薩摩首狩族ニアミス、台湾首狩族 ★
翌朝アミ人の集落を発ち、西を目指す一行。
西の海岸に出るには、幅30キロメートル程の山地を越え、平野を横断せねばならない。
アミの人が言うには、彼らが使っている道があるらしい。
自給自足の生活を送っているアミの人々であるが、時々は漢人と共に住む他の部族を訪れ、鍋釜などを物々交換で得ていたので、山越えをしていたのだ。
松陰らがいるのは現在の台東市がある平野である。
平野の南に流れる川(現在の知本渓)沿いを遡上し、山を越え、反対側に流れる川(隘寮渓)沿いを下るルートを教えられた。
その川はプユマ、ルカイ両族の縄張りを走っているらしい。
途中、両民族の集落近くを通る事になるが、彼らを安心させる為アミの若者を五人付けてくれるそうで、問題はないとの事。
普段交流はないが、それでも顔見知りではあるらしい。
従って、アミの者がいれば、そうそう襲われはしないだろうとの事である。
客人が危険な目に遭うのを心配しての、アミ人の配慮であった。
五人いれば帰りも安全だとの事で、松陰も安心してその申し出をありがたく受けた。
ただ、その決定に薩摩隼人は残念そうであったが……。
踏み固められた、人がやっとすれ違える程度の細い道が、石ころだらけの川原の中に伸びている。
川原の広さに比べ流れる水は少なく、日に焼け、真っ白に輝く丸い石ころばかりがやけに目に付いた。
川に深さが無いので、台風などで大雨が降れば一気に横に広がり、護岸も土手作りもされていない川は危険な状態になるだろう。
しかしながら、これだけ視界が開けていれば、襲ってくるのは人数に任せた襲撃だけなので、逆に安全とも言える。
松陰らは20人、薩摩側も対抗する様に20、アミの若者が5人の併せて45人もの集団である。
滅多な事では襲おうとは思うまい。
黙々と川原を進む一行。
6月の台湾の気温は高く、日差しも強い。
容赦なく照りつける強烈な日差しの下、言葉少なく進む。
たかが2、3日の道のりなど何でもない、と言っていた薩摩隼人らであったが、台湾の気候は流石に堪えている様で、絶対に運ぶともっこで担いだ焼酎の入った樽を、やや恨みがましく見つめつつ歩むのだった。
鎧まで運ぶ彼らに呆れたが、松陰らは松陰らでからくり人形その他を運ばねばならない。
平蔵ら船乗りもいるとはいえ、千代やスズらに重い物を運ばせる訳にもいかない。
中々に厳しい道のりであった。
プユマの縄張りはすぐに抜け、ルカイの縄張りに入る。
途中に点在する集落では飲み水などを貰い受け、お礼に焼酎を振舞った。
流石の薩摩隼人も、台湾の暑さの中で山道を、しかも重い荷物を抱えて進むのには閉口し、嫌な顔もせずに焼酎を分けた。
椰子の茂る台湾では、蕾を傷つけ、染み出てくる甘い樹液を自然発酵させて作る酒が存在する。
蒸留酒である焼酎に比べれば甚だ弱いアルコールであったが、乾いた喉には丁度良く、酸味が強いながらもその酒があればと、寧ろ喜んで焼酎を代価に出したのだ。
荷物が段々と軽くなり、進む足も速くなる。
山道を進み、一行は草の深い場所へと差し掛かった。
荷物を抱えた者は一列だったが、無い者は二列で進んでいる。
一列縦隊は隊列が延びすぎるので、何かあったら危険だろうと判断したのだ。
と、アミの若者と共に隊の最前列を歩んでいた弥九郎が突然立ち止まり、進行方向とは違う場所をじっと見つめる。
何事かと足を止め、皆弥九郎に注目する。
忠蔵もまた、最後尾で何やら不敵な笑みを浮かべていた。
「どうかしましたか、弥九郎先生?」
「いや、見られている……。」
松陰の質問に弥九郎が答える。
プレデ○ーかよ! あやうく叫びそうになるのを松陰はかろうじて止めた。
弥九郎の言葉に皆はキョロキョロと周りを見渡したが、木々が茂る林の中では見通しはきかない。
「見られているって、もしかして首狩?」
松陰が顔を強張らせて更に問うた。
しかし弥九郎はそれには答えず、無言でまた歩き出す。
そんな弥九郎に松陰ら少年少女組も恐る恐る歩を進めだした。
後ろを歩いている者らは互いに目配せし、にやっと笑って歩き出す。
一方、そんな一行を鋭い眼差しで見つめていたパイワン人の青年バツは、突然立ち止まってこちらを見る者に非常に驚き、腰を浮かせそうになった。
仲間と共に草むらに隠れているので、向こうから分かるはずはない。
そのはずなのだが、何か嫌な予感がした。
バツは独り身である。
敵の首の一個も狩りもせずに、一人前になったとは見なされず、結婚はおろか部族の儀式にさえ参加出来ない。
