転生者同士の会談
「アイヤー! 驚いたアル! まさか他にも、私と同じ境遇の人、いたアルか!」
二人きりとなり、洪秀全が叫んだ。
謁見の時間はとうに終わり、場所は洪の執務室に移っている。
「洪さんって日本人だったんですか?」
「違うアル! 中国人アルヨ!」
「日本語はどうして?」
「勉強で日本、居たネ!」
どうやら留学で日本に滞在していたらしい。
それは良いのだが、気になっていた事を松陰は尋ねた。
「サイババのあれって、手品ですよね?」
「ばれてるアルか! そうアル! この時代の人たち、まるで疑わないアルヨ! 神の子の奇跡、なってるアル! 秘密、ヨ!」
全く悪びれる様子も無く、洪は素直に白状した。
それだけ松陰を信用しているのか、今更誤魔化した所で意味が無いと思ってなのか、どうにも松陰には判断がつかない。
仕方が無いので、細かい事を聞いてみた。
「どうして語尾がアルなんですか?」
「アイヤー! 参ったアル! 日本語、話す時の癖ネ! これつけてると、日本人喜ぶアルヨ。中国人、ステレオタイプ、ネ! でも、これ、便利ヨ! これつけただけで、日本人笑うネ! 私、人、喜ぶ顔、大好きヨ!」
嬉々とした顔で洪は言った。
初めの発言から一貫しているし、その顔に裏があるとは感じない。
ちょっと騒がしいが、どうやら悪い人間ではなさそうだと松陰は思った。
今度は洪が尋ねる。
「アナタ、元々、日本人? どうして今、台湾にいる? 日本、今、海禁中ネ!」
「昔も今も日本人ですよ。台湾にいる理由は、一言では言えませんね。強いて言えば、私の目的を果たす為、でしょうか。洪さんも、何か事情があって、今のこの時期に太平天国を作ったのでしょう? 本来ならもっと後のはずですよね? お互い、目的は違うでしょうが、仲良くやりませんか?」
悪い人間では無いと思うが、余り詳しい事は言わないでおこうと松陰は感じた。
同じ境遇にある者同士とはいえ、何から何まで話す必要はないであろうし、話すべきでも無い気がした。
もし、互いの目的が衝突する場合、最悪なら敵対する可能性もある。
日本と広東では遠すぎて、意図しなければ交流も図れないだろうが、時代は既に蒸気船が登場している。
思いもしない所で利益がぶつかるかもしれない。
なので松陰は、お互い相手の事情に深入りしないでおきませんか、という意味を込めて、洪に伝えたのだ。
「よく知ってるアルな! 本来なら10年早いアルヨ! 私、大きい事、やりたかったアル!」
残念ながら、松陰の想いは届かなかった。
それどころか、聞いて聞いてと言っている風に見えた。
溜息が出そうになりながらも、松陰は仕方なく尋ねた。
「大きい事って何ですか?」
洪は松陰の質問に、待ってましたとばかり喋りだした。
「中国4000年の歴史で、誰もやった事無い、でっかい事アルヨ!」
「皇帝になる事ですか?」
でっかい事と言い、国を作った今となっては、それくらいしか松陰には思いつかなかった。
洪はそれを聞き、ニヤリとした。
フフン、とでも言うかの様に鼻で笑い、言った。
「秦の始皇帝から今の皇帝まで、合計、何人いたアルか? 皇帝なんてちっちゃい事アル!」
スケールの小さな男アルな、と洪に言われている様で、松陰はついイラッとした。
それを理性で押さえつけ、重ねて問うた。
「では何です?」
ぶっきらぼうにも聞こえる松陰の言葉に対し、洪はとっておきの手品を披露する時の様な得意げな顔で、高らかに宣言した。
「法治の国、民主国家アルヨ!」
「え?!」
松陰は呆気に取られ、洪を見つめた。
