折檻(後)
杉家の子供達である千代と虎之助、梅太郎は大変仲が良かった。
年が近いせいもあって遊ぶ時はいつも一緒だった。
杉家の住まいは山の中腹であり、家の裏手にある松林では秋に松茸も生えてくるので、三人で一緒に取りに行ったりもした。
大きくなるにつれ家の事がわかってくると、千代は母を手伝って家事をやるようになり、梅太郎と虎之助は侍の習いで忙しくなったが、三人が仲良しな事に変わりは無かった。
しかし千代は、兄虎之助が三人で遊んでいる中で時々ふっと寂しげな表情を浮かべる事が気になっていた。
父や母の前では決して見せないその表情は、幼い千代には皆目見当もつかなかったが、自分が兄にできる事はないかと思わせた。
心優しい兄梅太郎が虎之助を放さないのも、案外そういう思いがあるのかもしれない。
そしてそんな杉家も、叔父大助が病気で倒れてから一変する。
虎之助が吉田家の仮養子になり、叔父が快復する事無く亡くなってしまったのだ。
兄虎之助はわずか6歳にして吉田家当主となり大次郎と名を変えた。
そして、吉田家の代々の務めである山鹿流兵学の師範という責務を、わずか6歳の子供が背負う事となったのだ。
それまでも叔父文之進の下での習いは厳しいの一言であった。
僅かでも本から目を逸らせば本を取り上げられる、そのまま本を放り投げられる、若しくは本人が庭に投げられる、拳骨が飛ぶといった感じであった。
それが、虎之助が吉田家当主の座を継いで大次郎となってからは更に一層激しさを増した。
武家の子女としての教育があった千代ではあったが、二人の兄の学問、特に大次郎に対する父と叔父の教育には寒気が走る程の凄さがあった。
厳しい叔父と負けん気の強い兄大次郎ではその内大変な事が起こるのではないかと思わせた。
そしてある日、顔をパンパンに腫らし、意識も朦朧とした状態で兄に担がれ家へと帰って来た大次郎を見て驚いた千代は、自分の予感が正しかった事を知る。
額に止まった蚊をふいに叩いた大次郎を、叔父が折檻したのだ。
この頃の文之進は山の麓にある小屋の一画で近所の子供達にも学問を教えていた。
兄梅太郎も大次郎が心配でならなかったが、学問の途中でもあるし、日課の農作業の手伝いもある。
母も家事で忙しい。
新しい家族である寿も生まれている。
必然、千代が大次郎を看病する事になった。
兄の容態が甚だ心配ではあったが、大好きな兄を自分が看病できる事は喜んだ。
額に乗せた手拭を取り、井戸から汲んだ冷たい水を含ませて固く絞り、また額に乗せて少しでも熱が下がる様にする。
水を欲すれば飲ませてやり、吹き出る汗を拭う。
その際、体中にできた青痣、蚯蚓腫れに血の気が引いたが、幸い骨にも内臓にも異常は無いらしい。
激しい折檻ではあったが、叔父も手加減はしていた様だ。
千代はここまでする叔父も、前から似たような鉄拳制裁が当たり前であった叔父の下に、毎日通っていた兄にも信じられない思いであったが、それが武士の勤めと言われればそういうものかと納得するしかなかった。
なのだが、何が二人をここまでさせるのか千代には全く理解できなかった。
叔父文之進による殴る蹴るの折檻によって大次郎は高熱を出し、布団に臥していた。
教育熱心な杉家ではあったが、流石に母である滝にはこの折檻は厳しすぎると感じた。
だが、夫である百合之助は弟である文之進に何も言わない。
なので仕方なく、滝は口を閉ざすしかなかった。
息子の看病をしたいが次女寿はまだ赤ん坊であるし、家事もある。大次郎の看病は千代に任せるしかなかった。
そんな中、布団に臥せる大次郎は覚悟を決めていた。
ああ、そうかよ。
叔父さんがそういう了見なら俺にも考えがある。
どうせ松陰は吉田家の血筋を残せずに刑死するんだ。
っていうか、士族は明治の世になれば無くなるのだ。
構うことはない。
俺は俺の思うままに、カレーを食べる為にインドへ行かせてもらうぜ!
