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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争台湾編
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松陰の陰謀

 その日の夕刻、松陰はビーリンに呼ばれ、彼女の部屋へと赴いた。

 朱家の家族は、松陰らが厄介になっていた家屋からは奥まった位置に住んでいた。

 女の子の部屋にお邪魔するという事で緊張しつつ入ると、彼女は椅子に腰掛け待っていた。

 市場に出かけた時の服装とは異なり、ややゆったりとした、寛ぎ感溢れる服に着替えている。

 ほぼ着たきり雀であった自分達を省み、流石に上流階級だな、と松陰は思った。

 しかし彼女の部屋は、現代の、よくある女の子の部屋とは違い、ヌイグルミが飾ってある訳でも可愛らしい小物が溢れる訳でもない。

 人形らしき物はあったが、愛嬌があるわけではない。

 内装は華やかであるが、こざっぱりとした部屋であった。


 ビーリンは松陰に椅子を勧め、手元の紙に筆で記す。 


 『早速だけど、ファンリンをどうするつもりなの?』


 達筆で記された質問を松陰に見せる。

 ビーリンの用事は松陰の思っていた通りである。

 予想はしていたし、その答えも用意していたが、今頭に浮かんでいるのは別の事だった。 


 ファンリン、ローチュンも、似た様な部屋なんだろうか?


 松陰はそう思い、それを悲しく感じた。

 千代やスズ、寿にも言えた事だが、女の子なのに、と思う事がしばしばであったのだ。

 女の子らしい、と言えばフェミニズム団体に目の仇にされそうだが、今はいないので存分に思う。

 女の子らしさがないよな、と思っていたのだ。

 個室なんてものが用意されている、上流階級のはずのビーリンでさえこうなのだ。

 一般家庭の子供達は、押して知るべし、であろう。


 貧しい暮らしの者が多い世の中であるとは思う。

 また、武家の嗜みとして、少しの贅沢も厳しく戒める杉家にあっては、それも当然だろうとは思っていた。

 しかし、もうちょっと、こう、「かわいい~」という単語を笑顔で発する女の子を眺めたいな、という思いもあったのだ。

 お前、その言葉しか知らないのかよ、と突っ込みたくなるまではいく必要がないとはいえ、今は余りに足りなすぎである。


 突然、松陰にアイデアが舞い降りる。

 素晴らしいアイデアの様に思えたが、ここ台湾で通用するのかとも疑問に思った。

 経済性も良く分からない。

 偶然、商売の事にはうるさそうな、かつ想定顧客の女の子が目の前にいるので、丁度良いと確かめる事にした。

 

 『その前に、質問していいですか?』

 『何?』


 そう言って松陰は、紙に絵を描き始めた。

 一心不乱に筆を動かす。

 質問は? と思ったビーリンであるが、黙ってそれを見つめた。

 暫くして、


 「出来た!」


 と、松陰は無意識のうちに日本語で呟く。

 そして、得意げな顔でビーリンに絵を渡した。

 彼女はそれを受け取り、見入った。

 やがて、絵を手に持ったまま右に回し、戻し、そうかと言えば左に回し、顔を離したり近づけたりした。

 眉間に皺を寄せ、じっと考え込んでいる様であった。

 そして遂に観念したかの様に顔を上げ、口を開く変わりに筆を動かした。

 

 『何これ?』


 短い、余りに短い言葉であった。

 会心の作に、何これ、とは心外だと松陰は憤った。

 しかし、すぐに思い直す。

 彼女は知らないだけなのだと。

 台湾に住んでいたら、知らないのも無理はないだろうと。

 そう考え、教えてあげた。


 『知りませんか? 大熊猫パンダっていう動物ですよ。』

 



 パンダまたはジャイアント・パンダ。

 中国名、大熊猫。

 中国の甘粛省や四川省の山奥に生息する、笹を食べる熊として有名な動物である。

 熊であるので、元々は肉も食べる雑食性であったが、エサの競合を避ける為、身近にある笹を食べて生活出来る様に進化したらしい。

 パンダを特徴づける白と黒の模様と、モフモフとした外見、愛くるしい仕草で世界的に人気の高い動物である。

 元々はレッサーパンダを熊猫と呼んでいたが、後に発見されたジャイアント・パンダをその仲間と見なし、大をつけて大熊猫となった。

 近代までは、地元民が知るくらいの動物であったらしい。 

 1869年、フランス人宣教師に欧米人として初めて毛皮を発見された。

 毛皮を求めて密漁され、絶滅の危機に陥ったそうである。

 

 


