命名
あるいみ解答のつもり
夜の街は暗い。それはもう暗い。一寸先は闇だなんて生ぬるい。肌に闇がくっついてるみたいに暗いのだ。月光は?町あかりは?月光なんて見えないような曇り空。社畜の灯火とさえ言われていた街の明かりが働く人の居ない中ある訳もなく…。軽い気持ちで書店から少し離れたら真っ暗闇に囚われてしまったのだ。少し歩けばまた適当な店の明かりとかついてないかなーとか思って足を動かし続けているが、一向に明かりの見える気配が無い。ここは本当に街の中なのかとさえ考えたのだが、巨大な四角い影がかろうじて視認できることから、ビルに囲まれている事だけは間違いないようだ。
ああ、足が痛い。思えば今日一日立ちっぱなしだ。オフィスの中座りっぱなし、寝っぱなしで色々と弱っている身体にはなかなかにハードな運動だ。おまけにとても眠い。まだ何が起きる可能性があるか分からない真っ暗闇の中で疲れて眠ってしまう事だけはなんとしても避けたいところだ。外にいる時ばっかりこういう天気になるのは何故なんだ。たまに雲の間からチラチラと顔を出す月光が石を持ってこちらを馬鹿にしているとしか思えない程に腹ただしい。月光の貴重な明かりを拾って街を眺めても景色なんてどこもあんまり変わらない。そのうちに私は、もうめんどくさいから道路で寝ようかとか考え始めていた。でも、道路、か…「硬いベッドは身体を痛める」的な事が書いてあった日々の生活に云々という本を読んだあとでは少し気が引ける。縁石を枕にすれば少しはベッドっぽいだろうか。いや、無理。どう考えても頭が割れる。縁石から寝がえりで頭が落ちたら洒落にならない衝撃を受ける事くらいは大体想像がつく。
「ねぇ、誰か何か良い案持ってない…?」
不意に呟いた声に闇夜から帰って来たのは自分の声の残響だけだった。
「は、ははっ…」
その残響への返答として乾いた笑いが出た。月はまた、雲の奥へと姿を隠してしまった。
「誰も答えてはくれない…ね…」
再び真っ暗になった街を眺めてぼそっと言った。何者も止めようともしない信号機が答えを返してくれていた気がした。そこにはその役割は無いと言うのに私は無意味に足を止めた。
「はぁ、はぁ…」
何キロ…も歩いていないのだろう。でも、足は震えていた。信号機はその時の私にとって立ち止まるには十分な理由だった。戒めるように、私は自分に言い聞かせるように、独り言をつぶやいた。
「私は…何をしているの…?おかしい事をしてるなんて気づいてるはず。」
声に出して確かめる。自分の声は冷静とは聞き取れなかった。誰も見ていないが、私はとてもひどい顔をしているのだろう。
そっとアスファルトに座ってノートパソコンのメモ帳を開いた。大体、面白可笑しくなんて無理なんだ。初めにしたかった事はこの世界の面白い所を見つけたかった訳じゃない。いい案なんて、知恵袋に書きこんだところで帰って来ない。知っていたのに。書き出しは思いつかなかった訳じゃないんだ。きっと。
物語の始まりなんていつも突拍子も無い。今回もそうだ。著者というのは狡い。嘘を書き込むのは容易だ。もしも今の数瞬をノンフィクションで書くとしても、今座り込んだ理由くらいは誤魔化せる。嘘は書けない。ノンフィクションだから。私は書こうとしなかっただけなんだ。私の、隠しておきたかった心情を。泣き出して座ったという一瞬を。
じゃあ書き出しはこうしよう。何一つ嘘のない、この世界で得られた答え。
「寂しいよ。」
オフィスの中、混乱の淵でも想っていたのは誰かに会いたいでも、何かが欲しいでもなく、酷く曖昧な心情だった。主人公を気取った私は、果たしてその寂しさを埋めることなんて出来るのかな。泣いていたいよ。でもこれではダメなんだ。暗がりは怖いんだよ。
酷いね。これじゃあ。強がりな茶番劇は1日で終わってしまった。その1日のページはバックスペースを押す必要すら無いくらい空っぽで、隠しきれないほどボロボロだった。
カウンセラーは言っていた。辛いことは言えばいいと。でもできなかった。結末はそうじゃなかった!今を綴るには余計な物語ばかり頭に浮かぶ。ただの曇り空なのに、私の周りはもう水たまりが出来ていた。誰も読まない物語には、クールな主人公を模索していた。この異常にかっこよく対応する主人公。誰もいない中、華麗に世界を解き明かす魅惑のヒーロー。悪役がいて、ヒーローが居て、ヒロインが居なくて。大団円には悪役が必要だった。ここにはいない。いたとしてもきっとそいつも死んでいる。カタカタと細かく震える指でキーボードを叩いていく。
