濁水渓の戦い
残酷な描写があります。ご注意下さい。
「そんじゃあ、誰が何を担当するか、だねぇ。」
幾分のんびりとした口調で海舟が言った。
それを受け、皆は互いに顔を見合わせる。
まず口を開いたのは忠蔵であった。
「薩摩モンは刀ば持って、真っ先に敵に斬り込むモンと決まっとる!」
誰もが思った通りの言葉である。
しかし、亦介が即座にそれを封じる。
「それは無理でござる。忠蔵殿らが斬り込んでしまっては、大砲も鉄砲も撃てないでござるよ。」
「ぐっ! な、なら、大砲を撃ち込んだ後に斬り込むまで!」
尤もな亦介の指摘に忠蔵も反論出来ず、慌てて言い直した。
そんな彼らを余所に、あっけらかんと海舟が言う。
「しかし、大砲なんてぶっ放しちまったら、清の連中、戦意なんて喪失しちまうんじゃあねぇの?」
大砲に鉄砲、弾薬と人員まで借り受けておきながら、今更な事を言う彼に多くの者は唖然とした。
しかしよくよく考えてみれば、彼の言う通りかもしれない。
忠蔵ら薩摩藩士の、猿叫を伴った鬼気迫る斬り込みに、数で勝りながら為す術もなく瓦解していった清軍である。
そんな彼らに大砲をお見舞すれば、その音だけでも戦いにならずに逃げ出してしまうかもしれない。
ある意味恐ろしい未来図を想像し、皆絶句する。
「それは考えていなかったでござるな……」
「言われてみれば、確かにそうだ……」
亦介と忠蔵は力なく呟いた。
そんな中、途中参加の蔵六が口を開く。
「ところで、今回の戦の目的は何なのでしょうか?」
松陰より、戦は目的を達成出来ねば負け、と散々言い含められてきた蔵六であるので、まずそれを知りたかったのだ。
蔵六の意向を分かっている海舟が答えた。
「今回は敵さんが攻める側だし、ここを守りきりぁあ勝ちな訳だ。だけども、お百姓の多い漳州人の信頼をぶんどる為にも、敵さんが来るまでここで待つ訳にはいかねぇし、更に言えば圧勝するくれぇじゃねぇとなぁ。」
「なる程、わかりました。では、どこで戦うおつもりなのでしょうか?」
「弥九郎先生と梅太郎さんが物見に走ってくれてるから、それ次第かねぇ。ま、ここから先は、見通しのいい平地が続くらしいけどよ。」
「なる程。」
蔵六の疑問は解消したが、代わりにお菊が何か言いたげであった。
しかし、女がでしゃばるなと忠蔵に言われそうであり、言うか言うまいか躊躇しているらしい。
それに気づいた才太が海舟に目線で合図を送り、才太の意図を察して海舟はお菊に声をかけた。
「何だい、お菊さん。遠慮しねぇで言ってくんな。」
海舟にそう言われ、決心がついたのかお菊はおずおずと切り出した。
「借り受けた”かのん砲”は重いし、早目に動かさんと間に合わへんと思います。」
「それはそうだねぇ。」
何を判りきった事を、と言いたげな顔をする薩摩の者ら。
しかし、続くお菊の言葉に顔色を無くす。
「それに、大砲は轟音を出します。まず味方が慣れておかないと、戦いどころやないと思います。」
「あ……」
間抜けな声を上げたのは誰であったか。
お菊の指摘を受け、急遽大砲と鉄砲の試射を行う事となった。
数千人に上る、戦に参加する者のみに留まらず、余計な野次馬も多数集う中、まずは鉄砲が試射された。
イギリス人から借り受けた、フリントロック式のゲベール銃を使う。
ゲベール銃は、火縄を使っていた日本の銃と構造も取り扱いもほぼ同じであり、点火方式に火打石を使う点が異なる。
忠蔵らも、物珍しさからゲベール銃を撃ってみたかったのだ。
それに、守備隊より接収した銃は、弾の用意までは手が回らず、余裕がないので実戦でしか使えない。
両者の口径は違うので、共用は出来ない。
