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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
65/239

和解の杯?

「いい加減にしろ!」


 松陰が叫んだ。

 吉之介らがしきりと頭を下げ、和解の杯を交わしたのはいいが、それから始まった酒盛りがいつ果てるとも知れない事に呆れたのだ。

 断っても断っても勧められる杯にウンザリしたのだ。

 まだ11歳だと言っても、薩摩では十分だと言う。

 お菊や千代、スズらは早々に湯を頂きに行って難を逃れている。

 付いて行くべきだったと激しく後悔した松陰である。


 見事な戦いぶりを見せた五人は薩摩隼人に囲まれ、次から次へと杯に焼酎を注がれている。

 船乗りの平蔵らは大酒飲みらしく、薩摩隼人と互角に飲んでいた。

 梅太郎は、流石にそこまで飲まされてはいないが、それでも、である。

 体の大きい東湖は酒の入る量も多いのか、一同の中で次々杯を空けている。

 それにまた薩摩隼人は歓声を上げ、更に注ぐ始末であった。

 

 「お前ら皆、泣かしてやる!」


 どこでその様な結論になるのかわからないが、幾分酒の回った頭である。

 何かの拍子でそうなったのだろう。


 「兄上、紙芝居を準備して下され! 才太殿、語りはお願いします。儀右衛門殿、例のからくりを!」


 「わかった(助かった)よ!」「初披露たいね!」「ここでやるのか?」才太が躊躇するが、取り合わない。

 そして、宴会場に響き渡る、才太が語る”ゴン狐”。

 酒の回った才太の舌は、やや呂律があやふやであったが、語るには十分。

 初めは野次を飛ばした薩摩隼人も、遂には涙で前も見えない。

 宴会場に響き渡る、すすり泣く男共の嗚咽の声。

 甚だ気持ち悪い光景が広がっていた。

 松陰はそれを見渡して満足げに頷く。


 そして、真打の儀右衛門のからくり人形が披露された。

 一転、弾んだ声がこだまする。


 「ゴンたい! ゴンが生きとるばい!」

 「ゴンがお茶を運んどるばい! 可愛らしかぁ!!」

 「えがったっぺなぁ、ゴン。」


 涙でくしゃくしゃになった顔に笑みを浮かべ、儀右衛門謹製の”お茶汲みからくり人形”は大絶賛された。

 若干一名、何度となく見ているはずの者の声が聞こえたが、そこはまあ、それ程出来が素晴らしいと言う事だろう。

 それ程までに、”ゴン狐”のゴンに扮した人形が、甲斐甲斐しくもお茶を運ぶ姿は見る者を魅了した様だ。


 松陰が考えたのはキャラクター商法である。

 儀右衛門のからくり人形の造形を、紙芝居の中のゴン狐にしたのだ。

 能面の製作も趣味で行っていた才太に頼んで、梅太郎の描いたゴンを人形として再現してもらった。

 半ば予想はしていたが、正直ここまでとは思わなかった松陰。

 根が純真素朴な薩摩藩士が相手だったからかもしれない。


 「今ならこの”お茶汲みゴン”が、驚きの一千万両!」

 「買った!」


 即座に売れた。

 まあ、非売品なので冗談なのだが、反応は上々であろう。

 ここで売るつもりはないが、”ゴン”を描いた浮世絵もある。

 将来的には根付提げ物といった飾りも考えている。 

 

 「調所様、お買い求めありがとうございます。」

 「うむ、良い買い物であった。」




 薩摩藩家老調所広郷ずしょひろさと

 元々は茶道方であったが、重用されて家老となり、財政、農政、軍政改革に取り組む。

 稀代の経営感覚を持ち、商人を脅して借金を250年払いの無利子分割払いにさせたり、清国との密貿易、琉球の黒砂糖の専売等を行い、蓄財が出来るまでに藩の財政を再建する。

 商人への借金返済を、250年という途方も無い方法で解決したのだが、その見返りとして密貿易品の販売を任せたりし、むしろ利益を上げる者もいる等、恨まれるだけには終わっていない。

