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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
61/239

船出

 「絶対に嫌でござるのに、どうしてこうなった……。」


 亦介の嘆きが空しく響く。

 船出の日が近くなるにつれ、杉家に近づかない様にしていた亦介であったが、松陰はそれを見越し、清風を通じ逃がさない様にしていたのだ。

 少年である松陰にだけ任せては長州藩の名折れという事で、敬親直々の指名であると、清風から亦介に言い含めさせていた。

 

 「断れば(儂が)どうなるかわかっておろうな?」

 「……くっ。これも藩の、家族の為でござるのか……。」


 こうして、遂に観念した亦介も加わり、戦見物の船出が整った。

 時に、1841年5月の事である。


 「千代とスズは見送りには来てくれなかったか……。」

 「一昨日はちゃんと顔を出していたし、昨日は何だかこそこそしていたけど、大方、船出を見ると辛いからじゃないの? 正直、私も出来れば、今からでも見送る方に回りたいんだけど……。」

 

 松陰の呟きに、梅太郎が応えた。

 後半の部分は聞き流す。 


 一昨日に開かれた、ささやかながらも心の篭った送別会には、千代もスズも顔を出していた。

 最後まで同行を願っていたが、結局松陰に許可されず、不満げな顔ではあったものの、暫しの別れを惜しみ、航海の安全と計画の成功を、残る者皆で祈ってくれていた。

 昨日は二人して松陰から隠れ、顔も碌に見ていない。

 そして、今朝の見送りにはいもしない。

 嫌われてしまったなと感じるが、仕方の無い事だ。

 

 「ほな、じいちゃん、行って来るわ。」 

 「達者でな、菊。」

 「じいちゃんも、体を大事にしてな。」

 「わかっとる。松陰さんに、課題は山ほどもらったさかい、それをこなさん限りは死ぬに死ねんわなぁ。」


 史実では既に天に召されている一貫斎であるが、好奇心を刺激されたのか甘酒の効果か、まだまだ元気そうな様子である。

 日本天文学のさきがけは、日本微生物学の魁にもなってもらわねばならない。


 「では、岩倉卿、石鹸や”えひめアイ”の事はお願いします。」

 「任せておくでおじゃる。しっかり儲けておくでおじゃるよ。」


 岩倉卿は留守番である。

 「麻呂は戦になど興味はないでおじゃる。」らしい。

 イギリス商人との貿易には心が動かされたらしいが、何せ言葉がわからないので断念した様だ。

 今は目先の金を優先しようとの事である。

 彦根より届いた大量の牛の脂を使い、石鹸やポテチなどの販売を軌道に乗せたいのだ。

 松陰としても、営業といった面倒な事は人に任せてしまいたいと思っていたので、万々歳である。

 牛の脂で彦根、販売の為に京、大阪を巡る、実は一番忙しい役回りかもしれない。


 「ぐっもーにん、みすたーぞうろく。はうあーゆー?」

 「ふぁいん、せんきゅー、あんどゆー?」

 「あいむふぁいん。ぐっもーにん、しげのすけ!」

 「ぐっもーにん。」


 三郎太、重之助、蔵六は英語の練習に余念がない。

 テキストは松陰の作である。


 「才太先生、先生の無事を祈ってお守りを作りました。」

 「そうか、かたじけない。」


 そう言って、才太が頬の上気した女からお守りを受け取る。

 そういう才太も顔は真っ赤だ。

 明らかに雰囲気の違う一画である。

 と言っても、見送りに来た皆からは見えない場所で、であるが。

 

 「先生、加代は、先生の事を」「待て! 皆まで言うな!」


 才太が加代の言葉を遮った。 

 

 「そなたの気持ちは嬉しいが、今の俺では応えられぬ。部屋住みでしかないこの俺ではな。この旅で、何が変わるかは分からぬ。分からぬが、何かが変わりそうな気もするのだ。どうかそれまで待って欲しい。」


