団子岩からの眺め
この様な話が続き申しわけありません。
つまらない話はこれで終わりにして、次からはもう少し動きがだせればと思います。
「こちらが、私が本日皆様に最もお見せしたかったモノにございます。」
そう言って、へばり気味な清風ら一行を案内したのは、屋敷の直ぐ近く、団子岩と呼ばれる石の前であった。
この岩が一体何だろう?
そう思った一行に、
「後ろをご覧下さい。」
松陰が告げる。
言われた通り振り返った一行は、眼前に広がる光景に、ただ見入るのだった。
それは遠く指月山を望み、その麓に彼らの主君がいる指月城を、城から続く堀内の城下町を、そして萩を構成する町並みが広がっていた。
自らもそこで生活する一員であるはずなのに、こうやって遠くから眺めれば、まるで違う町の様にも感じられる。
今も自分達の家族が何かをしているであろうはずなのに、時間が停止しているかの様にも感じられた。
萩は大きな町ではない。
橋本川と松本川の両河川に挟まれた、三角州の上に作られた町である。
三方を山に、一方を海に囲まれ、交通の便も良くはない。
参勤交代の列に加わり、大阪、京都、江戸といった巨大な都市を知る清風達である。
それでも、眼下に広がる萩の町は、彼らが生まれ、育ってきたかけがえのない故郷なのだ。
思い思いの感慨に耽る彼らに、松陰の声が響く。
「この団子岩から眺める景色が、母の腕の中、私が見た最初の萩の景色です。」
それは松陰がまだ赤ん坊であった頃、母滝に抱えられ、ここより眺めた記憶である。
勿論、清風らはそれが赤ん坊であった頃の事とは思っていない。
松陰が小さい時の事だろうと思っている。
その勘違いはどうでも良い事であるが。
「私の父杉百合之助は、毎朝ここで祖霊に、主君に、京都におわす帝に祈りを捧げて参りました。その信仰が、私に香霊大明神様のお告げをもたらしたのでございます。」
真っ赤な嘘であるが、理解してもらうには嘘でもいいのだ。
未来の知識を持って過去に生まれてきた、と聞いて理解できる人がいる訳がないのだから。
「そして、これで私のお見せしたかったモノは全て見て頂きました。我侭を聞いて下さり、ありがとうございました。」
この団子岩からの眺めをどうしても見てもらいたかった、という松陰の意図は何であろうか?
清風には何となく理解できたが、ついでなので聞いておく。
「松陰殿がこの景色を見せたかった、その心はいかなるものじゃ?」
松陰はややあって答えた。
「はい。ここより眺めるこの景色が、父上の在り方が、私の原風景にございますれば、一度皆様に知っておいて頂きたかったのでございます。」
松陰の言葉は続く。
「仕える主君を遠くに望み、朝に夕なに神仏祖霊を敬い、日々刻苦勉励する父上の姿が、武士とはいかに在るべきかという事を私に刻み付けました。無役にあっても腐らず弛まず、いつか来る藩への奉公に向け、自らを鍛え、知識を増やし、研鑽を積む。それはひとえに主君の為、藩の為、長州藩に暮らす民の為でございましょう。たとえこのままこの地に倒れたとしても、その志は生涯変わらないはずです。それはまさに、萩の町から忘れ去られた様に佇む、この団子岩が見ている景色そのままではございませんか。たとえ皆に忘れ去られ、誰からも省みられなくとも、そのあり方は変わらず、仕える主君と守るべき民を遠くに眺め、その平安と繁栄を祈るかの様な、この岩の在り方こそ、武士の在るべき姿かと思います。そして、それを実践している父上の在り方が、香霊大明神のお告げをもたらし、私の今を形作っているのでございます。」
一同、百合之助を尊敬の眼差しで仰ぎ見た。
見つめられた百合之助は赤面し、顔を上げる事も出来ない。
藩政トップの清風への、露骨な百合之助プッシュでもあるが、松陰の気持ちに嘘は無い。
百合之助が毎朝祈っているのは本当の事であるし、寝る間も惜しんで読書に励み、研鑽を積んでいるのも事実である。
今は松陰の、農業に関する知識の検証に励んでもらっているが、基本的には何も変わらない百合之助である。
そんな百合之助を心より尊敬している松陰なのだ。
因みに、当時の長州藩の家臣団は結構無茶苦茶で、無断欠勤、理由のない長期休暇、遅刻、早退、公金横領、賄賂の要求、商人と結託して利権漁りなど、悪しき風習が長年続き、清風が改革を進めねばならない状態にあった。
そんな家臣達がいる中での百合之助のあり方である。
文之進は当然知っていたが、清風が感動を持って百合之助を見つめるのも当然であろう。
そして、そんな百合之助を尊敬するからこそ、松陰が考える改革の事を説明するのは躊躇われた。
しかし、それを隠し立てする事こそ、百合之助への裏切り行為に他ならないのも事実であろう。
「しかし、私がこれから進めていきたい事は、その武士のあり方の改革に他ならないのです。」
「武士の在り方を変えるとはどういう事なのじゃ?」
松陰には何か考えがあっての事だと分かっている清風に思う所はない。
それは亦介も、文之進も、百合之助もそうであろう。
「その説明の前に、来年起こるアヘン戦争ですが、皆様既にご存知だと思いますが、イギリスが勝ちます。その後、イギリスは日本にもやって来る様になるのですが、もし仮に、イギリスと我が長州藩が戦となった場合、我が藩は戦う事が出来ますか?」
何を馬鹿な事を聞くのだろう? としか思えない質問である。
「それは勿論であろう?」
言外に、何を聞いておるのじゃ? と言いたげな清風である。
