討魔物語
朱い天井、赤い壁、紅い海。
室内を染め上げているアカは、刻一刻と沈んでいく夕焼けのせいだけではないだろう。
足元には、黒ずんだ物体が横たわっている。
もはや動かなくなったそれは、人や動物などの法律に触れる類ではない。
魔物だ。
今回の魔物は、家にいつのまにか忍び込んでおり、いきなり襲い掛かってきたのだが相手が悪かった。
魔物もまさか、次々と廃業に追われて数の少なくなっている討魔の一族に当たるとは思いもよらなかっただろう。
魔物は、いつの間にか灰と化していた。
後に残った微かな残骸を眺めていると、突然のように身震いが来る。
ある程度はこの討魔の仕事にも慣れてはきたが、いくら魔物とはいえ斬る感触には未だになれない。
しかし、これでいいのだとも思う。やはり、人間には慣れていいことと悪いことがある。もちろんこれは後者だろう。
そして慣れてはいけないことだとわかっていても、どんどんと手を染めていく自分は馬鹿だとつくづく思う。
やはり、血という歴史の長いものの前には逆らえないらしい。
総本山に本家と分家。そして異端。
政治にも絶大な影響力を持ちながら次々と廃業に追われる討魔の一族の、主な依頼は国から来る。
魔を倒す分には、拳銃はおろかナイフでも出来る。ただし、相当な訓練を積んでいない人間が、死なずに倒せるかはいささか疑問である。
つまり、自衛隊程度の鍛錬では倒すことは出来ても、そこにたどり着くまでに相当な被害が出るのだ。
そこでこの討魔の一族がいる。とはいっても最近は魔物の出現率が減っており、不謹慎だがそれに伴い仕事のめっきりと減っており、もはや専業ではやっていけないため副業となっているのだが。
大抵の大きな仕事は総本山が、それ以外は本家が受け持ち、分家はそれを支援する。
だが稀に、異端へと仕事が廻ってくることがある。
もちろん、本家はおろか総本山ですら多大な被害の出る損な仕事ばかりだ。
総本山の依頼でこの森にまで来た。
地元の人間も、普段は寄り付かないというこの森へ、悠然と歩を進める。
手には愛用の日本刀、腰には小型の拳銃が一丁。
服装は学校帰りということもあり、ワイシャツに学生ズボンだ。
街中を歩いていると、道行く人全員から奇怪な視線を浴び、仕舞いには警察に職務質問され、銃刀法違反を二重で捕まりそうだったので逃げてきた。
まあ、捕まったら捕まったで一応は本家の方から国に根回ししてもらえるのでいいのだが。
暗く、深く、吸い込まれそうな深淵を、灯りも無しに進んでいく。
一歩進むたびにカサカサと、枯れ葉を踏む音が酷く耳障りだった。
不意にザワザワと、辺りの樹という樹が、風という風が警告をする。
イマスグカエレ、イノチノホショウハナイ、と。
意にも介さず進む。とにかく進む。ひたすら進む。
恐れるものは何もなく、死すら甘んじて受けるこの一族。死線など限りなく抜け、死をもって死を制すその鬼神、いや、狂人の如き血には恐れるという単語が刻まれていないのだろう。
ふと、歩を止めて辺りを警戒する。
いつの間にか魔物に囲まれている。
暗闇のせいではっきりと視認はできないが、魔物独特の血の香りが鼻についた。
数は6体。小型と中型の獣型の群れ。強い血の匂いがしないため、まだこの世に現れてから時間も立っていないらしい。
静かに、自然に、抜刀する。
その洗練された刀で、熟練した構えを持って、万全の準備で魔物と相対する。
瞬間。
人間の言語では到底表現のできない奇声とともに、すべての魔物が一斉に襲い掛かってくる。
静かに見切り、狙いを定め、攻撃と回避を同時に行う。
ダン!という、木の葉と土のクッションですら消しきれないほどの強烈な踏み込みで、最も飛び掛るのが遅かった魔物一体に迫り、強烈な袈裟切りを放つ。
通常の刃物では傷一つ付かない皮膚を、本家直伝の討魔術式『断』を組み込んだ一閃が易々と切り裂く。
ザシュ、という気味の悪い音と、灰を一身に浴びながら軽く身震いする。
一体を一撃で仕留めると、振り向き、体勢を整える。
一筋縄ではいかないと魔物も悟ったのか、先程のように飛び掛りはせず、ジリジリと間合いを計っている。
その中へ、駿足をもって飛び込む。
間合いを取りながらも、すぐには来ないと油断しきっていた魔物二体を切り裂く。
今度の魔物も、灰となって消えた。
