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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争台湾編
81/239

日本にいる者達

 「膨らんどる!」

 「やりましたね、嘉蔵さん!」


 嘉蔵が歓喜に満ちた声を上げ、熊吉がそれを祝福した。

 萩江向の杉家の事である。

 嘉蔵は松陰に頼まれたパンの製造も研究していたのだが、今まで使った酵母菌はその力が弱いのか、水で練った小麦粉を満足に膨らませる事はなかった。

 それが今回、松陰の生家である団子岩付近の竹やぶから採取した酵母菌を使った所、見事膨らんだのだ。

 日本にパン作りが伝わったのは、安土桃山時代にポルトガル人が鉄砲と共に持ち込んだそうである。

 キリスト教が禁教とされパンも姿を消したが、伊豆韮山の代官江川太郎左衛門によって、戦の携行食として復活した。

 アヘン戦争の後、西洋が日本にもやって来て戦争をなる未来を憂い、日本の防衛力を上げる一環として研究したらしい。

 太郎左衛門は斎藤弥九郎と同じ道場で共に剣を学んだ仲であり、二宮尊徳を伊豆に招き農業改革を成し遂げ、反射炉の建造、大砲の鋳造、天然痘種痘の接種を行うなど、”世直し江川大明神”として領民に愛された人物であった。


 因みに、野の微生物を採取する方法は、蒸した米をザルに詰め、竹やぶなどに枯葉を載せて放置する。

 数日経てば、そこに生息する様々な菌達が米粒に繁殖し、百花繚乱といった、カラフルなそれぞれのコロニーを形作るのだ。

 それをそれぞれの菌ごとにシャーレに移し、純粋培養していくのである。

 

 この方法では発酵菌と腐敗菌が混在してしまう。

 発酵と腐敗を司る菌を分ける一番簡単な方法は、その菌が増えた米粒の味を見る事だ。

 黒いカビ、鮮やかな赤い菌、腐ったミカンに生える様な緑色の菌も、見た目だけでは腐敗しているのか発酵しているのかわからない。

 大雑把に言えば、苦い、辛いといった、不快になる味がすれば腐敗菌で、甘い、酸っぱいといった味であれば発酵菌である。

 その判別法を松陰から聞いた熊吉は、カビに塗れたお餅を想像し、それをそのまま口に放り込む姿を思い浮かべ、顔を顰めた。

 もう一つの方法として、顕微鏡での同定も提示され、即座にそれを受け入れた。

 以降、黙々と顕微鏡で菌を判定していく熊吉。

 萩江向の微生物蔵は、役に立つか分からない菌達で埋め尽くされていった。   




 パン作りは試行錯誤で進められていた。

 経費を節減する為、少量の小麦粉に水を入れ、シャーレで培養した酵母菌を加え、良くこねる。

 暫く放置し、発酵が上手に進めば生地が膨らんでくるのだが、中には全く生地が膨らまない場合もある。

 採取した酵母菌の性質を調べる為、菌を変えてそれぞれの力を試すのだ。

 菌は、たとえ同じ種類に分類される菌であっても、採取する場所でその性質も変わってくる。

 生地を膨らませる力の強弱、発酵に必要な時間の長短、そして焼き上がりの風味の違いなどである。 

 

 「やりましたな、嘉蔵はん。早速焼いてみましょ。」

 「へい!」


 自作の顕微鏡を覗いていた一貫斎が顔をほころばせ、嘉蔵に言った。

 レンズの製造技術も上がり、歪みの少ない像を見る事が出来る様になっていたので、微生物の研究にも熱が入っていた一貫斎である。

 嘉蔵も笑顔で応え、すぐに準備に入った。

 パン釜はないので台所の竈で焼くのだが、羽釜に工夫が施されている。

 とはいっても、丸底の羽釜では具合が悪いので、平底になった羽釜を使っているだけであるが。 

 薪では微妙な火加減は出来ないので、竈全体を温める意味もあって、まず薪を燃やし、熾き火とする。

 その段階で羽釜を載せ、パンを焼き上げるのだ。

 これまでも何度かパンもどきを焼いてきたのだが、発酵が十分でなかったのか固かったり、粉っぽかったりした。

 パンという、これまで誰も見た事がない食べ物ではあったが、松陰が力説する、外はこんがり狐色、中は真っ白でふかふかという言葉を頼りに、これまで続けてきたのだ。

 そして今回、生地が見事に膨らみ、嘉蔵らの期待も大いに膨らんだ。

 そして、これまで嗅いだ事がない、芳ばしい香りが竈から立ち昇ってくる。

 三人の期待はいやが上にも高まった。


 「見て下せえ、一貫斎様! 狐色にふっくらと焼けておりやす!」


 羽釜の中を確認した嘉蔵が叫んだ。

 嘉蔵の言う通り、拳大に丸めたパン生地は、ふっくらと狐色に焼き上がっている。

 嘉蔵はアツアツのパンを一つ手に取り、熱さに苦労しながらも三等分した。

 受け取った二人はパンをしげしげと観察する。

 外は狐色にこんがりと焼けており、中は真っ白で海綿の様な穴があいている。

 触った感触はふっくらで、中から湯気が上がり、食欲をそそる香りがした。

 