 だが、当時薩摩藩が事実上支配していた琉球、奄美諸島でのサトウキビ栽培の強制、重税等、圧政を敷いた事も間違いない。

 そして、藩主斉興の後継を巡る斉彬と久光の争いに巻き込まれ、広郷は斉興、久光派に組する事になってゆく。

 聡明だが蘭癖の斉彬が藩主となれば、せっかく再建した藩の財政が再び悪化するだろうと思っての事だと思われる。

 そして、斉彬が藩の密貿易を阿部正弘に密告し、正弘に追及された広郷は責任問題が斉興への波及を恐れ、1848年、江戸の薩摩藩邸で服毒自殺を図ってしまう。



 

 そんな広郷は松陰の提出した手紙を読み、急遽駆けつけた。

 広郷の手に渡るまで時間がかかったのは、他藩の家老であるからだろう。

 大変な事態に陥っていなければと思って駆けつけてみれば、その場は酒盛りの最中。

 ほっとして、松陰らの上演した”ゴン狐”を観覧した。

 そして感動である。

 それはそれとして、

 

 「そなたの提案、誠素晴らしき物であったぞ! ここにいる全員に説明してもらいたいくらいだ!」


 広郷は松陰の書いた手紙に言及した。

 そもそも、それが目的であったのだ。


 「ありがとうございます。では、差し出がましい様ですが、皆様にご説明致しましょうか?」

 「頼む。」

 「承知しました。」


 慣れない酒で気が少々大きくなった松陰である。

 

 「はーい、皆さん、注目! ただ今、調所様のご要望により、私の計画した薩摩藩と長州藩の貿易に関する協力体制をご説明いたしまーす。」


 松陰の張り上げた声に、酒を飲む手を休め、人が集まってくる。

 そして松陰は、用意してもらった屋敷の襖に、筆に墨をたっぷりと吸わせ、おもむろに日本の地図を描いてゆく。


 「では皆さん、この日ノ本の物の流れがどうなっているか、ご存知ですか?」

 「はい!」


 と勢いよく応えた者がいた。

 その声の主を見ると、何とも可愛らしい子供である。


 「では、今応えたそこのアナタ。こっちに来て下さい。アナタの名前は?」

 「はい! 肝付帯刀かねつきたてわきです!」


 帯刀君だー!!

 と松陰は一人興奮した。

 維新十傑の一人であり、西郷隆盛である吉之介、大久保利通と共に薩摩の三巨頭に数えられる逸材である。

 この時6歳の帯刀は、長州藩士との勝負があると聞きつけ、喜入領主である親の目を盗んで見に来ていたのだ。

 尤も、四男である帯刀は、次兄を溺愛する両親には見向きもされなかったらしいが……。

 そんな帯刀に薩摩藩士も、「肝付様んとこの四男の。」「一人で出歩いとるでごわすか?」等噂した。

 そんな声は松陰に聞こえていない。


 「では帯刀君、今のこの日ノ本の物の流れを説明してもらえますか?」


 松陰は帯刀を手元に呼び、日本の絵を前に、説明させた。

 

 「はい! 各地で取れた年貢米は、船を使って大阪へと運ばれます! 


 帯刀が絵を使って説明する。


 「蝦夷の物産はどうですか?」

 「はい! 北前船で日本海を通り、大阪に運ばれます!」

 「薩摩の物はどうですか?」

 「同じです。船を使います!」

 「ありがとうございます。」

 「はい!」


 松陰の描いた日本地図には、帯刀が様々な線で説明した、日本の物流経路があった。


 「では、皆さん、これを見て、ある事に気づきませんか?」


 そう言って松陰は聴衆を見回した。

 しかし誰も何も言わない。


 「蝦夷から日本海側の諸藩が物を運ぶ通路と、九州諸藩が米や物を運ぶ経路は、ある藩の所で交わりませんか?」


 松陰の指摘に、皆はっとした様に気づく。


 「「長州藩だ!」ったい」でごわす」


 そう、蝦夷から始まる北前船は、長州藩で折り返し、瀬戸内海を大阪まで進むのだ。

 筑前(福岡)肥後(熊本)長崎といった藩は、馬関(下関)の海峡を抜け、大阪を目指す。

 薩摩は豊後水道、瀬戸内海を抜けて大阪に行くが、長州藩を通ると言えばそうとも言える。

 つまり、長州藩は海上交通の要衝なのだ。


 「もし、蝦夷の昆布、塩漬けの鮭といった産品を、蝦夷まで行かずとも、大阪まで向かわずとも、長州で買えるとなったら如何ですか? 長州藩が中継地になって、北前船の荷を留めていれば、薩摩の皆さんには便利ではありませんか?」