銃口より火薬を注ぎ、弾丸を込め、押し固め、構え、撃つ。
火縄銃とは異なり、引き金を引く事によって火打石が打ち下ろされ、火花を発生、火薬に点火、丸い鉛の弾丸が発射される。
白い煙と轟音を発し、目標を射抜く銃の威力に観客らは沸いた。
試射した忠蔵らも、火縄とは違い、取り扱いの容易なゲベール銃に満足した。
続いて大砲が火を噴いた。
イギリス人の指導の下、お菊と才太が実践する。
多くの農民にとっては生まれて初めて間近で耳にする、この世の終わりが訪れたかの様な大音響と共に、鉄砲の弾とは比較にならない大きさの砲弾が発射された。
硝酸カリウム(硝石)、硫黄、木炭の混合物である黒色火薬が急激に燃焼し、ガスを大量に発生させ、その膨張力が砲弾を猛烈な速度で砲の外へと押し出す。
固唾を呑んで見守っていた観衆は、まずその音に肝を潰し、続いて目にも留まらぬ速さで飛んで行った、重い砲弾に吃驚仰天した。
前もって体験した砲弾の重さ。
そんな重い物体が、考えられない速度で遠くへ飛んで行き、目標であった空家に命中し、大きな穴を開ける。
皆、口をあんぐりと開けてその結果に見入った。
俄然興奮したのはパイワン人のバツである。
山間部に住む彼らにとって、鉄は大変貴重な物であった。
そんな貴重な鉄を惜しげもなく使い、巨大な筒を作る。
それだけでも十分驚きであった。
一体何本分の山刀が出来るのかと思った程だ。
しかもその筒は、黒い粉を入れる事によって火を噴き、嵐において空を切り裂く雷鳴のような音を出し、重くて丸い塊をとんでもなく早く、遠くに飛ばしたのだ。
弓など比較にならない速さ、遠さである。
バツは目の前で起きた事に目を丸くして驚いた。
そして持ち前の好奇心で、どうにかそれを知りたいと思うのだった。
開始された進軍は困難を極めた。
カノン砲の移動に手間取ったのだ。
船での使用を元に作られた物であり、陸上での移動性は考慮されていない。
備え付けの車輪は小さく、陸上を移動させる様には出来ていない。
硬い木の床の上ならまだしも、舗装されていない土の道であり、進むだけでも苦労の連続であった。
道路整備の重要性を、その身を持って実感した一行である。
大八車に似た道具を集め、車輪の増設、板の補強をするなどしてどうにか載せ、縄もくくり、皆で代わる代わる交代しながら必死で運んで行った。
進む道が、おしなべて平地であったのがせめてもの慰めであろう。
ここで大活躍したのがバツらであった。
山間部を駆け抜けて育った彼らの足腰は、並の者では太刀打ち出来ない程に鍛えられていたのだ。
他の者は早々に根を上げ、すぐに交代を申し出るのに、彼らパイワン人は倍以上の時間を、根を上げる事もなく引いて行く。
大砲や鉄砲に興味津々であったのもあろう。
バツは見知ったサッチョ族に盛んに尋ねるが、残念ながら言葉が通じない。
どうにか理解できたのは、小さい鉄の筒が「TEPPOU」で、大きい方が「TAIHOU」、黒い粉は「KAYAKU」という事。
バツは忘れない様、必死でそれらの言葉を覚えるのだった。
進軍は数日続いた。
兵糧は朱が手配してくれている。
大した問題はなく軍は進む。
台南から台中までは、海岸線から山間部までの奥行きが約30キロメートル、直線距離で約100キロメートルの平野が広がっていた。
その殆どが田畑であり、主に米、サトウキビが育てられている。
渇水の今、米の育ちは悪い。
ではあるものの、朱と杜が交渉を進めている漳州人の有力者、林爽文の口添えで、道すがらの村々で食べ物の提供を受けていた。
はした金が出るとはいえ、清軍と何が違うのかと、初めの村では反発の色をその目に浮かべていた農民達であった。
