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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
58/239

江戸からの帰還

 「ほうほう。これをこうして、こうやって、こうですか?」

 「そうです。それぞれ、違う物が見えるでしょう?」

 「ふむ! 納豆菌、乳酸菌、麹菌、酵母菌、それぞれ違いますな。納豆には納豆菌が、漬物には乳酸菌が、甘酒には麹菌が、酒には酵母菌が働いているのですな。素晴らしい! これが発酵ですか!」


 二宮尊徳が感嘆の声を上げる。

 顕微鏡の取り扱いと共に、”えひめアイ”を学んでいるのだ。

 増上寺での披露会を終え、好奇心を大いに刺激された尊徳は、長州藩の下屋敷に松陰を訪ねていた。

 松陰親子は上屋敷から下屋敷に移っている。

 

 直亮より顕微鏡を預かった今、出来るだけ早く一貫斎に届けたい所であるが、詳しく知りたいと訪ねてきた相手を無碍に扱う訳にもいかない。

 それに、この下屋敷で”えひめアイ”用の微生物を培養する様、敬親より命じられてもいる。

 熱心な尊徳の存在はありがたくもあった。

 敬親の命により、藩士も学んではいるのだが、百姓の真似事など、と身が入っていないのだ。

 これなら、商売に結びつけてでも良いから、希望する者に教えた方がましであろう。

 岩倉卿に金儲けとして任せれば良かった、と後悔する。 

 

 「この水飴はうめぇなぁ。お前さん、商売人になった方が儲かるんじゃねぇの?」


 ざっくばらんな口調で松陰に話しかけているのは勝海舟である。

 自分より七つ若いにも関わらず、様々な事を為してきた松陰に興味を持ち、わざわざやって来て、こうして絡んでいるのだ。

 しかしそれは、松陰にとって不快ではなかった。

 

 勝海舟と言えば、江戸城を無血開城に導き、江戸の街を戦火から守った殊勲者であるし、坂本竜馬、西郷隆盛とも親交のあった、幕末維新を代表する一人である。

 目の前で、柱にもたれかかり、松陰の持ってきた水飴をペロペロと舐めているのがその海舟だと思うと、中々に込み上げる物がある。

  

 「勿論、お金儲けも致しますよ。何をするにもお金のかかる世間ですし、研究開発にはお金が必要ですしね。まだまだやりたい事はありますから。」


 それを聞いて海舟も尊徳も驚いた。


 「てぇしたもんだぜ。しっかり考えてやがるんだなぁ。俺がおめぇさん位の時分には、毎日遊び呆けてた気がするがなぁ……。」

 「素晴らしい! お武家様らしからぬ、誠に現実的で堅実なお考えでございます! やれ清貧がどうの、金儲けは卑しいだの、武士は食わねど高楊枝だのと、見当違いも甚だしい事を口になさる方が多い中、その様に言い切るとは! そうです! お金は稼がねばならぬのです! それを私利私欲のみに使うのではなく、社会の発展の為に使う事こそ、巡り巡って己の為になるのです!」


 尊徳の説いた報徳思想は、経済と道徳の融和を図り、私利私欲に走るのではなく、社会の発展の為に誠心誠意を尽くし、人や社会に自分の徳を分けて、人や社会から徳をもらおうとする思想である。

 従って、拡大再生産に繋がる資本の投資は、大変重要なものと考えられている。


 「ありがとうございます。それにつきまして、尊徳先生にお聞きしたい事があります。油を絞る植物で、何か良い作物はありますか?」

 「先生だなんて止めて下され。今は私が教わっておるのです。油を絞る作物ですか? 普通は菜種でございましょうな。」

 「他にはございますか?」


 菜種はありきたり過ぎて食指が動かない。松陰は他の物を尋ねた。


 「他ですか……。そうですな、麻など如何でしょうかな。」 

 「麻ですか?」

 「左様。麻は生長も早く、肥料も要らず、茎からは繊維も取れて衣服を織れ、縄をなえ、実は鳥の餌にも、油を絞るにも使え、そのまま食べる事も出来る、実に素晴らしき作物ですな。」




