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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争台湾編
70/239

挙兵前

 杜君英は妻が入れてくれた自家製の茶をすすり、ちらりと目の前の二人を見た。

 一人はサトウキビの茎を齧り満足げな笑みを浮かべ、もう一人は黙って家の子供をあやしてくれている。

 部屋の隅に置かれた彼らの荷物に視線を移せば、先程見せてもらった刀剣が無造作に置かれていた。

 サトウキビの茎に満足し、子供も懐く辺り悪い人間ではないのだろうが、未だに正体がよく分かっていない。

 彼は先程まで行われていた話し合いを思い返した。


 打狗ターカオの隣、鳳山県長治郷の村長が家にやって来たのだが、言葉の通じない、見慣れない衣服を身に纏った二人の若者を同伴していた。

 聞けば東の山に隠れ住む、かつて近海で暴れ回った、かの倭寇の子孫であるサッチョ族という。

 その証拠として、祖先伝来の片刃の剣、”刀”を見せてもらった。

 反り返った刀身を持ち、その表面は鏡と見紛うばかりに研ぎ澄まされている。

 その刃には美しい紋が入っており、君英にはまるで芸術作品の様に思われた。

 昔話に聞いた、倭寇の武器そのものであった。 

 

 そんなサッチョ族は、親交のある長治郷にて此度の挙兵の事を聞きつけ、村長と共に起つ事を決めたらしい。

 成程、長治郷は鳳山の中でも山に面した田舎であるので、蛮族と交流があってもおかしくはない。

 今現在村には40人近くのサッチョ族が滞在しているとの事。

 長治郷は若い者が土木工事に駆り出されており、今回の挙兵には加われないと言っていたが、サッチョ族の助力のお陰で加わる事を決めたと言う。

 40人とはいえ、もしそれが昔話で聞いたあの倭寇の子孫であるのなら、それは強力な援軍だろう。

 その様な者らがこの島に住み、なおかつ知られていなかった事に驚いたが、山の向こうは何が潜んでいるのか分からない化外の地。

 不思議は無いのかもしれない。


 しかし、とも思う。

 その二人の若者は、言葉は通じないが筆談は可能で、続ける中で二人が古典にも精通している事が推察出来た。

 首狩の風習が残る文字を持たないらしい蛮族が、あろう事か四書五経を解し、見事な筆さばきを見せつけたのだ。

 杜君栄は科挙を目指した過去を持つ。

 余所者である客家の出では、余程優れていないと地方試験を突破させてもらえず、住んでいた村が飢饉に襲われた事もあって試験は諦め、親族揃って台湾に渡ってきた。

 食い詰め者や荒くれ者が多く渡っていた台湾。

 科挙を目指した経歴を持つ者は中々おらず、必然、彼が反乱の頭目に祭り上げられる事になった。

 

 そんな彼である。

 四書五経は丸暗記している。

 目の前の二人が思い出したように披露する論語の一節に、彼は蛮族と侮っていた事を恥じ入った。

 古典が血肉と化しているのだと察せられた。

 鋭い切れ味を持つ刀を振り回し、神出鬼没で、遠く異国の海から台湾近海、更には朝鮮近海でも海賊行為を行っていた、悪魔的な強さが伝説となっている倭寇。

 その倭寇の子孫が、よもや論語を教養として身につけているなど思いもしなかった。

 これなら、蜂起に参加する大部分の農民よりも余程教養人であろう。

 彼らの多くは字を読む事はおろか、自分の名前を書くので精一杯なのだから。  

 

 そんな不可思議な者達が、村長が帰っていっても尚この家に留まっている。

 彼らの説明では、先ずは打狗で反乱の狼煙を上げ打狗を落とし、鎮圧に向かってくるであろう台南からの兵を順次撃破し、台南の兵が少なくなった所で台南側も挙兵、台南政庁の占拠を図るというモノ。