 才太にそう言われ、加代も引き下がる。


 「先生がそう仰るなら……。」

 「すまん。」


 隠れて一部始終を見守っていた松陰とお菊、亦介は、互いの顔を見合わせ、溜息をついた。


 「どう思います?」

 「才太様は本気にしとるみたいやけど、あの女、恋に恋しとるだけに見えるんやけど……。」

 「あの娘は才太には荷が重いでござる!」


 お菊、亦介が自分の見立てを語った。

 松陰も同意である。


 「才太殿が旅立ったら、直ぐにでも他の男を見つける感じですよね……。」

 「そうやね……。」

 「もてあそばれているでござるよ。」


 才太が戦見学計画に気づきもしなかった理由、それがこれである。

 しかし、どうやら、見込みは薄いらしい。

 いや、それどころか、大変な心の傷を負いそうである。




 「それでは父上、母上、寿、艶、一貫斎殿、嘉蔵さん、熊吉さん、岩倉卿、生憎千代とスズはいないけれども、行って参ります。」

 「私は二人の志を大切にするよ。」「無茶をさせるんじゃありませんよ。」「にーに。」「ばぶー」「「いってらっしゃい」」


 舟の前で、皆が見送ってくれた。

 因みに、艶は今年生まれた杉家の三女である。

 既に5人の子持ちの百合之助。史実では、艶は僅か2歳にして早世してしまう。その後2人生まれるのであるが、流石である。

 

 それはそれとして、松陰は百合之助と滝の言葉を不思議に思った。

 松陰と梅太郎に言っている風ではない。

 まるで……。


 こうして、杉家の皆に別れを告げ、舟に乗り込む一行。

 乗る船は直に接岸できないので、小舟で移動するのだ。


 海舟らは、昨日既に旅立っている。

 一足先に街道を西へ行き、青海島で待つ計画である。

 萩の港で共に乗り込めば、目立つだろうという事で、別行動にしている。

 顔を知られているとは思わないが、仮にも幕府側の人間である海舟らと、萩から同船するのは良くないだろうと思っての処置である。

 江向では同居していたが、それはそれ、これはこれである。


 親試での松陰の言葉は、既に萩中に知れ渡っていた。

 密航が幕府に知れれば死罪。

 それがわかっていながら、この国の為、迫る脅威を確かめようという松陰の心意気に皆感動し、騒ぎすぎるのは良くないと考え、心中で喝采して松陰を見送った。

 詰め掛けた観衆に遠巻きに見守られながら、松陰らは沖の船に乗り込む。

 平蔵らが棹を器用に操り、船が動き出す。


 水や食料、荷物は前もって積み込んである。

 動き出した船は、暫くすると畳んでいた帆を広げ、風を一杯に孕み、瞬く間に沖へと走り去っていく。

 観衆は、西に進む船が指月山に隠れるまで一言も発する事無く、ただ見守っていた。




 「うーむ、今日は波も無い、航海にはうってつけの日でござるな! どうかこの日が続いて下され! 香霊様! お頼み申す!

この亦介、一生のお願いでござる!」

 「彦根行きも江戸行きも、有り得ないくらいの日和だったが、普通あり得ねーからな。」

 

 亦介が天を仰ぎ、祈りを捧げた。

 平蔵がそれに釘を刺す。

 前回の彦根行きと違い、海は大変穏やかで、船は滑る様に海上を進んでいく。

 順調に海路を進み、すぐに青海島まで辿り着いた。


 青海島は日本海に突き出た島である。

 萩から西に20キロメートル程しか離れていない。

 島の付け根には仙崎の町があり、漁が盛んで船も多い。

 海舟らはここで小舟を借り受け、青海島の東に浮かぶ大島沖で合流する手筈となっているのだ。 

 舟に掛けてもらっている目印の旗を見つけ、船足を落とし、近づく。

 余り近寄っては危険なので、程ほどの位置で錨を下ろし、小舟の方から近寄ってもらった。


 「皆さん、お待たせしました。」


 松陰が小舟の皆に声を掛ける。

 平蔵らが小舟を固定し、乗り移れる様にする。

 