二体の魔物を切り裂くと同時、残った魔物の三匹はさらに距離を置き、一歩では届かない距離まで離れる。
瞬間的に腰の銃を抜き、最も離れた一体に狙いを定めて、ガン!という銃声を何回も響かせる。
魔物の皮膚にかかれば、銃弾の一発や二発はどうということはないのだが、弾丸が当たったのは皮膚ではない。
眼球だ。
どんな生物であろうと、絶対に鍛えられない場所。
どれほど皮膚の厚く、頑強な魔物であっても眼球だけは発達しなかったのだ。
聞くも無残な音が、耳に響く。
弾丸は、眼球を通じて脳まで達し、そこで絶命した。
すると、実力の差を悟った魔物の二体は、背を向けて逃げ去っていく。
あえて追わない。
なぜなら、狙っているのはこんな小物ではない。
この土地に根付き始めている、強大な魔物だ。
その巨大な体躯に見合うほどの戦闘力は、話の限りでは凄まじいらしい。
弾の切れた銃に、新たに弾丸を詰めなおす。
そのとき、ズシン、と大地がかすかに揺れた。
常人では気付けないほどの小さな揺れ。
それを、見逃すはずがない。
前方を、後方を、右方を、左方を、上空を、地面を、空間を、警戒する。
空間が、歪む。
三十メートルほど離れた地面が急速に盛り上がる。
ガコオオオン!!と、凄まじい響きを起こして現れたソレは明らかに通常の魔物を逸していた。
まず、目に付いたのはその巨大な体躯だ。いくら別の魔物の匂いが残留していたとはいえ、今まで気付くことが出来なかったのが不思議なほどの匂いであり、大きさは軽く十メートルを超えているだろう。
次に先ほどの獣型と異なり、全身を甲殻のようなもので覆っており、さながら甲殻類を思わせる。
そして何よりも、巨大な鎌らしき手を数本と、足と思わしきものが無数についている。
これではまるで百足だ。
ゾクリと、突然背筋が震えた。
両手がカタカタと震え、頬がわずかに引きつる。
こんな仕事に慣れたくはないと思っても、血が踊り、騒ぎ、煮えたぎる。
この感覚を知っている。
一般的にはこれを武者震いというが、討魔の一族では違う呼び方をする。
血の目覚めと。
ガガガガガガガ!!!と、魔物は幾つもの足を地面に叩き付けて咆哮する。
咆哮の衝撃で、地面に落ちた葉が舞い上がりカーテンを作る。
そのカーテンを破るように、即座に百足の懐に飛び込む。
百足は即座に鎌を振りおろし、薙ぎ、掬い上げるが、その合間を縫うようにして鎌を回避する。足のある腹の部分は危険なため、比較的障害の少ない甲殻部分から攻める。
駿足で甲殻へと飛び上がり、神速で刀を振り下ろす。
ガキン!という金属同士がぶつかるような音が響き、刀が弾かれる。
甲殻は異常に硬く、普段使っている本家の討魔術式程度では弾かれてしまう。
異端術式でも試そうかとも思ったが、体力の温存と、鎌が迫ってくるため二撃目を放つ前に甲殻から離れた。
辺りの木々を蹴るようにして真っ直ぐ移動し、隙を窺う。
対する百足は、ベキベキと障害となる木々を壊し、払い、薙ぎ倒して迫ってくる。
急に、百足がその足を止めた。
攻めろと理性が叫ぶのだが、血は逃げろと叫ぶ。一瞬迷ったものの、血を信じて右へと回避する。
瞬間、今まで自分のいた場所へと、百足が粘液とも油とも取れる奇怪なものを吐いた。
百足の吐いたそれは、木々にぶつかるとたちまちに溶けた。
木は一瞬で消えてなくなり、後に残ったのは不快な匂いを撒き散らす謎の物質だった。
相手の隠れた一撃がわかった以上、迂闊には近寄れなくなった。
百足が二発目を撃とうとしているのがわかり、回避行動に専念した。
次々と放たれるそれを回避しながら走る、奔る、疾る。
しかし、いくら走っても間が空かず、攻める隙が無かった。
先ほどの一撃を見てからは、回避に専念しているがこれでは体力切れで負けるのではと思ってくる。
なんせ、こちらは全力で移動しているのだが、百足を振り切ることができず、徐々に距離を詰められている。これも体格的なものなのだが、しょうがないとも言っていられない。
鬼ごっこでは勝てないので攻めようとも思うが、飛びかかろうとすると百足はあの液体を吐き出し、こちらを牽制してくる。
結果、機会を無くしてまた鬼ごっことなる。
このままでは自分が体力切れで失速し、百足に食い尽くされるのは火を見るより明らかだ。
百足が足を止め、液体を吐こうとする。
