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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争台湾編
85/239

いつの間にやら

 松陰の症状が峠を越えた頃、台南政庁舎は慌しさに包まれていた。

 台湾北部に駐留する清軍が集結し、台南へと向かっているとの情報が寄せられたのだ。

 松陰らの看病に当たっていた才太とお菊を残し、他の者は庁舎へと移り、対応について話し合う。

 とはいうものの、戦う以外に選択肢はない。


 打狗、台南を落とし、澎湖諸島の水軍の襲撃を撃退した今、台湾に駐留する清軍の残存兵力はおよそ六千弱と思われた。

 本国から援軍が来たとの情報はない。

 朱には商売人同士の連絡網があり、大まかな事は掴んでいるのでその情報に間違いはないだろう。 

 北部地域の統治もある為、その全てがこちらに向かって来るはずもあるまい。

 そう判断し、やって来るのは多くて四千人と見積もる。

 対する独立軍は、米の収穫等農作業が重なっているものの、動員出来る数は一万を優に超える。

 しかし、その全てが武装出来る武器も防具もないのに加え、それを指揮出来る人員もいない。

 海舟らは言葉の問題もあって、大人数の指揮は無理である。

 従って、訓練も為されていない名ばかりの農民兵を召集する事は出来ず、戦える者は三千人もいなかった。 

 

 数の上では足りないが、集まった日本側の面々に悲壮感はない。

 それどころか、慌しくしている台湾の人々に比べ、ややだらけた雰囲気が漂っていた。 

 ついに忠蔵が声を上げる。 


 「清のヤツらは歯ごたえが無いからつまらん!」

 

