表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
彦根藩への旅路編
25/239

彦根藩への旅路 ★

 「いっそ殺して欲しいでござる……」


 一人の侍が頭を抱え、呻いていた。

 その顔は土気色で、苦悶に満ちている。

 止まらぬ頭痛と繰り返しやってくる吐き気、ひどい眩暈に見舞われ、一時も休まる事がない。 

 船が出発してからこの方、ずっとこの調子であった。


 「おい平蔵! この嘘つき船頭! どこがこの時期は波も穏やかなのでござるか!?」


 亦介は大声を出せば頭に響くので、なるべく抑えて叫んだ。


 「いや、これは穏やかな方だぜ? おめーさんが船に弱いだけなんだよ。見てみろよ。連れの子供らは平気な顔してるじゃねーか。」


 言われた松陰、三郎太、重之助は、幾分申し訳なさそうな顔で亦介を心配している。


 「亦介殿は三半規管の鍛練が足りぬ故、船酔いになるのでございますよ。」


 松陰が説明する。


 「さんはんきかんとは一体何でござる?」

 「三半規管とは耳にある、体の平衡を司る器官の事ですよ。簡単に言えば、体の傾きを感知するのでございます。」

 「どうやったら鍛えられるのでござる?」

 「今更やっても遅いでしょう。それよりは、船の進行方向に向かって遠くの雲なんかを眺めていると少しは楽になりますよ。」

 「かたじけのうござる!」


 松陰のアドバイスに、這う様に舳先に進み、遠く水平線に浮かぶ雲を眺める亦介であった。


 「幾分、楽になった気がするでござるよ!」

 「それはよかったです。」

 「おめえ、よくそんな事を知ってんな。」


 そんな船旅の始まりであった。




 話は出発の数日前に遡る。

 早急に彦根藩へと向かいたいと言う松陰の真意が、彦根藩を代表する発明家、国友一貫斎である事を聞いた清風は、一貫斎が当年既に60代である事もあり、急ぎ出発する事を許可した。

