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折檻(前)

鉄拳制裁の話です。松陰が何歳の頃のエピソードかははっきりしませんが、幼い少年には過酷な躾?が行われます。ご注意下さい。

 一人の男が江戸時代の日本に転生し、数年が経った。


 カレーが食いたい。

 日々その思いで胸が一杯であった虎之助少年だったが、どんなにカレーを願ったところでカレーが出てくるわけは無い。

 それどころか、虎之助の父である杉家当主百合之助は当時は無役であった。

 それはつまり仕事をしていないので職務手当てもなく、藩から支給される扶持米だけでは数の多い杉家を養うには到底足りず、一家は畑を耕しながらの自給自足的な、質素な生活を送っていた。

 そんな質素な生活の中では、魚ですらあまり食卓には上らない。

 朝は雑炊、昼は漬物に汁、夜は野菜一品に汁がつく程度の食事である。

 現代の記憶を持つ虎之助少年の胸のうちやいかに?


 それに加え、父百合之助は太平の世が長く続き、本来己を厳しく律するのが美徳であるはずの武士の階級ですら、華美さを追い求める昨今の風潮に甚だ慨嘆し、益々勤倹力行に努める様な性格である。

 食事に贅沢とか美味しい物だとかは求めていなかったのだ。

 そして、浮いたお金で本を買うのである。

 であるから、虎之助少年が満足する様な食事など出てくるはずもない。

 あるとすれば子供の誕生日に押し寿司、年始などに質素ながらも御節が出るくらいであった。

 

 カレー、肉、魚、甘い物、ラーメン、ハンバーグカレー、カツカレーなどなど、何度夢に見たかわからない。

 何度枕を涎で濡らしたかわからない。

 それほどまでに、杉家の食卓は質素で慎ましやかなものであった。


 そして、父百合之助は勤勉実直の人でもあった。

 子供達にも常々「喋る暇があったら本を読め」と言う様な人であり、自らも寸暇を惜しんで読書をした。

 また、虎之助と梅太郎を連れ、山には薪を拾いに、畑には草むしりや農作業に行くのだが、作業の合間には武士の教養でもある四書五経や歴史書を暗誦口授するのだった。

 杉親子が畑に出れば、周囲には朗々とした声で論語の一節を吟ずる音が響いたという。


 母滝は、大変慈悲深く優しい性格であり、厳格な百合之助に良く尽くした。

 厳格な百合之助の影響もあって寡黙になりがちな杉家ではあったが、持ち前の明るさで一家を笑顔にしていた。

 それのみならず親族の不幸も放ってはおけない質であった。

 滝が杉家に嫁いできた時は、百合之助の弟二人、妹一人とも同居していた。

 滝にも子が生まれ、百合之助の妹が嫁いで出て行ってからも、姑の妹が夫を亡くし、子供一人と舅を抱えて苦労していると聞けば三人を家に住まわせ、滝の妹も夫を亡くしてしまうと子供一人と共に引き取った。

 しかも、姑の妹は中風、滝の妹親子は伝染病に罹っており、その看病も一手に引き受けつつ、子育てもこなしたのであった。

 この女傑ぶりには、日頃人を褒めない百合之助の弟文之進も「義姉には男でも敵わない」と褒めたらしい。


 そんな杉家に生まれた現代の記憶を持つ虎之助少年は、ひもじく窮屈な思いを抱きながらも、二人目の父母を尊敬して育っていった。

 世界中のレストランが集まる東京に住み、お金があれば大抵の物は手に入る豊かで便利で快適な社会に暮らし、受験勉強も人並みに済ませた前世の記憶を持つ人間には、江戸時代の下級武士の暮らしぶりはあまりに想像を絶する世界であった。

 この時代の武士の給与はお米であり、その額は江戸時代初期から変わらなかったのだ。

 物価は上昇するので足りる訳がなくなる。

 豊かな百姓や商人よりも貧しい者が多いのが当時の武士階級であったのだ。

 貧しさに内職に精を出し、武士の魂であるはずの刀を質に入れお金を借りる。

 そんな当世の事情を知ってはいても、自制して清貧を保つ百合之助は流石の一言である。

 恨み言を一切口にせず、貧しさを嘆かず、日々畑作業をこなし、勉学も欠かさず、毎朝萩城にいる藩主を拝し、続いて天皇のいる京都を拝し、祖霊を敬うその毎日は、虎之助少年に己に厳しい武士の姿を強烈に刻み込むのであった。

 ただし、自分には絶対に無理だと思いながら。


 カレーに対する思慕は募る一方であったが、虎之助少年が現代的な感覚ではあまりに厳しすぎる杉家の生活を耐える事ができたのは、ひとえに兄梅太郎と妹千代の存在であった。

 それぞれ二歳しか違わない三人は、何もするにも一緒であり、カレーの無い生活に対する寂しさを和らげてくれたのだ。

 虎之助少年は前世では一人っ子であったので、兄、妹という存在に憧れていた。

 精神年齢的には兄妹共にはるか年下ではあったが、かくれんぼや鬼ごっこなど、童心に返ったつもり、というのか精神が肉体に引きづられるのか、家の手伝いは勿論するのであるが、日が暮れるまで遊んだ。

