーバスな男で有名だから。何しろ今まで、人の誕生日から夫婦結婚記念日から、何を貰い、送ったのか全てを覚えている様な男なのだから。
そしてその日も、バドミントンとの付き合いから夜遅く、恵理子が不在だった時、うたたねしていた春花、熟睡に入る微睡みのなか、彼女の布団に入る影があった。
その時は一回きりだったが、それが再び起き始めていたのだ、今度は恵理子が社交ダンスにのめり込んでいるらしい。
間もなく夏休みが終わろうというころ、バイトの合間を縫って、『課題』に取り組んでいた圭の自宅に春花が押しかけていく。
ピンポーーン
「はーい、ただいま、あら古都竹さん」
母親は洗濯に忙しいから、漫画に夢中の妹茜に圭を呼びにやるように促した。
古都竹の存在はこの家族にとって結構重要で、男の娘圭に彼女がいることが意味のある事なのだ。高校入学女の子みたくなってしまった圭にも彼女がいることは家族にとって一種のよりしろの様なものだから……
「まったく、お兄ちゃんたら古都竹さんいないとダメなんだから」
理由は『課題』を手伝う為、
「圭君のこと心配で……」
コンコン、「おにーちゃん、古都竹さん、宿題手伝ってくれるって」
「んん~~~、適当にはいって春花」
部屋に入れば、ぶつぶついいながら、参考書を広げている圭がいる、ほぼすっぴんだというのに、男子には見えなくなって、中性を通り越し、まるで女の子みたい。
「じゃあ、お兄ちゃんをよろしく」
漫画の続きが楽しみなので、家の冷えた麦茶とコップを置いて、さっさと茜は居間に戻り、友達から借りたDVDを流しつつ、すぐに漫画に夢中になった。
もともとは江戸蔵高校など、春花の学力に見合わない、都内有数の進学校に進み、敷かれたレールの上を歩いていれば何の問題もないことになったのかも。
彼女にとってそんなことは別に気にならない、教科書なんて読めば大体頭に入ったし、図とか表とかだって写真のように記憶すればいいだけだ。
だから春花は圭に時々参考程度に、時々アドバイスを与えて、『課題』を効率よく、導いていく、そういう時間はひどく面白く、圭の眼をのぞき込みたくなってしまうのだ。
最初は鬱陶しがっていたけど、一緒に課題に取り組んでいくうちに、圭も色々喋り出し、二人でどんどん解決していく。対面していた二人はいつの間にか横に並び、身を寄せ合っていた。
そうしていつの間にか夕方になり、気が付けば妹は遊びに出かけて、母親も買い物にでも出てしまって、
もう課題も終わりが見え、後は事務的な作業のみを残す段階に入ったところで、
「ボクのさ、春花のことなんだけど……とても口じゃいえないこと、君に伝えたいんだ」
つい先日まで、当の本人春花自身ですら封印して忘れ、無かったことになっていた記憶だ、もう癒えていたと思っていた、かさぶたの下に隠れた傷のこと。
「口じゃ伝わらないこと?」
直感した、原始的な何かに触れる様な、その何かっていったい何のことなのかと、春花の表情が、恥で泣きそうになりながら、同時に怒り、頬が火照っている。
「今から圭君にだけ……教えてあげるから、覚悟して」
「ちょ、ちょっと、痛いのとか嫌だよ」
とっさに身構える圭だった。
「……痛いなんてもんじゃないよ、でも君にだけは伝えておきたいんだ、憑依したいのは君だけなんだから」
逃げたくなるのも無理ないって春花は思ってた、痛くするからね言ったら誰だって逃げて当然だから、それでも嘘は吐きたくなかったし、窓から見える夕日を、これがこの身体でみる、最後の景色かも知れないと想いながら。
「嫌だよ春花……君って怖いもん」
そういいながら、二人は離れようとなんてしなくて、
「圭君だけだよ、圭君だからだよ」
両隣にしっとりしなだれつき、指と指を絡めあう、吐息がすぐ間近に感じられるくらいまで。
眠るように、ゆいっくりと、ゆいっくりと、意識を失う春花で、圭に抱かれる様に、二人は倒れこんでゆく……
はじめ圭は何が起きているのかが分からなかった、ただ普通じゃないことだけは確かなよう、圭の父親じゃない人が今の圭の父親なのだ、おかしなことをいっているようだが、感覚的に見知らぬ、だけどよく知っている父親にふと気が付けば身体をまさぐられていた。それを言葉にしようとするが、身体が動かない、動かせないんじゃなくって、想像以上の恐怖を言葉なんてものに変換できないのと同じように、陳腐に怖いということの巨大さを、「止めて」といえない、ただ怖さから身体が固まり、どう言葉で表したらいいのかわからず、思考停止させて、そのことから意識をそらして耐え続けるだけしかできない。
顔も眼も合わせたくない、皮膚の感覚、匂いすら、下腹部をまさぐる手の感触までもがこの感覚は自分の父親だと主張している。ぬるると体を締め付ける腕と絡む脚の感触はナメクジを想い起こす。
(そんなはずは無い)といくら主張しても、現実がしゃにむににそれを許さない。
あまりの濃い現実感に、これは夢のようだと、ものすさまじい悪夢だって……だって首筋を這うベロの生暖かさや、その唾液の生臭い匂いまでもおぞましい、汚らしくて、不潔な蟲が、ナメクジが全身を張っているみたい。