 麻、大麻。あさ、たいま、おおあさ。縄文時代より、日本人に利用されてきた植物である。縄、衣服、建築資材に利用され、実は食用、油を絞ってきた。

 大麻といえばマリファナが有名であるが、日本で古来から利用されてきた品種は、酩酊成分が少ないらしい。

 近年、大麻の薬効も見直されつつあり、またマリファナの健康への悪影響を疑問視する見方も出てきており、使用を一部解禁する国もある。

 また、麻薬成分のない麻を栽培し、実から取れる油を石油に代わる燃料として、また茎は繊維として用い、持続的な発展を達成する植物資源として注目されている。

 北極圏以外では育つ強さに加え、成長が早い上に二酸化炭素の吸収量も多いのだ。

 それは、麻薬の大麻との混乱を避ける為、ヘンプと呼ばれる。 




 「麻ですか。知りませんでした。でも、麻って、大丈夫なのですか? 葉っぱの煙を吸うと酩酊する、とか……。」

 「そういやぁ、そういう話を聞いたことがあるなぁ。」

 「実は生薬にもなりますし、葉も、鎮痛作用があるという事で、煙草代わりに吸うておる者はいる様ですな。」


 どうやら問題はないらしい。

 品種が違うのだろうと松陰は推測する。

 ついでに聞いておけと思った松陰が、重ねて尊徳に尋ねた。


 「ところで尊徳殿は、子供の頃、薪を背負っている時にも、歩きながら本を読んでいたのですか?」

 「何だいそりゃ?」

 「はて?」


 松陰は、薪を背負いつつ本を読む二宮尊徳の銅像に関し、気になっていた事を尋ねた。

 本当にそんな事をしていたのか、本人がいるので、直接確めたかったのである。

 それって危ないだろうと、子供の頃より思っていたのだ。 

 松陰にそう聞かれた尊徳は、何を言っているのですか? という表情で松陰を見つめた。

 慌てて松陰が付け足す。


 「いえ、寸暇を惜しんで勉学に励む、尊徳殿の逸話として聞き及んでいたものですから、気になって……。」


 それを聞き、尊徳はカカカと笑う。


 「誰が言ったのか知りませんが、農村で本を読みながら歩いては、肥溜めに落ちてしまいますよ。」

 「それはちげぇねぇな! 考えただけで鼻が曲がりそうだぜ!」

 「成程。」


 納得の松陰である。

 

 「でも、松陰殿の”えひめアイ”を振りかけた肥溜めなら、そんなに臭くないかもしれませんな。」

 「それは、流石に無理だと思いますが……。」

 「ぷっ! 一丁、試してみちゃあ、どうだい?」

 「いいですな!」

 「冗談ですよね?」

 「当たりめぇだろ!」

 「この屋敷の厠も、臭くはありませぬが、臭わない訳ではありませんからな。」


 そう言って皆して笑う。

 暢気な一同の笑い声がこだまする、長閑な長州藩下屋敷であった。

 

 そうやって一カ月、二カ月が過ぎ、その間ポテチや柿の種の作り方も教え、どうにか”えひめアイ”も形になり、雪になる前に松陰は萩に向け、旅立った。

 尊徳にもらった麻(大麻ともいう)の種を大事に懐にしまい、直亮より預かったオランダ製の顕微鏡を携え、百合之助と共に陸路を帰る。

 平蔵らはとうの昔に帰っているので徒歩だ。

 そんな二人と旅を共にするのは勝海舟である。


 増上寺での一件の後、寺社奉行阿部正弘に直々に呼ばれた松陰を待っていたのは、正弘による質問攻めであった。

 主に松陰が斎藤弥九郎に、京都で話した事についてであったのだが、その確認らしかった。

 隠すところなく話し、西洋の実力を自分の目で確かめようとする松陰の思いが通じたのか、正弘は、ならば幕府側からも参加させようと、海舟をつけてきたのだ。

 岩瀬忠震、大久保忠寛も後で合流させるらしい。

 何か大事おおごとになってきたなぁと、暢気に思う松陰であった。 



 

 およそ一ヶ月かけ、萩へと至る。

 その旅路で、松陰の最も印象に残ったのは浜名湖の鰻であった。

 百合之助と二人であれば、多分通り過ぎたであろう。

 お役目のある身で鰻など贅沢だ! と百合之助なら言いそうである。

 その点、海舟は問題ない。

 地方の名物を! と海舟が提案する形で、まんまと百合之助を同席させる事に成功する。


 炭火の上で焼かれる浜名湖の鰻は、この上もなく美味かった。

 真っ赤になった炭に、鰻の脂と醤油が滴り、ジュッという音と共に芳ばしい、誠に食欲をそそる香りが辺り一面に広がる。

 その匂いにつられているのは松陰らだけではない。

 道行く旅人の多くが、飯屋から漂う香りに鼻をひくつかせ、誘われる様に店の中へと入って行く。

 待ちに待った甲斐あって、運ばれて来た焼きたての鰻を、熱々のご飯と共にかきこめば、蕩ける様な鰻の美味さが口いっぱいに広がり、流れ落ちる涙を拭う暇も無く、次々とほうばる松陰であった。