 特に兄梅太郎は虎之助を可愛がり、飯を食べるのも、寝るのも一緒と、まるで双子の様に接するのであった。

 カレーが食べられない絶望感、寂寥感を虎之助少年から敏感に察し、寂しさを感じぬようにしてくれていたのかもしれない。

 また、オシメも取れぬ幼子の頃より、ハイハイさえできない弟虎之助にあやされて育ってきた兄梅太郎には、親よりも深い家族の絆を弟に感じていたのかもしれない。


 弟妹思いの優しい兄が泣き言一つ言わずに頑張っているのだから、精神的には大人である自分が負けていられない、と虎之助少年も厳格な父の教育にも付いていくのだった。

 妹千代も物心つく様になると、母を助けて家事の手伝いを進んでやっている。

 そんな妹に「ええ子やぁ。」と、虎之助少年は人知れず呟いてしまうのだった。


 そんな杉家にも変化が訪れる。

 杉家で同居していた百合之助の弟大助、文之進の両名であったが、数年前には他家を継ぎ、吉田大助、玉木文之進となっていた。

 その大助が結婚し、独立したのだが、子供の出来ないうちに病気となったため、虎之助が仮養子となったのだ。

 嫡子のいない家は取り潰しであるので、大事だいじを取っての事である。

 その後大助は癒える事無くそのまま没し、虎之助が正式に吉田家を継ぐ事になったのだ。

 この時虎之助六歳であった。

 吉田家を継いでからは名を大次郎とした。

 吉田家を継いで当主となったものの、先代大助の妻は夫亡き後実家に帰ってしまい、大次郎少年は吉田家当主でありながら実家杉家で過ごす事となる。

 大次郎少年が継いだ吉田家であるが、吉田家は代々長州藩の藩校明倫館で山鹿流兵学師範を勤める家柄であり、大次郎少年は六歳にしてその進路が決定した。


 父百合之助のもう一人の弟であり、玉木家を継いだ玉木文之進であるが、この段階では独身であり、杉家で寝起きし、梅太郎と大次郎の二人の勉学を見ていた。

 この叔父文之進であるが、父百合之助に負けず劣らず自分に厳しく他人にも厳しい性格であった。

 学問中に子供達が首を傾げる、注意を逸らすだけでも激昂し、本を投げ飛ばし、子供を庭に放り出す事もあるといった風である。

 現代ではまず間違い無く行き過ぎた体罰教師として世間を騒がすであろうが、当時はそれで普通、でもないが、許される気風であった。

 徳川家康が江戸に幕府を開いてより天下泰平の世が続き、武士にとっては戦場で武勲を上げ、出世する望みはほぼ無い時代である。

 学問で認められ、出世するしか道の残されていない下級武士にとっては、学問所とは戦場であった。

 油断している者は命を落とすのが戦場。

 鉄拳制裁も当然であった。


 またそれは長州藩の歴史も関係があるのかもしれない。

 謀神毛利元就の手腕により、中国地方11カ国を治める大大名になった毛利家であったが、元就の孫である輝元が関が原の合戦で西軍の総大将になってしまったがため、勝者である家康により領地は没収され、当時8カ国120万石から周防と長門の2国に減封、36万石となった。

 そこまで減封されれば、今までの家禄で家臣団を召抱える事は出来ない。

 また、新たに築城しなければならないのだが、毛利氏の力を恐れた徳川家によって、瀬戸内にあり交通の要衝でもある現在の防府市に城を築く事はできずに、築城を許されたのは日本海側の萩のみであった。

 萩は東西に川が流れる三角州の中の町であり、そこに城、城下町を作るには三角州を埋め立てなければならず、築城と共に莫大な出費を必要とし、長州藩の財政赤字は長らく続いた。

