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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争台湾編
96/239

台湾の統治へ

 アヘン戦争の見物より戻った松陰らは、台湾の統治に向け動き始めた。

 洪秀全の勧めに従い、独立は当面見送る事を周知する。

 清朝の過酷な圧政より逃れたい一心で蜂起に参加した民は、独立と言われてもピンと来なかったので、大した不満も出なかった。

 そんな民衆に対し、どうして蜂起したのか、統治とはどうあるべきなのか、どの様な社会を作っていくのかという、いわば憲法とも言うべき文言を伝え、広めさせた。

 五箇条のご誓文、アメリカ独立宣言等を記憶から引き出し、敲き台にし、エドワードの知識も借りながら作った草案である。

 

 自治には民衆の参加が欠かせない事。

 会議によって意見の統一を図る事。

 人治主義を排し、法律による統治を図る事。

 税の必要性と公平な税負担を科す事。 

 軍の必要性と徴兵制などが謳われた。

 

 民衆は、その内容までは良く想像しえなかったが、圧政から逃れられたという開放感と、全く新しい政治のやり方に興奮を隠せないでいた。

 清の役人の朝令暮改に振り回され、ウンザリさせられ続けた台湾の民である。

 役人の変節振りは身に染みて理解しているのだが、今回は自分達の蜂起の末の事なのだ。

 上に立つ者に期待するな、というのが無理であろう。

 

 それに、と民は思う。

 自分達に向かい、熱心に語りかけている杜君英らの後ろには、凛とした表情で立つ男達がいる。

 一騎当千と呼ぶに相応しい戦場での勇猛果敢な働きぶりを見せながら、その立ち振る舞いは控えめで、言葉は通じないものの、礼儀正しくかつ丁寧な物腰の彼ら。

 民衆にとっては、三国志の英雄達が蘇ったかの様な、そんな印象を抱かせる存在であった。

 その様な偉丈夫達が、民衆の前に出る事無く、杜らの後ろで静かに控えている。

 杜らの護衛というのがその意味する所なのだろうが、観衆には違って見えた。

 

 今は杜らを守っているが、もし彼らがこの地の災いとなれば、腰に帯びたその武器で一刀両断にしてしまう、そう見えた。

 男達が、まるでこの島を守る守護神の様に感じられた。 

 彼らがいる限りこの台湾は大丈夫。

 そう思えてしまうのだった。

  



 台湾は、本土からの移民により開発されてきた歴史を持つ。

 主な集団は福建より泉州せんしゅう人、漳州しょうしゅう人、故郷を持たない流浪の民客家はっかである。

 彼らは、“天地会”という互助的な性格を持つ結社をそれぞれが作り、清朝による圧政の下、同じ出身の者同士、団結して日々の生活を送っていた。

 

 沿岸部に住み、商売や漁業で生計を立てていた泉州人、平野部で農業を営んでいた漳州人、山間部で農業にいそしんでいた客家は、清朝の分断工作によって互いに憎みあい、械闘と呼ばれる武力衝突を頻繁に繰り返していた。 


 客家であり、今回の蜂起の首謀者である杜君英と、泉州人の大商人であった朱一貴、台南周辺に住む漳州人のまとめ役林爽文は、互いに憎しみ合っても仕方無いと、過去を水に流し、前を向いていく事を約束しあい、民の前でそれを誓った。

 そして、それぞれが一致団結し、台湾の統治に当たっていく事を確認した。

 しかし、上の者はそうであっても、下の者にとってはそうではない。

 容易には解消され得ない、様々な問題を抱え、それでも統治は進んでいく。




 行政には当面清の元役人を当たらせた。

 行政のノウハウを持つ者が少なすぎたからである。

 哀れむべき清の兵士とは違い、役人は殺される事無くその身を生かされていた。

 恭順するか死か。

 それを選ばせた。


 元々優秀な者は台湾には派遣されない。

 そんな元役人達が、清朝への義理立てから死を選ぶはずも無く、ほぼ全てが恭順し、台湾自治政府の一役人としてその身を捧げる事を誓った。

 しかし、その恭順の内容は厳しかった。

 あらゆる不正を禁止され、犯せば死を宣告されたのだ。

 異議を唱えた者はその場で即“クビ”となり、残りの者は血の気を失って了承した。

 少なくとも3年間の奉仕を強要されたが、その後は自由という約束に縋ったのだった。

 果断ではあるが、約束をたがえる者達には見えなかったからだ。

 

 わからない様な不正のやり方はいくらでもある、という甘い期待もあったのかもしれない。

 しかしそれは、監察官など滅多な事では来ず、来た所で賄賂でどうとでもなる以前の事。

 清廉潔白な監察官であり、厳格な刑の執行官でもある者が常駐している様な環境で、不正など望むべくも無い事であった。 

 誤魔化すには監察官の目が鋭すぎ、厳しすぎたのだ。

 単純な失敗は酌量されたが、意図的な書類の改ざんが見つかり、その場で”クビ”となった者も出て、役人の意識は変わっていった。




 新しく国を作る(独立はまだであるが)という興奮する場に立会い、エドワードは大いに刺激された。

 長居は出来ないと、祖国へ向かい船を走らせた。

 エドワードに頼んだ事も多い。

 松陰は、持ってきていた浮世絵や漆器などの商品サンプルを全て譲り、イギリスで売れるものなのか探ってもらう事とした。

 エドワードは、松陰らの正体に半ば気づいている様だったが、事情を詮索するでもなく、喜んで協力してくれた。

 松陰は、有用な植物の種子、トロナ石、天然痘の種痘、イギリスの最新技術や知識の書かれた書籍等、お願いした。 

 エドワードは急いで戻ってくると胸を叩いて誓ってくれたが、立ち寄る港、物資の補給で上陸する度、赤痢やコレラに苦しむ患者に足止めを食う事になる。

 

