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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
アヘン戦争勃発編
57/239

プレゼン? いいえ、人物鑑定です ★

 芝、増上寺。

 長州藩上屋敷桜田藩邸より南に下った一角に、この寺はある。

 徳川家の菩提寺であり、江戸の鬼門上野に配された寛永寺、裏鬼門であるここ芝の増上寺によって、風水上の備えとされた。

 この増上寺であるが、「忠臣蔵」で有名な、浅野長矩が吉良義央を殿中で斬り付けた事件の原因となった場所であるらしい。

 勅使饗応役の長矩が、江戸へ下向した勅使が増上寺を参拝する際、畳を張り替える必要があるにも拘らずそれを怠り、また饗応指南役の義央がそれを教えず、それを恨んだ長矩が犯行に及んだという事らしい。

 また、その事件を遡ること20年、徳川家綱法要の際、長矩の叔父である内藤忠勝が、同じ奉行の永井尚長に斬りつける事件を起こしている。

 それもここ増上寺らしい。


 そして今、この増上寺は、物々しい気配に包まれてはいなかった。

 一般の参拝客は入れない一角が使われ、和やかな雰囲気の中、披露会が開かれた。


 「堀田殿! どうして井伊殿がおられる?」


 そんな中、敬親は小声で正睦に詰め寄っていた。


 「私も知りませんよ! 井伊殿に突然呼ばれて、今日の事を聞かれたのです!」


 そう、ここ増上寺に、時の大老井伊直亮が、さも当然といった顔で同席していたのだ。    直亮は、先の江戸城での正睦と敬親の、何やらこそこそと動いているらしい気配を感じ、手を回して調べていたのだ。

 そして今回の事を耳にいれ、参加したのであった。

 

 「それに、あれは水戸藩の藤田東湖では? 攘夷論の水戸学者、藤田がいるとは、一体どういう事です?」

 「そんな事は知りませぬ!」

 

 水戸学藤田派藤田東湖。水戸藩で盛んであった水戸学は、様々な分野までをも含めた学問体系である。

 神道、伝統を大事にし、仏教までをも否定する、ややもすれば偏狭になりかねない学問でもあった。

 東湖の著作は、後の尊皇攘夷の理論的支柱ともなっている。

 そんな東湖は斎藤弥九郎、江川英龍と同門で、共に剣を学んだ仲であった。

 敬親と正睦が小声で騒いでいるもの無理はないかもしれない。

 増上寺に集った面々は、見るものが見れば錚々たる人物達であったのだから。

 

 大老井伊直亮、老中堀田正睦、寺社奉行阿部正弘、長州藩藩主毛利敬親、伊豆代官江川英龍、水戸藩士藤田東湖、旗本岩瀬忠震、大久保忠寛、勝麟太郎、江川の配下斉藤弥九郎、江川に招聘され農地の改良に携わっていた二宮尊徳である。

 直亮は、彦根城で松陰から聞いた”えひめアイ”に興味があったからであり、英龍は弥九郎の話から興味を持ち、東湖は弥九郎繋がり、忠震、忠寛、麟太郎は正弘繋がり、尊徳は農業に関係すると弥九郎に聞いての参加であった。

 その様な者らが集う中、松陰監修百合之助実演の”えひめアイ”の説明会が始まった。

 

 その前に、露払いとして、同じく敬親の希望であった、紙芝居を上演する。

 子供達の評価も高かった「ゴン狐」である。

 結果は、色黒で大男の東湖が人目を憚らず男泣きに泣き、「ゴンが可哀想だっぺよー!!」と叫ぶ一面もあったが、概ね満足すべき出来だろう。

 ある者は上を向き涙を堪え、ある者は素直に目尻を拭い、またある者は鼻までかんでその感情を表していた。

 そんな中、一人正弘だけは変わらぬ笑みを浮かべ、微動だにしないまま、一心に虚空を見つめていた。

 烈公徳川斉昭に”瓢箪鯰ひょうたんなまず”と渾名されただけはあると感じた松陰であったが、良く見れば、その手はきつく握り締められ、色が変わる程であった。

 幕政を与る以上、めったな事では感情を面に表せない、ということであろうか。

 同じ幕閣である正睦は、感動を隠せない様だったが……

 

