そうせい候、毛利敬親
萩城評定の間にて、清風の提案した明倫館、越荷方改革案は特に物議を醸す事無く了承された。
前々から検討されていたからだ。
しかし、松陰提案の件については、少なからぬ者の反対があった。
藩にその様な余裕はないという理由である。
それに対し、民間慰撫の必要性を認める者の反論が起こり、議論となった。
反対した者も、その趣旨に対してではなく、予算の問題と捉えていたので、議論は主にその予算額についてとなった。
際限なく認める訳にはいかないと、年間の予算、援助の上限、撫育方が監督する事などが話し合われ、結果これも了承された。
評定の間での議論を聞いていた敬親は、「うん、そうせい」との言葉を掛け、ここに”草根資金”は正式に運用が決定した。
因みにそうせい、とは、そうしなさいという意味である。
敬親は”そうせい候”とも呼ばれるのだが、それは家臣の決定に、「うん、そうせい」とだけ答えた事にちなんで付けられた。
これをもって敬親を暗愚と断定する事は出来ない。
「うん、そうせい」は決定された案件に対しての承認であり、敬親の判断を必要とした際には、きっぱりとした決断をしたのだから。
”草根資金”の運用が決まり、清風は早速その第一号の松陰提案の案件を敬親に申し出た。
敬親は別室に移り、小姓の入れたお茶を飲んでいた。
その片手には、薄いこげ茶色の円形の食べ物が握られている。
清風はそれに気づかない振りをして、本題だけを敬親に伝えた。
「何? もうあるのか?!」
敬親が驚くのも無理はない。
先程運用が決められたのに、その日のうちにそれを活用したいというのだから。
しかし、敬親も馬鹿ではない。
清風の意図に気がついた。
「成程、この案あっての”草根資金”という訳か。」
敬親の呟きに清風も感服した様に答える。
「敬親様のご慧眼には恐れ入るばかりです。」
清風のお世辞を軽く受け流し、まずはその手の中の物を口にし、清風に渡された提案書の中身を読む。
それには敬親が初めて目にする、”微生物”という意味不明な事が書かれていた。
敬親はその内容に驚いたが、興味も湧いた。
想像で書いているにしては具体的すぎるからだ。
それに、西洋の器具”顕微鏡”なる物を江戸で目にした事があったのだ。
随分珍妙な物だと、その道具の使い道がわからなかった敬親であったが、これを読めば納得である。
その”微生物”なる生き物を使うのであれば、目に見えた方がいいに決まっているからだ。
そこまで考えて敬親は、この”草根資金”の承認方法を思い出す。
「清風、確か”草根資金”での援助の可否の最終判断は、儂がするのだったな?」
「そうでございます。」
敬親の質問に答える清風。
それを聞き、敬親はにやっと笑う。
「宜しい。では、その判断をしようとするか!」
「どういう事です?」
敬親の意図がわからない清風が聞き返す。
「松本村で実際に効果を上げておるのだろう? ならば直接見に行けばいいではないか!」
敬親の考えに吃驚した清風は、慌てて引き止める。
藩の借銀返済の為、藩主であっても倹約せねば、と説く清風の言を受け入れ、粗末な木綿の衣服を身に纏ってお国入りした敬親である。
その従順な敬親が、実はここまで活動的だったのかと驚いたのだ。
「お待ち下され! 敬親様が自ら足を運ぶ必要などございません!」
引き止める清風に怪訝な顔をする敬親。
「何故止める? 判断する為にはこの目で見なければならんだろう?」
敬親の正論に、二の句を継げない清風。
正直この展開は予想していない。
清風ら家臣が判断したモノに、ただ頷いてくれるものとばかり思っていたのだ。
そんな清風の考えがわかる敬親は、苦笑せざるを得ない。
「藩の運営に関わる事ゆえ、それに習熟したその方等の意見には頷くのみだが、儂の判断を必要とするとなればそうは出来まい。儂はそこまで無責任ではないつもりだ。それに清風、お主、この”えひめアイ”なる物を普及研究する為にこの”草根資金”を設置したのだろう? 今更儂に見られて何が困るのだ? それに、儂はもうすぐ江戸に発たねばならぬ。しかし、”草根資金”で支援するかは見て判断せねば可否は下せぬ。それとも、儂が江戸より戻るのを待つのか?」
ぐうの音も出ないとはこの事だ。
そして、敬親による、百合之助の畑への視察が決定する。
しかし、大袈裟にしては現地の住人の混乱を生むだけであるし、僅かな供回りを連れての物となった。
事前に藩主の訪問を打診しておくべき、との意見が家臣の一部より出たが、なるべくありのままを見たいという敬親の意向を尊重し、道々の危険に備える事だけで、訪問先には何も伝えない電撃訪問と決まった。
敬親に何かあっては、と気が気でないのは清風だけではない。
萩城の城下であるので不心得者はいないはずだが、一揆の余韻が未だに漂っている時代である。
敬親の訪問を知って直訴しようという者が現れても不思議はない。
尤も、清風の懸念は敬親の身の安全だけではなく、何か忘れている様な、そんな漠然とした不安であった。
「不思議よのう。」
ピリピリとした周りの家臣の心情を知ってか知らずか、駕籠に乗った敬親は暢気な口調で呟いた。
「何が不思議なのでございますか?」
こうなった原因である清風は、周りの家臣からの恨みがましい視線から逃れる様に敬親の傍にいた。
「なに、子供が急に増えたと思ってな。」
松本川を越えた辺りの事である。
前にも聞いた事がある言葉じゃのう、と思った清風は、それが自分の言葉であった事を思い出した。
最近は違和感が無くなっていたから忘れていたが、百合之助の畑に向かう途中には文之進の屋敷があるのだ。
これは大変な事になったかも知れぬ、と清風は今更ながらに後悔し始めていた。
自分が感じた不安はこれだったのか、と。
しかし、最早後戻りも出来ない。
既に松本川も越えてしまったのだから。
それに、敬親が通る道を事前に調べ、危険は排除してあるはずである。
それなのに、こんなに人が集まっていても問題視しなかったのだろうか?