しかし、遠く話に聞くだけであった、大砲という強力な武器を多数携えた独立軍の勇姿に、まずは胸を打たれた。
そして、山間部に住む筈の蛮族の群れに驚いた。
最後に、それらを指揮する、聞き慣れない言葉を使う、けれども見るからに強そうな、それでいて礼儀正しい、得体の知れない者達に圧倒された。
噂に聞いた、広東における太平天国なる独立国家の事。
それに倣い、清国より独立し、台湾という国を作るという結論に至った客家と泉州人の経緯を聞く。
互いに争った過去を持つ彼らが、今は手を携えて事に当たっている。
その事実に驚愕した。
そんな独立軍の兵士らは力説する。
新たな自分達の国では法律で税率を定め、みだりに増税しない事とする。
役人の私的な徴税を厳格に禁止し、破れば厳罰に処す事を聞く。
国を守る為に軍を設置するが、あくまで国を守る為だけである事を説明された。
今までであれば、所詮口だけだと思った事だろう。
台湾着任当初、綱紀粛正を謳った役人はいた。
しかし、そのどれもが、任期の途中で正反対に変節するのを目の当たりにしてきたのだ。
農民達がそう思っても仕方あるまい。
しかし今回は、それを約束している者らは、服装こそバラバラでまとまりに欠けるものの、清朝においては死刑にされてもおかしくない、守るべき弁髪を止めて長髪にしているし、手は節くれだち、顔は良く日焼けした、紛う事なき自分達と同じ農民のそれである。
それにも拘らず、見た事も無い立派な大砲と鉄砲を装備し、山間部の少数民族も味方につけ、誠に礼儀正しい者らがその上に立っている。
そんな彼らの様子に、何やら新しい風が吹いているのを感じ、村人達は以後、積極的に支援をしてゆくのだった。
そして、清軍との戦いを見物に行こうとする者が続出した。
弥九郎とも合流し、清軍とは雲林の濁水渓付近で雌雄を決する事となった。
途中、清の密偵を数人斬り捨てたらしい。
大砲を用意している事を知られていない事を祈るばかりだ。
濁水渓は川である。
渇水の今、流れる水の量は少ない。
今なら橋を使わなくても川を渡りきれるかもしれない。
しかし、敵を出来るだけ逃がさない為にも万全を期し、彼らが全て川を越えるのを待ってから、戦を始める事に決まった。
どこにも大量の伏兵など隠せない、見渡す限りの平野である。
大砲、鉄砲隊を中央に据え、右左翼に歩兵を展開する陣営で清軍を迎え撃つ。
いきなり大砲を放てば早急に敵が瓦解するかもしれないとの懸念から、まずはそれを隠し、十分に敵をひきつけてからの砲撃と決まる。
敵の正面に位置する部隊は、まずは大砲を使わず敵と斬り合い、頃合を見て退却する。
追ってくる敵を本陣に誘い、隠していた大砲をお見舞するのだ。
その時、右左翼に部隊を展開し、敵を三方から挟み込む。
大砲の射線には入り込まない事を徹底し、そこからあふれ出る敵を蹂躙する計画である。
絵を使って分かりやすく説明し、皆の理解を徹底した。
もし敵が退却するとなった場合、橋は狭いので川を直接渡ろうとする者もいよう。
それに備え、バツらが翼の端に待機し、弓を使って仕留めてもらう。
初めは鉄砲や大砲の近くにいる事に固執していたバツであったが、戦が終わった後で存分にと身振りで説明すれば納得してくれた。
国を建てるという夢物語が成し遂げられるのか、それを見極める為にも集まった農民達が見守る中、戦いは始まった。
清兵は、乾いた大地にもうもうと土埃を巻き上げ、声を張り上げて田畑を突っ切ってゆく。
対する独立軍もそれに応じ、動いた。
数合打ち合い、やがて均衡が崩れてゆく。
独立軍が押され始めたのだ。
台南で大規模な反乱が起きたとの報告を受け、北部より鎮圧に乗り出した清軍である。
