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約束

 「お前という奴は!」

 

 直弼はその体をワナワナと震わせ、やっとの事で口にした。

 目の前には松陰がおり、その後ろには眩いばかりの砂金の山がある。

 それと共に夥しい量の干した鮭や昆布、動物の毛皮があったが、居合わせた者の目がいくのは砂金の方だった。


 「これがその方の言っていた、まずアラスカに行った理由なのか?」


 平素と変わらぬ調子で正弘が言った。

 内心では度肝を抜かれていたが、顔には出さない。


 「まあ、そういう事です。」


 淡々とした表情で松陰が答えた。

 3年ぶりに見るその顔は、言い得ぬ苦労を重ねた様に見える。

 直弼は真っ先に心に浮かんだ事を尋ねた。 


 「どうして砂金がある事を知っていた?」

 「どうして? 直弼様なら良くご存知では?」

 「これもお告げなのか?!」


 驚愕に目を見開いた。

 まさかここまでの事をしでかしてくるとは夢にも思ってもいない。 

 しかし、これ以上問い質せばドッと疲れるだけだろうとも感じる。


 「……まあ、良い。それで、これだけの金を持ち帰り、これからどうするつもりなのだ? ロシアの方はどうなっている?」


 約束では三割をロシアに与え、残りのうちの3割が松陰の取り分である。


 「彼らには急ぎの用があり、当座の分は既に渡しました。火急の事態でしたので連絡出来ませんでした。誠に申し訳ございません。」


 そう言って頭を下げた。

 プチャーチンはクリミア戦争敗戦の報を聞きつけ帰国している。

  

 「それは構わぬ。お前に一任していたのだからな。」

 「ありがとうございます。」


 配慮に感謝して頭を上げた。


 「しかし、ロシアに分けた後でもこの量か……」

 「元が想像もつきませぬな……」


 二人で顔を見合わせた。

 何となく意識の齟齬が生じていると感じ、松陰は言った。


 「勘違いされているといけないのでお伝えしますが、作業は全く終わっていませんよ?」

 「何?」

 「どういう事なのだ?」


 二人して尋ねた。


 「言葉通りです。今回持って帰ったのは、アラスカに眠る砂金のうちの2割あるかどうかといった程度です。ですので採取は今も鋭意継続中ですよ?」

 「何だと!?」

 「信じられぬ!」


 二人して声を上げる。


 「信じるも信じないも、事実ですからどうしようもありません。」

 「何と言う事だ……」

 「空恐ろしい……」


 共に天を仰いだ。


 「ですが海外で噂が立ち始めている様なので、ここらで人手を掛けて作業すべきかもしれません。アラスカとはバレていないし、たとえ分かっても場所の特定までは時間が掛かる筈ですが……」

 「そ、そうであれば早速手配しよう!」

 「口の堅い者に限られますな!」


 どれだけ緘口令を敷こうが噂は広まっていくモノらしい。

 小樽に立ち寄った外国人が、それとなく探りを入れてきたとの報告を崇広から受けている。

 

 「それから、金の取り分の件なのですが……」

 「まさか3割は少ないとでも言うのか?!」


 直弼が気色ばんだ。

 

 「いえ、そうではなく、私の取り分は今回の分だけで結構です。」

 「何?!」


 耳を疑う。

 松陰は続けた。

 

 「今回の分だけで、この国での2年を過ごすには十分な資金です。」

 「む? やはり行くのか?」

 「勿論です。武士に二言はありません。」

 「そうか……」


 心変わりでもしているかと思ったが、初志を貫徹するつもりらしい。


 「残りで香霊基金を作って頂けると助かります。」

 「かれいききんとは何だ?」


 言葉の意味が分からずに尋ねる。


 「基金とは、何かの目的を達する為に集められた元手の事です。香霊基金は、海外などへの開拓移民を助ける事を目的とします。」

 「ほう?」

 「対象者は十二分に審査する必要がありますが、ハワイやカリフォルニアの土地を買って貸し与えたり、当面の生活費を安い利率で貸し付けたりして移民の成功を支援するのです。」

 「成る程。」

 

 その意図を理解した。


 「先立つ物が無ければ、人は何かに挑戦するのを躊躇するでしょう。家族がいる者ならば新しい生活を心配するのが当たり前ですし、行こうとするのが言葉も通じない異国の地となれば尚更です。香霊基金は、そんな心配をしなくても済む様に取り計らい、開拓へ全力を尽くして貰う為の制度です。」