 それを恐る恐る口へと運ぶ三人。

 口に入れ、噛みしめる。

 さっくりとした外側の食感と、ふんわりもっちりとした内側の感触と共に、何とも言えない良い香りが鼻腔に広がった。

 三人は夢見心地な表情で二度、三度と口を動かし、遂には飲み込んだ。

 そして互いの顔を見合わせる。

 何を言いたいのかは容易に判断出来た。 

 案の定、


 「こりゃええね!」

 「旨い!」

 「美味しいです!」


 と口々にパンの味を褒めるのだった。

 そして、分けたパンを残らず平らげ、満足げな吐息をつく。


 「成功やねぇ。喉は渇くんやけど、旨いもんやわ。お滝はんや百合之助はん、寿ちゃんにも味見してもらいやしょう。」 

 「餡子をつけると更に美味しいとか。」

 「それは旨そう!」


 こうして、松陰が密かに目論む、カツカレー、チキンカツカレーへの道が、側だけ着々と準備されていくのだった。

 



 「これがその液体石鹸でおじゃる。」


 岩倉卿は持ってきた液体石鹸を、彦根藩にある、反本丸の製造所の頭に見せた。

 反本丸の脂を格安で分けてもらうのと引き換えに、現物を引渡しに来たのだ。

 頭は言われるまま石鹸を手に取り、泡立たせてみた。

 ヌルヌルとした感触でありながら、泡を水で洗い落としてみれば手の汚れはしっかりと落ちている。

 頭は仲間と共に驚きの顔で己の手を見つめた。


 「なんで脂から作ったモンで、脂が落ちるんで?」 


 頭が心底わからないといった顔をして言う。


 「それは麻呂もわからないでおじゃる! 長、どうしてなのでおじゃるか?」


 岩倉卿は、同行してもらっていた穢多集落の長に話を振った。

 突然話を振られて驚く長。


 「ええぇ? アッシでやすか? 吉田様が言うには、毒をもって毒を制すと……。」


 長も理屈は理解していないので歯切れが悪い。

 松陰も原理をしっかりと理解していた訳ではないので上手く説明が出来ず、誤魔化す様な説明しか出来なかった経緯を持つ。

 

 「うーん、よくわからねーが、実際脂が落ちてるしなぁ。これが牛の脂から作られたとは、目の前で見ねーと信じられねーが、まあ、俺達を騙す意味もわからねーし。でもなぁ、水にしか見えねーが、どうして”石”なんだ?」


 石鹸の文字にも疑問を抱く頭であった。


 「ほれ、長!」

 「またでやすか? ええと、吉田様が仰るには、木灰から作った物は固まらないそうでやす。西洋にある、”とろな”とやらを使えば、石の様に固まるそうでやす。」

 「石の様に、ねぇ。」

  

 当時固形石鹸は日本でも作られていたが、蘭学者が医薬品として使っていたくらいである。

 一般人には見た事も聞いた事も無い物であった。 

 作り方を聞いても良く分からないし、原料が変われば液体が固体になると言われても、まるで想像がつかないのは当然であろうか。

 想像はつかないが、目の前の物は確かであるので、今後も付き合いを続けていく事を了承する頭であった。




 「これが柿の種、ポテチでおじゃる。お前達も作って売るでおじゃるよ!」

 

 岩倉卿一行は彦根から京都に移った。

 岩倉卿は生家に寄り、弟達に金儲けの方法を教えた。

 当時の下級公家は稼ぎが少なく、和歌の添削などを行って細々と暮らしていたのである。

 岩倉具視の生家堀川家も生活は楽ではなかった。

 公家ともなれば衣装代、人付き合いの費用も大きく、常々生活費に不足してしまう様な状況であった。

 具視自身、自分で魚を釣ったりして家族の食事の足しにしたのだった。 

 その為、萩で知ったポテチを持って帰り、少しでも稼ぎとなる様家族に教えたのだ。

  



 「これで今回の旅の目的は終わったでおじゃるな。」

 「液体石鹸の売り先もいくつか見つかりやしたね。」


 岩倉卿らは液体石鹸の売り先も見つけ、喜んで帰路につこうとしていた。

 そんな時、


 「これは運が向いているからでおじゃる! 帰る前に資金を増やしていくでおじゃるよ!」

 「い、岩倉様!!」 


 と言って近所の賭場へ入って行く。

 あまりの早業に長は止める事も出来ない。

 岩倉の博打癖は松陰より聞き及んでいた長であったが、慣れない京の都では、勝手知ったる岩倉の行動を防ぐ事など出来はしない。

 そして、賭け事に弱い岩倉が資金を全て失う前に、長は松陰に言われた通り、岩倉の逆張りをして資金が溶けてしまうのを防ぐのだった。

  