その顔は、冗談を言っている風には見えなかった。
聞き間違いではない事を確認する為に、聞く。
「ほうちって、法律に従って政治をするっていう事ですか?」
「そうアル!」
「民主国家って、日本みたいな、あの?」
「その通りアル! 共産党は、私の敵ネ!」
洪は吐き捨てる様に言い切った。
得意げであった先程とは打って変わり、顔は真剣そのもの。
どうやら冗談ではないらしい。
「どういう事ですか?」
松陰は聞き返した。
饒舌だった洪の口はその陰を潜め、顔は暗い。
打ち沈んだまま、暫く考え込む様に押し黙る。
松陰が注視する中、ようやく口を開いた。
「私の親友、天安門で戦車に轢き殺されたネ……」
1989年6月、民主化を求めて北京の天安門に集まった、一般人や学生らのデモ隊に対し、共産党政府は戒厳令を敷き、武力で鎮圧した。
人民解放軍は一般市民に対し、無差別に実弾を発砲し、装甲車や戦車で轢き殺したのだ。
この時の正確な犠牲者数は、今もなお明らかとなっていない。
その後、共産党政府は抗議者や関係者を続々と逮捕し、外国メディアを国外に退去させ、国内にも報道管制を敷いた。
事件当時、外国メディアは中国内にいた為、人民解放軍による市民の虐殺は海外へ中継され、世界中から中華人民共和国へ批難の声が集まった。
洪はポツリポツリと話し始めた。
あの時、用事で故郷へと帰っており、デモに参加出来なかった。
胸騒ぎに居ても立ってもいられない中、友人からの電話で、参加していた親友の死を知った。
親を撃たれ、その傍で泣き叫ぶ子供がいたらしい。
子供がいるにも拘らず、戦車は止まらなかったらしい。
その子を助けようとした親友は、まず銃で撃たれたらしい。
それでも止まる事なく子供へと走りより、抱きかかえ、逃げようとしたその瞬間、子供もろとも戦車に押しつぶされ、死んでしまったらしい。
親友は正義感が強く、優しい上に頭も良かった。
こういう男こそ政治家になるべきだと、普段はてんでバラバラで一致しない仲間が、この時ばかりは大いに賛成した。
民主化したら、真っ先に立候補しろと誰もが勧める様な男であった。
そんな親友が、あろうことか戦車で轢き殺される?
我々が何か悪い事でもしたのか?
民主化を求めてデモをしただけなのに!
警護隊と小競り合いを起こす者らもいたらしいが、親友がいる所でそんな事を起こさせる筈が無い!
それに、武器を持たない市民程度、容易く無力化出来なくて何の軍隊だ!
その後の共産党は何をした?
抗議の主だった者達を逮捕し、秘密裏に殺していったのだ!
政府に拘束され、そのまま行方不明になった者がどれだけいる事か!
そして国内で情報を規制し、事件そのものを無かった事にしてしまったのだ!
今では、天安門事件の事を知らない子供達もいる!
共産党は、親友の死を、無かった事にしたのだ!
洪は、唇をかみ締め、感情を抑制して喋っていたが、抑え切れない思いがあるのか、時々激しい口調になった。
松陰は何も言えず、黙って聞く事しか出来なかった。
平和な日本で暮らしていた自分に、語れる言葉はない。
今は、それ以上に血生臭い時代に生まれてきたし、戦の場にも居たとはいえ、一方的な虐殺など見た事は無い。
薩摩藩士の戦いぶりは一方的だった気もしたが、数の上では劣勢であったし、武装の上では五分と五分な筈なので、意味が違うだろう。
「それで、民主国家を作りたい訳ですか……」
松陰は、なおも若干興奮の残っている洪に聞いた。
「共産党への恨み、それだけじゃないアルが、まあ、そうアルヨ。」
「な、なる程!」
これ以上何があると言うのか?!
