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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
彦根藩への旅路編
45/239

帰郷その2

「「萩だ!!」」


 最後の山を越え、街を見下ろす峠の上に立ち、松陰、三郎太、重之助は同時に叫んだ。

 遠く指月山を臨み、目の前には懐かしい萩の街が広がっている。

 この景色の中、家族は元気でいるのだろうか? 早く会いたいものだとそれぞれが同じ様に考えていた。

 しかし、まずは清風に報告をすべきだろう。

 遊びで出かけたのではないのだから。


 弾む足で峠を下り、平安古町に清風の屋敷を訪ねる。

 亦介が事前に報せていたからか、清風本人が迎えてくれた。

 清風は玄関に佇む一行に吃驚している。

 それはそうだ。

 4人で出発したはずが、今はこうして8人なのだ。

 亦介は何も言わなかったのだろうか?


 「村田様、吉田松陰、ただ今戻りました。」

 「おお、これは松陰殿。元気そうでなによりじゃ。亦介から吃驚するでないぞとは聞かされていたが、よもや人数が倍になって帰って来るとは思わなんだぞ!」

 「これには深い事情がありまして……」

 「良い良い。まっこと、松陰殿には毎度驚かされてばかりじゃのう。」

 「それは兎も角、村田様におかれましては、お元気そうで何よりでございます。」

 

 松陰の言葉に、何故か顔を青ざめる清風。

 不思議に思い、聞く。


 「如何なされましたか? まさか、お美代様に?」

 「いや、違うのじゃ。お美代には何も無い!」

 「ではどうされたので? まさか?! 私の家族に何かあったのでございますか?!」

 

 清風は言いにくそうに顔を背け、


 「突然の事だったのじゃ。団子岩に、突然……。松陰殿のご家族は、もう団子岩には……」


 清風の言葉を最後まで待たず、松陰は駆け出した。

 まさか、自分が反本丸や京の銘菓に舌鼓を打っている間に、家族に何かが起こってしまった?


 「父上! 母上! 兄上! 千代! 寿! スズ! お婆様!」


 松陰は叫び、無我夢中で力の限り走り、松本村の団子岩を目指す。

 道行く者は皆、血走った、鬼気迫る表情の松陰の姿に驚き、次々と道を空けていった。


 明倫館の移転先である江向を抜け、松本川を跨ぎ、文之進の屋敷へと至る。

 偶々外に出ていた文之進は、久方ぶりの甥の姿に喜んだが、血色を失った松陰の表情にただ事ではないものを感じた。


 「叔父上! ……父上は、母上は……団子岩に……」


 全力で走ってきた松陰は息も絶え絶えで、それだけ言うのが精一杯であった。

 嘘であってくれ!

 そう思うだけでそれ以上は言葉が出ない。


 「何だ知っておったのか。兄者達なら団子岩にはもういないぞ。」

 「何ですと?! 父上! 母上!」


 再び松陰は走り出す。

 その後ろから声をかける文之進の言葉には気づかない。


 「だから、兄者達は既に江向に、って聞いておらん……」

 「叔父上、何やら大次の声がしませんでしたか?」

 「いや、帰って来たらしいが、団子岩に走っていったぞ。」


 そんな声は勿論松陰には届いていない。


 「父上! 母上! 兄上! 千代!」


 何かの間違いだ。

 そう思い込み、松陰は山道を駆け上った。

 何か起こった訳が無い。

 そう固く信じ、懐かしい我が家へ帰り着く。

 

 ほら、思った通り、家もそのままじゃん。

 何も変わった所なんてないじゃん!


