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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
彦根藩への旅路編
42/239

宇和島藩にて

 一行は宇和島の港から上陸し、宿を求めた。

 船に酔った亦介は部屋へと直行し、すぐに寝ころぶ。

 これでは食事など直ぐには摂れないだろう。

 看病という程の事でもないので亦介を一人宿に残し、皆して宇和島の街へと繰り出した。

 海の上の嵐はどこへやら、陸の上は風は強いものの良い天気で、一行は宇和島の街を楽しんだ。

 

 といっても宇和島の街はそこまで大きくはない。

 遊びに来た訳でもないし、新鮮な魚介類を使った食事でお腹を満たし、一行は宿へと戻った。


 宿では一人の侍が入り口で困り顔で立っており、番頭が松陰らを待っていた。

 番頭によると、その侍は松陰らと同じ様に嵐を避け、宇和島へと避難したはいいが、同じ様な人が多く、宿を見つけられないでいるらしい。

 他の宿も満室で、他に行く当てがないとの事。

 他の客にも同室をお願いしたが、侍との同室を嫌がる者は多く、同じ侍である松陰らを待っていたのだ。

 

 番頭にお願いされ、困った時はお互い様と、同室を快く応じる松陰。

 その侍は、集団を率いるのが年若い松陰である事に驚いた様であったが、ありがたいと頭を下げ、草鞋を脱いで同じ部屋へと上がった。

 因みに、小さい宿である上に他の客も多く、今回はお菊も同室となっている。

 例の如く才太が異議を申し立てるかと思った松陰であったが、状況を理解しているのか何も言わない。 

 ただ、岩倉卿を睨んでいるのみである。

 お菊に何かしたら叩き切る! とか考えてそうだな、と松陰はやれやれとした思いで才太を見つめた。


 やっとの思いで宿を取れた侍は、旅の装束を解くと松陰らに向き直り、自己紹介をした。


 「オイは熊本藩士横井小楠と申す。この度は、誠に難儀しておる所を助けてもろうて助かったばい。」


 横井小楠かよ!

 

 松陰は心の中で絶叫した。




 横井小楠。

 熊本藩の儒学者であり、維新十傑の一人。

 故郷熊本藩では重用されなかったが、幕末四賢候の一人福井藩松平春嶽父子に敬愛され、政治顧問として篤く用いられる。

 小楠に影響されたのは吉田松陰もその一人であり、小楠を度々訪ね、長州藩士の指導をお願いした程である。

 また、松下村塾門下生の高杉晋作も小楠を慕った。

 他、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛も小楠の思想に影響を受けている。

 ただ、酒癖が悪かった様で、度々問題を起こし、処分を受けてもいる。


 龍馬が姉に送った有名な一節「日本を今一度せんたくいたし申候もうしそうろう」は、小楠の口癖「天下一統人心洗濯ねがうところなり」を下敷きにしているらしい。

 また、”五箇条の御誓文”を起草した福井藩士、由利公正ゆりきみまさも小楠の弟子であり、小楠が福井藩に提出した政策案を参考にしている。


 西洋文明は技術が優れているのであってそこに徳はない。

 東洋の徳のある文明に西洋の技術を導入すべきだ、と訴えた。

 西洋文明を”覇道”とし、日本は”王道”を進むべしと考え、”覇権”ではなく”仁義”を基にした政治を目指し、”富国強兵”を超えた理想国家を目指せと言った。

 和も戦もどちらも偏った考えであり、時勢に応じた対応をするのが正しい。

 信義をもって相手に臨めば、万国を敵にすることはない、と説いた。


 そんな「早すぎた思想家」、「維新の青写真を描いた男」と言われた小楠は、共和制論者、キリスト教主義者と勘違いされ、1869年、暗殺者の凶刃に斃れる。

 ここでいう共和制とは、今日でいう共和制ではなく、議会制といった意味である。

 アメリカの共和制と勘違いされ、天皇を蔑ろにするものと勘違いされたのであろう。

 小楠はキリスト教についてもその害を認識し、日本には必要ないと考えていたのに、どうしてキリスト教主義者と勘違いされたのか理解に苦しむ。

 小楠が説いたのは、天皇の下に国家を統一し、民間からも人材を広く登用し、議会政治を実現する事であった。

 つまり、維新政府の目指した政体その物であったのだ。


 因みに、全国を巡り、諸藩の人材と会談を持った小楠は、長州藩で山田亦介、隠居した村田清風にも会っている。

 清風からの質問に答えられず、遊歴中小楠が頭を下げたのは清風一人であったという。

 また、小楠と亦介は同じ年に生まれていたりする。

 