 松陰は聴衆に問いかける。


 「すごく、良いです!」「良かたい!」「素晴らしい!」


 薩摩藩士も亦介ら長州藩士も、船乗りである平蔵らも盛んに頷いている。

 近ければそれだけ時間もかからず、また海難に遭う可能性も少なくなるのだから。

 ただ、海舟ら旗本らは渋い顔であった。

 大阪に入る物品が減る事に直結するからだ。

 それはつまり、品物に課す税収が減る事を意味する。

 実際史実では、清風の設置したこの”越荷方こしにかた”業務は成功を収めるのだが、大阪へ入る物品の減少に危機感を抱いた幕府が長州藩に横槍を入れ、清風は失脚してしまうのだ。


 「では、更に話を進めましょう。蝦夷から長州、長州から薩摩までは繋がりました。では、その先は如何ですか? 薩摩から南に伸びる島々は、一体どこまで続いていますか?」


 松陰が日本列島の地図に加筆してゆく。

 薩摩の南に種子島・屋久島。

 トカラの島々を超え、少し離れて奄美諸島。

 奄美を抜けたら、徳之島などを挟み、そこは琉球である。

 更に描き足してゆく。

 石垣島、宮古島といった八重山諸島がある。

 そして、遂には台湾にまで至った。

 しかし松陰の筆は台湾で止まらない。

 その対岸である清国、台湾の南に浮かぶルソン(現在のフィリピン)まで描いてしまう。

 本心は、インド、インドネシアまで描きたい所であるが、そこはぐっと我慢して耐える。


 途中から、今度は薩摩藩士の顔が渋くなった。

 松陰の言いたい事は理解出来たが、触れられたくない事でもあったからだ。

 琉球産の黒砂糖は薩摩が専売しているのだし、清国とは密貿易をしている手前、素直に囃し立てる事は出来ない。

 そんな彼らの心情には頓着せず、松陰は言葉を続ける。


 「ご想像の様に、薩摩から南へも、貿易の道は伸びているのです。

清国との貿易は長崎のみ? ルソンなどとの貿易など以ての外? 私は言いましたよね? 中継地を作れば便利ではないかと。」


 と言って松陰は長州、薩摩、台湾を丸く囲み、矢印を書き込んでゆく。

 清国から台湾へ、ルソンから台湾へ、台湾から琉球を通り薩摩へ、薩摩から長州へ、長州から日本全国へと。 

  

 「長州、薩摩、台湾が中継地となり、物品の一時保管、売買を行うのです。そして、中継地から中継地へと物品を繋ぎ、日ノ本全国津々浦々まで、各地の名産品を運べる様にするのです!」


 勿論、その本命は香辛料の輸入である。

 とはいえ、今現在の段階でも蝦夷の昆布は清国でも重宝がられ、砂糖はアイヌでも大人気であったりする。

 物産の流通が活発になれば暮らしの豊かさに通じ、米の行き来は飢餓の低減にも繋がるのだ。

 飢餓は、凶作が主たる原因であるが、日本全国で見ればそうでもなかったりする。

 全国で見れば食料は足りていたりするが、それがその地に届かないのが問題となる。

 ただ、今現在は各藩の思惑、幕府の意思もあり、そう簡単な事ではないが……。


 聴衆は、発する言葉を忘れ、互いの顔を見合った。

 話はわかるが、何やら大きすぎて想像がつかない。

 そんな中、


 「うむ、素晴らしい!」


 と広郷が発する。

 聴衆は、家老が褒める事であるしと安心し、一斉に歓声を上げた。

 そして、止まっていた宴が再開する。

 松陰にも杯が回され、遂には飲みすぎで大の字になって倒れた。

小松帯刀、登場です。

こんな所に家老が、帯刀が来る訳無い、というツッコミは無しでお願い致します。

次話、やっと再び出発します。


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