『寂しいよ。
みんな死んでしまった。取り残されたのは、ただ1人の少女だった。
彼女は泣いていた。ただひたすらに泣き続けていた。名前を、通称を、叫びながらさまよい続けた。何処へいってしまったの?』って。
皮肉なものだ。
書き出した物語をどう整形しても、人間らしく描写するにはこうするしかない。退屈な物語だ。子供でも、大人でも、大小差異あれ、最後はこうなるのだろう。だってそうじゃないと不自然だ。私は、こんなにも壊れやすいのだから。退屈は、孤独は、顔をこんなにも歪ませるのだから。主人公なんて誰でもいい。最初から最後まで、結末さえもなんにも変わりはしない。ここにたどり着くまでの条件を満たすのなら、最後は頼るのだろう。すがるのだろう。誰にも聞こえない声を上げて。知識なんてそうなったら関係ない。
「ここにはなにもない」
それが現実だと、早かれ遅かれ気づくだけだ。
また、雲が途切れた。月明かりが水たまりをわざとらしく照らし出した。横断歩道の白線と道路が、今までよりも歪んで、しかし鮮明に見える。虚ろな目で変化を見ていた私は、コツ、コツ…とかつて歩いていた自分の足音を思い出していた。
今まで空っぽだった脳に少しだけ中身が入ったような気がした。
『この場所にいるのは平凡な女子高生だけだ。読書家で、妹がいる4人家族の何処にでもいる黒髪の少女。だが今はその身体に似合わないような奇声を上げながら、少女は何時間も、何日も街をさまよっていた。突然に、周りにいた人全てがいなくなってしまったのだ。帰りにシュークリームを買うコンビニの店員も、週末に旅行の計画を立てていた両親も、仲のいい友達も、全員だ。冷静に対処できるわけがなかった。バカなことをしているなんてことは、冷静な彼女なら分かったことなのだろう。しかし、彼女の足は止まらない。泣きじゃくって、親とはぐれて迷子になった子供みたいにひたすらに叫ぶだけだった。それができる事の不自然さには何も気づくことが出来なかったのだろう。どれだけ歩いても、どれだけ叫んでも、あまり疲れないことへの疑問は湧いてこなかった。もう、不思議な状況がなんで生まれたかなんてどうでも良かった。寂しい。私を一人にしないで!と少女が何回目かの悲痛な叫びを上げた。それが当然だと言うようにその声を聞くのは無機物ばかりだ。少女は疲れ切っていたが、誰かを見つけなければ。と歩き続けた。
「なんで!?誰もいないの!?」
私は、誰かいるはずだと探し続ける。誰かが手を伸ばしてくれて、主人公みたいに誰かと協力して生きていくんだと思っている。”本当に…?”なんて言葉は胸の奥に鎖で縛り付けた。そうしなければ、私は現実という重圧に潰されて消えてしまいそうだったからだ。
「誰か、私を見つけてよ!私はここにいるよ!」
だから、より声を張り上げる。シュークリームみたいにちょっと強く握っただけで潰れそうな自分への少しでも形を留めるられるようにという自分に対しての言葉だったのかもしれない。誰かが必ず手を伸ばしてくれると信じて。
焼き付くような太陽。月光の嗤う熱帯夜。嫌がらせのような朝と夜を何度か巡り歩いて、漸く私は気がついた。
「なんで私は生きているの?」
ずっと、なんにも食べていないのに。
思えば生まれて初めて朝食を欠いた、昼食も欠いていた。夕飯なんて考える必要もない。空腹ですら無い。
”本当は何処にも誰もいないんじゃないか”と無関係な心の声が膨らんでいた。私は本当に生きているのか。その疑問が産声を上げた。』
もしも、”君は生きている。”と語りかける声が続くのならば、ここを地獄だと私は思うだろう。居もしない人を永遠に探すなんて正気でいられるとは思えない。
私がここで永遠を過ごすとしても、物語に生まれたこの少女には幸せな終幕を迎えて欲しい。私の諦めは、似た環境の誰かが幸せに終わるという逃げ道を作り出した。手を取る誰か…手を取るのはあの娘しかありえない。
いや、つまらないな。私は少しずつ冷静になり始めていた。感情の受け皿が出来たからだろうか。文の少女が私より幸せそうで何よりだ。それだけでわたしは現状に納得していた。
せっかくだし名前をあげようか。私が黒咲だから、白。うん。白がいい。
「白、たまに話し相手になってよ。私もひとりぼっちは寂しいんだ。」
ノートパソコンの文章が並んだ画面へとつぶやいた。
「私も白が幸せになれるように話を考えるからさ。」
『「」』
返答はなかった。私はそれで満足だった。