集成館にて
「順調ですか?」
「まあまあだ!」
松陰が大声で問い、茂義も大声で答えた。
あちこちの配管から白い湯気が勢いよく吹き出て、鉄を叩く音がカンカンとそこら中に響き、隣り合っていても互いの声が聞こえづらい。
加え、館内に配置された機械の周りには人が集まり、見学者に向かって説明者が声を張り上げている。
汗ばむ程の熱気に包まれた空間だった。
そんな光景を眺める二人の恰好は随分と奇妙なモノである。
頭には竹を編んで作っているらしい丸い兜の様なモノを被り、顎紐でしっかりと括られている。
上着は正面で重ね合わるのか、胸の前にはいくつかの丸い小さな物が等間隔で並び、袖は手首まで隠れる長さであったが、腕の太さに合わせてすぼまっている。
下は股引の様であったが、足首が隠れる程の長さであった。
足元は足袋の様であったが、材質は革で出来ているらしい。
そんな二人の上着はぐっしょりと汗が染みていた。
「全く、この服は着心地が悪い!」
茂義が忌々しそうに叫ぶ。
リーバイ・ストラウス製のキャンバス地の作業着は、丈夫ではあったが非常にゴワゴワしていた。
「この革靴も蒸れて敵わん!」
足袋と草鞋に慣れた茂義には、革靴の履き心地も悪かった。
「それにこのヘルメット! 邪魔な事この上も無い!」
頭の上に乗った物に悪態をつく。
それらは概ね集成館の者の総意であった。
茂義の気持ちは痛い程分かったが、安全には代えられない。
「全ては身を守る為です!」
そう言うしかなかった。
「まあ、配管が緩んで落ちてきた事もあるので、怪我を防いではおるがな……」
茂義は思い出して言葉を濁した。
穿孔機からは鉄の削り滓が結構な速度で飛んできたりもするし、しゃがんで立ち上がった所に機械があり、したたかに頭を打つ事もある。
安全の確保は面倒ではあるが、熟練者が怪我で休んで計画が滞る事を思えば、保護具の着用は必要なのだろうと感じる。
しかし、親子程にも年の離れた松陰に我が身を心配されている様で面はゆい。
ぶっきらぼうにもなろうというモノだ。
「これを見ろ!」
穿孔機に通りかかり、出来上がった小銃の銃身を松陰に見せる。
松陰は手渡された物を素早く観察し、感嘆する。
「一段と滑らかですね!」
「だろう?」
茂義が自慢げに言った。
お菊が捲成法で作った試作品とは違い、銃身の内部にも外部にも歪みは見られない。
工業製品と呼ぶに相応しい出来栄えであった。
「完成品はあるのですか?」
興奮気味に尋ねる松陰に茂義はニヤリと笑い、言った。
「無論だ!」
試射場は集成館を北に進んだ先、金立山の麓にあった。
澄んだ青空の下、パーン、パーンと乾いた音が響く。
「集弾性能が段違いですね!」
自分では全く当たらないので、茂義の射撃結果を見て言った。
弾痕は比較的固まっており、古い物との性能の違いは一目であった。
「まだまだ至らぬ所ばかりだ!」
それでも満足出来ないのか、悔し気に言う。
技術者としての茂義は、日頃の豪快さとはうって変わり、細かな所までにも気を回す男である。
そんな茂義を頼もしく思うが、今はそんな事を言っていられない。
「弛まない性能の向上は勿論目指すべきなのですが、質より量の場合もございます。要求された性能は今の物で十分なのですから、後は指定の期日に数を揃えて貰わねば元も子もありません!」
「分かっておる! 途中で仕様を変更すれば部品の交換もままならぬから、全く同じ物を作っておるぞ!」
その言葉に己の勘違いを悟る。
「出過ぎた真似をして申し訳ありません……」
「良い。それはそうと大砲の方も撃たねばな!」
「はい!」
気にするなという風に次に移った。
「自国から持ち出す武器を作っている場合では無いのに……」
集成館に戻り、茂義の部屋で自嘲した。
勇ましく富国強兵を唱えたはいいが、今作って貰っているのはインドに持っていく武器であり、日本の富国にも強兵にも直接は関係しない。
それどころか各種資源を浪費しているとも言える。
集成館の技術力の高さを見れば、尚更富国の為にこそ全力を注いで貰いたかった。
