そうせい候、百合之助の畑へ
ささやかながらも褒美を取らせ、いざ行脚を再開しようとした所、敬親の目に、文之進の屋敷の軒先で営まれていた小さな売店が目に入った。
「あれはポテチではないのか?」
それは今、城下は元より城内でも流行中のお菓子ポテチであった。
油がやや高価な為、どの家庭でも作れるという訳ではないが、裕福な家庭を中心に流行し始めていたのだ。
それだけならば何も不思議は無い。
流行中の物を売るのは商売の基本だろう。
敬親が気になったのは、その味の種類の多さだった。
敬親が知っていたのは薄塩、海苔塩くらいである。
敬親のお気に入りは薄塩だったが、売店には薄塩、海苔塩、梅醤油、辛子、激辛と数多い。
初めて目にしたポテチの味に興味を持った敬親は、たしなめる家臣の言葉には耳を貸さず、知らぬ味を全て買わせた。
藩主にその様な下々の者が買う物を食べさせるわけにはいかぬ! と興奮する者を尻目に、何故か清風自らが毒見役を買って出て、その者らを唖然とさせた。
ポリポリと食べてゆく清風。
辛子、激辛は清風も知らない。
興味があったので毒見役になったのだ。
辛子味は、つん、とした唐辛子の辛味が舌を刺す。柿の種にも似た味付けであり、清風の好む味であった。
激辛は、辛子味を更に辛くした、言葉通りに激しく辛い味であった。
ビリビリとした刺激が喉を突き抜けるが、もともと辛いモノが好きな清風にはその刺激すらも心地よい。
病み付きになりそうな味であった。
「これ、清風! その方、毒見と称し、全て食べるつもりか?」
敬親の声に思わず我に返る清風。
その手元には、わずかなポテチしか残っていない。
「いえ、少々気になっただけですので……」
そう誤魔化して残りを敬親に差し上げ奉った。
何か釈然としない敬親であったが、黙ってポテチを受け取り、駕籠に乗り込み、ポテチを摘みつつ、出発させた。
「これは辛いな!」
激辛味には敬親も吃驚。
思わず小姓に水を持たせ、口に含んだ。
「清風、お主、この辛さが平気なのか?」
黙々と毒見を続けた清風に、敬親は聞く。
「私は好きな味ですな。」
「……そうか。ならばこれはその方にくれてやろう。」
そう言って激辛の袋を清風に手渡した。
戦棋を目撃されずに済んでほっとした清風。
これ以上の長居は藩主の安全上宜しくない。
残りは、山道を上るのみ。
やはり以前と同じ様に百姓姿の者とすれ違いながら、清風は思い至った。
これはまずいのでは? と。
まず間違いなく百合之助の畑には、以前の様に百姓が多数いるだろう。
そこへ藩主の登場となれば、文之進の屋敷での騒ぎ以上の事になるのではないか? と、清風は心配した。
街中での直訴などより、百姓のいるこちらの方が余程あり得そうではないか、どうして気づかなかった? と己を責める清風。
そんな清風の胸中を余所に、敬親を乗せた駕籠は百合之助の屋敷に到着する。
しかし、清風の不安は外れた。
百合之助の屋敷の周りに百姓達はちらほらとしかいない。
事前の人払いによって解散させられていたのだ。
これはGJ! と清風が思ったかは不明である。
集団を出迎えた百合之助は困惑した。
数刻前、藩のお偉方がお忍びで訪ねて来るので人払いをせよという報せがあり、集まっていた百姓達を帰していた。
しかし、まさかこの様な数で来るとは思ってもいない。
精々3,4人だと思い込んでいたのだ。
それが、蓋を開けてみればこの有様である。
しかも、駕籠から降りてきたのが、
「敬親様!?」
そう、自身が仕える長州藩藩主毛利敬親その人であった。
傍に控える、バツが悪そうな清風の表情と合わせ、百合之助は驚愕し、慌てて平伏した。
「よい。そう畏まれては話しも出来ぬ。」
敬親にそう言われ、百合之助も面を上げたが、その顔は緊張に満ちている。
そんな百合之助に、清風は本日の来訪の目的を告げた。
「この度は、新設された”草根資金”への援助申請案件を、敬親様ご自身が視察なされたいとの事で参った次第である。申請者吉田松陰は、生憎不在との事。従って、その方が”えひめアイ”なるモノの説明を致せい。」
「ははぁ! 畏まりましてございます!」
百合之助は、敬親一行を畑へと案内した。
一行は、清浄な空気の漂う、その空間にまず驚いた。
何の変哲もない、山の中を切り開き、畑とした一画であるはずなのに、何やら清らかな気配に包まれ、微かな甘い香りが辺りに漂う不思議な畑である。
その畑の作物にも驚かされた。
まずもって葉の色が、育ち具合が、勢いが違うのだ。
葉物野菜の葉色は美しく、見るからにパリっとした色艶を持ち、虫にも全く食われていない。
果菜の株の成長は素晴らしく、ぶら下げている実の数も多い。
その実は大きく、見るからに美味しそうだ。
大根の育ちも申し分なく、葉っぱを盛大に広げ、地面から飛び出した根は見事な太さである。
畑の周りの果樹も、また見事な枝ぶりであった。
「ほう! これは素晴らしい!」
敬親は感嘆の声を上げた。
お供としてやって来た家臣達も、百合之助の畑には一様に驚いている。
