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ラーマ王子の帰還と反乱の狼煙

 インド、カルカッタ。

 イギリス東インド会社の本拠地であるこの地は、ガンジス川の支流の一つ、コダール川の川辺に出来た町である。

 天然の堤防の上に広がったカルカッタは、実り豊かなベンガル地方から集まる様々な物資によって活気に満ち、膨大な人口を擁する都市に発展していた。

 そのカルカッタからインド全土を支配していた東インド会社は、町に大規模な要塞を建築し、ウィリアム要塞と名付けて拠点とした。

 そのウィリアム要塞の一画で、廊下を歩く男に声が掛かる。


 「おい、ベン!」

 「ダニエルじゃないか! 帰ったのか?」


 同僚であるダニエルに呼び止められたベンジャミンはその足を止めた。

 上司に徴税の進み具合を報告に行く所であった。

 呼び止めたダニエルは地方に行っていた筈である。 


 「今さっきな!」

 「そうか! だったら今夜、一緒にどうだ?」


 ベンジャミンはグラスを傾ける仕草をした。


 「いいな!」 


 ダニエルに断る理由は無い。

 早速飲む事が決まる。  




 「乾杯!」


 ベンジャミンの屋敷でグラスの音が響いた。

 互いの無事を祝い、一日の労働を労う。

 ひとしきり飲んだ所でダニエルが周囲を気にし、ヒソヒソ声で口にする。


 「最近、インド人の様子がおかしくないか?」

 「おかしい? どんな風に?」


 ベンジャミンは考えたが、思い当たる事が無くて問い返す。


 「何となくだが、俺達を見て薄ら笑いを浮かべている気がするんだが……」

 「薄ら笑い? 徴税の時期になったんで、少しでも見逃して貰おうとの愛想笑いじゃないのか?」


 今日もそんな商人達から、きっちりと税を取り立ててきた所だ。

 尤も、賄賂もしっかりと貰って少しは見逃している。

 故郷を遠く離れ、一刻も早く本国に帰る為にも大いに稼いでおかねばならない。


 「いや、そうではなくて、もっとこう、後ろ暗いと言うか、肉屋に連れていかれる家畜を見る様な目付と言うか……」

 「何が言いたいんだ?」


 訳の分からない事を言う同僚に痺れを切らし、つい声が大きくなった。

 

 「いや、その、奴ら反乱を企ててるんじゃないかと……」

 「反乱だって?!」


 その言葉に驚く。


 「声が大きい!」


 ダニエルは慌てて周りを見渡し、誰もいない事を確認してホッとした。

 そして同僚に向き直る。


 「勘違いするな。何となくそんな気がしただけだ……」

 「思い過ごしじゃないのか? 最近の奴ら、徴税にも素直なものだぜ?」

 「それはそうだが、それが逆に不気味と言うか……」

 「俺達に逆らう事を諦めただけだろ?」


 ここ数年のインド統治は順調で、大きな反乱は一度も起きていない。 

 農業も産業の振興も計画以上に進み、イギリス本国よりお褒めの言葉を頂いた程だ。

 5年くらい前までは反乱が各所で発生し、鎮圧するのに苦労したモノである。

 徴税で回る先に漂っていた、不穏な空気は今やすっかりと影を潜め、国内の治安は安定していた。

 インド人も嬉々として仕事に精を出している。

 ダニエルの言葉は思い過ごしに思われた。


 「奴ら、俺達の統治の素晴らしさにようやく気付いたんじゃないのか?」


 1847年にはセント・ポール大聖堂、1857年にはカルカッタ大学も建設し、ダモダル炭田との間の鉄道も開通した。

 インド人に任せていては、いつまで経っても出来なかった事業だろう。

 それらを見て、我が社による統治を感謝しているのではと思った。 

 