 「ほう! これはまた、立派なアワビであるな!」

 「宗城むねなり様、そんなに見つめないで下さい。恥かしい……」

 「清、何も恥ずかしがる事はないではないか! ほれ、もっとよく見せてくれ!」

 「はい……。宗城様さえ宜しければ、私のモノを差し上げたいのですが……」

 「何? いいのか?」

 「……はい。」


 一組の男女が宇和海の岩場の影で何やら行っていた。

 宗城を探しに来ていた家老の糸居は、そんな会話を聞きつけ、気色ばんで乗り込んだ。


 「宗城様!! 昼間から一体何をして……」


 言葉を最後まで続ける事が出来ない。

 糸居が見たモノ。

 それは、捕らえたアワビをその手に持ち、網に入れようとしているお清と、それをニコニコとした顔で待つ宗城であった。

 

 「お、糸居か! 見てみろ、この立派なアワビを! 清が取ってくれたのだぞ!」

 「……それはようございましたね……」


 松陰より真珠の養殖方法を教わり、その実施試験を行っていた宗城である。

 天然のアコヤ貝を集め、核となる貝殻を外套膜と共に貝の体内に挿入し、海へと戻す。

 今はその後の経過を観察しているのだ。

 アコヤ貝の採集、観察、世話は地元の海女を数人雇い入れていた。

 清もその中の一人で、若いながらも海女の腕と口の堅さを買われ、宗城の下、働いていた。 

 

 当時の海女に水中眼鏡といった便利な物はない。

 海の中で目を開けば海水がしみ、長く潜れば赤く充血してしまう。

 うら若き乙女がその目を真っ赤にさせ、黙々と海へと潜るその姿に、次期藩主の宗城も、つい感傷的な気分へと陥りそうになる。  

 しかし、それが彼女らの生業なのだ。

 目を真っ赤に充血させて海へと潜り、獲物を収穫する彼女らから、税を徴収しなければならないのが、次期藩主たる宗城の仕事でもあるのだ。

 きつい仕事だから、と税を減免していては、誰も税など払わなくなってしまう。

 そうなっては藩政は成り立たない。

 宗城は感傷的になりそうな己の心をグッと噛み殺し、藩主としての責任に思いを馳せた。

 しかしながら、今は陸へと上がり、冷えた体を焚き火の炎で温めている清の様子を見守るその目は、とても優しいモノだった。 


 そんな宗城の様子に嫌な予感を感じた糸居は本題を進める。 


 「それより宗城様、真珠の育ち具合はいかがですか?」

 「うむ、なかなかに良いぞ。」


 と言って宗城は糸居に真珠を見せた。

 それは小さいながらも、美しい輝きを持つ真珠のそれに間違いなかった。

 

 「貝に入れ込んだ時にはこれだったのに、今はこうだ。確かに真珠が育っておる。」

 「宗城様に真珠の養殖に関するお話を伺った際には信じられませんでしたが、確かに大きくなっておりますね。」


 二人は目を輝かせて真珠を見つめる。

 成功率、育て方、台風の襲来等、目の前の解決すべき問題点はまだまだ多い。

 しかし、真珠の養殖に確かな手応えを感じ、宗城の表情は明るかった。

 そんな宗城を真っ赤な目で見ている清。

 その視線に気づいた宗城。

 二人はじっと見つめあう。


 糸居は、幾分ウンザリした表情で、空咳をひとつ「ゴホン!」と払った。

 

これで2章が終了です。

次話から3章です。

3章では建国されて間もない太平天国に舞台を移していきます。

太平天国が安泰のうちは台湾も安全と、転生者洪秀全の説得もあり、松陰らは太平天国の為に戦う事を決意します。

太平天国は日本に直接関係しませんが、松陰は太平天国に関わる訳です。

太平天国の存続が、私の考える今後の東アジア情勢にとって必須なので、回り道ではありますが、話として進めていきたいと思います。


3章でアヘン戦争は終わり、松陰らは帰国です。

そうなるとやっと内政回に移れ、長州藩を強くしてゆけます。

長州藩で産出する石炭を使って大規模な製鉄を始め、大砲の鋳造、蒸気船の建造、新型鉄砲の開発を進め、下関を貿易港としてお金も稼ぎます。

蝦夷地に行ってアイヌっ娘も登場させたいですし、樺太、千島列島辺りも実行支配しておきたい所です。


甚だ遅々とした進みではありますが、楽しんで頂けましたら幸いです。

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