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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
64/239

勝負の行方

何事も酒盛りに変えてしまう薩摩藩士にとって、今回の騒ぎはもってこいの肴であった。

 噂を聞きつけた藩士達が焼酎片手に続々と集まり、松陰らが連れてこられた屋敷は急遽宴会場に変わり、野次馬達は思い思いに酒盛りを始める始末。

 先ほどまで漂っていた、殺気を孕んで張り詰めた緊張感はどこへやら、まるで春の桜を楽しむ花見の会場の如き様相を呈していた。

 勿論、愛でるは才太らの戦いぶりである。


 「噂に違わず、酒盛り好きな薩摩藩らしいねぇ。」

 「あの剣呑とした雰囲気は何だったのだ? 真面目にやるのが馬鹿らしいが……。」

 「油断するな。ここは薩摩だ。」

 「オラはまだ怒ってるっぺよ!」

 「私もです!」

 

 参加者がそれぞれの思いをぶちまける。

 既に宴会の余興と化した様な状況に、顔色は晴れない。

 しかし、勝負は容赦なく開始される。 




 「埋木才太、参る。」

 「赤松敏彦でごわす。」 


 二の太刀要らずの示現流、”蜻蛉とんぼ”の敏彦に対し、才太は中段に構えた。

 互いの間合いを詰める中、才太はある事を思い出していた。

 松陰に聞かれた突き技の事である。

 「真剣で突く技ってどうなのですか?」と。

 「何を言っている?」「いえ、片手で刀をこう持って、こうやって、こうなんですけど、どうですか?」「意味がわからん。」

 時々意味の分からない事を口にする松陰であったので、その時も取り合わなかったのだが、妙に頭に残っていた。

 鎧兜を身につけてでもいない限り、真剣であれば人体のどこを突こうが致命傷になり得る。

 また、突き技に力は要らない。

 手足を突いた場合、即死に至らずとも、出血が続けば動きは鈍り、追撃で仕留めるのは容易い。

 それをわざわざ、予備動作を大きくしてまで突きに拘るなど意味がわからなかったのだ。

 鎧兜を貫こうとでもいうのかと。

 しかし、と才太は後から考えた。

 技の名前といい、中々いいな、と。


 そして、敏彦が間合いを詰めてくる中、先に才太が動く。

 敏彦の間合いの外からの突きである。

 まさかその距離から突き技で来るなど思いもしなかった敏彦は、それでも示現流の意地でそれを迎え撃つべく、竹刀を振り下ろす。

 才太の狙いは鳩尾みぞおち

 蜻蛉から繰り出される迎撃を潜り抜け、見事敏彦の体を貫いた。

 

 鳩尾を突かれ、余りの痛みに顔を歪め、息も出来ない敏彦。

 しかし、薩摩隼人の意地で竹刀は手放さない。

 才太は、苦しむ敏彦の頭に、止めの一撃を放つ。

 遂に敏彦は竹刀を手放し、地に臥せた。


 「まあ、決まったな。枝突とでも名づけようか。」


 松陰に聞いたのは牙であった。

 竹刀であれば、枝で十分だろう。  

 まずは一勝である。

 



 「では、始めようか。」

 「応! 貴様がこん中では一番強かろう?」

 「ふっ。松陰殿の語るこの国の行く末に、個人の力の強さなど、何ほどの意味があろうな。」

 「何?」

 「気にするな。この先は、剣で語るのみ。」

 「よか。叩き伏せてやるったい。」


 弥九郎も、当初の怒りは既に無い。

 そんな弥九郎に対するは、この騒ぎの首謀者であり、松陰を痛めつける様に指示した佐倉忠蔵。

 周りの喧騒も、対峙する二人の耳には最早届いていない。

 弥九郎を、一行の中で最も腕が立つであろうと見立て、相手に選んだ忠蔵。

 弥九郎と対峙して、己の見立てが正しかった事を知る。

 弥九郎も、忠蔵が口だけでは無い事を知る。


 「神道無念流斎藤弥九郎!」

 「タイ捨流佐倉忠蔵!」

 

 弥九郎の名乗りに観衆の一部がざわめいた。

 江戸練兵館の名を知っていたからだ。

 しかし、対峙した二人の立ち合いはもう始まっていた。

 