 松陰との約束であるので、エドワードは彼らを積極的に助けた。

 経口補水液を使って症状を軽減せしめ、砂糖や塩の代金だけという、必要経費以外は受け取らないエドワードに、人々は聖人として崇めた。

 しかしこの聖人は治療を施すだけでなかった。

 次はこの方法を使って、他の苦しむ者を救えと言うのだ。

 エドワードの行いと言葉に感銘を受け、経済的に余裕がある者達は、経口補水液の作り方を引っさげ、各地へ向かい、広めていく。

 やがてエドワードの名は、貧しい人々の中で高まる事となる。

 尤も、エドワードの心中は、安請け合いするんじゃなかった、面倒過ぎる! という後悔であったのだが……




 残った松陰らのやるべき事は多い。

 行政組織の変革、その上に立つ統治者の組閣、法や税制の整備、軍制の整備、台湾の主要産業である農業の改革、道路や河川の整備、山間部に住む少数民族との交渉(樟脳生産のクスノキ採取)など、時間はいくらあっても足りるものではない。

 それに、人も少なすぎた。

 人材は、台南だけに必要な訳ではない。

 松陰らで、台湾全土を看る事など不可能なのだ。

 

 猫の手も借りたいくらいに忙しく働き、それぞれの限界を迎える頃、太平天国より支援がやって来る。

 洪秀全が密かに用意していた、独立国を運営していく為のノウハウを持った貴重な人材100名である。

 洪は、集めた資金を使って私学校を作り、役人に必要な知識と学問を学ばせていたのだ。

 清代の科挙は、国家を治める知識を問うのではなく、経典を解釈するだけに過ぎない場となってしまっていた。

 洪はそれを懸念し、独立に向けて準備していたのである。

 今回の事は、太平天国に追随して独立運動を決めた勢力第一号として、出血大サービスらしい。

 洪の手紙には「大いに感謝するヨロシ!」と書かれていた。

 

 言葉通り、一同、大いに感謝した。

 そしてその手紙には、サムライを寄越してもらえないか、との打診があった。

 清朝がイギリスと争っている現状、太平天国との軍事衝突は考えられないが、それも来年には終わってしまう。

 そうなれば清朝との決戦は不可避で、戦力はいくらあっても困る事はない。

 日本のサムライが来てくれれば百人力だ、と言うのだ。

 傭兵代として、大量の銀貨まで揃っている。

 サムライソードもよろしく、との言葉を添えて。 


 多分に、洪のサムライへの憧れが混じっているようだが、先に助けてもらったのはこちらであるし、どうしたものかと松陰は皆に相談した。

 薩摩は問題ないだろう、と忠蔵。

 旗本衆は流石に無理、と海舟。

 伯父上は喜びそうでござるが、と亦介が答え、サムライ派兵計画が始動する。


 松陰らは知らない。

 萩の港を出港した日より、彼らの消息が人々の噂に上らない日は無かった事を。 

 鹿児島の港を出発してから、自分も志願すればよかったと後悔する者しきりであった事を。


 彼らは知る由もない。

 突然現れたジャンク船に騒然となった故郷の者達を。

 しかしそこには船員しかおらず、手紙だけ渡され、その中で太平天国の義挙を知らせ、大陸への派兵計画を持ち出し、心配していた者の度肝を抜いた事など。

 そして、我こそはと殺到する者らに首脳陣が頭を悩まし、急遽剣術試合を行って選抜し、漏れた者に悔し涙を流させた事を。


 松陰は想像もしていまい。

 長州藩家老村田清風が策を巡らし、民百姓の希望者からも選び出し、派遣軍に加えた事など。

 松陰の言っていた、日の本全員が一致団結してという言葉を実現する為の深謀遠慮を。

 そして、意気揚々と船から降りてくる者の中に、悪戯小僧の様な表情を浮かべた一貫斎と、嘉蔵、熊吉の顔を見つける事になるなど。

 

 1841年の暮れ、台南の港には、選抜された100名の薩摩隼人、50名の長州藩士、50名の長州藩民がいた。

 彼らは台湾の民衆を指導、その後大陸へと渡り、太平天国のサッチョ族部隊としてその勇猛振りを遺憾なく発揮し、大陸全土へその名を馳せていく。

概要とか言ってましたが、こんな事になるとは……

何だか、無茶苦茶な展開になってしまいました。

ここまで大っぴらに渡航して大丈夫なモノでしょうか……


派遣されてきた彼らの活躍ですが、大陸に渡り、未来の大村益次郎こと村田蔵六さんを軍師とし、押し寄せる清の軍団をなぎ払い、隙をついて侵入してきた、フランス支配下のベトナム兵に立ち向かいます。

新疆ウイグル、チベットの独立まで考えていましたが、広東からは遠すぎますね。

突飛すぎました。

史実では、太平天国の乱後に回教徒が乱を起こし、大虐殺される事件が起こっています。

チベットが独立すれば、混乱をついてグルカがやって来ると思うので、薩摩示現流VSグルカのククリ刀の勝負が出来るかと思いましたが、機動力が人力では無理がありますね。


ともあれ、台湾編はこれで本当に打ち止め。

次話から日本に移ります。

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― 新着の感想 ―
台湾編、面白かったです 外伝で太平天国と台湾の話が読みたいです♪
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