見ただけで違いが分かる百合之助の畑に、清風がなぜこの案件を真っ先に持ってきたのか理解した敬親であった。
そんな一同に百合之助は説明する。
「この畑は、”えひめアイ”と、炭焼きの煙を冷やしてできる”木酢液”を使った結果にございます。」
「”木酢液”なる物もそうじゃが、”えひめアイ”という代物がさっぱり見当がつかん。一体いかなる物なのか?」
「私もしかとは分かりかねますが、麹菌、納豆菌、乳酸菌、酵母菌なる目には見えない微生物を培養、増殖させた液にございます。」
「それよ! 目には見えぬ微生物なる物を、どうして知っておるのか?」
敬親にはそれがさっぱり理解出来なかった。
「それは私にも……。愚息の知識にございまする。」
「その方は、わからないのに使っておるのか?」
「はい。その効果は確かでございます故。」
「それは見ればわかるが……」
「その効果をはっきりと実感できる方法がございますが、あ、いえ、これは無礼に当たる! 何でもございません!」
突然百合之助は慌て始めた。
敬親は百合之助が何かを隠していると感じ、問い詰めた。
無礼に当たるので、と口を濁す百合之助に、それこそ無礼だと敬親が言うと、観念したのか口を開く。
「”えひめアイ”の効果を実感出来るのは、厠なのです!」
「何? 厠?」
「そうでございます! 百姓にもそれを実感してもらうべく、畑の傍、あちらに厠を用意しておるのでございます! 敬親様さえ宜しければ、あの厠に入って頂ければわかるかと存知あげます。」
仕える主君に、百姓も使っている厠に入れという暴言。
百合之助の言葉に激昂した家臣の一部が、腰の刀に手を当てて百合之助に切りかかろうと、その足を一歩踏み出そうとした、その瞬間、
「静まれい!!」
敬親の一喝がそれを止めた。
「儂が、渋るこの者に言わせたのだ。この者に咎があろうはずがない。それに、儂は大いに興味を抱いたぞ。まずは入ってみるとしよう。」
言うなり敬親は、止めようとする家臣に構わず、畑の傍に設えられた厠に入った。
そして出てきた敬親の顔は、驚きに満ちていた。
「驚いた! まるで臭くない! 成程、確かに実感したぞ! ほれ、お主達も入らぬか! これは命令である! 全員入ってみよ! ぬ? 清風、お主はわかっておるのか? ……何やら釈然とせぬな……」
こうしてお供全てが厠に入り、”えひめアイ”の効果を実感した。
皆一様に驚いている。
そう、普通であれば鼻が曲がるくらいに臭いはずの厠が臭くないのだ。
まるで中身がないかの様だった。
そう思い、中身を確認する者もいたが、しっかり入っているのでまやかしではない。
臭いがないとまでは言わないが、皆が経験上知っているはずの厠とはまるで違ったのである。
「驚いたな。これが”えひめアイ”なる物の効果というわけか……。確かにこれは大違いであるな。作るのは難しいのか? なぬ? コツさえ掴めば難しくはないのか! 是非城にも欲しいぞ。何? 分けてくれるのか!」
敬親は興奮気味に言葉をつなぐ。
「それにしても、紙芝居なる物を発案し、微生物なる代物に関する知識をも持ち合わせる、その方の息子吉田松陰、か……。確か旅行中と言っておったな。いずこへ行っておるのだ?」
「彦根にございます。」
「何、彦根? ……成程、国友一貫斎というわけか。」
「流石は敬親様にございまする!」
望遠鏡なる物を作った国友一貫斎の名は敬親も聞き及んでいる。
当代随一の発明家であるとも。
目には見えない微生物を見ようと思えば、それを可能とする道具を製作せねばなるまい。
その為の彦根、国友一貫斎であろう。
”えひめアイ”なる物を作り上げ、国友一貫斎に協力を仰ぎに出向く行動力。
敬親は、吉田松陰なる人物に対する興味を強くした。
しかも、それがまだ元服も迎えていない少年だというのだ。
その将来性は計り知れない。
ここでふと敬親に、素晴らしく思える考えが浮かんだ。
「清風、確か明倫館を江向に移転する計画だったな?」
「その通りにございます。」
「その敷地に藩営の畑を作り、この者に管理させよ。そこで学びたい者は広く受け入れるのだ。”えひめアイ”も作らせ、藩全体に広く普及させよ。”草根資金”は勿論活用せよ。これは、この様な小さな畑だけで終わらせて良い物ではないぞ! いや、我が藩だけではないな、江戸はもとより、日本中に広げるべき代物であるぞ! 承知したか?」
「ははぁぁ!! 委細、承知いたしました!!」
「うん、そうせい。」
こうして、百合之助は藩営の畑の責任者となる事が決まった。
私は武士で、農民ではないのですが、と言いたげな百合之助であったが、敬慕する敬親にそう言われれば否はない。
与えられたお役目を精一杯果たしていくだけである。
そうなると、杉家も引越しをせざるを得ない。
畑をやるには畑の近くに住まねば面倒なのだ。
松陰がいない間に、事態は着々と進んでいく。
敬親が喋りすぎてますね。
そうせい候ではなくなっている感じになってますが、あくまでそうせい候です。