松陰は聞くのが恐ろしくなり、慌てて相槌を打って深入りは避けた。
洪も、怒りを重ねる事に躊躇があるのか、それ以上の言及は止めた。
双方に沈黙が漂う。
元来が明るい性格である洪は、居心地が悪くなったのか、咳払いをして話題を変えた。
「景気、悪いアルな! 美味しい物食べて、元気出すヨ! お腹、減ってないアルか?」
「そうですね、減りました! そういえば、街で焼き餃子、麻婆豆腐、天津飯を食べましたよ。あれって洪さんでしょ?」
「知ってるアルか! そうアル! 日本の料理、ここの人、誰も知らないネ! 食べたなら、違うモノ、持って来させるネ! 多いと夜食べれない、飲茶にするヨ!」
そう言って、洪は人を呼びつけ、飲茶を持って来させた。
本場広東の飲茶は大変美味しく、松陰は舌鼓を打って満喫した。
「美味しいモノ食べる、元気、出るネ!」
「そうですね。医食同源、腹が減っては戦は出来ぬ、ですね。」
「アイヤー、思い出すアルな! 日本、美味しいモノ、多かったアル! 寿司、シャブシャブ、焼肉、だれも美味しかったアル!」
「思い出させないで下さいよ!」
堪らず松陰が抗議の声を上げた。
寿司は今でもいけるのだが、冷凍冷蔵の技術が無いので、近海で獲れた魚しかネタが無い。
痛みやすいマグロのトロは、猫も食わずに跨いで歩くと言われていた時代である。
松陰の抗議に構わず、洪は続けた。
「ラーメンも美味かったアルな!」
「ラーメンですか! くぅぅ、食べたいなぁ!! スープはいいとして、ラーメンの麺にはカンスイが必要ですからねぇ。」
「カンスイ、アルヨ! 何種類か、麺、使っているアル!」
「本当ですか?! ラーメン、作れるじゃないですか!」
「スープが難しいアル! ラーメン、知らないネ……」
「是非協力させて下さい!」
二人は意気投合した。
豚骨、醤油、味噌、塩について喧々諤々の議論を展開し、スープの材料について話し合った。
トッピングではチャーシュー、メンマ、ネギ、ワカメは外せないと結論が出た。
「今日はいい日アル!」
「非常に建設的な議論が出来ましたね!」
二人は満足げに頷きあった。
疲労感さえ心地よい。
そこで、ふと思い出したと言う風に、洪がポツリとこぼした。
「後は、カレー、アルな!」
「うぉ?!」
不意打ちを喰らって松陰は思わず呻いた。
無意識のうちに考えない様にしていた、愛しいカレーの名が洪の口から出され、松陰を直撃した。
エドワードの船での悲惨な体験が脳裏に蘇る。
思い出すだに恐ろしい悪夢もあった。
そして、自分の為に贖罪に明け暮れている筈の、カレーの妖精さんの姿がはっきりと目に浮かんだ。
気づけば、大粒の涙が頬を伝っており、床にシミを作っている。
洪はそれを黙って見つめていた。
慌てて松陰は涙を拭い、作り笑いを浮かべて言い訳した。
「すみません。つい思い出してしまいました……」
そんな松陰を洪は暫く見守り、ややあって言った。
「まさか、アナタの目的、カレー、アルか?」
自分の思いを正確に言い当てられ、松陰は少なからず動揺した。
それは、答えを自ら吐露している様なものだった。
観念した様に、松陰は前世からの事を話し始めた……
「アナタ、私以上に業が深いアルね……」
「業、ですか?」
「そうアル。私の業、恨み辛みネ。単純ヨ。でも、アナタ、善悪を超えてる、気がするヨ。」
洪は言葉を選びながら、続けた。
「私、こう、思うアル。私達、神様に選ばれた、ネ。」
「え? 神様?」
不穏な単語を口にした洪に、松陰は思わず聞き返した。
洪は説明する。