 その時機を合わせる為にここにいると言う。


 成程と君英は感じた。

 打狗ターカオに駐屯する清軍の兵力はおよそ500、台南は3000。

 蜂起を画策している客家の数は現段階で約1千名。

 数で言えば少ないが、打狗を落とせば確実に増えていくはず。

 不満を抱えた農民ばかりなので、反乱が一つ成功すれば後は呼びかけなくても集まってくるはずなのだ。

 そうすれば戦力でも負けない。 

 清軍に大した城がある訳ではないが、台南政庁舎、兵舎に篭られたら厄介だろうとは思っていたのだ。

 しかし、サッチョ族の策であれば、少なくとも台南の兵もいくらかは減るだろう。 

 それでも打狗が持ちこたえ、なおかつ逆に撃破でもしようものなら、台南の清軍は慌てふためくはずだ。 

 その様な事が可能かとも思ったが、語るサッチョ族の若者を見ていると、そんな疑問も霧消した。 

 悠然と構えている彼らを前に、君英の不安も消え去った。


 しかも、そんな倭寇の子孫が、戦える者で30人もいると言うのだ。

 二人の説明では、その強さは自分達とは比較にならないらしい。

 倭寇の子孫というだけで何やら伝説的な強さを持っていそうに感じるのに、しっかりと策を練り、仲間の強さを、その成功を疑わないその胆力。

 打狗を落とし、鎮圧の為送られてくる兵を順次撃破する、と平然とした顔で説明する彼ら。

 その自信の程は、一切の乱れも無い筆さばきに如実に現れているだろう。

 

 各地で一斉に立ち上がるのが当初の計画であったが、君英はそれを変更し、今後、彼らの策で動く事を決め、各村の調整を図る事を確認する。

 数日後には、今後の計画までも彼らに相談している君英がいた。


 この度の反乱は、対岸で起こった、同じ客家出身の洪秀全の武力蜂起を契機とする。

 彼が突如”拝上帝会”なる宗教組織を立ち上げ、広東を占領、太平天国という独立国家の樹立を広く宣言したのだ。

 彼は各地に散らばる客家や各民族へ決起を促し、満州族に虐げられている民に団結を訴えた。

 建国を成し遂げた実績を活かし、国作りを支援すると公言する洪秀全。

 君英は途端に彼に興味を持った。

 客家の出で科挙を目指し、挫折した男。

 自分と同じ様な経歴を持つ彼に親近感を持った君英は、太平天国の建国に奮起し、厳しい税の取立てに苦しむ民に担がれ、この地で起つ事を決意したのだった。

 国作りの方法など想像もつかないが、洪秀全が支援すると約束しているのだ、それに賭けてみるのもいいだろう。 


 それに、対岸で独立国家が生まれた今、清朝は当面そちらの対応に追われる筈。

 過去、反乱の度に兵を派遣し、台湾を鎮圧してきた清朝であるが、太平天国があるうちは台湾を放置すると君英は踏んだ。

 放置されている間に台湾を統一し、将来必ずやって来るであろう清軍に対抗しようと考えたのだ。

 台湾には広東などから移り住んできた客家だけでなく、福建から移住して来た泉州人、漳州人がいる。

 それぞれが対立し、「械闘かいとう」と呼ばれる争いを続けていたが、共通して清朝には不満を持っている。

 太平天国建国の報は、既に台湾全土に広まっている筈なので、独立を目指して台南で挙兵すれば、その動きは全土に広がるのでは、と考えた。

 千載一隅とも言えるこの機会であれば、対立している者同士でも、うまく纏まるのではないかと思ったのだ。




 そもそも、台湾に渡ってきた本土からの移住者は、清朝の意図もあって男がほとんどであった。

 清朝は移住に際し妻子の同行を認めず、原住民との通婚も認めなかったのだ。

 その為、天涯孤独の境遇に陥りがちであった移住者が、仲間意識を育て、孤独を癒し、相互扶助を目指して”天地会”なる秘密結社を作り、連帯した。

 初めは異民族である清朝に対抗するといった政治的な目的が大きかったが、移住民が増えるに従って政治色は薄れ、相互扶助的な会へと変わっていった。

 天地を父母とし、盟員は兄弟であるとする”天地会”は、台湾に渡った移住民を経済的にも社会的にも大いに助け、それ故に絶大な影響力を持つに至ったのだ。

 しかし、移住民が続々と増えるにつれ、客家、泉州人、漳州人の間の溝もまた大きくなり、「械闘」を繰り返す様になっていった。

 300万の台湾居住民がいながら、僅かな数の清軍で治安維持が為されているのは、いずれかの派閥が反乱を起こしても、残りが反発して清側に周り、鎮圧に加わってきたからである。

 それでも鎮圧出来ない時には、本土から精鋭部隊が派遣されるのだ。

 因みに、君英の妻は広東から同行してきた。

 密航してきたので問題は無い。




 台湾に駐留する清軍は陸、水軍合わせて1万人でしかない。

 300万が暮らす台湾の民が協力して起てば、駐屯する兵だけでなく、本土より襲来する精鋭部隊すらも撃退できるはず。

 「械闘」を繰り返してきた移住民であるが、太平天国が建国された今、これは絶好の機会のはずなのだ。

 今回、太平天国建国の報に沸く台南客家の同胞が、台湾でも国を作ろうと勢いづき、君英を頭目にして集まった。

 彼も清朝の腐敗、堕落ぶりを説き、独立して自分達の国を建てる事を声高に述べてきたが、全ては抽象論である。

 具体策は無い。

 それに、客家だけで台湾を統一、統治出来る筈も無い。

 どうやって泉州人、漳州人の協力を得るのか?