 一貫斎が生きているうちに、どうしても会って頼みたい事があると言う松陰に、ならばと許可したのだ。

 それに、来年始まるというアヘン戦争に向け、出来る事は早めに準備しておきたい。

 それには松陰が萩にいるのが前提である。

 早く行って、早く帰って欲しいのだ。 

 当時の旅には、庶民であれ武士であれ、身分証明書代わりとなる藩発行の許可証が必要だった。

 清風の権力で、その許可証は驚く程早く出された。


 そしてその旅路には、保護者として亦介が同行する事が決まった。

 9歳の松陰一人に行かせる訳にもいかないからである。

 百合之助は畑の管理が、清風、文之進にはお役目があり無理であった。

 明倫館での師範がある亦介であったが、清風が休職を許可したのだ。


 松陰に同行したのは三郎太、重之助の二人である。

 スズ、千代も挙手したが、急ぐ旅路、特に船を使う旅は流石に危険であり、無理だと反対された。

 「じーじ、お願い。」とスズが清風に懇願したが、スズには滅法甘い清風も、この時ばかりは聞き入れなかった。


 騒ぎを見守る梅太郎は、「国友一貫斎って言ってるけど、本当の目的は彦根藩の牛の味噌漬けなんじゃ?」と思い、松陰を見る。

 穢多の集落で松陰の言っていた、彦根藩の牛の味噌漬けの事を思い出したのだ。

 そんな梅太郎に、「流石は兄上!よくわかっていらっしゃる!」と言うかの様に、ただ笑っていた。


 当初は萩から徒歩で山を抜け、瀬戸内海に出、海路か陸路を東進する事を予定していた。

 が、偶々蝦夷へ行く途中に清風の下へと立ち寄っていた平蔵の存在に、急遽北廻り船に乗って北上する事が決まったのだった。

 勿論、当時の船旅の危険性を考慮していない訳ではない。

 天候によって船足が極端に変わる帆船の事も考えている。

 しかしながら、平蔵は腕の良い船頭であり、これまで一度として船を失った事がない事実を持って、今回の急ぎ旅が決まったのだ。


 平蔵と清風の関係はこうである。

 元々侍の社会に嫌気が差していた平蔵は、博打の形に藩籍を売り払い、海の男となった。

 それからはメキメキとその頭角を現し、船を扱わせたら長州一、との評判を得たのだが、自惚れて再び博打に走ってしまう。

 腹の大きい女房がいるにも関わらず、である。


 案の定大負けしたのだが、平蔵が遊び呆けている間、間の悪い事に平蔵の嫁のお産が始まり、しかも難産であったのだ。

 産気づいた時に偶然居合わせたのが清風の妻お美代で、医者を呼び、無事出産する事が出来たのだ。

 遊び呆け、しかも有り金全て博打につぎ込んでいた平蔵は、口調は丁寧であるが内心に隠したお美代の怒りに只管反省し、後悔し、二度と博打はしないと決意する。

 それから付き合いの始まった平蔵と清風であった。


 言葉通りに二度と博打には手を出さず、蝦夷で取れた塩漬けの鮭やニシンといった海産物を毎年土産に持ってくる平蔵に、博打に負けて侍の資格を売った者と、非難の目を向けていた清風も思い直し、その腕を見込んで藩の仕事を頼む様になる。


 因みに平蔵と亦介は顔見知りであった。


 そして発覚した亦介の船酔いである。

 これまで、瀬戸内の内海しか知らない亦介は、日本海の荒波も同じだろうくらいにしか思わなかったのだ。

 少々気分が悪くなる程度の事だと高をくくっていた。

 その結果が冒頭の有様であった。


 しかし、そんな亦介の辛抱も、早ければ5日で終わる。

 徒歩で向かえば早くて10日掛かる時間が、半分で済むのだ。

 当時の北廻り船は荷を買い、売りながら北上、南下していたので移動には日数が必要であった。

 それに、北上の場合は対馬海流があるので早く、南下には時間が掛かる。

 しかし、今回の平蔵は、三田尻から蝦夷までの北上ルートを、直行で運ぶので早いのだ。

 無論、夜になれば港に停泊するのだが、それ以外の時間のロスがない。

 彦根へと急ぎたい松陰らにはうってつけであった。


 天候さえ良ければ。




 長閑な順風が吹き、海上も穏やかで、旅は頗る捗っていた。

 亦介だけは未だ青い顔をしていたが、この海を何度も行き来している平蔵も、こんなに順調なのは珍しいと驚く程で、全ては香霊様のお陰です、と神妙に述べる松陰に、その香霊様とは一体? と聞く。

 霊験あらたかな香霊大明神のお話しに平蔵始め、手の空いている乗組員は頭を垂れ、聞き入っていた。

 なぜなら、当時の日本の航海術はレベルが低く、経済性重視の船とも相まって、海難事故が多かったのだ。

 嵐に遭遇し、横風を受けてしまえば底の平らな北廻り船の転覆は容易く、では転覆を防ぐ為にと帆柱を切り倒してしまえば、無事に嵐を抜けられてもその後推進力を失い、潮の向くまま海を漂う事になるのだ。

 

 遭難し、遠くロシアの島に辿り着き、無事に帰って来た者はいた。

 イギリス船に助けられ、長崎に送り届けられた者もいる。

 しかしそれは運の良い者であり、まず大抵は海の藻屑である。

 運よく外国領に流れ着いても、結局帰国できない者も多かった。

 幕府に外国との結びつきを疑われ、帰国を拒否されるのだ。

 それで騒動にも発展した事件もある。


 嵐に遭遇すれば神に祈るしかない当時の船乗りにとって、験を担ぐ事は大事なことであった。

 そんなに素晴らしい神様ならと、松陰の話も神妙に聴くのだ。

 滅多に見ない、まさに神様の思し召しとしか思えないこの海の状態に、出来るなら是非あやかりたいものだと松陰の説法に耳を傾けた。


 そんな感じで進む旅路である。


挿絵(By みてみん)

当時の船は、夜はどうしていたのでしょう?

急ぎの旅では海上で夜を迎えそうですが……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