 案の上、


 『え、これって猫なの?!』

 『いえ、熊です。』

 『これが熊?』


 とすっかり驚いた様である。

 そうではあったが、だから何? という顔をするビーリン。

 

 『可愛くないですか?』 


 松陰は問うた。

 そう聞かれ、再び先程の絵に目をやるビーリンであったが、その顔には困惑の色しか浮かんでいない。

 そしてついに覚悟を決めたのか、きっぱりと言い切った。


 『全っ然、可愛くないわ!』

 『え?』

 『何なのこれ? これが熊なの? 熊は見世物で見た事があるけど、こんなじゃなくて可愛かったわ! 何よこれ! 化け物かと思っちゃったじゃない!』


 松陰自信の作が全否定であった。

 予想だにしない程の激しいビーリンの剣幕に、松陰は僅かながらたじろいだ。

 自分ではパンダの特徴を的確に捉えた、見ているだけで癒される絵を描けたつもりでいたのだ。

 多少は体のバランスが悪いかもしれないし、白黒模様のはっきりとした割合も心許ない。

 それに、パンダを見た事がない者には、その可愛さの想像がつかないのかもしれない。

 そう考えた松陰は盛大な溜息と共に、仕方無いか、という顔をした。


 それにカチンときたのはビーリンだ。

 熊だか猫だかわからない動物だという絵を見せられ、分からないのか、やれやれ、とでも言う風に溜息をつかれれば、彼女ならずともムカッとするだろう。


 『ちょっと待ってなさい! ファンリンを呼んで来るから! それに、アンタのお供の子供達にも判定してもらおうじゃないの!』


 ビーリンはそう書いたかと思うと椅子から立ち上がり、意外と素早い動きで廊下に出、大声でファンリンらを呼んだ。 



 

 『お姉様、どうかしたのですか?』

 「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

 ファンリン、スズらがビーリンの部屋に集まってきた。

 しかしビーリンも松陰もその目的は口にしない。

 黙って松陰の絵を彼女らに見せた。

 そして示し合わせた事をそれぞれが言う。


 『本の中からこの絵が出てきたんだけど、何なのか分からないから意見を聞きたいの。』

 「これは何だと思う?」


 二人にそう言われ、子供らは絵を注視した。

 絵はファンリンからスズへ、スズから千代へ、千代から帯刀へ、帯刀から三郎太へ、三郎太から重之助へと回される。

 ローチュンは意味が分からないのか、ニコニコとしている。

 千代は何か思い当たる様で、松陰の方をちらっと見やったが、そのまま黙ってしまった。

 他の子らは、ああでもない、こうでもないと口にする。

 そして結論が出たのか、


 『これは伝説のばくではないでしょうか?』

 「犬だよ!」

 「えぇと、そのぅ、何かの動物、の様な気が致します……」

 「妖怪だと思います!」

 「ちょっと分かりません。」

 「喧嘩して両目が膨れた男じゃと思う。」


 うなだれる松陰に対し、勝ち誇った顔のビーリンが質問を重ねる。


 『可愛いと思う?』


 それには千代を残し「否」と出た。

 千代は、目をキョロキョロとさせながら、


 「いえ、よく見ればどことなく可愛さを感じますし、これはこれで愛嬌があると思いますわ……」


 と力なく口にする。

 落ち込んだ松陰の様子に事情を察した千代であったが、それでもそう言うだけで精一杯であった。

 そしてビーリンは更に追い討ちをかける。


 『ねえ、ファンリン。熊の絵を描いてくれない?』

 『え? ここで、ですか?』

 『そうよ。今、ここで、熊の絵を描いて欲しいの。』

 『……わかりました。お姉様がそう仰るのでしたら、描きます。』


 子供達の好奇心の視線の中、ファンリンは筆を取り、若干頬を赤らめつつも、サラサラと熊の絵を描き上げた。

 見守っていた子供らは歓声を上げ、賞賛した。


 「じょうずだね~」「熊、ですね!」「ぶちうめぇ」


 ふふん、これが熊よ、と、これ見よがしにファンリンの絵を松陰に見せ付けるビーリン。

 松陰は心の中で泣きながらも、


 『もっと、こう、モフモフとした感じで、全体的に白で、目の周りがこんな風に黒くて……』


 と細かな修正を求める。

 ファンリンは松陰の求めに応じ、その都度修正していった。

 そして遂に、パンダの絵は完成する。


 『これがパンダ? これなら可愛いわね!』

 「かわいい~」「もしや、これが本来の姿?」

 「変な顔でございますね!」「垂れ目ですね」「これが熊?」


 千代は一人愕然とした顔をしていたが、他には概ね好評であった。

 絵とはいえ、パンダの可愛さが伝わってよかったと安心した松陰である。

 それに加え、ファンリンの能力にも手応えを感じていた。

 と、


 『で、これが何なの?』


 ビーリンが堪らず声を上げた。

 元々はファンリンの処遇を聞き出す為に松陰を呼び出した筈が、思いもかけず、子供達のお絵かき会へと変貌していたからだ。

 そんな彼女の叫びに応え、松陰は説明する。


 『こういう可愛い動物の人形を作り、売れないかと思ったのです。』

 