 沈黙している皆を代弁して吼えた。

 エドワードの船での戦闘も含めれば、清軍とは都合三度刃を交えている。

 いずれも忠蔵ら薩摩藩士の猛攻を押し返す様な猛者はおらず、寧ろ忠蔵らの猿叫で腰を抜かす惰弱な兵ばかりであった。

 折角の戦場と喜び勇んで突撃してみれば、相手は為す術もなく瓦解していくだけの輩。

 先祖の華々しい武功を聞いて育った忠蔵らであったので、手応えの無い清軍に対し、見下す思いが充満していた。 

 であるから、再び清軍が侵攻を開始したと聞いても、どことなくウンザリした気分となっていたのだ。

 しかし、彼ら程戦闘狂ではない海舟らにとってみれば、つまらなくとも確実に対処せねばならない重要な問題である。


 「そう言いてぇのはわからんでもねぇが、ここはいっちょ気を引き締めてやってもらいてぇな。これを乗り切りゃあ、この島の清の兵は殆どいなくなるはずだぜ?」


 海舟の言葉を受け、忠蔵らも気を取り直す。

 清軍の排除が済めば、待っているのは島の統治だ。

 客家である杜君英、泉州人の朱一貴は、残りの一大勢力である漳州人との交渉を続けている。

 漳州人は平野で農業を営む者が多い。

 公正、公平な税制を約束し、圧政の無い台湾自治への参加を呼びかけているが、反応は上々のようだ。

 清兵の横暴に最も晒される平野の農民であれば、公平公正な税制と聞いて期待しない者はいまい。

 圧政の無い暮らしと聞いて、胸を躍らせない者はいまい。

 清軍が南下を始めたと聞いた今、その意味する所を思えば、自分達の国を持ちたいと思うのも無理はあるまい。


 清兵は、今回の様な進軍に際し、予め兵糧を用意する様な事はしない。

 鍋釜を持ち運んでの現地調達である。

 それはつまり、道行く村の家々に押し掛け、蓄えている食糧を無理矢理に奪う事を意味する。

 兵の行くところ、無秩序な乱暴狼藉が行われるのだ。

 兵士においては、それこそが兵隊生活での唯一の楽しみであったのかもしれない。

 清朝に限らず、戦となれば昔から、中国大陸のどこであれ、その様な光景が絶える事無く繰り広げられてきた。

 寧ろ、嬉々としてその様な蛮行が為されたと言っても過言ではないだろう。

 そしてそれは、兵士だけの特権ではない。

 一度反乱が起これば、略奪放火婦女暴行は、広く民衆の間でも行われてきたのだ。


 そんな明白すぎる清兵の狼藉を考えれば、自分達の国は自分達で守ろうという考えに賛成しない農民はいなかった。

 自らの故郷を守る者で、その様な蛮行を為すとは考えられないだろう。

 問題は、そんな事が可能なのか、との不安であろうか。

 また、本国から大規模な鎮圧部隊が押し寄せてくる、という確実な未来も容易に想像出来る。

 それを跳ね返す力がなければ、待っているのは情け容赦の無い弾圧なのだから。 


 漳州人のそんな懸念を払拭する為にも、今回の戦に万が一は許されない。

 敗残兵は野盗と化すのが常であり、討ち漏らす事も防ぎたい。

 残酷ではあるが、出来る限り全滅させたいと思う海舟らであった。

 

 一方、つまらんと吐き捨てた忠蔵であったが、内心では別の事を考えてもいた。

 台湾の統治に関し、薩摩藩の影響力をと思っていた彼であったが、最近は関心を失いかけていた。

 その理由はエドワードの船での出来事に起因する。

 清の水軍を撃退した薩摩藩士の奮闘ぶりを称え、乗組員の一人がこう述べたのだ。

 「まるでグルカ兵の様だ」と。

 訳してもらい、それを聞いた時には憤慨したものだ。

 勇猛果敢さでは日の本の中でも随一だと自負していた自分達が、あろうことか、聞いた事もない者らと同じくらいだと評されたからである。

 頭に血が上りかけた忠蔵であったが、よくよく考えてみれば、イギリス兵の戦いぶりも中々の物であった。

 そんな彼らが判断を間違えるとも思えない。

 そう思い直し、そうなれば相まみえたいと思う様になっていた。

 そのグルカ兵は、対岸で行われているアヘン戦争に従軍しているらしい。

 早く台湾を纏め、海を渡りたいと思う。 

 世界は広い、そう思い始めた忠蔵であった。

 

 そんな忠蔵を横目に、甚だ不満に満ちた顔をしている者がいた。

 パイワン人のバツである。

 ホクホク顔で村に帰ったはずであったが、清軍の南下に向けた話し合いの場に何故か共に座っていた。

 苦虫を噛み潰したかの様な渋面で虚空を睨む。

 未だによく理解出来ていない、村での出来事が脳裏に蘇る。

 

 バツを含めたパイワン人の3人は、アミの若者5人、サッチョの者らを引き連れて村に帰った。

 村の者は、両手でも抱えきれない程の首をぶら下げたバツらを、驚きながらも盛大に迎え入れてくれた。

 成人の儀として首狩に出かけた彼ら。

 共に出かけた他の者は村に帰ってくる中、彼ら3人は帰ってこなかった。

 諦めずに頑張っていると彼らの心意気を喜んでいたが、余りに帰りが遅く、これは返り討ちに遭ったのでは、と心配していたのだ。

 それが、こうして無事に帰ってきたばかりか、今まで誰も聞いた事がない程の首を持って帰ってきたのである。

 それも、アミやサッチョ族なる見知らぬ輩をお供に連れて。


 村は歓喜に沸いた。

 成人の儀を無事に果たしてきた者がいれば、祭りでもってそれを祝う。

 しかも、今回は首の数が違うのだ。

 客人の到来と併せ、盛大に祝った。

 

 祭りの中、バツは事の経緯を多少の誇張と共に、得意げに話して聞かせた。

 村の者は皆興奮してそれに聞き入る。

 怪しげな集団の発見から、バツを招く少年との出会い。

 あの時諦めて帰ってしまった者達も、皆固唾を呑んで先を待つ。

 少年の勧めるまま平原に下り、漢人やサッチョ族と共に、自分達より数の多い清の軍隊と戦ってきたという、血沸き肉踊る冒険譚。

 バツに促され、酒の入ったサッチョ族が余興で披露して見せた、”ジゲンリュウ”なる技。

 初めて見る彼らの武器であるのに、村の誰もがその切れ味を一目で悟った。

 肝を潰す様な絶叫と共に繰り出される裂帛の斬撃に、子供も大人も釘付けとなった。

 娯楽の少ない山間部の住民にとってみれば、まるで神話に出てくる神々の様な、そんな英雄達の降臨であった。

 普通なら一笑に付す類の話であるのだが、彼らの持ち帰った首の数がそれを裏付けている。

 天を焦がすかの様に燃え盛る焚き火の炎と、胸の奥から湧き上がるかの様な興奮の熱にあてられ、祭りの夜は続く。

 