 これは、松陰流の人物評価法である。

 「ゴン狐」を聞いて心を動かさない人間は要注意。そう思っているのだ。

 それからすると、今回の面々は、とりあえず人情のわかる人たちであるらしい。

 他人の心情を推し量れない人は、悪戯をしたゴンには罰が下って当然とか思いそうである。

 それで排除しようというのではない。付き合い方を考える必要があるというだけだ。

 そして、この評価法によって後日、要注意と判断されるのが村田蔵六であるのだが、松陰はまだそれを知らない。

 

 夏の盛り、「暑いですね」の隣人の挨拶に、「夏は暑いものだ」と答える蔵六は、その為人に誤解され、いらぬ軋轢を生むのだが、撃たれたゴンを評して、悪戯を謝ってもいないのに許されたと思う方が間違いと答えれば、それは人に悪く言われても仕方無いだろう。

  

 そして真打、百合之助の登場である。

 まずは資料として作成した冊子を配る。

 五部しか作っていないので、隣の人と見てもらった。

 コピー機のない当時は、オリジナルを手書きで複写するのである。中々に大変な作業であるが、学習には最適かもしれない。


 「では、”えひめアイ”の説明を始めたいと思います。その前に、質疑応答の時間は最後に取ってありますので、先ずはご静聴下さいますよう、お願い申し上げます。では、お手元の冊子の表紙を開き、中をご覧下さい…………」


 と始まった百合之助の説明であった。


 「では、悪臭の軽減の効果を実感して頂く為、厠に向かいたいと思います。誠にご無礼ながら、ご同行頂けますか?」


 誰も嫌とは言わない。先ほどからの説明に、皆興味津々なのだ。 増上寺の厠へついた一行。 毎日丁寧な掃除が行われているとはいっても、そこは汲み取り便所である。どうやっても臭いのだ。

 

 「では、皆様、この臭いはご承知の通りです。そこに、この”えひめアイ”を噴霧致します。因みに、この噴霧器は国友一貫斎殿の作にございます。では、皆様、今一度臭いの確認を宜しくお願い致します。」

 

 百合之助が言っても、皆顔を見合わせ、躊躇った。「堀田殿からどうぞ……」「いや、ここは井伊殿から……」等、譲り合う。誰ももう一度嗅ぎたくは無い。               と、ここで敬親が自ら進み出る。団子岩の畑で体感していたからである。

 

「ふむ、やはり、臭くなくなっておるな。」


「何ですと?!」「まさか!」敬親の言葉に、半信半疑ながらも続いた一行は、「本当だ!」「信じられん!」「確かに、そこまで臭わんな!」と驚きを隠せないでいた。

 

 そして再び場所を戻し、説明を再開する。

 

 「以上で”えひめアイ”の説明を終わりたいと思います。では、質問のあります方は、どうぞ。」

 

 作物に効果があると聞いて参加した尊徳が、真っ先に声を上げた。

 

 「そもそも、微生物とは本当に存在しているのですか? 目で見てみない事には信じられませんが……。」


 一同、尊徳の疑問に頷く。目には見えないが存在している微生物なる物は、話だけでは俄かには信じられないだろう。

 松陰も当然予期していた質問であったが、ここで顕微鏡を出せないのが辛いところだ。

 一貫斎が鋭意発明中です、と答えても仕方無い。今、ここになければ意味は無いのだ。こればかりはどうする事も出来ない。

 折角の披露会であるのに、と悔やまれる。

 すると、そんな松陰らを見かねた様に、助け舟を出す人物が一人いた。大老井伊直亮である。

 

 「松陰、これを使ってよいぞ。」

 

 と言って直亮が差し出したのは、何あろう、形は若干違えども、顕微鏡そのものであった。

 

 「直亮様!? これは?!」

 「それはオランダより伝わりし顕微鏡なるぞ。お主が帰ってから興味をもってな、方々手を尽くして手に入れたのだ。今回、一貫斎の作った物と比較してみようと思って、持って来ておったのだが、まさか一貫斎をして未だ完成を見ておらんとはな。とはいえ、丁度良い機会じゃ。使えばよいぞ。」    

