国友一貫斎という爺様 ★
国友一貫斎は飽きていた。
家督は既に息子に譲り、隠居生活に入っている。
自身が製作したグレゴリー式反射望遠鏡での天体観測は、国友の村に飢饉の影響が及んだ事で村民の食糧確保の為売り払った事で中止となり、それからはやや退屈な生活を送っていた。
一貫斎は自身の半生を振り返る。
最近、体の衰えを覚え始めていた事も影響していよう。
当年62歳になったので、それも当然であろうか。
しかし、まだまだ頭はしっかりしているし、発明に対しての意欲も高い。
自身が過去に発明した品々の事を思う。
オランダから伝わった玩具である空気銃から着想を得、実用に耐える物を作った。
それを名づけて「気砲」とした。
その後改良し、20連発の「早打気砲」も製作した。
納得の出来であったが、暗殺に使われると判断され、藩より製作を禁止されてしまう。
通常は普通の鏡に見えるが、光の当て方によってその反射光の中に、鏡に彫られた文字や像が浮かび上がる「神鏡」を作った。
鋼製の弩弓を作り、気砲、神鏡と共に加賀藩前田家に納め高評価を得た。
照明器具である「玉燈」、万年筆に似た筆記具「御懐中筆」を作った。
そして江戸で見た望遠鏡を参考に、グレゴリー式反射望遠鏡を製作、太陽の黒点などを観測した。
しかし、その望遠鏡も今は手元には残っていない。
思えば、国友村の鉄砲鍛冶の家に生まれながら、鉄砲とはまるで関係がない物を多く作ってきたと感じる。
本職である鉄砲鍛冶でも実績は残しているので、誰からも文句を言われる筋合いは無いのだが、随分とまあ、好き勝手にやらせてもらったものだ。
残り少ないであろう時間で、次は何が出来るだろう……。
「国友一貫斎殿はおられるか!」
物思いに耽っていると、遠くで自分の名前を呼ぶ声がした。
今日も誰かが訪ねて来たらしい。
名が売れてからはこういう手合いが増えたのだ。
発明の何たるかを理解せず、手前勝手な妄想を押し付け、あれが出来ぬかこれは可能かと押し掛けて来る輩である。
先日なども、離れた場所の相手と話す物は出来ぬかと言ってきた者がいた。
「そないな便利な物が作れたら苦労せんわ!」
一貫斎は一喝したのだが、それ以降は来客の対応は家人に任せ、自身は出ない事とした。
玄関での家人と来客の応酬は、実は一貫斎の部屋にいながらにして聞こえる様になっている。
屋根裏に秘密があり、離れた場所でも声が届く様になっているのだ。
しかしそれは所詮、声の届く距離が若干伸びるに過ぎない。
それもあって、離れた相手とも話せる物と聞いて怒りが湧いたのだ。
「何でも出来ると思われたらかなわんなぁ」とは一貫斎の心境である。
「私は長州藩無給通杉百合之助の息子、吉田松陰と申します。本日は一貫斎殿にお願いしたき事がありまして参りました。」
何やら随分と若い男の声である。
長州藩は、その支藩である徳山藩の依頼で、井戸掘りに協力した経験から多少知り合いがあるが、それとこれとは別だ。
その場で来客の目的を聞く事は、家人に言い含ませてある。
「はい。顕微鏡を製作しては頂けないかと。」
けんびきょう、その聞いた事の無い単語に、元来好奇心の強い一貫斎は興味を持った。
(けんびきょうとは何や? 早う聞かんかい!)こういう時には一貫斎の仕掛けは面倒である。
自分で対応すればいいのだが、仕掛けを作った手前、それも出来ない。
「シーボルト先生が既にこの国に持って来ているはずでございますが、見えない程に小さき物を見る道具にございます。」
(何やて? シーボルト? 持ち出し禁止の地図を国外に持って行こうとして咎められた、あのシーボルトかいな? 見えない程に小さい物を見る?)一貫斎は俄然興奮した。
顕微鏡自体は1590年には西洋で作られている。
1600年代、レーウェンフックが自身の作った単レンズの顕微鏡で、口の中の微生物や自身のDNAを伝える、簡単に言うと精子を観察するなどしている。
それから改良が進み、1765年には日本にも伝来していた様である。
1823年に来日したシーボルトは数台の顕微鏡を持って来ており、幕府にも献上されている。
江戸では顕微鏡で観察した雪の結晶が着物の絵柄や工芸の意匠となり、流行した様でもあるが、一貫斎の耳には届かなかったのだ。
望遠鏡を自作した一貫斎が、同じ光学機器である顕微鏡を製作しなかったとは考えづらく、それはつまり顕微鏡を知らなかったとしか思えない。
天明年間1781年から89年にかけて、国産の顕微鏡が製作されているが、レンズなどは輸入品であったらしい。
一貫斎がそれを知っていれば、それで済ます事はなかったはずであるからだ。
「望遠鏡を逆から覗いた場合、全てが小さく見えると思います。それで近くの物を見れば大きく見えるはずですが、その延長で顕微鏡が作れないかと思いまして……」