親子でこんなことしちゃいけないという、激烈な罪の意識、それはひどすぎる辱めで、悪いのは全部自分なんだって思えてきて。。
もしこんなことがあったって、母親に話したら、母親がボクのことを守ってくれるだろうか? そうは到底思えない、だってこうして黙って耐えていればいいなんて考えているんから、ボクがいけないんだ、ボクは悪い子なんだ、母親に対し隠し事をしている、そしてそのことを心の中で謝るの。
今こうしてされていることが、しんどく、しんどすぎると、感覚がマヒしてきて、現実から目を逸らしたくなる、だって、逃げる場所なんてどこにもなくて、ひたすらに怖くて怖くて……
まるでなめくじの交尾の様な気がしてくる、両性具有の粘膜の様に、生き物が抱き合っているんじゃないかって、ナメクジの身体が粘膜であるようにに、性器だって粘膜だ、それらが光沢を放ち螺旋に絡みう姿、そこから互いに性器を伸ばしあい、抱き合う姿、家庭の自家受精みたい、それらはまるでいまの、ボク、親娘の似姿みたいな気がしてきて、おぞましくて、気持ち悪くて、望まない変身をさせられていて、どんなに絶望しただろうって、でもそれをいじめっ子の彼女がされて、それを共有できるなんて、こんな気持ちいいコト他にないんじゃないかって、そうなんか思ったら、余計に罪悪感が増してきて、父親と共犯になった気すらしてきて。
そうだ、これ、春花の過去の記憶かを追体験しているんだって、こんなに怖くて辛くてしんどいなんて、痛い、心が痛い、ばんそうこうも塗り薬も無いなら、心はどうしたらいいんだろう。
意識がぶっ飛ぶということがわかる、だから春花が憑依なんて能力を獲得したんだって、わかった、恐るべきことに憑依の本質は、相手の心に毒されることだったんだ。
春花が心のしんどさから逃れる為に、傷つき汚れて辱められて、それでも生きていくために、命をつなぐために、心の痛みを知るために、ボクをイジメたのだとしたら、ボクが特別なのだとしたのなら、許す……ゆるしなんかできないけど、許せやしないけど、許すしかないじゃない。
もういっそのこと、ボクを消して、ボクとして生きていく事は出来ないのかと、むしろボクなんかイジメていくより、そんな虚ろな家庭を捨て、ボクとして生きていけばいいなじゃないと思う程に、
「どうしてこんな苦痛をボクに教えるんだよ! どうしてこんなに苦しめるんだよ!」
春花の意思の中で叫んだ。
「うれしいよ、ボクの苦しみを分かってくれたんだね圭君、苦しんでくれたんだ? でも君は楽しんでいたんじゃないかな? とんでもなく変わってるよね君って、恋人の苦しむ姿を見て喜ぶ癖があるなんて、ボクには本当にびっくりしたもん、でもボクだけしか君をこんな快感で支配してなんてあげられないんだよ、わかる?」
「ううう、ひっく、ひっく、ひいいっく、春花ちゃん……」
「くすくす、くす、うれしいよ、君の泣きじゃくるところが大好物なんだ、じゃあもっともっとボクの苦しさを教えてあげる、圭君だからだよ、圭君にしか教えてあげないんだから」
そうして、潤沢で余りある恐怖から、ボクは意識を失い、気が付けば春花に乗り移っていたの……
子宮のような温かい場所に、ボクはいるのの、そこは春花の意識の中で、ひどく安心できるような気がする、この空間全てが春花で、一粒一粒も全部が春花のような、一つが全で、全が一つ、
だからつまり、
春花の瑕はボクの傷になったっていうのか、春花の痛みを共有できたっていうのか。今は春花の疵まで愛おしい気がしてきてる、いじめられてたからなのかはわかんない、いじめられていたから彼女の悪い所を知るのが快感なのかもしれないし、というより彼女の傷自体が好きなのかも……
でも反面、マジで最悪のやりかただよ彼女、こんな事知りたくはなかった、春花は性的虐待を受けていたなんて、そんな苦しみなんて、超最悪! っていうか死んでしまいたいって思うし、ボクだったなら死んでるし、この身体で死んでしまおうか、一緒に心中してしまおうか? おっもしろいね! 春花の中で死会うなんて、こんな経験誰もしたこと無いじゃん、もしかして超最高かもよ、だってここまでさらけ出し合った仲で心中できるなんてなかなか無いじゃん~!!!
ってアホくさ、なーにうぶな事言っちゃってるんだか。
でもボクが春花の傷口となって、彼女を受け入れていっても、傷を分かち合っても、まあつまり今ボクは春花に憑依しているってわけなんだけど、どういう訳か彼女とまるまる体が入れ替わっちゃっていた。
ますます状況が混乱としてきたしって、
「今晩は泊まっていってよ、お父さんと二人きりなんて、圭と一緒になんかさせたくないし」
無表情に恐怖を隠し、春花がつぶやく、暗くなり始めていた彼の部屋で、互いに身体を交換し合いながら、
でも春花として最悪の最悪の更に奥を極めてみるの、いいじゃん! 何処までもいけるとこまでいってみてみよーか、それすら彼女と共有して、みたいし。
彼女にされたこと、もっときもい形で分かち合いたい、より深く結ばれてみたいって。
「いいよ、それでもボク、帰ってみる……」
今晩は春花として生活してみる、彼女として営み、生きてみよう。