バツは今回参加した遠征で必ず首を狩ろうと決めていたが、その決意は目標を見つけてすぐに揺らいだ。
明らかに手を出すべきではないと思われたのだ。
明らかに、手を出した方が返り討ちになってしまいそうな集団であった。
近頃は平原に住む漢人がその勢力を広げ、主に山に広がるパイワン人の縄張りも侵食されつつある。
パイワン人は粟やタロイモといった作物を育てる農業をしていたが、同時に狩猟も行っていた。
平原も重要な狩りの場であったのだが、移り住んできた漢人に狩場は奪われ、山へと押しやられつつあった。
彼らは農業を行っており、狩場は畑へと変わってゆく。
漢人や、漢人と同化しつつあった平原に住んでいた原住民は兎に角数が多く、数の上で劣る山地に住む民では敵わない。
バツの集落は山の中にあったので直接影響は無かったが、山裾に住む同族の嘆きは聞いていた。
生活の場を奪われる恨み辛みは、村の長老からも嫌と言う程聞かされた。
そんな憎い漢人達である。
狩りの為にか木を切る為か、山に入ってくる彼らがいれば首狩の標的にした。
過去、そんな漢人を標的にした首狩にはバツも参加した(参加しただけで狩れてはいない)事があり、漢人には見覚えがあったのだが、今遠くを歩く一団は漢人とは違う。
先頭を歩くのはアミである。
着ている衣服からアミだとわかる。
東の平地に住み、時々山を越え漢人と物を交換しているらしい。
それは知っていた。
だが、そのアミが道案内をしている様に見える、彼らの後ろを歩く40人近くの集団には、まるで見覚えが無かった。
漢人かとも思われたが、髪形が違う。
清に支配されている漢人であれば、その頭は弁髪である。
弁髪は見ればすぐに分かる。
しかし彼らは、頭頂部を剃り上げている様だが、弁髪ではない。
それに、衣服も違う。
腰に差した武器らしき物も漢人の物とは違った。
後ろを歩く者らは、防具らしき物まで運んでいる。
そんな事を思って遠くから眺めていたら、先頭の集団にいた者が突然止まり、バツらのいる方向に顔を向けたのだ。
こちらが見えている筈は無いのだが、知らない間に背中に冷や汗が走る。
あの集団に手を出すのは拙い。
バツはそう思った。
首も狩れない内は、部族の中では一人前とは見なされないが、闇雲に襲い掛かっては返り討ちに遭う事もある。
手を出しても良い相手かどうか、また襲うタイミングを判断するのも、一人前の戦士には必要な事なのだ。
松陰らは、遠くから自分達を見つめるバツの心情など知る由も無く、ただその歩を進めていく。
襲ってくるのを期待している者らは、うんざりする暑さへの怒りをぶつけられると思いながら、嬉々として歩いた。
山道を進み続け、日も翳ってきたので野営の準備をする。
といってもテントなど無い時代である。
船の帆を使って天幕代わりとし、火を熾して煙を出し、虫が寄ってこない様、気をつけた。
マラリアを媒介する蚊を寄せ付けない為だ。
亜熱帯とはいえ、今いるのは山の中腹なので標高もそれなりにあり、日が落ちてくるにつれ暑さも和らぐ。
簡単な炊事用具も携行しているので米を炊き、アミの集落で手に入れた塩漬けの魚を焼き、空腹を癒す。
薩摩隼人は残った焼酎を名残惜しげにあおる。
喜助の三線を伴奏に、アミ、長州、薩摩、江戸の歌をそれぞれが披露し、夜が更けてゆく。
山道を進んだ体は疲労が溜まっており、皆すぐに眠りについた。
しかし、昼間の弥九郎の言葉を受け、火守り兼見張りも忘れはしない。
何事もなく迎えた朝にやや不満げな顔をしている忠蔵らであったが、襲ってこない、ここにはいない相手に文句を言っても仕方無い。
素早く朝餉を取り、火の始末をし、出発する。
今日中には山を越えておきたい所だ。
途中、にわか雨というには猛烈過ぎる雨に遭遇し、アミの若者がどこからか調達してきた、大きなサトイモの葉っぱを雨具として使い、暫しの雨を避けた。
雨が降れば気温も下がり、歩きやすくはなるものの、地面が滑りやすくなり歩く速度は落ちる。
ゆっくりとした進みではあったが、どうにか山を越え、台湾の東西両側を眺められる所まで到達する。
「綺麗でござるなぁ。」
亦介が山の上から後ろを振り返り、呟いた。
亦介の声に一同が振り返れば、そこにあるのはどこまでも広がる緑の絨毯である。
そしてこれから進む先には、同じ様な山の緑と、それとは違う緑の大地が、はっきり線引きされた様に横たわっている。
そして、いずれの緑の向こうにも、深い碧が広がっていた。