 「それならいいんだが……」


 酔いが回ったのか、上機嫌なベンジャミンにダニエルが呟いた。




 その夜、闇に溶け込む様な黒装束に身を包んだ集団が、これまた真っ黒な小舟に乗ってコダール川の上流に現れた。

 緩やかな川の流れに合わせ、手に持った櫂で静かに水を掻き、けれども驚く速さで水面を進んでいく。

 川を下り続け、カルカッタの港へと到着した。

 港には商船からイギリス海軍の軍艦まで、多数の船が互いの間隔を空け、泊まっている。 

 錨を下ろしてその場に舟を泊めた。

 風は全く無く、じっとりとする暑さが水面に浮かんでいた。 


 黒装束の一人が足元にあった箱を取り、閉じていた蓋を開けて中を覗き込む。

 中に仕込んである雷火薬に衝撃を加えて光を作り出す。

 顔と箱の僅かな隙間から光がうっすらと漏れたがそれは一瞬で、直ぐに蓋を閉じて光は消えた。

 中の時計は計画を始める時刻であった。

 箱を足元に戻し、自分を注視する者らへ右手を向け、素早く動かす。

 それにつられる様に他の者は一斉に動き出した。 


 合図を送った者だけを舟に残し、黒装束達は音も無く川へと入っていく。 

 水鳥が水面を進む様に静かに泳いでいき、港に停泊している軍艦へと近づいていった。

 船に泳ぎ着いた所で、背中に担いであった袋から油紙に包まれたダイナマイトを取り出し、方向を確かめて水際の位置へピタリとくっつけ、鋲で留めた。

 次に、麻紐を括りつけた小さな雷管を、先程張り付けた爆薬へと連結してしっかりと固定する。

 それが終わるや巻きつけてあった麻紐を、今度は慎重に伸ばしながら小舟へと戻っていった。

 

 一人、また一人と小舟へと戻ってくる。

 舟に残っていた黒装束は、戻って来た者から麻紐を受け取ると、一つ一つを慎重に手繰り寄せていった。

 麻紐がピンとなった所でそれぞれに戻す。

 それを手にした者は、じっと息を殺してその時を待つのだった。 

 

 指示を出していた黒装束は再び足元の箱を取り出し、同じ動作を繰り返して時刻を確かめる。

 計画が順調に進んだ為か、今暫くの時間があった。  

 焦れる様な緊張の中、額に浮かぶ汗を拭おうともせずに瞑目して待つ。 

  