「元気を出さぬか! らしくないぞ!」
茂義は落ち込む松陰の背中をバンバンと叩いて励ます。
「今回の事も現場には良い経験だ! 作業の効率という物をいつも以上に考えねばならなかったからな!」
松陰がかつて主張した、効率性の追求という考え方が活きていた。
動線を妨げない機械の配置であったり、無駄な作業が生まれない工夫である。
期日のある作業なので、一人一人がそれを意識して動かねばならない。
良い物に仕上げようと強く思い込み、何かと遅れてしまいがちな今までと比べ、その事は大きな違いであった。
「それに、その武器で西洋の目をインドに惹きつけるのであろう? 貴様が大いに活躍すればする分だけ、我が国に目が向くのを遅らせる事になる!」
茂義も西洋の力をその目で見てきた。
それが我が国に牙を剥いた時を想像すると肝が冷える。
彼我の差は大きく、大急ぎで追い付かねばならないと強く思う。
「技術を進める為の時間を作るのだと思えば、此度の武器にかかった時間も資材も大した事ではない!」
西洋との差は確かに大きいが、追い付くのに絶望的という程でもなかった。
購入した書籍は、分からない単語を除けば内容をほぼ理解出来るし、工作機械の機構もおおよそは掴んでいる。
鉄の質が悪いのか、強度が不足している等の問題はあったが、西洋の背中がまるで見えないという事はない。
それに、物によっては西洋を凌駕していると自負する品もある。
そんな品を作れているのも、元を辿れば一人の男に帰着する。
「貴様は前を向いて歩けば良いのだ!」
茂義は、自分達は西洋に決して劣らないという自信を持っていた。
そんな自信を持てているのも、目の前の男が奮闘してきたからに他ならない。
その様な男が、今度はインドで暴れてくるというのであれば、大いにやってこいと言うしかあるまい。
激励され、松陰の心も持ち直す。
その顔つきに安心した。
「で? 今日は出来を見に来ただけなのか?」
それだけの為に来たとは思えない。
「実は茂義様にお伝えしておきたい事がありまして……」
「畏まってどうした?」
案の定、別件がある様だった。
話し出す前に断りが入る。
「この事は茂義様だけの胸に留めておいて欲しいのです。」
「儂だけ? 麟州にも秘密なのか?」
意味する所が分からず茂義は尋ねた。
「そう、ですね。茂義様だけです。麟州様はいずれ政治の世界に戻られる方ですから。そして、茂義様が見込んだ者にのみ伝承し、それを次に伝えていく様にして頂きたいのです。」
「まるで秘伝だな。」
「秘かに伝えるという意味ではまさにその通りですね。特に西洋人には秘密にして頂きたいので。」
「何?」
冗談めかして言っただけであったのに、真剣な面持ちの松陰に驚く。
松陰は続けた。
「情報や知識は、他から先んずる為の有力な武器です。」
「知ると知らないとでは大違いだからな。」
「蒸気船の作り方を知らなければ、知っている側から買い続けるしかありません。それでは国富が流出し続けます。」
「いつまでも富を蓄える事が出来んという訳だ。」
茂義は世界を回って来た。
未開と言って差し支えない地域も多くあり、西洋の技術は特異と言える程に隔絶している事を感じた。
遅れている地域も、西洋の品物を買えば発明の恩恵には与れるが、知らないままでは一生作る側には回れない。
蒸気船や蒸気機関車など、高額となる工業製品を買うだけでは、折角貯めた国の富をみすみす西洋に渡すだけに終わるだろう。
「知は力ですが、同じ力を西洋も持っています。寧ろ、彼らの方が徹底していると言えましょう。そんな彼らに、彼らよりも進んでいる物品を渡したら一体どうなるでしょう?」
「たちまちのうちに模倣され、同じ物を作り出されるという訳か……」
茂義は松陰の意図に気がついた。
まさに今、自分達がやっている事でもあるからだ。
工作機械は二組購入しているので一組は現場で使い、もう一つは分解して徹底的に調査研究している最中である。
同じ物を自分達で作り出す為に、であった。