 それから暫くし、バツは村の雰囲気がおかしい事を感じていた。   

 アミもサッチョ族も既に帰っている。

 どことなく自分らが遠巻きに見られている様な、そんな気配があった。

 初めは、持って帰った首の数が多すぎる為、バツらの扱いに困っているのだろうくらいに考えた。

 村人の多くが尊敬に満ちた目で見てくれている。

 嫉妬もあるだろうとは思ったが、他に考える事があったのだ。 

 結婚である。

 成人の儀を済ませれば結婚する事が許される。

 前々から将来を誓い合っていた幼馴染との婚儀を、ウキウキして考えていたバツは、その後に開かれた村の集まりの際、長より寝耳に水の指令を受ける事となる。

 成人の儀を果たせていない若者を引き連れ、再び首狩に行けとの命令である。

 それも、他の村の若者までも併せて……。

 

 こうして、多数のパイワン人の若者を引き連れ、仏頂面で台南政庁舎の外までやって来たバツは、報告を受け慌てて迎えてくれた見知った漢人に案内され、サッチョ族の集まった部屋へと通されたのだった。


 居並ぶ者達の腹のうちはどうあれ、敵兵を討ち漏らす事が無いよう、様々に対策を考えながら話し合いは続いた。

 そんな中、亦介がふと呟いた。


 「エゲレスの鉄砲と大砲、あれを借りるというのはどうでござろう?」


 亦介の伯父である村田清風が考案した”神器陣”。

 一つの大砲を鉄砲隊が守り、背後に歩兵が付き従う陣形である。

 大砲の砲撃をお見舞し、続けて鉄砲隊の一斉射撃を行い、最後に抜刀した歩兵が敵陣へと突撃する。

 その事を、エドワードの船の大砲を思い出し、閃いたのだ。

 絶好の機会ではないか、と。

 亦介の提案に、それは良い考えだと皆が沸いた。

 早速聞きに行くべしと決まる。 


 取り急ぎ海舟らはエドワードの元に出向き、助力を請うた。

 エドワードは松陰と同じ病に臥せっていたが、松陰よりは早く容態が快復しつつあり、快く面会に応じてくれた。

 船長室でベッドに横たわり海舟らを迎える。

 傍にはスズがスプーンを持ち、スープを飲ませていた。

 エドワードの顔色は悪かったが、その表情は晴れやかなものであった。

 船内では東湖や忠寛らが患者を甲斐甲斐しく看病し、千代らは船の掃除などに精を出していた。

 松陰の伝えた経口補水液の効果は高く、エドワードは船員の分まで深く感謝し、謝意を表明した。

 助力を請うた海舟に、出来る限りの支援を約束してくれた。


 船に積んでいたカノン砲を10門、鉄砲50丁を借り、必要な砲弾、弾丸、火薬を譲り受けた。

 カノン砲は、出港しないのなら船の片側にあれば事足りる。

 取り扱いを熟知した船員も付けてくれるという厚遇である。

 通訳として蔵六に戻ってもらう事にした。

鉄砲は台南守備隊から接収した物も保有していたが、整備がいい加減で信頼性がなかった。

 お菊も忙しく、使える様に出来たのは50丁が精一杯であり、鉄砲の数は合わせて100丁となった。

 そのお菊、護衛の才太にも参加してもらう。

 両名共に火薬等の取り扱いには精通しているし、船で大砲の使用具合を実際に見聞きしているからだ。

 松陰の症状は峠を越えていたので、お菊も渋々ながら頷いた。


 カノン砲は台座に固定されている。

 台座には車輪がついてあり、移動する事も出来るのだが、本体が重い為移動性は甚だ悪い。

 船から降ろし、他の船に移し変えるだけでも一苦労であった。

 しかし、のんびりとしている時間はない。

 時間をおけばおくだけ、清の兵隊による略奪の被害は増えるばかりなのだから。

 

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