 「なあ松陰さん、俺達を恨まねぇでくれな。」


 松陰らの船に乗り移りながら、海舟が松陰に謝った。

 皆の顔も、何やら笑いを堪えている様な、そんな風だ。


 「何をでございますか?」


 意味が分からず問い返す松陰。


 「いや、まあ、その、なんだ……。これなんだがよ。」


 と言って、何を思ったか海舟が横へずれ、後ろに隠してあった者を松陰の前に晒した。

 目を丸くして見つめる松陰。呆気に取られて声も出ない。

 松陰が驚いたそれは、


 「えへへ、来ちゃった。」「申し訳ありません、お兄様。」


 と言って、にこやかな笑みを浮かべる千代とスズであった。




 時は少し遡る。


 「そろそろですかなぁ。」

 「だろうな。」


 海舟が呟き、忠震が応える。

 ここは仙崎。

 松陰らの船を待つ一行が留まっている場所である。


 「いやぁー、ワクワクするっぺなぁ!」

 「ワクワクって、その顔で言うのは止めて頂きたい!」


 童心に返った様にはしゃぐ東湖に、たしなめる忠寛。


 「狼煙があがったばい! 流石一貫斎殿の作った望遠鏡。よう見えるばい!」


 儀右衛門が告げた。

 手にしているのは一貫斎謹製の望遠鏡である。

 

 「どれ。ほう、よく見えるものだ。確かに狼煙が見えるな。」


 望遠鏡を譲り受けた弥九郎が呟いた。

 松陰らの出発に合わせ、狼煙を上げる手筈になっていたのである。

 それを確認した一行は、手配した漁師に舟を出してもらう。

 と、そこに、


 「お侍様! どうぞ私達もその舟にお乗せ下さいまし!」

 「下さいまし!」


 風呂敷包を背負い、息せき切って駆けつける、千代とスズがいた。




 「成程。」


 松陰は天を仰いだ。

 百合之助、滝の言葉を理解したからである。

 「二人の志を大切にする」「無理をさせるんじゃない」つまり、百合之助も滝も千代とスズの企みを知っており、許した、という事だ。

 信じられない思いの松陰だが、そうとしか考えられない。

 それに、と松陰は思う。

 まるで史実の吉田松陰と金子重之助だな、と。

 ペリーの来航を聞き及び、アメリカを一目見ようと密航を企て、乗船を許されず、落胆して自首した二人である。

 今、二人の乗船を認めなければ、自首はしなくても、落胆するのは確実だろう。

 ここまでして同行を願った二人の思いを無駄にはしたくない。

 たとえ、戦を見に行くという危険を冒す旅だとしても。


 「いやぁ、二人の必死な様子を見ちまったらさ、我らとて断るに断れねぇでなぁ。やはりここは松陰さんに判断してもらおうと思ってよ。悪いんだが、連れてきちまったという訳だ。」


 大して悪びれた風でもなく、それどころか笑顔で海舟が口にする。

 その他の面々も同じである。


 「ここで反対されれば私達も諦めます。でも、どうしてもご一緒したいのです!!」

 「必ず言う事聞くから、お願い!!」


 二人の必死な言葉に、これも運命か、と松陰は思った。

 

 「決して危ない真似はしない事、船の上では平蔵さんの指示に従う事、皆を困らせない事、いいね?」


 それを聞いた二人は目を輝かせ、抱き合って喜んだ。

 見守る大人達も笑顔で見つめる。

 怪我一つさせない! と心に誓ったのは、松陰一人だけではあるまい。


そして、船は一路中国を目指し、進む。

まずは朝鮮半島を目指して北西に進み、対馬を越え、済州島を抜け、西へと向かう計画だ。

 済州島から西を目指して進めば、中国に到着するはず。

 そしてそのまま沿岸部を南下するのだ。

 史実では、1841年5月の時点では、広東州を攻める段階なので、南下し続ければイギリス艦隊と出会うだろう。

 GPSもエンジンも無い、風任せの旅では、細かい計画など立てるだけ無駄なのだ。


 そして、順調に航海を続け、済州島で苦心惨憺水と食料を補給し、いざ中国、と思っていたら、突然の嵐に襲われ、遭難した。

苦労惨憺を苦心惨憺に修正しました。

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