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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争台湾編
73/239

台南占拠

 サッチョ族とは松陰らが蜂起に参加する為に考えた詐称である。

 当時の幕府は、長崎限定ではあるが、清国とオランダと通商関係を結んでいた。

 その為、松陰らが民衆の蜂起に参加している事が清朝にばれてしまうと、幕府に対して何らかの抗議がなされ海外へ密航した事が露見し、処罰(最悪は死罪)される可能性が発生する。

 また、その場合藩に迷惑が掛かる事は必至なので、それを未然に防ぐ意味で詐称したのだ。

 その理由をしっかり言い含めた長治郷の村長に伴われ、蜂起を企てる民衆の集まりに初めて参加した際は、松陰らを知らない民衆に露骨に怪しまれた。

 しかし、武具で身を固めた松陰らに言い知れぬ圧力を感じた民衆は、疑問に思いながらも松陰らの指揮に入る事を受け入れたのだった。

 そして打狗占拠である。 

 松陰ら(松陰自身は高みの見物であるが)が見せつけた圧倒される強さに、蜂起に参加した者はすっかり度肝を抜かれた。

 その戦いぶりは噂となり、瞬く間に付近の民衆の間を駆け巡る。


 打狗を占拠し、台南へと進む松陰ら。

 清朝の統治には不満を持ちつつも、蜂起への参加は躊躇していた者らも、ただの農民でしかない蜂起側に誰一人犠牲者を出す事も無く清軍を下し、打狗を占拠した松陰らの強さに惹かれ、我も我もとその進軍に加わるのだった。

 そんな民衆を吸収して進む蜂起軍。

 打狗を発ち、台南手前のサトウキビ畑で進軍が止まる。

 彼らの前には台南駐屯の清軍2000が陣をなし、待ち構えていた。




 風に揺れるサトウキビを挟み、南北に別れにらみ合う両陣営。

 その陣中の様子は対照的であった。

 

 「我が方は数が増えたでござるなぁ。」   


 亦介が呟いた。

 待ち構える清軍を前に随分と余裕が感じられる。

 続々と合流してくる民衆を吸収し、その数を増やしたとはいえ、目の前にいる2000の軍隊に対し、松陰らは1000には届かない。

 機を見て挙兵する杜君栄の陣営も1000には足りない。 

 そんな数の不利にもかかわらず、攻める側の陣中はひどく落ち着いていた。


 対して、数では勝っているはずの清軍側はひどく乱れ、統制を失いかけている有様であった。

 

 「ええい、朱はまだ兵を連れて来ないのか!」 

 「はい! 間もなくかと思われます!」

 「急がせろ! 戦が始まるぞ!」

 「はい!」


 台湾統治に何かと役立っている泉州人のグループ。

 漁や製塩、商売に就いてきた彼らは役人と裏で繋がり、商売をする上で様々に優遇してもらう代わりに、役人や軍の求めるままに酒宴を開き、台湾では貴重とも言える女を用意した。

 また彼らが忙しい時には男手、時には鎮圧の為の兵力まで都合してきた。

 今回、打狗での農民の反乱の報せを受け、台南に駐屯する軍は泉州人の有力な商人、朱一貴に兵を要請したのだった。

 朱からは直ちに兵を集めて駆けつけると返事をもらったのだが、未だに支援の兵力は送られてきていない。

 蜂起した民衆との戦闘が始まる前に、是非とも援軍には駆けつけてもらいたいのだ。

 士気にも直結するし、何より今の兵力では安心出来ない。

 

 彼らとて、台湾に駐屯している自分達の役割を理解している。

 清朝が台湾を統治しているという建前の為、兵が派遣されているに過ぎないのだ。

 たかが1万の兵で300万の人口を擁する台湾を、そもそも満足に統治出来る訳が無い。

 最低限にも届かない少ない兵力は、いわば生贄にも似ている。

 民衆の不満を一身に集め、反乱時にはそれを一斉に浴びるのである。


 台湾には水軍もあるとはいえ、輸送能力は低い。

 陸軍の彼らにとって、逃げる事は容易ではない。

 もし、台湾全土で組織的な反乱が起きれば、彼らを待つのは恐ろしい未来であろう……。

 そしてそんな事態に陥って初めて、本国は精鋭を送り込み反乱を鎮圧するのだが、その時には多分、彼らとは関係ない話となっているだろう。

 恐ろしい未来を阻止する為、朱に援軍を一刻も早く送る様、催促の遣いを出させた。


 そんな中、


 「呂様! 町の方から煙が上がっております!」


 幕舎に駆け込んできた兵の一人が、叫ぶ様に報告する。

 呂云山ろうんざんはそれを聞き、慌てて幕舎を出て町を振り返った。

 兵の指差す先には、白い煙が断続的に空へと昇っている。

 

 「狼煙か?!」

 「呂様! あっちにも!」

 「何?!」


 そして今度は集まった反乱軍の中から白い煙が昇っていた。

 これも何やら信号めいたモノであった。

 断続的な煙で何かのやり取りをしているのは明らかだろう。

 戦を前にしたこの場で何をやり取りする?

