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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
彦根藩への旅路編
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京の都

 一行は大津から陸路で京に向かい、夕刻までには到着出来たのですぐに宿を求めた。

 直弼改め才太が、直亮より預かったという路銀を提供してくれたので、そこそこ良い宿を取る事が出来た。

 萩ならば既に通りは閑散としている時分であるが、流石は京の都なだけあって、未だ人通りは多く、空いているお店も多い。

 適当なお店に入り、空腹を満たした。

 

 一行は、折角京に来たのだからと2泊の予定で滞在し、一日を京巡りに費やし、次の日に大阪に向かう計画を立てた。

 京から大阪までは川を下れば早い。

 萩からの行きの船が思うよりも早かったのと、一貫斎の屋敷に泊めてもらった事で路銀にも余裕があり、才太による路銀の提供と併せ、日数的にも金銭的にも余裕があるので京に滞在する事を決めた。


 といっても遊ぶのではない。

 百合之助への話の種として天子のおわす御所を見学する事と、京の銘菓と美味い物研究である。

 あくまで研究である。

 興味本位ではない。


 今日の所は素直に宿に泊まり、早速明日の朝より行動を開始する。

 一貫斎は宿で顕微鏡の研究をしたいそうで同行は断った。

 京には知り合いもいるらしく、訪ねる予定でもあるらしい。

 


 早朝。

 松陰は一人布団から抜け出し、顔を洗って身なりを整え、ぼちぼちと人が活動し始めた通りに出てみた。

 因みに、寝相の悪いお菊に抱きしめられたり、目のやり場に困る格好に遭遇するなどといったお約束は無い。

 一貫斎とお菊は別の部屋を取っていたからである。

 一緒の部屋で安く上げようとしたお菊であったが、才太がきっぱり拒絶したのだ。

 夫婦めおとでもない男女が一緒の部屋で寝起きするなど論外である! と。

 ラッキースケベな展開が松陰に起こる事を期待していた亦介は、堅物な才太に大いに白けてしまった。




 今の時分なら百合之助が毎朝のお祈りをしている頃だろう。

 萩からこの京に向かってお祈りしている事を考えると感慨深いものがある。

 百合之助が祈りを捧げている、まさにその地に自分が立っているのだから。


 そして、京の街へと視線を巡らせた。

 

 街は一見平和であった。

 商売の人などは、もう忙しいのだろう。

 せわしなく通りを行き来する人、店先や通りの掃除をしている人がいる。

 お店に混じって立ち並ぶ民家からも、朝餉あさげの準備なのだろうか、かまどから立ち上る煙が見えた。 

 そこには、恐らく毎朝繰り広げられているであろう、人々の日常があった。


 目の前に広がる平和な京の町並みであったが、お隣大阪で、大塩平八郎の義挙があったのは2年前の事である。

 天保の飢饉の影響は大阪や京にも及び、米の買占めを図る商人によって多数の餓死者が出、庶民の間には不満が渦巻いた。

 そんな世情を省みないどころか、むしろ積極的に江戸へと送る米を確保する大阪の役人達に、前々から米価安定の献策を行っていた平八郎はついに挙兵を決意、実行しようとしたものの、その直前に計画が漏れ、最期は爆死してしまう。

 顔の判別もつかない遺体には生存説が流れ、この京に潜伏しているとの噂が流れたりもする。

 平八郎の出した檄文は全国を駆け巡り、幕府に反感を持つ者を発奮させてもいる。

 

 そして、これから数十年後には、京都見廻組たる新撰組と、薩長土といった維新志士との血生臭い抗争が繰り広げられるなど、およそ想像もつかない。

 朝廷においては権謀術数相乱れ、昨日の味方は今日の敵とばかりに欺き裏切り裏切られ、魑魅魍魎が跋扈する地へと変貌する。

 長州藩は御所に向かって大砲をぶっ放しもするし、鳥羽・伏見の戦いも起こるのだ。

 

 この平和な京の都も戦火にのまれるのだと、松陰は信じられない思いで一杯であった。

 しかし、それは史実の通りに進めばの話だ。


 既に史実とは異なる展開を見せている。

 暗い未来は変えてみせる! と決意を新たにする松陰である。




 「こんな朝から何を見ている?」


 松陰の後ろから才太が声を掛けてきた。

 一日4時間眠れば十分と、まるでナポレオンの様な事を周囲に公言していた才太は、それが伊達ではなかったのか松陰が布団から抜け出たのを察知し、何をする気だと様子を伺っていたのだ。 


 「京の街でございますよ。平和だと思いませんか?」

 「確かに平和だが、何が言いたい?」

 「見た目は平和そのものであっても、その内実は如何なるものなのでしょうね?」

 「大塩平八郎の起こした謀反の事を言っているのか?」


 近江から程近い大阪で起きた事件である。

 譜代筆頭の井伊家としても事態は重く受け止めていた。

 幕府の権威、伝統の維持に人一倍強い意識を持っている才太には、平八郎の起こした事は到底許せるものではない。


 「大阪町奉行の元与力が幕府に楯突こうなど以ての外!」


 才太は平八郎を一刀の下に切り捨てた。

 

 「起こした事は反乱にございますが、元与力に反乱を起こさせた原因を作った者の責任は無いのですか?」


 才太の意識改革は先が長そうだと感じた松陰は、断定する事は避けながら、才太に一考を求めるのみに留めた。

 