覚悟を決めて、一際強く樹の幹を蹴り、そのままの勢いで飛び掛る。
液体は樹に当たり、樹をもはや別の物質へと変化させる。
飛び掛った先には、数本の鎌。
その全てが、別方向から、しかし狙いは全て同じものを狙う。
全ての鎌が迫る。
右から迫る鎌を受け流し、左から来る鎌の勢いに乗じて右へと僅かに自身の軌道を逸らす。その勢いで上から襲い掛かる鎌を回避し、術式を組んで二段ジャンプ。
狙うは百足の顔面。刀を振り上げ、振り下ろす寸前。
ザシュ!という音、そして、軸となる左手に熱い感覚が迸る。
咄嗟に刀を振り下ろす動作を中断し、地面に着地。そのまま逃げに入る。
傷は、左肩から五センチほどの裂傷。見逃していた下からの鎌に斬られたらしい。
回復術式で傷を塞ぐ。中はまだグチュグチュだが、なんとか痛みは抑えた。
とはいえ決死の特攻も見事に玉砕し、形勢はますます不利になった。
ただでさえ追いつかれないよう必死だったのだが、ついに追いつかれそうになる。
百足の鎌が、振り上げられる。
一撃、二撃、と襲い掛かる攻撃を避けるが、三撃目。どう足掻いても回避はできない。
どう足掻いても『回避は』出来ない。
ならば、攻撃によって攻撃を防ぐのみ。
異端術式を刀に込め、ぶつかる角度を調整する。
ダスッ!という小気味のいい音とともに、鎌の一本が、刃の半ばから斬れた。
この術式は異端術式の中でも軽い方なのだが、これだけでも手の感覚が痺れてくる。
これが、異端術式を使用する流派が異端と呼ばれる所以だ。
矛を突かれれば、盾で防ぐのは道理。しかし、異端はそうは考えなかった。
矛で突かれれば、それに突かれるより速く突けばよいと。
目には目を。剣には剣をもって返すやり方には、多少の犠牲が伴う。
今のように軽い術式ならば手足の痺れ、しかし、最高の術式にもなれば命を対価にする必要もある。
それが異端。死をもって死を乗り越える流派である。
これ以上は使いたくはないのだが、これ以上長引かせても不利な状況には変わりない。
大分体力を消耗してしまうがしょうがない。
異端式移動術式『疾風』で自身の速度を上げる。
グラリ、と眩暈がするがなんとか持ちこたえる。
すると先ほどの追走劇がまるで嘘のように、どんどんと百足との距離を離していく。
適度な距離をとった所で、振り向き、百足に攻め込む。
百足は奇妙な液体を放ち牽制するが、そこにはすでに何も無かった。
百足を上空から捕らえ、甲殻を狙う。
腰の銃を抜き、異端式攻撃術式『烈火』で銃弾の威力そのものを、そして異端式追加術式『劣化』の特性を組み込み、撃つ。
吐き気がこみ上げるのを我慢し、撃ち続ける。
一発命中するたびに、『烈火』の銃弾が甲殻を軋ませ、『劣化』の特性が甲殻を薄くする。
ベキン!!と、刀で斬りつけても傷一つ付かなかった甲殻に、一筋のヒビが入る。
ガガガガガガガ!!!と全身を震わせながら、百足は逃げに入るがもう遅い。
全ての銃弾を撃ちつくしたところで、決めに入る。
今度は刀に異端式攻撃術式『断裂』を何重に掛け、二段ジャンプで百足に迫る。
痛みとすらわからない、全身が沸騰する感覚を感じながら、刀を構える。
神速で刀を振り下ろし、『劣化』し、ヒビの入った百足の甲殻を『断裂』する。
ガガガガガガガ!!!!と、『断裂』する刀と、『劣化』してなお持ちこたえる甲殻が互いに交差する。
バチバチと散る火花が、永遠のように感じられた。
ガキィィィィン!!!という、勝敗を決する音が響く。
血が、哂う。
直後に、砕けちった百足の甲殻から見える肉を、刀が『断裂』する。
グシャァァァアァアァアアァァ!!という、気味の悪い音が、百足を断裂させる。
百足は、断裂してなお生きていた。
しかし、生きているといっても虫の息というものだ。
止めを刺すべく、刀を振り上げる。
森に、不快な音が木霊する。
そして、悪寒が精神を包み、肉体は微かに震え、百足は絶命し、灰と化した。
討伐完了の連絡を本家にいれ、そそくさとこの森から出る。
肩口には、いつの間にか開いた傷口から血が流れ落ちワイシャツを紅く染めている。
本家の回復術式を使ってそれを塞ぎ、出血を止める。
なんにせよ、これで自分はまた一つ強くなったということもあり、少しの満足感で、魔物を斬った不快感はすっかり忘れ去っていた。
夜空には、満点の星が、輝いて、瞬いて。とても、キレイだった。