清風は訳がわからない。
「なんだ? あの屋敷に子供達が集まっておるではないか!」
これまた聞いた事のあるセリフである。
観念した清風は、敬親に説明した。
「あの子供達は、あの屋敷で行われている紙芝居を見に来ているのでございます。」
「紙芝居とは何だ?」
「もうすぐ始まりますので、見て頂ければ分かるかと。」
清風が言うが早いか、子供達の歓声が響き、紙芝居が始まった。
今日の演目は連続物”龍球”の最新作と、殿堂入りした”ゴン狐”であった。
連続物というだけあって、その最新作の状況の理解が出来ない敬親であったが、”ゴン狐”は違う。
これまた清風と同じ様に感動し、思わず駕籠から降り、周囲を慌てさせつつ、褒美をやろうと演者である文之進を傍に呼ばせた。
周囲の者以上に慌て、舞い上がったのは文之進である。
何せ、自らが仕える藩主が己の紙芝居の語りを聞いており、褒美をやろうと呼んでいるというのだ。
思わず裃に着替えようとした文之進を、その必要は無いと清風は止め、すぐに行かせた。
何故なら目的地の途中であるからだ。
こんな事で時間を食ってはまずい。
それに、少ないとはいえお供を連れ、駕籠に載った敬親に気づかず、紙芝居をやり通した文之進に呆れてもいたのだ。
こやつ、何故敬親様に気づかぬのじゃ? と。
感動し平伏する文之進に、敬親は労いの言葉を掛けた。
その際、この話を文之進の姪である千代、絵を甥の梅太郎が描いている事を知った敬親は、合わせて二人も呼んだ。
松陰がいないと恐縮し、辞退しようとする二人の子供達を、敬親様がじきじきにお呼びしておるのだぞと文之進は叱り飛ばし、敬親の前に連れてきた。
敬親の前で只管平伏する文之進に、千代は内心がっかりである。
権威に弱い伯父さんってサイテー、と軽蔑の眼差しを送っていた。
そんな千代の内心など想像もつかない文之進は、敬親から賜った褒美を恭しく頂戴し、感動に打ち震えている。
緊張して動きのぎこちない梅太郎、嬉し涙を流す文之進、そんな二人を冷めた目で見つめる千代に敬親も苦笑を漏らしつつ、労いの言葉をかけた。
そして、この紙芝居自体が、千代の兄松陰の発案である事を聞かされた敬親は、俄然松陰に興味を持って聞いたのだが、その松陰は旅の真っ最中らしい。
そもそも、此度の敬親の視察は、その吉田松陰なる人物の援助申請に対するモノだ。
清風がわざわざ”草根資金”なる制度を創設したのも、この吉田松陰の提案を実現する為であるのは明白である。
その人物が、この紙芝居なるモノを発案したというのだから敬親は尚更驚いたのだ。
そして、その松陰は明倫館の山鹿流師範となるべく研鑽中である事を知った敬親は、江戸より帰郷した際には、明倫館の藩生、師範を呼んで自分の前で講義させる計画を思いついたのだった。
それが後の御前講義”親試”である。
敬親は、この時点では本来慶親です。
1864年に長州藩が起こした禁門の変で朝敵となり、12代将軍家慶よりもらった慶を剥奪され、敬親としました。
が、面倒なので敬親です。
当時は悪い事をして処罰されたりすると、出直す時に改名するみたいです。
文之進がなにやら残念な感じになってしまいました。
新婚さんに思うところがあるからではありません、念のため。
史実では、明治維新後に起きた”萩の乱”に、自分の門下生も多く参加した事に責任を感じ、団子岩の前で切腹したそうです。
その介錯をしたのが千代だとも言われています。介錯したのか見届けただけなのかわかりませんが、中々に胆の据わった女性だった様です。
財政が火の車状態の長州藩が、この時点で明倫館を移転できるのかは不明ですが、進行上、移転します。
史実では1849年です。
撫育方の資金は潤沢ですが、これって恣意的に運用しているだけになってますね。