大航海時代、台湾を訪れたポルトガル人が、”フォルモサ(麗しの島)”と呼んだ理由がわかる光景であった。
山の上に出れば肌に心地よい風が吹きつけ、汗の吹き出た体を冷やす。
そこで休憩を取った一行は、それぞれ乾いた喉を潤し、眼下の景色を楽しんだ。
山を越え、今度は一転、下りの道を進む。
下りの道で後ろから襲われては堪らない。
一行は登り以上に警戒し、進んだ。
そして、下りの道中でも一夜を過ごし、ついに何事もなく平原へと到着する。
残念そうな顔をしている者らには構わない。
これから一行が目指すのは、西南に進んだ先にある現在の高雄市である。
直線距離で約30キロメートルであるが、平坦なここでは山程時間はかからないだろう。
平原に着き、アミの若者は帰ろうとしたが、松陰は留めた。
弥九郎や忠蔵が気づいたらしい視線。
その視線が最後まで消えなかったらしいのだ。
今ここで5人だけを帰らせてしまえば、虎の前に兎を放る気がしたのである。
彼らの為に船を用意し、海から集落に帰ってもらいたいと考えた。
それはそれとして、アミの人が平原に入っても大丈夫か? と心配したが、時々はここを訪れる彼らだけあって、漢人の方も区別はつく様であった。
初めは非常に警戒され、というより逃げ惑われたが、こちらが何もしない、というよりアミ人がいる事がわかると、やっと警戒を解かれ、話をする事が出来た。
ただ単に、松陰らが異様に思われていただけである。
通訳の劉が人々に交渉し、食事と宿を確保する。
ここでも目立つ一行であったが、嵐で船が座礁したと偽り、帰国の為に清国へと渡航したいので、山を越え、港へ向かっていると説明した。
しかし、長閑で平和そうな田舎の農村という、途中の山の上から見た時の印象は、村の中に入るにつれ、消し飛んだ。
珍しい客人、聞けば山を越えてきたと言う。
時々は山を越えてくるアミがいるとはいえ、他の部族によく襲われなかったな、と話を聞いた村長以下、皆驚いた。
かつて彼らの祖先がこの地に来た際、目の前には広大な未開の大地が広がっていた。
喜び勇んで耕し、畑にし、集落を作って定住していったのだが、無人の土地だと思っていたのは、山に居住するパイワン人の狩場だったのだ。
しかし、それがわかった所で、一度集落を形成し、畑に作物を植えた今となっては、むざむざ放り出してしまう事も出来ない。
彼らとて生活していかねばならないのだ。
一度そこに暮らしの基盤を作ってしまえば、そうそう簡単には移動出来ない。
村を作るのにもお金はかかるし、清国の役人に課せられた厳しい税に皆生活は苦しかったのだ。
そこが元々パイワン人の狩場であったとしても、おいそれと今の集落を捨てて別の土地でやり直す事など出来はしない。
パイワン人との揉め事の始まりである。
以後、木を切りに入った山で、村人が襲われて殺される事件が度々発生した。
深い草の中から突然弓矢を射掛けられ、首を刈り取られてしまうのだ。
”出草”と呼んで恐れた。
そんな山を越えてきたと目の前の者らは言う。
村長は驚き呆れ、しかし注意して観察する。
よくよく見れば武器を携え、一部の者は鎧らしき物まで運んでいる。
これは過去、この辺りの海でも暴れまわった、海賊倭寇というヤツではないのか?
彼らは素晴らしく切れる刀を携え、色とりどりの鎧を腹に巻き、あちこちの海で暴れまわったと聞く。
目の前の一行は、寝入り前に親に聞かされた、御伽噺にも似た強さを誇る、あの倭寇にそっくりだと、村長は思った。
そう思って一行を眺めれば、幼い子供らがいるのは解せなかったが、大人達は皆眼光鋭く、機敏な所作も相まって、とても同じ農民とは思えない。
特に鎧を背負っていた者らの体つきはいかつく、血走った様な目つきもあって、これなら山も無事に越えられるだろうと納得した。
ただし、その中の数人が、やたらと集落の男らのお尻を見つめている気がして、知らず鳥肌が立ったのだが、それは多分、ただの思い過ごしであろう……。
この時ここに、見るからに強そうで、しかも武器まで携えた集団が、清国に渡る為に船を求めてやって来た。
村長にはそれが、あたかも天の采配の様に感じられた。
自分達の窮状を救う為、天が遣わしてくれた援軍であると。
同じ様に感じたのだろう、村の幹部達も、同意する様に村長に頷く。
村長はグビリと唾を飲み込み、意を決して行動に移した。
村長以下がその場に平伏し、勢い込んで言葉を紡ぐ。
『お客人にお願いします! 我らをお助け下さい!』
『『お願いします!』』
ご都合主義です、すみません。