 そう思い、


 「松陰、ただ今帰りました!」


 戸を開き、中に入る。

 薄暗い家の中はガランとしていた。

 所狭しと積み上げられていた百合之助の本は跡形もなく消えうせ、夜なべ仕事の道具も消えていた。

 梅太郎が描いた絵本は1ページも見当たらない。

 千代の原稿もどこにもない。

 まるで人の生活を感じない、無人の廃屋の様であった。


 「父上! 母上! 兄上! 松陰は帰りました! どちらでございますか?」


 言いつつ家にある部屋を全て開くが、人っ子一人見当たらない。

 うっすらと埃の積もった家の中は、人が住まなくなって時間が経ったのだろう。

 それを如実に物語っていた。


 「父上! 母上! どこでございますか!? そうだ、畑!」


 思いついた松陰は、家の裏手の畑へと走る。

 いつもなら、百合之助が雑草抜きや作物の手入れをしているはずだ。

 

 ……。


 畑は無人であった。

 手入れはされている様だが、誰もいない。

 確かに手入れはされているが、手を入れている人物は百合之助ではないとわかる。

 百合之助ならば、この様な雑な手入れはしないからである。

 

 百合之助が休憩の際、よく腰を下ろしていた岩もぽつんとしていた。


 松陰はがっくりと肩を落とし、とぼとぼと山道を下りる。

 文之進に詳しい事を聞かねばなるまいと思っての事だ。

 俯き、石の様に重くなった足を動かし、山道を下りる松陰。

 そんな松陰に声がかけられる。


 「どうしたのさ大次?」


 その声にハッとし、顔を上げ、声のした方を見る。

 そこには、未だに”大次(郎)”という言い慣れた名前を使う、捜し求めた兄梅太郎の姿があった。

 山道を上ってきたらしい。


 「兄上!? 兄上でございますか?!」


 そんな松陰を梅太郎は茶化して呟く。


 「ようやく帰ったと思ったら、兄の顔を忘れてしまうとはね。やっぱり大次らしいね。」


 声も姿もセリフも梅太郎その人であった。


 「兄上!」


 思わず駆け寄り、力いっぱい抱きついて、その存在を確かめる。

 

 「痛い! どうしたってのさ、大次?!」


 よかった! 幽霊ではない! そう思った松陰は梅太郎を解放し、聞いた。


 「父上、母上はご無事ですか? 団子岩の我が家はどうしたのですか?」

 「ああ、それね。村田様に聞いてないの? 今は江向に住んでるんだよ?」

 「江向に? どうしてでございますか?」


 矢継ぎ早に質問をする松陰に梅太郎は歩きながら答える。

 松陰も梅太郎にあわせ、歩き出す。


 「大次が出発してすぐくらいだったかな? 突然敬親様が叔父上のお屋敷に来られたんだよ!」

 「え? 敬親様が?!」


 松陰も驚きの梅太郎の言葉である。


 「紙芝居をご覧になられて、出来が素晴らしいと褒めて下さって! で、それから団子岩に行かれて、父上の畑をご覧になられて。これは是非とももっと大きな所でやるべきだと仰られて。 明倫館が移転して大きくなるそうだけど、ならばその地に藩営の畑を作って、この農法を広めるべきだと仰られたんだ。」


 草根資金は清風が進めていたはずだが、そこまで進んでいたとは、と思う。


 「ならばそちらに引っ越さねばならない、となって、父上が家を借りて、すぐに皆で移ったんだよ。私は、今日は叔父上の所に勉強に来たんだけど、何だか大次の声が聞こえたから外に出てみたら、叔父上が大次が変な様子だったから追いかけろと言って、それで追いかけたんだけど、本当におかしな感じだったよね? 大次は一体どうしちゃったの?」


 梅太郎の言葉を聞き、松陰は全てを理解した。

 犯人は清風である。

 

 「ふふふふふ。そうでございますかぁ。それは素晴らしい事でございますねぇ。いやいや、目出度い! それで、父上も母上も千代もお婆様も、スズも元気なのでございますね?」

 「そうだよ?」

 「あはははは! いや、それは良かった! いやー、全ては村田様の企みでございますか! 思わせぶりに口を濁して、突然だったのは敬親様のご訪問で、江向に移ったから団子岩にはもう住んでいない、と言う事だったのでございますかぁ! 芸が細かい事に、顔まで青くして。いやぁ、見事に騙されてしまいましたなぁ! これは一本取られましたなぁ。」