 そんな小楠が現れた。

 小楠は藩校時習館の居寮頭(塾頭)になっていたのだが、寮生の親睦会を開き、大いに交流を深めたが、酒に乱れて問題を起こしてしまう。

 この年の1839年、江戸への遊学を申し付けられ、江戸への旅路にあった。

 熊本から阿蘇を抜け、熊本藩の飛び地鶴崎より船に乗り、豊後水道を渡っていたのだが、天候の悪化で宇和島に避難してきたのだ。


 「私は長州藩士吉田松陰にございます。」


 松陰ら一行は、それぞれ自己紹介を始めた。

 そんな時だった。

 休んでいた亦介が起き上がったのは。

 自分も挨拶すべきと考えたのだろう。

 ふらつく足で小楠に頭を下げた。

 

 「亦介殿、気分が悪いなら……」


 松陰が声を掛けようとしたまさにその時、心配した通り、足がふらついた亦介がよろけ、アッという間もなく襖に頭から突っ込んだ。 



 宿の手配で襖の修繕に現れたのは一人の職人の男であった。

 朴訥にして謙虚であり、黙々と作業を始める。

 その職人の手際は素晴らしく、丁寧な仕事振り、手先の器用さが伝わった。

 それは一貫斎も同じで、感心した様にその職人の仕事振りを眺めている。


 「えらい器用な職人さんやなぁ。」


 一貫斎の呟きにその職人は恐縮した様に縮こまった。


 「へえ! ありがとうごぜえます! あの一貫斎様に褒められるなんて、一生のほまれにごぜえます!!」


 一行の一人が国友一貫斎である事を知った職人の男は、あの国友一貫斎様でごぜえますか?! と平伏し、一貫斎を慌てさせていた。

 ワイはそないに偉い人間とちがいます! と言っても平伏を止めない男。

 それでは仕事にならないと強く言われ、ようやく顔を上げたのだった。

 一貫斎の持っていた道具類を、キラキラした目で見つめるその男。

 顕微鏡の事を聞いた時には興奮しきりであった。

 その一貫斎の目の前で仕事をするという事に酷く緊張していたが、そこは手馴れた職人という事だろうか、手は滑らかに動き、壊れた襖も瞬く間に綺麗に修復する。 


 「アンタさん、名前は何と言うのや?」


 畏まる彼に一貫斎は名を尋ねた。


 「へえ。嘉蔵です。」


 嘉蔵さーん!!

 

 と再度心の中で叫ぶ松陰であった。

 彼は今よりおよそ10数年後、ペリー来航の後、村田蔵六と共に国産初の蒸気船を作り上げる職人である。

 この頃は提灯貼り職人として様々な事をして糊口を凌いでいたらしい。

 これはもう、ヘッド・ハンティングしかないよね? と誰ともなく確認する松陰。

 国内初の蒸気船建造は長州藩が為すのである。

 宇和島藩には悪いが、嘉蔵さんは貰っていくし、蔵六さんは渡さない! と松陰は決めた。

 

 「ねえ、一貫斎殿。一貫斎殿は助手が必要ですよね?」


 満面の笑みで一貫斎に尋ねる松陰に、一貫斎も松陰の意図に気づいたのか、大きく頷いた。


 「そうやねぇ。ワイの顕微鏡の製作には助手があった方がええやろねぇ。手先が器用な職人さんが欲しいわなぁ。そうや松陰さん、ワイの助手には勿論手当てがつくんやろうね?」

 「当たり前ではないですか。あの一貫斎殿の研究助手でございますよ? 十分な手当てを保証いたします!」

 「ありがたい事や。なあ、嘉蔵さん? 嘉蔵さんは、誰かワイの助手になって長州藩までついて来てくれはる様な人を知りまへんか? 聞いてた様に、給金も付くさかい、嫁さんがおっても問題ないみたいやでぇ?」