 タイ捨流のタイは、国名のタイではない。

 ”体”では護身の心を捨てるに留まり、”待”では受身の心を捨てるに留まり、”対”では対峙する心を捨てるに留まり、漢字では意味が限定されてしまう為、カナで表されているのだ。

 その心はそれらの雑念を捨て去り、自在の剣法を扱う事を目指す。

 タイ捨流は剣のみにあらず、蹴り、目潰し、関節技は言うに及ばず、飛んだり跳ねたりで相手を撹乱する等、変幻自在な技を使う流派である。


 そんな忠蔵と弥九郎の立ち合いは熾烈を極めた。

 タイ捨流の悉くを披露し、弥九郎を翻弄する忠蔵。

 蹴り、金的、目潰し、組み手等、およそ立ち合いとは思えない忠蔵の攻撃が続いたが、弥九郎はそれら全てに渡り合う。

 足払いや組討は、神道無念流でもあるからである。

 忠蔵の攻撃の悉くを迎撃し、次第に追い詰めてゆく弥九郎。

 焦った忠蔵は、最後の足掻きとばかり、突如飛び上がり弥九郎に覆い被らんとする。

 しかし弥九郎は、渾身の上段を忠蔵に叩き込む。

 まるで蛙がひっくり返った様に、地面に仰向けに倒れた忠蔵。

 勝負あった、である。




 「覚悟はいいっぺか?」

 「……」


東湖が問いかける。

 それに対し、元春はただ蜻蛉で応えた。

 東湖の体は大きい。

 大柄な体格の多い薩摩藩士と比べても、頭一つ分は飛び出ていた。

 その体格で上段に構えている。

 見下ろす上段の東湖と、見上げる蜻蛉の元春。

 開始前の怒りはどこへやら、東湖の纏う気配は静かで、ただ目の前の敵を屠るのみ、との一念が伝わる。

 対する元春も、長年練り上げてきた一撃を一心に繰り出すのみ、であろうか。


 じりじりと互いの間合いを縮めてゆく。

 息の詰まる様な緊張感の中、双方の得意とする間合いとなった。

 と、


 「キィエェェェ!!」


 元春の発する猿叫と共に、東湖へ向かって竹刀が振り下ろされる。

 竹刀とはいえ、二の太刀要らずの示現流が繰り出す一撃である。

 東湖は、上段に構えたまま、自らの頭でそれを受けた。

 竹刀を力いっぱい叩き付けた、鋭い音が辺りに響き、見守る観衆がどよめいた。

 しかし、最も驚いたのは、振りぬいた元春であろう。

 その顔には驚愕が満ち、唖然とした表情で東湖を見つめている。

 追撃を忘れ、固まってしまう。

 そんな元春と観衆を余所に、東湖は額の皮が破れて血を滴らせながら、


 「ぬるいっぺ。」


 と一言呟き、おもむろに上段に構えた竹刀を振り下ろした。

 放心状態で東湖の渾身の一撃を脳天にくらった元春は、たまらず脳震盪を起こし、呆気なくその場に崩れてしまう。


 「残心を忘れるとは、甘い奴だっぺ。」


 崩れ落ちた元春に東湖が言い放つ。

 静まり返っていた観衆も、すぐに東湖の戦いぶりに沸いた。

 「中々できる事ではなか!」「肝が据わっとる!」口々に東湖を褒め称えた。




 「まだやるのかい?」


 海舟が相手に告げた。

 既に三勝しており、一行の勝ちは決まった。

 しかし、そんな体たらくに甘んじられるのは薩摩隼人ではないだろう。


 「当たり前だ!」


 海舟の相手、大山直昌が断言する。

 