 君英に良い考えは思い浮かんでいない。

 

 洪秀全に支援を求める事を予定しているとはいえ、それは未知数である。

 そんな時、蛮族であるのに論語を解し、戦の策まで考え付く者らが現れた。

 山に住むという彼らに、国の経営の事がわかるのかと自問したが、試しに尋ねてみれば的確な意見を提示してくれる。

 勢い込んで挙兵後の事まで相談してしまうのも無理はない。

 そして君英は、彼らの提案で、泉州人らに協力を持ちかける事を決意する。




 パイワン人のバツは、未だに山の中にいた。

 訳の分からない集団が平原に下りたのを見届けてから、集落にも戻らず、その場に留まっていた。

 アミの者が帰る際、再びここを通るのではないかと考えたのだ。

 彼らに執着する必要はないが、何としても今回首を狩ろうと意気込んでやって来たので、可能性があれば賭けたい。

 アミは見知らぬ集団を送って来ただけ、と踏んだ。

 帰りはアミだけであろうと思ったのだ。


 そして、集落から離れたこの場所で、アミの帰りを待ち伏せた。

 清流が近くにあり、見通しの良いここは待ち伏せには最適であった。

 バツの考えに納得した仲間の二人は残り、行動を共にした。

 付き合っていられないと思った残りの者は、大人しく集落へと帰っていった。


 一泊、二泊と蚊と格闘し、時間が過ぎていく。

 水はあるとしても食べ物はない。

 見張りを一人置き、山の中に食べ物を求め、入る。

 ルカイの縄張りではあるが、パイワンに比べその数も少ないので出会うことは無い。

 待つ事三日目。

 アミがそこまで漢人の集落に留まるとは思えなかったので、これ以上は止めておこうと思いながら水を汲みに行ったバツに、慌てた様にやって来た仲間が告げる。「来た!」と。

 

 水もそこそこに、急いで戻るバツ。

 待ち伏せの場に選んだ場所には、緊張した顔で見張り役の仲間が待っていた。

 指差す先には三人の人影がある。

 一人はアミ。

 一人は見知らぬ者らのうち突然振り返り、バツらがいるのを見通したらしい男。

 もう一人は子供であった。

 「え?」と間抜けな声が漏れてしまう。


 待っていたのはアミの五人のはずである。

 それが、蓋を開けてみればこうなのだ。

 何かの間違いではないかと思い、山道を上る彼らを見つめていた。

 すると、バツらが襲撃に際し、最も適した場所と見なしていた、まさにその場所で彼らの足が止まる。

 またか? とバツは肝を冷やした。

 やはり見破られている、と。


 しかし、何を思ったか彼らはその場で担いだ荷物を開き、むしろを広げ、座ったのだ。

 おもむろにアミが声を上げる。

 「オウ、オウ、オウ」と動物の鳴き声に似た声であった。

 言葉の通じないアミとパイワンであるが、その声の意味はわかる。

 仲間を呼んでいるのだ。

 

 仲間? ここにアミの仲間がいるのか!?


 バツはギョッとし、思わず辺りを見回してしまう。

 同じ様にキョロキョロと周りを伺う仲間の二人と顔を見合わせ、自分達以外には誰もいないはずだと確認する。

 それに山を登って来たのは三人だけのはずだ。


 ここには我々しかいない!


 バツはそう思い直し、襲うべき三人に視線を移した。

 相変わらず仲間を呼ぶ声を上げている。

 

 何故? 誰を呼んでいる?

 ……まさか、俺達か? そんな馬鹿な!


 バツは己の考えを即座に否定する。

 しかし、三人共にこちらを見つめ、アミは仲間を呼ぶ声を出し、子供は何やら招く様な仕草をしている。

 油断ならない男は杯に酒らしき物を注ぎ、こちらに勧めている様だ。

 あり得ないと即座に否定したバツであったが、もしかして、との思いが次々に浮かんでくる。

 そして、ついに湧き上がる好奇心に勝てず、バツは隠れていた草むらから彼らの前に姿を現した。

 留めようとする仲間を振りほどき、バツは進む。

 用心の為周りに気を配り、慎重に進む。

 そして遂に、彼らの前まで辿り着く。 


数日後、打狗を囲む民衆の中に、パイワン人のバツらの姿があった。



7月21日、本文を訂正、修正、加筆しております。


7月26日、再度修正しました。

打狗の兵力は500、台南は3000です。

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