 「江戸へも聞こえた浜名湖の鰻かぁ。確かにうめぇな。けどよ、泣きながら食う奴なんざ、初めて見たぜ……。」

 「我が息子ながら、誠に面目ない……。」

 

 二人のそんな言葉は、勿論松陰には届いていない。

 ただ無心に、鰻を味わうのであった。


 そんな風に各地の名物を味わいながらの、萩への復路である。

 贅沢はしていないが、松陰には大変満足できるモノであった。

 満足しながら萩へと着いた。




 首尾の報告、言伝を済ませ、江向に向かう。

 数ヶ月ぶりの我が家には、三郎太らと戦棋を挟む村田蔵六、一貫斎らと談笑するからくり儀右衛門こと田中久重の姿が見えた。

 いや、ちょっと人が多すぎじゃね? との思いが松陰に浮かぶ。

 予定では、更に斎藤弥九郎、藤田東湖、岩瀬忠震、大久保忠寛が加わるのだ。

 いい加減やばいだろ、と心配になってくる。


 そんな松陰の心配を余所に、見知らぬ海舟を怪訝に思いながらも、またいつもの事かと気にもしない杉家の家族とスズやお菊らに迎えられ、ようやく旅の装束を解けた一行であった。

 

 江戸での顛末を話し、旅の土産を渡し、顕微鏡の披露、海舟の紹介を行う。

 事情のわからない者も成功を喜び、皆して土産に舌鼓を打ち、顕微鏡を興味深げに眺めた。

 一貫斎は直亮の配慮に深く感謝し、必ず直亮の期待に応える事を誓う。

 そして今度は松陰らがいない間の江向の様子を聞いた。

 蔵六、儀右衛門の紹介も行い、皆して歓談した。




 「何て言うか、おめぇさん、意味がわからねぇなぁ。」


 夕餉を終え、食後のお茶を飲んでいると、海舟が松陰に向け、呟いた。


 「どういう事でございましょう?」


 想像もつかないので聞き返すしか出来ない。


 「国友一貫斎の名は聞いちゃあいたが、どうして一緒に住んでるんだよ? それにからくり儀右衛門だぁ? 当代一の発明家が二人も一緒に揃っていやがる! それに、お公家さん? 彦根の浪人? 村医者の倅? 宇和島藩から連れてきた職人? 穢多の子供だぁ? それだけじゃあねぇ。そのうち、あの斎藤弥九郎、藤田東湖、岩瀬と大久保の旦那とくらぁ。ここは一体、どうなってやがんだ? そして、その中心が、元服を迎えてもいやがらねぇ、ちっこいガキだなんてよぉ。おめぇさんは、一体何者なんだよ?」


 海舟に言われて改めて考えてみれば、随分とまあ、時代を代表する人物達が集まったものである。

 どうしてこうなったのかは、正直松陰もわからない。

 カレーを食べる為、やれる事をやって来たつもりであったが、もはや自分でも意味不明な気がしていた。


 「全ては、香霊様の御心のままに、です。」


 仕方無いのでそうやって誤魔化す。

 言われた海舟は、香霊様とは? と聞きたいのを止めた。

 これ以上、訳の分からない事を聞きたくなかったからである。

 

 そして次の日から、今まで以上にカオスとなった杉家の日常が始まった。

 一貫斎らは顕微鏡の製作を。

 蔵六らは英語の勉強を。

 儀右衛門には、からくり人形を数体作ってもらう。イギリス人の度肝を抜く為である。それには海舟らも加わった。

 才太は、相変わらず穢多の集落に通う。そのお陰で、計画がばれずに進んだ。


 その様に時間が進み、ついに敬親が長州藩に帰って来る。

いつまでも話が進まないので描写を省略しております。

ご了承下さい。


説明するまでもありませんが、大麻マリファナの栽培を勧めているのではありません。

あくまでヘンプです。


6月8日、一部修正しました。

乳酸菌は漬物に働いている事を言及しております。

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