「では、お殿様が江戸にいる間では如何ですか?」
「そ、それは……」
途端に言葉に詰まってしまう。
参勤交代で藩主敬親が江戸に向かえば、相当数の藩士もお供する。
勿論、全ての藩士が江戸に向かう訳ではないが、守るべき主君が江戸にいる状態では、残った藩士のモチベーションは低い。
戦えぬ訳ではないだろうが、些か心配にはなってしまう。
「それに、いざ戦の召集をかけて、直ぐに駆けつけられる藩士はどれだけいますか? どのくらいの藩士が借銀の返済に頭を抱え、首も回らない状態におりますか?」
清風も答えられない。
何故なら、藩でも把握しきれていないからだ。
相当数の藩士が借銀の返済に困り、藩が主導する返済策に従い、農村で質素な生活を送り、返済に勤しんでいたりする。
「しかも、軍事的な訓練は為されておりますか? 相手は清国を破る軍事力を持っているのですよ? 大砲が届く距離は我が方を上回り、その数も段違い。軍艦も多数配備され、しかも風がなくても行動できる蒸気船です。鉄砲の質も数も違います。そんな相手に、借銀の返済で困っている者が、何ほどの力を発揮できるのでしょうか?」
清風以下、誰も何も言えない。
天下泰平の世が長く続き、そもそも戦という物自体を知らないのだ。
しかも、相手は世界で戦をし続けてきた西洋の列強国なのである。
到底太刀打ち出来るとは思えない。
「では、幕府に助力を求めてみましょうか。近隣の藩より援軍がやって来るとしましょう。まず、それはいつでしょうか? そもそも支援は直ぐに決まりますか? もし幕府が迅速な決定を下しても、その指示を受けた諸藩は直ぐに行動出来ますか? 誰が指揮するのでしょうか? 諸藩はその指揮を素直に受け入れますか? 藩が受け入れたら、藩士は従いますか? しかも、作戦はどうするのですか? 作戦があったとして連携は取れるのですか? 武器はありますか? 食料兵馬はどうしますか?」
ますます何も言えなくなる清風らであった。
そんな彼らに松陰は結論を伝える。
「つまり、今のこの国のあり方では西洋とは対抗出来ないのです。今の幕藩体制は、天下泰平の世であったからこそ、維持できた物なのです。まずもって中央集権体制の下、この国の統一を図らねばなりません。でなければ迅速な決断は下せないからです。次に、戦う力を持った集団は戦いに専念し、常に準備し、その牙を研ぎ続けねばなりません。何故なら、政や商売、畑の事を考えている余裕はないからです。また、これからの戦は大砲、鉄砲が主流になります。家柄、家格は必要になりません。一兵卒はあくまで一兵卒であり、上官の命令に従わねばなりません。それに、これからの戦は国家の力を総動員した総力戦に変わっていきます。清国が敗れたのはそのせいです。首都を内陸に移し徹底抗戦に持ち込めば、イギリスに継戦能力などあるはずがありません。今の武士は為政者であり、武力集団であり、統治機構の官僚でもあるのです。これでは戦う事に特化した西洋の軍隊には対抗出来ません。」
怒涛の様に話す松陰。
しかし清風は、松陰の言いたい事をおぼろげに理解した。
「成程、武士のあり方が変わる訳じゃな。」
「はい。天下泰平の世にあって戦の仕方を忘れ、格式を重んじるばかりの武士に、今更一兵卒となって大砲、鉄砲を扱えと言っても無理なのでございます。それよりは、武士道の精神をもって為政者、官僚の道を進んだ方が民にとっても良いのです。何故なら、それは今と何も変わらないからです。」
武士として、いざ事があればその命を捨てて、と育てられてきた身としては納得いかない所もある。
だが、松陰の言う事も理解できる。
西洋がそうである以上、それに対抗するには、戦う事に特化した集団でなければならないだろう。
それが武士のあり方を変えるものであったとしても、である。
「つまり松陰殿は、武士の在り様を変えていく為の道を進もうという訳じゃな?」
「その通りでございます。」
本題へとようやく辿り着いたとほっとする清風であった。
「して、それはいかなる道なのじゃ?」
「はい。これといって、特にありません。」
「なぬ?!」
これには清風も予想外であった。あれだけ武士のあり方を変えると言っておいて、特にやる事はない?
「それはどういう意味なのじゃ?」
たまらず問い質す清風。
「まず、その様な大それた事を私一人で出来るはずがございません。もし私がそれを為す地位と権力を得たとしても、急激な変化は強力な反発を招くものです。しかも私は未だ若輩の身でございます。この様な輩の言葉を真摯に受け止めて下さるのは、ここにおられる皆様くらいのものです。まず間違いなく侮られ、聞く耳を持ってはもらえないでしょう。それに、私は明倫館山鹿流師範の吉田家を継いだ身にございます。今は一刻も早く師範の職務を果たすべきかと存じます。」
松陰の言葉に考え込む清風達であった。
確かに、松陰が驚く程の知識と才を持っていたとしても、それだけで大きな何かを為せるとは思えない。
経験を積み、人と交わり、親交を深め、人脈を築いてゆき、そうしてやっと果たせる事ではなかろうか?
自分達よりもよっぽど堅実な松陰の考えに、大人達も苦笑いである。
「では、当面は今のまま、という事じゃな?」
照れ隠しの意味もあって、清風が尋ねた。
「いえ、出来るだけ早く彦根藩に向かいたいと思います。」
「彦根藩とな?」
予想外の答えに皆が驚く。
「はい。そして、皆様にもやって頂きたい事がございます。」
そして、松陰は今後の計画について話し始めた。