 「ぐ! それは……」


 才太もそれには何も言えない。


 そもそも事の発端は、と言える程単純ではないのだが、飢饉の影響で米価が上がり、更に江戸に送る米を商人が買占めを図るなどし、京や大阪に住む貧しいものが飢えた事に平八郎が怒った事が原因らしい。

 米価の安定と商人による買占め防止、更には役人の不正の横行までも訴えた平八郎の提言は採用されず、みすみす暴発を許してしまうのだ。

 乱の鎮圧後、騒動が調べられ、不正を行った者が罰せられた形跡はない。

 むしろ平八郎の人格を貶める訴状となった。

 乱発生時の大阪東町奉行跡部良弼は時の老中水野忠邦の実弟であったのだが、罷免もされずその後も奉行職を続けている。

 

 才太もそれを知っていた。


 跡部良弼一人の責任ではないのだろうし、米価対策も講じていた様だが、平八郎の献策に耳を貸さなかったらしい良弼に何の咎もないのだろうか?

 貧しい者に、己の蔵書を売り払ってまでも助けた平八郎の行為に対し、庶民はそれで納得するのだろうか?

 それで幕府の権威は守られるのだろうか?


 才太に考えてもらいたいのはそこである。 

 とはいえ、それも追々であろう。

 いきなりそこまで踏み込むと、逆上されて斬り殺されそうな予感のしている松陰であった。


 「そろそろ皆起きだしてくるのではないですか? 朝食といきませんか?」

 

 松陰は才太を促し宿へと戻り、京巡りに向かう準備を始めた。




 笑って送り出す一貫斎を宿に残し、一行は京の街へと繰り出したのだが、ここでも才太の頑固さが目立った。

 戸外で婦人と話をするなどと言い出したのだ。


 有名な会津藩の”じゅうの掟”と似た様な事を彦根藩でも採用しているらしい。

 会津の場合は、

 一つ、年長者の言う事に背いてはならない。

 二つ、年長者にはお辞儀をせねばならない。

 三つ、嘘を言ってはならない。

 四つ、卑怯な事をしてはならない。

 五つ、弱い者をいじめてはならない。

 六つ、戸外で物を食べてはならない。

 七つ、戸外で婦人と言葉を交わしてはならない。

である。


 什の掟なのに7か条であるのは良しとしよう。

 什は十とは違うのだから。

 長州藩でも似た様な物はあったが、既に形骸化していた。

 結構な事だが面倒なお人だと、才太以外は思った。


 「まあ、お菊さんと才太殿が話さなければ問題ありませんよね?」


 松陰が妥協案を示す。


 「その一味と思われる事自体が心外だ!」


 才太には受け入れられない。


 「勝手について来ておいて、随分勝手な事を言う御仁でござるな!」


 初めから才太を不審人物だと見なしていた亦介である。


 「いや、しかし……」


 亦介の指摘に才太も言葉を濁した。


 「才太様は、ウチが邪魔なん?」 


 お菊が俯き、悲しそうな声を出す。


 「い、いや、そうではない! そうではないのだが……」


 お菊に言われ、急にしどろもどろになる才太。


 「ウチ、才太様とも一緒に京の街を見たいですぅ。」

 「うッ! そ、そうまで言われれば、や、已むを得まい。」


 お菊にそう言われ、顔を真っ赤にした才太がお菊の同行を承諾した。

 案外ちょろい才太である。

 松陰、亦介はGJ、お見事とお菊に頷き、お菊も片目を瞑ってそれに応えた。

 三郎太、重之助はきょとんとした顔で才太を眺めている。




 そんないざこざを乗り越え、京巡りに乗り出した一行は、まずは御所に向かった。

 宿から御所まではそれ程離れていない。

 途中、松陰は記憶を頼りに坂本竜馬が暗殺された醤油屋の近江屋、松下村塾門下生の吉田稔麿ら長州藩士が惨殺された宿屋の池田屋を探した。

 当たり前の事であるが、普通に営業していた。


 あの有名な、前世の修学旅行では石碑が残るのみの場所に、こうして自分が立っている。

 松陰は感慨深く見つめた。

 才太以外の一行は、そんな松陰を心配そうに見つめている。

 それはそうだ、普通に営業しているただのお店を、遠くを見る目で見ているのだから。

 

 「時々先生は、ああやって遠くを見ているのです。まるで懐かしい物でも見るかの様に。」


 三郎太が誰とも無く呟いた。

 才太は益々怪しいと疑念を深める。




 そんな風に進んだ京巡りである。

 御所、長州藩にとっては不名誉な蛤御門、下鴨神社等々。

 そして足を伸ばして壬生寺まで。

 新撰組は、維新志士には仇であろうが、松陰にはそうではない。

 あの新撰組がここに……と思うとグッと来るものがあった。


 途中、京の菓子を味見する事も忘れない。

 戸外で婦人と話すべからずを謳っていた才太が、茶屋でお菊と共に甘い物を食し、あまつさえその感想を言い合っている場面には、こみあげてくる笑いをかみ殺すのに苦労した一行であった。

 

 日も傾きだした、そんな折、


 「先生?! 斎藤先生ではございませぬか?」


 亦介の声が響いた。

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― 新着の感想 ―
読んでて楽しいです。とても面白いです。 些細なことですが、 「未だ人通りは多く、空いているお店も多い」 ここは「開いている」かなと思いました。
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