命からがら逃げて来たという兵士の証言の中に、奇声を発しながら戦う、異常な集団がいたというモノがあった。
曰く、絶叫しながら突撃してきて、盾の上から構わず斬りつけてきた、と。
また、構えた剣ごと真っ二つにされ、絶命した者も多数いる、と。
終いには、生きたまま人を切り裂き、血を滴らせながら肝を喰らう狂気の輩である、と。
その報告を受けた司令官は鼻で笑ったものだ。
負けた事実を誤魔化す為に、偽りの証言をするのは日常茶飯事であったからだ。
過失を正直に報告すれば罪に問われ、処罰されるのが普通だ。
負けた戦いを辛くも勝ったと報じ、勝てれば針小棒大に飾り立てて喧伝する。
誰もが事実を捻じ曲げ、自分に都合の良い様に言うのが中華の伝統であった。
今回もそうであろう。
また、アヘンでもきめていたのか、とも思った。
事実、こうして為す術なく後退し始めているではないか、と。
密偵が戻ってこないのは少々気になったし、台南守備隊が唯一鉄砲を保有していた事も知っている。
反乱の徒が鉄砲を手に入れた可能性は高いが、台南駐在の総司令官のせこさもよく知っていた。
体裁だけは取り繕い、売れる物は売っているだろうと見当を付けた。
実際、戦が始まっても、一発の発砲さえ為されていないではないか。
司令官はほくそ笑んだ。
司令官は更に考える。
台南の総司令は既に死んでいる筈だ、と。
清朝が身代金を払う筈が無いので、人質の価値がないからだ。
従って、ここで反乱を鎮圧出来れば、手柄は全て自分の物になるだろう。
運がよければ栄転し、妻子のいる本国に戻れるかもしれない。
一刻も早く国に帰りたい。
そう思った司令官は、じりじりと後退を始め、ついには列を乱して逃げ始めた反乱の徒に対し、全力での掃討を指示した。
そして、追いすがる清軍が逃げる敵の殿に届きそうになった頃、清軍の前には、10門の大砲と鉄砲隊が突如として現れた。
突然現れた場違いな近代兵器に、清の兵士の意識が追いつかない。
それは最前線の兵の足を止め、後ろの兵士の邪魔となり、やがて清軍全体を大混乱に陥れた。
そして、そんな清軍の事情に頓着する事無く、それら近代兵器の群れは、その身に秘めた殺戮の能力を解放した。
誰かが興奮気味に叫ぶ。
「その身でとくと味わえ! 義久公の釣り野伏せ成功せり!」と。
それからは一方的であった。
海舟らが借り受けたカノン砲は、当時のモノとしても決して大きい部類ではない。
それでも、その大砲から放たれる重さ数キロの鉛の弾は、その射線上にいた敵の兵士を、数人以上に渡って文字通り木っ端微塵に吹き飛ばす。
仰角のない、ほぼ水平での射撃である。
砲弾は忽ちの内に地へと落ちた。
しかし、地面に落ちてもその勢いを失わず、兆弾となって敵を斃していった。
至近距離の大砲から発せられる轟音と、砲弾がもたらす破壊の威力に清軍は浮き足立った。
さき程までは隣にいた筈の同僚が、突然頭だけを失い、首から鮮血を撒き散らしながら斃れふす。
ある者は胸に大穴を開け、即死した。
またある者は、地面で跳ね返った砲弾を腹に受け、それが致命傷となり、死んだ。
そして、大砲と共に放たれる鉄砲によっても、清兵は続々と斃れていった。
現実感の無い、凄惨な戦いと化した。
最前列の清兵は恐怖に駆られ、逃げる事も出来ずに立ち竦み、ただ大砲と鉄砲の的となり、死んでいく。
指揮などあったモノではなく、忽ちのうちに烏合の衆となり、武器を捨て我先に大砲の目標から逃れようと逃げ出してゆく。
目の前の味方を押しのけ、一歩でも早くこの地より脱出しようと試みる兵らを嘲笑うかの様に、大砲は無慈悲な攻撃を続けていく。