 と、箱の中からコツコツコツと小さな音がした。

 決められた時刻になると鳴る、バネ仕掛けの細工である。

 黒装束は閉じていた目をカッと開き、スッと右手を上げて振り下ろす。

 それを今か今かと待っていた者達は、握りしめ過ぎて感覚を失いかけていた手を必死で動かし、麻紐をグイッと力一杯引っ張った。




 同じ頃、陸地のウィリアム要塞の中にも息を潜めて待つ集団がいた。

 現地インド人の手引きによって物陰から物陰へと進み、東インド会社が火薬を保管する建物へと近づいていく。

 目的の物の前には兵隊達が警備に当たっていた。

 集団はいつでも使える様に武器を準備し、待つ。


 と、川の方から大きな爆発音が轟いた。

 まるで地を揺るがす様な、そんな音である。

 火薬庫を警備していた者らに動揺が走り、浮足立ってアタフタし始める。

 持ち場を離れて何が起こったか確認しようとする者、それを制止して連れ戻そうとする者、オロオロと眺めるだけの者など、意識は完全に他にいっていた。


 その時を見計らっていたのだろう、陰に潜んでいた集団は静かに弓を振り絞り、指揮者の合図と共に矢を放つ。

 矢は吸い込まれる様に警備兵の体を貫き、兵達は断末魔の声を上げる事も無くその場に崩れ落ちた。 

 それを確認するやいなや集団は動き出し、火薬庫の扉へと辿り着く。

 一人が荷から素早く爆薬を取り出し、扉の鍵の部分に取り付けた。 

 麻紐を結んだ雷管を爆薬に挟み、扉から離れる。

 指揮者の合図で紐を引き、爆薬を炸裂させて鍵を壊した。

 集団はすぐさま扉を開け放ち、中へと侵入する。

 火薬庫の中はいくつかの小部屋に別れているが、それぞれの部屋に鍵がかかっていない事は調査済だ。

 小部屋の扉を次々と開けていき、置いてあった火薬の樽の蓋を開けて蹴倒し、床に火薬をぶちまける。

 火薬庫の床が火薬まみれになった所で退出し、入り口付近に設置した爆薬の導火線に火を点け、一目散に逃げ出した。


 ある程度走った所で建物の陰に隠れる。

 やがて後方から爆発音が何度か響き、爆風が通りを駆け抜けた。

 火薬庫の爆破に成功したのだ。

 集団は再び走り出す。

 出くわした別の警備隊をすれ違いざまに斬り伏せ、足を止める事無く走り続ける。

 協力者が壁にかけた縄梯子を登り、無事にウィリアム要塞を脱出した。


 カルカッタの東インド会社が何者かに襲撃され、大きな被害を受けたとの噂は、事件から数日後にはインド全土に広がり始めていた。

 襲撃を受けたのはカルカッタだけではなく、ボンベイもそうであった。

 民衆は遂にその時が来た事を悟る。




ムガール帝国の首都デリー。

 この日デリーの宮殿には、夥しい数の群衆がインド全土より集まっていた。

 手に農具を持った農民、武器を携えたシク教徒、荷を満載した荷台を引く商人、なけなしの食べ物を持って来た貧民などなど、出身地も階級もバラバラであったが、その顔には共通したモノを浮かべていた。 

 怒りを基調とした歓喜、そして神話に加わる陶酔である。


 イギリス人による長年の搾取により、溜まりに溜まった怒りと不満を遂に解放する時がやって来たのであるから、喜びに沸くのも当然であろう。

 しかもその先頭に立つのは、インド人ならば誰もが知るであろう伝説の英雄、ラーマ王子の生まれ変わりなのだ。

 数年前に突然下された啓示。

 それは自分一人だけではなく、誰もが感じた声であった。 

 以来、この時の為だけに準備をし、今日を迎えた。

 後はラーマ王子に従い、神の定めた戦いに身を委ねるだけである。


 「ヒンドゥスターンの民よ!」


 熱に浮かされた人々の前で、一人の男がヒンドゥー語で熱弁を振るう。


 「戦いの時は来た! 今こそ立ち上がるのだ!」


 それに応える様に人々は一斉に歓声を上げた。


 「見よ! 神話と同じく、ハヌマーンも力を貸しに来てくれた!」


 男は自分の後ろを振り返る。

 群衆はその視線を追った。

 そこには、全身を赤い鎧で包んだ武人の集団が控えていた。

 見た事が無い長い銃と大砲を揃え、精悍その物に見える。 

 けれども彼らの腰に差した物が、まるで猿の尻尾の様に思えた。


 男の合図に合わせ、甲冑姿の武人達が一斉に腰の武器を抜く。

 それは研ぎ澄まされた剣であった。

 太陽の日差しを浴び、刃先が眩しく輝く。

 それはインドの未来を切り開く神剣に思えた。


 「では戦いを始めよう! この国をイギリスより取り戻すのだ!」


 男の掛け声に応え、群衆からはラーマの名が繰り返された。

 こうして、長きに渡るインド独立戦争が幕を開けた。

爆薬などは大目に見て頂けると助かります。


次話でエピローグとなります。

大政が奉還された事で幕末も終わり、タイトルが成立しなくなったからです。

インドでの戦闘場面が思い描けないからでもあります。

エピローグは1910年頃の日本を予定しています。

最後まで楽しんで頂けますと幸いです。

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