 一貫斎の言葉を聞いた嘉蔵は、全身を震わせる様にして喜びを表していたが、突然はっとした顔となり、暗く沈んだ。

 この世の物とは思えない暗い声色でボツボツと話す。


 「へぇ……。オラにはとんと、思いつかねえでごぜえます……」


 思いがけない嘉蔵の言葉に松陰も一貫斎も驚いた。

 が、一貫斎は何かを思ったのか、続けて言う。 


 「嘉蔵さん、アンタさん、自分なんかが、と思ったやろ? 謙虚なアンタさんらしいわ。はっきり言いますわ。アンタにワイの助手になって長州まで来て欲しいんや。この松陰さんもそう思っとる様やで。どうや?」


 図星であった。

 嘉蔵は、一貫斎の助手になる事を望んだが、自分なんぞに一貫斎の助手が務まるのかと疑問に思ったのだ。

 自分なんかが一貫斎の助手となり、迷惑をかけてしまってはならぬと考えたのだ。


 「だども、オラは提灯貼りやし……」

 「ごちゃごちゃええねん! アンタさんはワイの助手や! それでええな?」


 意外と短気な一貫斎? いや、全ては嘉蔵の為である。

 嘉蔵は、提灯貼りでしかない自分を必要と言ってくれた一貫斎の言葉に胸を熱くした。 


 「へ、へぇ!! 一貫斎様にそうまで言われては、この嘉蔵、どこへなりともお供したします!!」

 「頼んますわ。」

 「へ、へぇ!!」


 嘉蔵のゲットに成功である。

 一貫斎、嘉蔵、そのうち儀右衛門も? と錚々たる面々を長州藩で抱えていいのか怖くなるが、技術を独占するつもりはないし問題ないだろう。

 全ては、この日本の為なのだから。


 一連を眺めていた小楠が感心した様に呟く。


 「偉いもんばい。身分を気にせんと、これと思った者に声を掛けきるんやけえ。」

 「ほっほっほ。そうでおじゃるな。そして更に銭の香り強く漂ってくるでおじゃるよ。」

 「お公家さんまでおるったい……」

 

 襖の修復を終えた嘉蔵は帰り、明日再び来る事になった。

 一貫斎の助手になれた事に大変感激した嘉蔵は、明日にでもお供するつもりであるらしい。

 といっても出航は風次第だが。

 家はどうするのか尋ねると、長屋住まいであるし、借金もなく家賃の滞納もなく、出て行くのには何の問題もないらしい。

 道具も、提灯貼りでは大した物もないとの事である。

 唯一の心配は嫁であるが、未だ子宝に恵まれていない上、今よりも稼ぎが良いとなれば反対はしないだろうという事であった。

 まずは自分が行き、後から嫁を呼び寄せたいと希望したが、松陰も何も反対する事などない。

 嬉しそうな顔で家路についた嘉蔵に、松陰も嬉しくなる。

 嘉蔵を得て、一体何が出来るのか楽しみになってくる松陰であった。 

 

 嘉蔵が帰り、酒盛りが始まる。

 お菊にお酌させ、男共はご機嫌であった。

 松陰を肴に盛り上がり、次々と杯をあおっている。

 仕方無いので松陰もその席で大人しくしていた。


 三郎太らは隅で戦棋などしている。

 松陰も正直そちらに行きたい。

 海の新マップ、新兵科である大砲を備えた帆船、蒸気船を使い、派手な海上戦を再現したいのだ。

 サイコロで大砲の当たり判定をし、風、潮の流れを変えて戦略性を増したいと思っている。

 いずれ大マップも使い、3人、4人と参加し、明倫館の講義で使えないかと考えていた。

 その具合を三郎太らと詰めたいのだ。


 しかし、お菊一人に相手をさせるわけにもいかない。

 一貫斎の前でお菊に不埒な事をする者はいないだろうが、酔っ払いが何をするかはわからない。

 見張る意味もあってここは我慢である。

 

 松陰の胸の内を他所に、暢気な男共の宴会は続く。

熊本弁は適当です、すみません。

儀右衛門と似てますね。

当方、双方に違いを出せる程には理解しておりません。


本来であれば小楠が江戸へ出た時期とはかぶりませんが、ご都合主義です、ご容赦下さい。


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