俺のカレーに対する私心の強さ、思い知らせてやる!
滅私奉公なんてクソ食らえだ!
俺は俺というワタクシを活かす為に公を使ってやる。
俺はカレーの為に、俺がカレーを思う存分食う為に、俺の知る人間全てにカレーの素晴らしさを伝える為にこの国を変えてやる!
今までは自重していたが、現代知識も解禁だ!
ああ、やってやるぜ!
やってやるとも。
もう自重はしない!!
意識が朦朧となりながらも、大次郎は策を巡らせていた。
どうやってこの状況を打破するか、この国を変えるのか、である。
未来の出来事を多少知っているといっても彼はまだ少年である。
彼の言う事に耳を傾けてくれる人がいるものだろうか?
また、未来の出来事を多少当ててみせた所で、それで何かが変わるとも思えない。
下手をしたら狐憑きとか何かで糾弾されるだけだろう。
それに、多少知恵が回った所でそれで人を動かせる訳も無い。
幕末の事を多少知っていればそれはわかる。
人を動かすのは真心と論理と利益だろう。
『至誠』が幕府に通じず松陰は刑死したが、松陰に『至誠』がなければ弟子達は松陰に感化されなかっただろう。
俺はカレーに対する真心、つまりは『至誠』だけは持っている。
それだけは誰にも負けない!
少なくともこの長州藩で認められない限りは、江戸の幕府を動かす事など望めないだろう。
史実では11歳で藩主毛利慶親に講義し、その才を認められ、徐々に藩政にも登用されていくのだが、それでは遅い。
もう自重はしないのだ。
父と母に逆らう気は無いし叔父の教育も受け入れるが、それだけでは駄目だと感じる。
拘束時間が長すぎるのだ。
自分の時間が欲しいのだ。
今出来る事があるはずなのだ。
日本が開国を迫られるのは時間の問題なのだから。
それに、カレーは今は諦めるが、美味い物は他にもあるのだ。
肉を食いたいのだ。
甘い物が欲しいのだ。
利がなければ人は動かないのも事実であろう。
自分に利が必要なのだ。
両親に過度な心配をさせず、農作業も手伝いつつ、叔父による教育時間を減らし、自分が使える時間を確保して、美味しい物を食べる資金作りや現代知識無双を試みる。
その為にはどうするか?
大義名分が必要だろう。
それがあれば多少の事は大目に見てもらえるのではなかろうか?
それには……。
この日、杉家当主百合之助は忸怩たる思いで一杯であった。
息子の虎之助改め大次郎の事である。
格式は低くとも長州藩士の家に生まれたからにはと厳しく育ててきた。
武家の次男は優秀でなければ冷や飯を食うだけである。
学問の盛んな長州藩では尚更そうなのだ。
それもあってひたすらに学問をさせてきた。
昨今の、武家であっても華美さを求める風潮には眉を顰める百合之助であったので、杉家は質素倹約に勤め、ひたすらに学問を積む生活を子供達にも求めてきた。
それが武士の本来の姿、そして長州藩の為、と思って自らも励んできた。
無役が続いていたが、いざ御勤めとあらばこの身を捧げる覚悟でそれに備え、学問を積んできた。
長男梅太郎、次男虎之助もそんな父の思いを汲んでいるのか文句一つ言う事無く、父を見習って本を読み、農作業もこなしながら学問に励んでいた。
そんな子供達に目を細めながらも、6歳にして吉田家の当主の座を継いでしまった虎之助には申し訳ない気持ちで一杯であった。
まさか、養子となって吉田家を継いだ弟の大助が、若くして病で亡くなってしまうとは予想できるわけが無かった。
病に臥せった弟には子供が無かったので、もし万が一が起こっては吉田家が断絶してしまうと、予防策として虎之助を仮養子にしておいただけだった。