 

 「クソ! あいつら何を始める気だ? いつでも対応出来る様、兵に準備だけはさせておけ!」

 「わかりました!」


 呂は打狗から進んできた民衆を忌々しそうに睨んだ。 

 そして今度は台南の町を振り返る。


 「クソが! 嫌な事は全部俺に押し付けやがって!」


 呂は兵がいるのも構わず、台湾府知事燕成天への不満をぶちまけた。

 燕は、朱にあてがわれる酒を唯一の楽しみとしている様な典型的な小役人でしかない男で、台湾を守る兵の長が務まる様な器量は満ち合わせていなかった。

 おべんちゃらと賄賂で役人の中の地位を上げていった男であり、その賄賂とて部下が集めた金を毟り取って集めたモノであった。

 還暦も近い年齢であるのに、台湾統治の長官を任される辺り、その能力が知れよう。

 台湾に赴任してくる役人に前途有望な者などいない。 

 退官間際の閑職にしても、普通はもっとマシな役職が用意されよう。


 そんな男である。

 反乱軍と対峙する軍の前面に出る訳も無い。

 文官が武官の上に立つのが中華帝国の伝統であるが、燕の場合は平時であれ軍事を全て呂に任せ、自分は賄賂を集めるのに熱を注いでいた。

 その癖あれやこれや指図し、思いついた様に余計な仕事だけを増やし、元々少ない兵のやる気をどん底まで削るのは天才的であった。

 また、兵士の装備についても注文を出し、必要な物の経費まで自らの懐に納める始末。

 台南の兵士の士気は限りなく低い。

 今回も呂に戦を任せ、町の自分の屋敷に篭ってしまっている。

 器量の無い文官が戦場の指揮を取らないのはありがたいが、それでも抑えられない怒りを感じていた呂であった。

 それは、


「自分の屋敷の守備に兵を取りやがって!!」


 そう、燕長官は台南の町の守備に兵を回させ、その中から数百の兵で私邸を警護させていた。 

 台南の民衆も挙兵するとの噂に燕知事が怖気づき、何としても町を警護する様命令したのだ。

 反乱軍が町に迫る事などお構いなしである。 


 「押し寄せる反乱軍を3000の正規兵と朱の援軍で圧倒し、呼応する民衆など、それからまた考えれば良いではないか! どうせ町には立て篭もる様な建物などないのだ!」


 呂の怒りは収まらない。

 

 「どれだけ蜂起しようが、保持している最大戦力で各個撃破すれば良いではないか! いや、我らにはそれしか出来ないではないか! それをわざわざ分けやがって!」


 呂の怒りとも嘆きともつかない慟哭を天も哀れんだのか、呂の下に吉報をもたらした。

 