双眼鏡を逆から覗いた場合、全てが遠くになった様に小さく見える。
そのまま物に近づいてゆくと、逆に大きく見えるのだが、顕微鏡はそういう原理、ではないだろうか。
詳しい事はよくわからないので望遠鏡と顕微鏡の原理、望遠鏡を逆から覗いたら、などを自分で検索して欲しい。
調べたものの、よくわからなかったのでお任せする。
(何やと?! 望遠鏡を反対から覗く?! そういえば、江戸で初めて望遠鏡を見せてもらった際、間違えて反対から見てしもうた。えらい小さく見えて何や? と思ったが、それで何か見えるんか?)一貫斎の手元には望遠鏡は既に無い。
しかし、レンズなどは試作品がいくつか残っている。
そう思った時には一貫斎は既に動いていた。
直接話を聞かねばなるまいと思ったのだ。
しかし、玄関に直接出向く事は無い。
この後、一貫斎の意向を聞きに家人が来るのだが、それはもう聞くまでも無かった。
それまでに過去の試作品、レンズを用意しておこうと思ったのだ。
「この度は、突然の御訪問、誠にすみません。私は長州藩士吉田松陰にございます。」
やって来たのは少年が率いる4人組であった。
10歳位にしか見えない少年が代表し、一貫斎に挨拶している。
それにも驚いたが、そんな少年が顕微鏡なる一貫斎も知らなかった道具を知っており、その原理らしきものも知っている事にこそ驚いた一貫斎である。
「そないな事はええ。目的は一体何や?」
目的も分かっているが、まさか別室で聞いていたとも言えない。
しかし、逸る気持ちは抑えきれず、つい本題に入ろうとしてしまう。
とはいえ、こんな気持ちはいつ以来だろうか?
一貫斎は、久しく忘れていた心の躍動を感じていた。
「はい。顕微鏡を作っていただけないかと思いまして、参りました。」
「けんびきょうとは一体何や?」
「はい。顕微鏡とは、目には見えない程の小さい物を観察する為の道具にございます。元々は一枚のレンズで拡大しておりましたが、それでは限界がございます。そこで対物レンズ、接眼レンズの2枚を使う事により、倍率を上げる事が出来るのでございます。望遠鏡は、同じ様に2枚のレンズを使う事によって、遠くの物を手前にある様に見せるのに対し、顕微鏡は近くの物をより大きく見せるのでございます。」
吉田松陰という少年の話は一貫斎の好奇心を大いに刺激した。
ちょっと失礼と席を外し、過去に製作した望遠鏡のレンズの試作品などを持ってくる。
「どれ、ちいと試してみるかいな。」
一貫斎は、手元にある試作品のレンズであれこれやってみた。
一枚のレンズで物が大きく見えるのは知っている。
これにもう一枚挟み、適当な物を近くにおいて、レンズを離したり近づけたり、物への距離を離したり、レンズを換えたりして試してみた。
成程、確かに一枚のレンズで見るよりも、大きく拡大される。
望遠鏡の製作ではいかに遠くの物を見るかしか考えた事はなかったが、近くの物も拡大できるのは理解できた。
ただ、求めるレンズの性能が、遠くの物を見るのと近くの物を見るのでは違うらしく、はっきりとは見えなかった。
しかし、そのイメージは湧いた。
俄然、生まれ持った好奇心に火がつくのを感じた一貫斎であった。
「おもろいな。ワイは遠くの物を見る事しか考えなかったが、こういう事も出来るんやったんやなぁ。」
そこでふと疑問が湧き、一貫斎は松陰に聞いた。
「オランダ商人から買えば早いし、安いんやないか?」
西洋では既に実用化されているのならその方が早いし、掛かる費用も安いだろう。
それに、そもそも成功するかもわからないのだ。
尤も、一貫斎には成功するという確信があったが。
「そうでございますね。確かに、オランダ商人を介して西洋より輸入すれば早いでしょう。しかし、私が求めるのは顕微鏡だけではございません。液体を噴霧する事が出来る器具も製作して頂きたいですし、顕微鏡で微生物を観察する為のプレパラート、培養する為のシャーレ、ビーカーといったガラス製品も欲しいですし、いずれは」
「ちょ、ちょい待ちいや。液体を噴霧する? びせいぶつ? ぷ、ぷれ?」
欲しい物を次々と上げて行く松陰に一貫斎も待ったをかける。
聞いた事もない、恐らく西洋の品々であろうそれら。
そんな物をすらすらと言葉にする目の前の少年が、一貫斎には何やら得体の知れない怪しげな存在に見えてきた。
「何やアンタさんは? 一体何をやろうとしておるんや?」
一貫斎の疑問に松陰は即答する。
「美味い物を食べる為にございまする。」
「何やて?」
予想外の答えに呆気にとられた一貫斎であった。
近江の方言は京と似ているらしいので、一貫斎の言葉はこんな風になりました。適当なイメージなので、間違っていたらすみません。