 「ほう、薬丸自顕流かい?」

 「よくわかったな。」


 薬丸流とも自顕流じげんりゅうとも呼ばれるこの流派は、攻撃に重きを置く事で有名な示現流よりも、更に先制攻撃を重視した流派である。

 防御という考えはなく、相手に先制攻撃を許した際には、自分が斬られるよりも先に相手を斬るか、相手の攻撃を自分の攻撃で迎え撃つかで対応する。

 示現流にある難解な精神論は一切なく、ただただ技を磨き、”一の太刀”に全身全霊を傾ける事を尊ぶ流派である。


 その自顕流の直昌は”蜻蛉”の姿勢であるが、示現流とはやや異なる。

 対して直心影流の海舟も、”蜻蛉”に似た”八相”で応えた。


 「キィェェェ!!!」


 直昌の猿叫が響き、渾身の力を込めた一撃が放たれる。

 しかし海舟はそれを苦も無く捌き、直昌の頭上に無造作に竹刀を載せた。

 たちまち海舟の力量を悟る直昌。

 己の技では打ち崩せない事を知る。 


 「ま、参った……。」

 「理解が早くて助かるねぇ。」


 これで四勝である。




「私で最後だ!」


 梅太郎が立ち上がる。

 それに呼応する様に吉之介も立ち上がった。

 双方相対し、一礼する。 

 そして、


 「何故構えない?」


 梅太郎に正対した吉之介は、竹刀は持っているものの、何ら構えを取らず、ただ立っていた。


 「オイはよか。」


 一言そう言って、口を閉じた。

 それを馬鹿にされたと感じたか、梅太郎は中段から竹刀を振り上げ、そのまま下ろした。

 バシーン! と竹刀が吉之介を打つ音が響く。

 東湖の受けた一撃と比べれば月とスッポンではあるものの、梅太郎も武士の子供である。

 その一振りは鋭い。

 それを無武備に生身で受け、尚平然と立つ吉之介。

 東湖とは違い、梅太郎に攻撃を加える事も無い。


 梅太郎も観衆も、意味がわからず吉之介を見つめた。


 「何故、受けた? 何故攻撃しない? 馬鹿にしているのか!」


 梅太郎が吉之介をなじる。

 それに応え、吉之介は黙って右手を差し出した。

 

 「オイの右手は剣をまともに握れんでごわす。」


 そう言う吉之介の右手は震えていた。

 数年前、同じ郷中の仲間が他の郷中の者と喧嘩になった際、刃物を使った騒動に発展するのを止めに入って、右腕を痛めたのだ。

 その後高熱を出して苦しみ、一命は取り留めたものの、剣を扱うには右腕が駄目になってしまっていた。

 そんな吉之介を梅太郎の相手に据えた忠蔵らの意向は知れない。

 梅太郎相手なら問題なかろう、とでも思ったのだろうか。


 「右手を使えないのはわかった。では、構えも取らないのは何故だ? それに何故よけない?」


 右手を使えなくても防御の構えくらいは出来る。それに、距離を取って牽制も出来る。

 

 「此度の事は、オイ達が正しくなか。これはそのケジメでごわす。間違った先輩方に何も言えず、松陰さんを痛めつけたのはオイでごわす。先輩方は十分やり込められたでごわす。残るはオイ。どうぞ、気の済むまでやって欲しいでごわす。」 


 そう言う吉之介の目は真っ直ぐで、とても嘘を言っている様には見えなかった。

 何より、無防備に受けた先ほどの一撃が物語っていよう。


 そんな相手を打ち据えられる程梅太郎に嗜虐性はない。

 松陰が目を覚まして大事の無い事がわかった今、一撃を加える事が出来たので、梅太郎の怒りも消えていた。


 いつの間にやら目を覚まし、立ち合いを見守っていた松陰である。

 観衆の大盛り上がりの中、自分に大した事は無いから止めろとも言えず、お菊の膝枕を堪能しつつ黙って見ていたのだ。

 松陰を心配していた千代らの声により、梅太郎は松陰の目覚めを知ったのだが、いくら大事がないとはいえ、やはり弟を目の前で痛めつけられた怒りは消えなかった。

 貫禄のある吉之介に敵うと思えずとも、せめて一撃は、と誓っての立ち合いであった。 

 それが叶った今、これ以上続ける気は起きない。


 「もう、いいよ。」


 そう言って、一礼して吉之介に背を向ける梅太郎。

 一連の流れを何となく把握していた観衆も、その結末に満足し、拍手の代わりに杯を飲み干す事で二人を称えた。

 勝負は松陰らの五勝。文句なしの完勝である。


 そして、そんな松陰らを囲む薩摩隼人達。

 互いの健闘を称え、焼酎で満たされた杯を勧める。

 打ち据えられた忠蔵らも、既に笑顔であった。

 松陰らにとっては、寧ろ地獄の始まりである。

 薩摩隼人の酒盛りは、半端無い。とめどない。底が無い。

 普通の人間には付き合いきれるものではない。

西郷さん以外はオリジナルです。

才太はネタに走ってしまいました。すみません。

時間がかかった割りに緊迫感が表現できたのか不安ですが、これが限界です……。


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