 「呂様、泉州人の義勇軍が来ました!」

 「何、本当か!? 何名だ?」

 「はい、率いる朱一貴によりますと、およそ700名だそうです。」

 「良し! 700はでかいぞ!」


 呂が泉州人の義勇軍の到着に喜んでいるのも束の間、民衆側にも変化が見られた。


 「クソ、援軍が来る前にあいつら始めるつもりだ! 全軍、戦闘準備!」


 そして遂に、台南を巡る戦闘が始まった。




 「何だあの頭のいかれた集団は……。」


 朱一貴率いる援軍の登場を契機として始まった台南攻防戦。

 その朱は押し寄せる民衆と、それを迎え討たんとする清軍との最前線を目の当たりにし、唖然とした表情で声を出した。

 朱の視線の先には、戦場全体に響き渡る様な声を上げて刀を振り回し、全身に返り血を浴びて清軍の中で奮戦している怪しい集団がいた。

 鎧らしき物を身につけ、反り返った刀剣を手にし、まるで清軍全員を相手にしている様な印象すら感じる戦いぶりである。

 僅か数十人にしか過ぎない、まるで狂犬の様な集団。

 そんな集団に対する、2000に達する清軍は為す術なく、その集団を中心に清軍の陣は崩壊していた。

 その集団とやりあった者は瞬く間に斬り伏せられ、それを見ていた後方は我先にと逃げ出そうとしている。

 それを追いかけ、更に斬りかかるその集団。

 最早戦とも呼べない様にも感じられた。


 「な? 俺が言った通り客家の奴らに協力しておいて良かったろ? お前らあの集団とやり合いたいか?」

 「と、とんでもねえ……。俺はどこまでも兄貴に付いていきやすぜ!」

 「って、呆けて眺めてる場合じゃねぇ! おい! 俺達も清軍に突っ込むぞ!」

 「へ、へい!」


 そして朱率いる泉州の700人は、浮き足立った清軍の横っ腹に、止めとも言える打撃を加える。

 援軍とばかり思っていた朱の裏切りは決定的で、清軍は戦意を維持出来ず、兵士は皆手にした武器を捨て、逃げ出した。

 しかし彼らの行く手には、呼応して挙兵し、既に台南を落とした杜君栄率いる台南の民衆が待ち構えている。

 事前の話し合いで、出来るだけ兵を打ち漏らさない様決まったのだ。

 つまり全滅を目指すのである。


 残酷な様であるが、民衆の被害を未然に防ぐには仕方ないのだ。

 敗残兵は例外なく略奪して逃げてゆく。

 食い物を奪われるだけならまだ良い。

 大抵は暴力を振るわれ、女がいれば暴行されるのだ。

 台湾では女性の割合が少ないので、尚更強姦の被害には遭わせたくない。

 清軍の兵士には気の毒な話だが、これも日頃の行いの賜物であろうか。

 中華の歴史における敗残兵の所行は、目を背けたくなる話が多いのだ。

 尤も、戦勝軍も似た様なものかもしれないが。




 こうして台南も、蜂起した民衆の手に落ちた。

 当時の台南は台湾の中心都市で、ここを開発の中心として栄えてきた。

 その台南を落とした今、残る清側の兵力は、台南沖の澎湖諸島に水軍2000が、残る北側の嘉義、彰化、新竹、台北、基隆の各地に、合わせて4000近くが点在するのみである。

 最大戦力の筈の台南も呆気なく打ち破れたので、松陰らに今後についての不安は無い。

 あるとすれば、清朝が本腰を入れて反乱を鎮圧する気になり、部隊を大々的に送り込んでくる場合だ。

 その場合、いくら薩摩の者が強くとも対抗は危ういだろう。

 この度の清軍は鉄砲、大砲を用いていないが、本土の正規軍ならばそれらを運用していても不思議は無いからである。

 

 その懸念は台湾府知事の燕をその私邸で捕らえ、府庁舎を調べた際に発覚した。

 因みに、燕は船で逃げ出そうと荷物を纏めている所であったそうである。

 庁舎の武器庫から少なくない数の銃が見つかったのだ。

 この度の攻防戦では銃の類は一切使われていない。

 唯一の飛び道具はパイワン人の弓であったが、その弓とても、多く武器庫に眠っていたのだ。

 松陰らは意味がわからず、生け捕りにした軍の指揮官呂云山に問い質す。 

 勿論、通訳を介している。 


 「どうして鉄砲を使わなかった?」

 『火薬も無いのにどうやって使う?』

 「どうして火薬が無い?」

 『どうしてだと? そこの知事に聞け!』


 それきり呂は黙ってしまう。

 仕方なく、縮こまって震えている燕に聞いた。

 が、要領を得ない。

 何度も質問を繰り返すが、さっぱり意味の解らない回答を続けるだけであった。

 埒が明かない事に腹を立てた忠蔵が、いくらか刃毀はこぼれした刀を抜き去り、蜻蛉から一閃、燕の顔面ぎりぎりを狙い、振り下ろす。

 耳をつんざく金切り声を上げ、鬼の形相で刀を振り下ろす化け物。

 そう感じた燕はたちまち失禁してしまい、座り込んだ地面に水溜りを作る。

 しかし、迫る死の恐怖を感じ取ったのか、以降は質問に意味のある答えをした。


 武器庫に武器が眠り、使いもしなかった理由。

 それは単純な事であった。

 鉄砲があっても火薬がないのである。

 火薬がないのは、燕が配備された火薬を朱に売って、金に換えたからであった。

 鉄砲までは売らなかった理由。

 それは監査が入った時の事を考えて、である。

 いくら清朝が台湾統治に消極的とはいえ、物品の私物化には厳罰で臨む。

 役人の任期は短いので、後任に引き継ぐことも難しいのだ。

 火薬だけならば、湿気たので交換したと言い訳できる。

 火薬の入手は難しいとでも言っておけば、徹底的には追及されないらしい。

 

 弓矢があれども使わなかった理由。

 それは呂が忌々しげに燕を見つめ、吐き出す様に口にした。

 弓の訓練をする時間など無い、と。

 そんな時間があれば燕の命令で、農民の家を回って税金と称して金品を強奪したり、税金を払わない農民を痛めつけたりと忙しく働かされるらしい。

 

 民衆が怒って蜂起するのも当然な内容であった。

 また、日頃の準備はしっかりしなければなと、松陰らは一様に頷いたという。

 とはいえ、100丁近い数の鉄砲が手に入ったのは大きい。

 お菊に見てもらい改良できればしてもらい、朱には火薬の入手をお願いする。

 その後、占拠した庁舎に入り戦利品を分けあったり、今後の方針や占領した打狗、台南の統治のあり方を話し合ったりと、瞬く間に時間が過ぎてゆく。

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