 松陰、気味の悪い程に素敵な笑顔を浮かべている。

 梅太郎は久しぶりに見る、何か良からぬ事を考えている弟の顔に、安堵と共に清風の無事を祈った。


 松陰は、今度はきちんと文之進と八重に挨拶し、帰郷の報告をした。

 二人共、無事の帰郷を喜んでくれる。

 松陰は一貫斎が長州藩に来てくれた事など話し、文之進を驚かせる。

 お土産を忘れた事を詫び、後で持って来る旨伝えた。


 そしてまた松本川を越え、新しい杉家の住まいに梅太郎と共に到着する。

 それは江向に建設中の明倫館の敷地のすぐ隣にある、通りに面した屋敷で、団子岩の屋敷とは違い、大きく立派であった。

 何でも、豪農の屋敷だったらしい。

 先程、ここの通りを爆走したはずなのだが、松陰は気づかなかった様だ。


 良く借りられましたねと松陰が聞くと、村田様のお陰だから手加減してあげてね、と梅太郎は答えた。

 流石兄上、私の事をよくご存知ですなぁと笑う。

 このやり取りも何だか随分久しぶりな気がして、梅太郎もつられて笑った。


 「おかえりなさいませ、お兄様!」

 「おかえり、お兄ちゃん!」


 松陰と梅太郎の姿を目ざとく見つけ、千代とスズが出迎える。


 「ただいま、千代、スズ。元気だったかい?」

 「ええ、勿論でございます!」「元気だったよ!」

 「それは良かった! 父上や母上はどこに?」

 「今は家でございますよ。」

 「そうか、ありがとう、千代。」

 「どういたしまして。」


 そして、松陰は大きく息を吸い込み、


 「父上、母上。松陰、ただいま帰りました!」


 と大きな声で家の中へと入った。


 「おかえり。」

 「おかえりなさい。よくぞ無事に帰ってきましたね。」


 僅かの間のはずなのに、何故だか懐かしい父と母の顔と声に、松陰の胸もつまる。

 

 ようやく帰って来た! 

 

 勝手の違う新しい我が家であるが、変わらぬ家族の様子に安堵がどっと押し寄せ、思わず涙が一滴こぼれた松陰であった。


 「して、旅の首尾はいかがであった?」


 百合之助が問う。

 涙を拭い、松陰は答える。


 「はい! 首尾は上々にございます!」

 「それは良い。御勤めご苦労であったな。今はゆっくりと休めば良かろう。」

 「はい、ありがとうございます、父上。ですが、私は村田様のお屋敷を黙って抜け出てしまいました。今から戻ってしっかりとお話ししたいと思います。」

 「何? それはいかん。直ぐに戻りなさい!」

 「はい!」


 松陰が再び家を出ようとした、まさにその時、


 「御免。」


 松陰を訪ねて来た清風ら一行であった。

 今までどこに行っていたのか、亦介も混じっている。

 清風の顔は、悪戯が成功したと喜色満面の笑みで、ニコニコと松陰に笑いかけていた。

 その後ろには一貫斎やお菊、才太らが並んでいる。

 皆、何故か清風と同じ様なニコニコ顔だ。

 そうか、皆にも全てを話したか、と松陰は悟った。


 この恨み、どう晴らしたものかと思ったが、それは今は頭の片隅に追いやり、清風らを迎え入れる。


 そしてその夜、清風の手配で、一貫斎らの歓迎会が執り行われた。

 場所は杉家の新しい屋敷である。

 豪農の屋敷なだけあって、宴会をする広さは十分。

 こうなる事も見越しての清風の選択である。

 流石清風、伊達に長州藩の実務をその手に握っているわけではない。

 

 文之進も交え、お美代も八重も初登場の亦介の妻子も同席し、賑やかに場が盛り上がる。

 船中での亦介の船酔いや、道中の苦労話、土産物の披露と味見、一貫斎らの自己紹介などで楽しい時間を過ごしたのだった。




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