清軍は、何ら有効な反撃を為せないまま、徒にその被害を増やしていった。
冷静な目で見れば、大砲も鉄砲も、その発射の間隔が長い事に気づいただろう。
大砲の扱いに長けたイギリス人が数名いたとしても、10門全部の面倒は無理であるので、どうしても時間が長くかかったのだ。
清軍としても、犠牲を覚悟して進めば、容易に射手の位置まで近づけた筈だ。
出来るだけ敵を引きつけての攻撃だったので尚更である。
しかし、予想もしなかった大砲の出現に慌て、冷静な判断を為し得なかったのだ。
また、大砲の射線上にいて発射されれば死、という恐怖には、容易に打ち克てるものでもあるまい。
大砲の射線上にいた者は砲弾の餌食に、左右に逃れた者は待ち構えていた反乱軍に切り伏せられた。
逃げる清兵は橋への殺到し、溢れた者は川を渡った。
しかし、橋も大砲の射線上である。
木製の橋の上にも屍を重ね、川に逃れた者をパイワン人の矢が襲った。
それらから無事に逃げおおせても、待つのは集まった農民達の群れ。
独立するという動きを懐疑的に眺めていた漳州人も、その戦いぶりに心を動かし、日頃の恨みも込めて清兵を襲った。
こうして、濁水渓での戦いが終わった。
独立軍は、初めの衝突では防具を固め、防戦に徹した為僅かな戦死者のみで済んだ。
一方の清軍は、司令官を失い、全滅とも言って良い被害を出す事となった。
独立軍の大々的な勝利である。
これを契機に、台湾全土で独立を求めての武装蜂起が加速する。
残った清軍の数は少ない。
その為、船を集めて台湾を脱出する清兵が後を絶たず、一ヶ月もせずに台湾は独立軍の手に落ちた。
幕末香霊伝をお読みいただき、誠にありがとうございます。
この度、作者の力量不足によりまして、台湾編において広げすぎた風呂敷をどう畳めばいいのか分からなくなってしまいました。
当初であればさっさと太平天国に渡るだけであったのに、折角台湾に来たんだからと寄り道し、話を膨らませ過ぎてしまいました。
当時、台湾にはアヘンは流入しておりました。
松陰も服用とはいえ、鎮痛薬として飲んでます。
それを扱っていたのは商人、つまり朱さんです。
莫大な儲けを上げていたアヘンを、どう扱えばいいのか分からなくなりました。
本国以上の圧政が敷かれていた台湾は、本国以上に一人当たりのアヘンの使用量が多かったらしいです。
日本側は厳禁するはずで、だとしたら商人としては反発するだろうと。
商人の多かった泉州人が離反するだけじゃなかろうかと。
それを押さえ込むだけの戦力も松陰達には無く、どうしたもんかと自分の中で整理がつかなくなりました。
それに加え、台湾の独立を描いていたら、話がいくらあっても足りないな、と困ってきました。
これから書くとしたら、前途多難な台湾の内政面です。
でも、NAISEIをやるなら萩に帰ってから、だとも思います。
というか、本筋とは余り関係のない台湾編を、これ以上続けるのが苦痛になってきました。
私は、ほのぼのNAISEIを考えるのが楽しくて好きなんだな、と今更の様に気づきました。
台湾ではそれは無理そうです。
客家、泉州人、漳州人の三者三様の思惑を考えただけでお腹一杯です。
はい、全て自業自得です。
従いまして、思い切って台湾編を終わらせたいと思います。
以後、出来れば5話、長くて10話以内に、多少強引でも台湾編を纏めたいと思います。
唐突感の残る内容となってしまうかと思います。
誠に申し訳ありませんと前もって述べさせて下さいませ。
寒暖差の激しい気候となって参りました。
皆様におかれましては、風邪などひかれません様、手洗いうがいの徹底で自己防衛を図られて下さいませ。