 史実では、1902年に、世界で初めてテディベアが製作され人気を博す事になる。

 それを遡る事60年、ここ台湾で、それをパクろうという試みが始まる。




 『で、ファンリンを一体どうするつもりなの?』


 笑みを浮かべ、サッチョ族の子供らと絵を描いている妹の姿を横目に捉え、ビーリンは筆談で松陰に問うた。

 松陰の提案に驚かされ、乗り気になったビーリンであったが、当初の目的は忘れない。

 しっかり者の彼女に安心した松陰は、しかし当初説明しようと思っていた事は諦めた。

 幾らなんでも怒るだろうな、と土壇場になって思い止まったのだ。


 『絵で協力してもらおうと思っています。』


 と、懐に入れた浮世絵を握りつぶし、無難な事を口にする。

  

 『ふーん。絵、ねぇ……』


 ビーリンも、何か思う所があるのか、何となく釈然としない顔ではあったが、そう応えるばかりであった。


 部屋を後にし、一人物思いに耽る松陰は、懐にしまってあった一枚の浮世絵を取り出し、眺め、ボソッと呟いた。


 「流石に、これを女の子に見せるのはセクハラだったよなぁ。」 


 それは、男と女が裸で絡み合う、俗に言う春画と呼ばれる浮世絵であった。


 「兄上は恥ずかしがって全然描けないから、ファンリンに任せようと思ったんだけど、ビーリンは流石に怒るよなぁ。」


 前世、世界中に広がっていた日本のエロ。

 そのエロの祖先と言える、浮世絵の春画。

 松陰は、その春画を進化させようと前々から思っていたのだが、梅太郎は恥ずかしがってまるで描けなかったのだ。

 そこに現れたのがファンリンである。

 

 松陰は天啓が閃いた。

 梅太郎とファンリンを絵描き夫婦として世に送り出し、梅太郎には漫画チックな絵を、ファンリンには春画を含め、芸術性の高い絵を描いてもらおうと考えたのだ。

 そうすれば、松陰と縁を繋ごうとした朱一貴の思惑も半ば成功といえる。

 春画で世界を獲ろうとする松陰の野望にも近づく。

 誰も損をしない、素晴らしいアイデアに思えた。

 なにより春画の発展は、女の数が足りなくて欲求を溜め込みがちな台湾独身男の不満を和らげ、社会の安定に繋がるモノと思われた。

 

 ファンリンの意思は、悲しいかな、この時代では通らないのが普通である。

 朱が選ぶ娘の嫁ぎ先が貧しい家な訳はないし、人柄も考えるだろうが、それとて絶対ではない。

 しかし優しい梅太郎ならば、きっとファンリンを大事にするだろうと思う。

 松陰自身、杉家の一族をお金で苦労させる事の無い程度には、稼ぐつもりだ。

 母滝ならば、外国人であれ笑顔で受け入れてくれるだろう。

 梅太郎の意思も、悲しいかな、この時代の武士に、結婚相手を自分で選ぶという事など出来ないのだ。

 

 松陰は、ビーリンと進めるパンダといった動物のヌイグルミ計画と、ファンリンと梅太郎の婚姻計画に向け、準備を進めてゆく。

当時でも、お婆ちゃんやお母さんが、小さな人形を縫ってあげる事はあったと思いますが、商売にしてしまおうというだけです。

何でもかんでもお金に繋げて、という考え方もありますが……

綿はあったので、表面の素材をどうするのか、ですね。

フワフワ、モコモコなヌイグルミが出来るのかどうか。


松陰は、絵は梅太郎に任せきりであったので、苦手です。

千代以外はその事を知りません。

想像だけで絵を描くのは難しいですよね。


春画は、教会の影響の強い当時、西洋で流行るのか疑問ではありますが、海の男達には潜在的な需要があったと思います。

その海の男達は、男の穴や羊がいるから大丈夫、という現実デスカ……

とりあえず、春画計画はファンリンが成長してから、です。


絵描き夫婦というと、某仕事をしてくれない漫画家さんの事が真っ先に頭に浮かびます。

比べるのもおこがましいですが、プレッシャーとか物凄いのでしょうね。


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