 この恨み晴らさでおくべきかということで、長州藩における年始の挨拶は、家臣からの「今年は(倒幕は)いかが?」藩主の「時期尚早」で始まったという噂がある。


 減封され石高は激減、召抱えた家臣団の給与カットは避けられない。

 埋め立て工事、築城、城下町の整備もある。

 そんな長州藩が寄って立つ基盤は、人材以外に無かったのだ。

 人材を育て上げ、藩政に登用し、もって長州藩の勇躍を図る。

 それ以外に徳川幕府に対抗する手立てを思いつかなかったのだ。

 したがって藩内での教育熱は高い。

 そうなると、生半可な学問では取り立てられる事は無くなるのだ。

 また、毛利家が周防と長門に転封され、家禄が下がる事がわかっていながら付いていった忠誠心の高い家臣達は、学問をする事が藩への奉公という意識を持っていたのである。

 また、周防と長門に転封時、雇えないから好きにしろとクビにされた下級の武士達も、百姓となってもいいからと付いていった。

 従って、長州藩の百姓には、昔は毛利家の家臣であったという誇りがあり、農民といえども子弟には学問を施した。

 玉木文之進の過激な教育も、当然と言えば当然であった。


 さて、兄梅太郎と一緒に叔父に学問を教わっていた大次郎少年であるが、内心では不満が沸々と、まるで噴火寸前のマグマを溜め込んだ火山の様になっていた。

 カレーが食えない怒りと悲しみ。

 激烈な叔父の教育に対する怒りと反発。

 優しい兄の存在もある。

 幼いながらも母を手伝い家事を頑張る妹もいる。

 周りの子供達も同じ様に頑張っている。

 それに、吉田家を継いだ自分には山鹿流兵学を習得する義務がある。

 叔父は大次郎少年を早く一人前にする事が藩への奉公だと考えているのであろう。

 それは痛い程わかる。

 山鹿流兵学の面白さも理解できる。

 早く一人前にする事こそ大次郎少年の為だと考えているのだ。

 学問によって出世の道が開ける可能性の高まる長州藩なら尚更である。

 それはわかる。

 

 厳しい父と優しい母の事も尊敬している。

 現代社会ではついぞ見たことの無かった滅私奉公の精神。

 清廉潔白、己を律し、日々鍛練を欠かさない武士の有り様。

 それを体現している父や叔父の生き方には頭が下がるばかりである。

 そんな父を影から支える明るく優しい母は、大和撫子と呼ぶ以外にないだろう。

 二人共本当に尊敬しているし感謝もしている。

 それはわかる。

 よくわかる。

 

 それはわかるのだが、いくらなんでもこれはないのではないか?

 虎之助少年の不満は限界だったのかもしれない。


 余りに激烈すぎないか? これがあっての吉田松陰なのか? 過激な思想の源流はここなのか?

 この激しい学問無くして吉田松陰は作られないのか? 勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の幕末三舟も想像を絶する修行をしたのは知ってるが、俺の知ってる吉田松陰には悪いが、俺は御免だ!!

 カレーも食べられない、食べられるかもわからないこの状況で、どうやって我慢できるというのだ!!

 もうすぐアヘン戦争が始まるのだ。

 ペリーが東インド艦隊を連れてやって来るのだ。

 そして侍の時代は終わるのだ。

 武士の本懐滅私奉公。

 私を滅し、公を奉った結果があれか?

 奉った公が、一体何をした?


 事なかれ主義の幕府には何の対策も取れないのだ。

 なし崩し的に開国させられ、領事裁判権を認めてしまい日本で犯罪を犯した外国人を日本の法で裁く事ができなくなるのだ。

 関税自主権を失うのだ。

 西洋の力を恐れた事は理解できるが戦うべき時に戦わず、国内を不満で埋め尽くし、その矛先を幕府が受け、日本を混乱に陥れ、戦う必要の無い日本国内で、日本人同士が無駄な血を盛大に流し、朝敵となった長州は会津を、官軍に追い詰められた会津は長州を恨んで明治を迎えるのだ。

 覇権主義の西洋に抗うには同じ覇権主義でいくしかないと清を攻め、手を出さなくてもいい朝鮮半島を手に入れてしまうのだ。

 その選択のせいで現代の日本人がどんな煮え湯を飲まされているのかわかっているのか!

 己を厳しく律する武士の気概を失い、三方良しの商人道すら欠片も頭に無く、孫子の兵法すら忘れたとしか思えない、机上の空論的な作戦立案によって自滅した風に見える軍部の暴走で、日本国民がどれだけ苦労したと思っているのだ!

 日露戦争で得た物に納得できない国民を新聞が煽り、軍部を後押しするのだ。

 その一端は、滅私奉公の精神にあるんじゃないのかよ!

 奉る公は所詮私の集まりでしかないんじゃないのかよ!

 頭空っぽで公を奉っていたから一握りの私が公を牛耳ってしまったんじゃないのかよ!


 何より、俺はカレーを食いたいんだよ!


 日本の悪行とか、残虐な日本軍の蛮行とか、西洋の勝手な言い分や特定アジアの誹謗中傷に邪魔されずにカレーを味わいたいんだよ!

 尊敬する父上や母上にもカレーを食べてもらいたいんだよ!

 優しい兄上や可愛い妹にもカレーをふるまいたいんだよ!

 

 カレーだよ、カレー。

 カレーを寄越せよ! 俺にカレーを!!!!!


 そんな大次郎少年の慟哭は、ある日の学問中、額に止まった蚊を無意識に叩いてしまった事を叔父に見咎められ、「学問するのはひたすらに公の為。蚊を追い払うのはただの私事。お前は今公私混同した」と殴る蹴るの折檻を受けた事によって爆発した。

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