病から快復し、跡継ぎができれば養子は解消するつもりであったのだ。
吉田家は代々藩校明倫館で山鹿流兵学を教える師範を務めてきた家柄である。
並大抵の学問ではその責を全うできるわけが無い。
幸いにして息子虎之助にはその才能があると思われた。
それどころか、オシメをつけた赤ん坊の頃から違いすぎた。
オシメを濡らしたのは僅かな期間でしかなかった。
生まれて暫くすると、排泄を母滝に自分で訴える様になったのだ。
また、自分達が話す事を理解しているとしか思えない反応をする。
ハイハイもできない虎之助が、座ったままで2歳年上の梅太郎をあやしていたのだ。
それは目を見張る光景であった。
言葉を覚えるのも随分早かった。
まるで、初めから知っていた様に喋るその様子は、この子は将来一角の人物になると確信させるものだった。
そしてそれは虎之助が大きくなってより強まった。
百合之助が教える論語の解釈において、父を唸らせる見解を述べるのだ。
大人顔負けの見解を述べる息子の才を喜んだのも無理は無いだろう。
たとえそれが世間を知らない、青臭い子供の正義感でしかないとしても。
しかしながら、吉田家を継いだ虎之助はまだ6歳であった。
山鹿流兵学を修め、明倫館で師範となるには余りに幼すぎる。
たとえ10年間必死に学問を積んだとしても、それでも早すぎる。
息子の才あらばいずれはと思っても、僅か6歳のわが子に、吉田家当主の代々の責務を課してしまった事は誠に持って忍びなかった。
いくら息子が稀に見る聡明さを持っていたとしても、である。
そして弟の文之進は教育には厳しい人物である。
弟も虎之助の聡明さに驚き、その才を喜んだものだったが、虎之助に期待をかけすぎていると感じざるを得なかった。
一刻も早く一人前にしようと、それが藩への奉公だと意気込みすぎていると危惧した。
そしてその危惧は当たる。
文之進が虎之助改め大次郎を手酷く折檻したのだ。
麓で子供達に学問を教える弟の小屋から梅太郎に肩を担がれ、這う様に帰って来て布団に伏せるわが子を見た百合之助は、武士の習いといえども深く心を痛めた。
何か言いたげな妻滝が自分を見つめているが、何も言う事が出来ない。
梅太郎から事の経緯を聞けば、文之進の言動も理解できるのだ。
6歳で吉田家当主となり、ゆくゆくは明倫館で兵学師範となることが決まっている大次郎には他に選択肢がないのだ。
お遊び気分で師範の責が全うできる訳がない。
それはわかってはいたが、8歳になったばかりの幼子にしていい仕打ちとも思えない。
一所懸命山鹿流兵学を修めんと、鉄拳制裁が日常の文之進の元に毎日通うわが息子のひたむきな姿と、そんな息子に応え、鍛え上げようと情熱を注ぐ弟文之進。
今回は、そんな両者がぶつかった不幸な事故なのであろうか?
顔を腫らし、布団に伏せる愛するわが子の哀れな姿が、学問に打ち込み、日々研鑽を重ね続けても無役なままの自分と重なる。
いずれ登用され、何がしかの職を任されるであろうその時の為、敬愛する藩主毛利家の為、日々畑を耕し、農作業の合間を見つけて学問を積んできた自分が、いずれは明倫館で藩の為に奉公する事が決まっており、それに向けて日々精進している息子に何を言えるだろうか。
百合之助は何も言えずに口をつぐみ、畑での作業を再開する為に家を出た。
滝はそれを黙って見送る。
そして大次郎が回復し、兄と二人で文之進の元へと学びに行く生活が戻った。
大次郎は文之進の教えに食らいつく程身を入れる様になり、それを文之進から聞いた百合之助は息子の成長ぶりをいたく喜んだ。
そして、大次郎が折檻を受けた事さえ忘れてしまった頃、大次郎に異変が起こる。