「そう、神様ネ。でないと、こんな事、有り得ないアルヨ。神様、私達に、二度目の命、くれたネ。でもこれ、プレゼント、違うヨ。」
「どういう事ですか?」
「確証、無いアル。でも、そんな気がする、アル。」
「何か心当たりでも?」
松陰にそう聞かれ、洪はやや間をあけ、喋り始めた。
「私、本業、手品師だったアル。だから、この時代の人、騙すの簡単、だったアル。」
奇術や手品自体の歴史は古いが、洗練された現代手品をこの当時の素朴な人に披露すれば、奇跡と間違えられても不思議は無いだろう。
特に、この時代の中国の田舎の人々は、驚く程に都会の情報からは無縁であった。
洪は、現代知識と歴史の知識、手品を駆使し、農村部の人々の心を掌握していったのである。
「謁見でのアレ、手品ネ。でも、信じられない、思うアルが、本物の奇跡も、起きた事、アルヨ。何度か、仕込んでない物、取り出した事、アルね。他にも、不思議な体験、したアルヨ。」
松陰はその告白に驚き、洪の顔を凝視した。
しかし、洪の顔は嘘をついている様には見えない。
もしもこれが迫真の演技であれば、洪は手品師よりも役者の方が向いているだろう。
洪は続ける。
「私、奇跡の起こった、条件、考えたネ。どれも、似た時、だったアルヨ。邪念無く、目的に邁進する時、奇跡起こる事多い、ネ。心当たり、無いアルか?」
「……そう言われてみれば、そういう気もします……」
洪にそう聞かれ、松陰はこれまでを振り返ってみた。
確かに、奇跡とまではいかないが、とんとん拍子に話が進む時は、カレーの為に一心になっていた時の様な気がした。
「だから私、考えたネ。これ、神様の加護、だと。でも、私、恨み、大きいネ。これ、神様のプレゼント、違う気、するヨ。」
洪の矛盾した物言いは、何故か松陰も納得出来た。
カレーに執着するのは、ただの我欲だ。
しかし、カレーに向けて、一心不乱に邁進していると奇跡が起こるとしたら、それは悪魔の餞別にも思われるのだ。
納得しつつも、何か腑に落ちないモノを感じながら、洪と松陰の話し合いは続いた。
次の日、洪と朱による話し合いの場が設けられ、太平天国と台湾の友好が秘密裏に約束された。
それにより、台湾の自治に必要な、人材や物資の支援が行われる事となる。
軍事についても、出来る限り互いに協力してゆく運びとなった。
しかし、台湾の独立宣言は当面見送られる事に決まる。
今この時期に、徒に清朝を刺激しない方が賢明だと洪に諭されたのだ。
洪によると、台湾での反乱の事は、皇帝に既に報告されている可能性が高いらしい。
しかし、無事に鎮圧したという程度の、まるで出鱈目な虚偽の報告くらいは為されているだろう、と。
もしここで独立を宣言すれば、それは伝聞となって皇帝の耳に届き、激怒して軍を発するかもしれない、と。
その可能性を生じさせるよりは、このまま化外の地の化外の民として、その力を磨いた方が良いと提案された。
独立して清朝皇帝の目を集めるのは、今はこの太平天国だけで良い、との事である。
朱は大いに納得し、洪の提案を受け入れ、独立宣言は先延ばしされた。
ここに、清朝より独立を宣言した太平天国と、統治の軍隊を追放し、自治を獲得した台湾の、中国大陸の歴史を変える歩みが始まった。
やっと洪さんが登場出来ました。
登場しといてなんですが、この後、出番の予定はほぼありません。
民主国家は、中国4000年、最近は5000年らしいですが、中華民国をどう位置づけるのか、でしょうか。
物語的にも洪さん的も、民主国家はなかった、としています。
ご了承下さい。
なお、サイババ氏を貶める意図はございません。