 「ありがとうございます、直亮様! 使わせて頂きます!」

 

 願っても無い直亮の提案に、松陰は歓喜し、早速顕微鏡の準備に取り掛かる。        プレパラートに発酵液を数滴乗せ、カバーガラスで覆う。顕微鏡にセットし、レンズを選定し、ピントを合わせてゆく。

 一同、松陰の動作を興味深げに眺めた。顕微鏡なる舶来の物もそうであるが、それを勝手知ったる様に扱う松陰その人にも興味は尽きない。

 準備が完了し、松陰は皆に勧めた。

 

 「こちらがただの水で、こちらがこの発酵液でございます。もし像がぼやける人は、こちらを回して下さい。ここが上下してそれぞれの方にあった様に見えるはずです。」

 

 まずは皆を代表し、直亮が進み出た。

 

 「ほう! なるほど、確かに何かが見えるな! これが微生物か! 儂が使った時には大した物は見なかったが……」

 

 それを皮切りに、皆が顕微鏡を覗く。目には見えない微生物に、一同好奇心を刺激された。

 尊徳が興奮気味に話す。 

 

 「素晴らしい! これが微生物ですか! 成程、目には見えないが、確かに存在しておりますな! その”えひめアイ”なる液の効果も素晴らしい物でした! 下肥の悪臭が減るのは、農民にとっても大いなる助けですな! そして、この液を作物に撒けば、健やかに育つというのも感動いたした!」

 

 それに応えて英龍も言う。

 

 「確かに、これを撒けば作物が健康に育つとあれば、農民皆の助けであろうな。」

 

 英龍の発言に、皆大いに頷いたのだが、そこに松陰が待ったをかけた。

 

 「お待ち下さい! 誠に僭越ながら、この”えひめアイ”は、単独で用いても大した効果はありません。作物に必要なのは肥料なのです。土に十分な栄養分がなければ、いかな”えひめアイ”といえど、大した効果は発揮出来ません。敬親様がご覧になられた、団子岩の畑は、一朝一夕に出来た物ではございません。木々の落ち葉や刈った草、木灰、下肥、馬の糞などを堆肥とし、寝かせ、土に混ぜ込み、その基本があってこその、健康な作物の生長でございます。これさえあれば、という様な楽な方法はございません!」

 

 松陰にそう言われ、しゅんとなる一同。

 楽をするなと子供に諭されれば、誰だってそうなるだろう。唯一人、尊徳を除けばであるが。

 その尊徳は、松陰の言葉に大いに頷いた。

 そんなに簡単に作物が育てば農民の苦労は無いのである。楽な道はない、の松陰の言葉は、尊徳の思う所でもあった。                                


           

          

 こうして、盛況のうちに説明会は終わった。

 

 「見事であった!」と直亮にお褒めの言葉を頂き、褒美として顕微鏡をもらった松陰。

 一貫斎の作った顕微鏡と交換する事が決められる。

 現物を見れば、一貫斎ならばすぐに作れるだろう、との直亮の配慮である。

 

 そして、本来の目的である松陰の人となりを見る時間は無くなった。

 だが、今回の事を献策した正弘も、これで十分と思ったのかはわからないが、それ以上の事は求めなかった。

 後の判断は敬親に任せる、と思ったらしい。    

 

 その夜、桜田藩邸で、密航(正確には見物のみで上陸はしない建前)計画に関して、敬親による松陰への尋問が行われた。

 そこで松陰はその必要性を熱く語り、敬親は妥当性を認め、藩主として支持する事を決める。 残るは、藩の方針を統一する事であるが、それに関しては松陰に策があった。

 明倫館で行われる御前講義”親試”に松陰が参加し、兵学における情報収集の一環として視察を進言する、という物である。

 言い出しっぺがやるのが筋だと言う事で、松陰が行く事を決めてもらう、という策である。

 敬親もそれを受け入れ、以後その方向で計画を進める事になった。 

 その敬親の長州入りは来年の4月である。

挿絵(By みてみん)

後半はグタグダです、すみません。

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