「新しい物を産み出すには多くの時間と労力を必要とします。けれども模倣ならば容易い上に、後発であれば改善を加える事も出来ます。西洋の基礎工業力は桁違いですから、桁違いの生産力を用い、同等以上の品物であっという間に市場を席捲するでしょう。」
「それを危惧している訳だな……」
銃も大砲もそうであろう。
松陰の表情は憂いからか、ひどく沈んでいる様に見えた。
茂義にはそう見えていたが、松陰の内心は違った。
本来は発明者本人が手にすべき功績を、前世で知っていただけという自分が受けている。
申し訳なさと恥ずかしさ、それでもやらねばならないという使命感がごちゃ交ぜになり、茂義も勘違いする険しい表情を作り出していたのである。
尚も続けた。
「工業力の弱い我が国では、新しい物を生み出しても真似されるだけで旨味が少ない。いえ、寧ろ損害の方が大きいかもしれません。費やした研究開発費が無駄になってしまいかねないからです。」
「数の論理で市場を独占されれば、我らに出る幕は無くなるな。」
売れなければ費やした資金を回収出来ない。
「その為に西洋には特許制度がありますが、対等ではない我が国ではそれに加盟出来るには時間がかかるでしょう。国力が伴わなければ国益は守れません。」
「直接的に武力で国土を取られかねないし、間接的にも利益を奪われかねないという訳だな。」
「まさしく。国を守る為に新しい技術の研究を怠る事は出来ませんが、かと言ってそれを西洋に知られてしまう事も避けたい。」
「成る程、秘伝にすべき理由は分かった。」
「恐れ入ります。」
「それで、秘伝にすべき事とは何だ?」
それこそが肝要であろう。
茂義の言葉を受け、松陰は懐から一冊の本を取り出し、差し出した。
受け取り、眺める。
「部外者への閲覧を禁ず、か。」
「まあ、秘伝という事で……」
表紙に書かれた言葉を読み上げ、中を開く。
まずはざっと目次に目を通す。
「機関銃? 戦車? 飛行機?」
意味の分からない単語に興味を持ち、それぞれに進んだ。
そこに書かれている描写に驚き、松陰を見つめる。
松陰はのこりともせずに言った。
「武器や技術の進む先です。」
「進む先……」
「そうです。例えば今作っている銃は単発で、一発一発弾を込めねばなりませんが、いずれ連続して発射出来る様になるでしょう。弾も自動で装填され、空の薬莢も自動で排出されます。」
「貴様が言っていた事だな。」
茂義は思い出して言った。
松陰から要望だけは聞いていたのだ。
難しい注文を、と思った記憶がある。
「移動せねばならない個人の武器なら重さの制限がありますが、固定して運用する銃なら重さは考えなくてもよくなります。弾を大量に用意しておけば、銃身の熱を考慮する必要は生じますが、弾があるだけ撃ち続けられる様になるでしょう。歩兵銃とは比べ物にならない大きさの弾丸であれば、その威力は桁違いです。それが機関銃です。」
「それは恐ろしい……」
歩兵銃よりも威力の強い銃で切れ目のない銃撃などされれば、攻撃される方は悲惨であろう。
「大砲は動力装置を備え、厚い鉄板で自身を守りつつ進める様になります。蒸気機関車に大砲を据え付け、線路が無くても道を走れると考えて下されば結構かと思います。それが戦車です。」
「それも恐ろしい!」
戦車の初めはエンジンが非力で装甲も薄かった。
「動力装置は進化し続け、やがて人は空を飛べる様になります。」
「空だと?!」
その言葉に驚愕する。
「竹と紙で作った飛行機の模型がありますので、ここで飛ばしてみましょう!」
松陰は持ってきていた模型の飛行機を取り出した。
好奇心に目を輝かせる茂義の前で空中へと送り出す。
飛行機は暫く宙を滑空し、畳の上に落ちた。
ゴムがある訳ではないので遠くまでは飛ばない。
だが、茂義を驚嘆させるには十分だった。
「これが飛行機か!」
「模型ですが……」
こうして、秘かに開発すべき技術の伝達が為されていった。
調べると西洋の進み具合は凄いですね。
この時には既にガスを燃料とした内燃機関を製作済みです。
知識の蓄積がぶ厚いです。