 「それは良いな!」


 その説明に膝を叩く。


 「しかし、誰がその様な物を扱うのだ? 訳が分からぬまま有耶無耶になりそうだが?」


 正弘が懸念を示した。

 初めての事であれば勝手が分からない。


 「お金の扱いに長けた者がイギリスより来日しておりますので、彼に任せたいと思います。」

 「そう言えばその様な事を言っていたな。」


 直弼は銀行を作る話を思い出した。


 「彼はロスチャイルドに連なる者ですが、ロスチャイルドは悪く言えばかねの亡者です。ただ、金の力を良く知る者ですので、国際社会に進出する我が国のこれからに、必ずやお役に立てるでしょう。」

 「そうか。」

 「ただ……」

 「ただ、何だ?」

 「油断していると知らぬ間に我が国の富を奪い取られかねないので、その行動には注視しておく必要があります。責任のある立場には据えず、相談役くらいに留めておくべきかもしれません。」

 「分かった。注意しておこう。」


 学習は早いうちにしておいた方が良いだろう。


 「そう言えば、カレーと離れていた割には元気だな。」


 今更気づいたという風に直弼が言った。

 安全の為にアラスカとカムチャッカには男しか行っていない。

 その言葉に松陰はニッコリと笑い、手元の物をスッと二人の前に出す。


 「それは何だ?」

 「インスタントのカレーウドンです。」

 「いんすたんと?」


 聞いた事が無い単語に問い返す。

 松陰は直ぐには答えず、まずは沸騰したお湯を求めた。

 赤く熾きた炭の乗った火鉢が持って来られ、松陰はヤカンから白い湯気を吐き出されるのを待つ。

 その間に、大き目の椀に箱から取り出した麺の塊の様な物を入れ、その上に茶筒の中の粉を振りかけた。

 

 「この麺は饂飩うどんを油で揚げた物です。粉はカレー粉と片栗粉、鰹節などを配合した物です。」

 「ほう?」

 

 そして沸騰したお湯を椀に注ぎ、蓋をする。

 

 「これで暫く待ちます。」

 「成る程。」


 その間にアラスカの事、カムチャッカの事などをざっと話した。

 頃合いを見て蓋を取る。

 途端、辺りにカレーの匂いが漂った。

 小皿に取り分け、二人に配る。

 二人は一口食べ、驚きに顔を上げた。


 「美味いではないか!」


 とろみのあるカレー味の汁がウドンの麺に絡み、得も言われぬ美味さを醸し出していた。 


 「インスタント麺は、沸騰したお湯さえあればどこででも、直ぐに作って食べる事が出来る便利な食べ物ですよ。」

 「それは良いな!」

 「寒い国では随分と助かりました。」

 「これが元気の秘密か?」

 「そういう事です。」


 カオルコに開発して貰ったカレーウドンはロシア人にも好評であった。 


 「それはそうと私も少し疲れましたので、ここらで休養を取りたいと思います。砂金採取の方は私がいなくても回る様にしておりますので、ご心配なく。」

 「う、うむ。ゆっくりと休め!」


 元気ではあったが淡々としている様子に休暇を認めた。


 「つきましては任子様との約束を果たしとうございますので、色々と取り計らいの程、宜しくお願い致します。」

 「相分かった。心おきなく果たせ。」

 「ありがとうございます。」 


 それぞれがそれぞれのやる事を為している。

 心残りは無い様にしたい。




 『という事でミスターネイサン、中央銀行の開設と香霊基金の運営を宜しくお願いします。』

 『いきなりそんな事を言われても……』


 任子との約束である江戸の町の食べ歩きは、彼女の立場が立場だけに事前の下準備が必要である。

 その間に来日したネイサンの下を訪れていた。

 ロンドンの喫茶店で偶然出会ったと思っていた彼であったのだが、どうやらあれは、ライオネルから依頼されて松陰の人物鑑定を行う、仕組まれたモノであったらしい。 

 ロスチャイルド家の者ではないが、長い事彼らの下で働いてきたそうだ。

 松陰に出会った事で俄然日本に興味を持ち、高齢の身をおして来日を願ったという事の様だ。 

 来日して間もないのに、早速この様な話がきて当惑している彼に言う。


 『ロスチャイルドと言えば銀行ですよね?」

 『まあ、そうだろうね……』

 『我が国には銀行が無いのにロスチャイルドに関係する者が来た。これはもう、銀行を作るしかありませんよね?』

 『そう、なのかね?』


 尤も、銀行のノウハウだけを学びたいという、勝手な思いが大きいが。


 『まさか観光に来たと言うのですか?』

 『いや、半分はそうなのだが……』

 『大丈夫です! 江戸だけでも色々と探索出来ますよ!』

 『確かに、見る物全てが珍しい……』


 寺社だけを見て回るのでも、かなりな時間が必要だ。

 思い出して頷くネイサンに、一人の若者を紹介する。


 『この渋沢栄一君が助手として貴方を助けます。銀行の事だけではなく、株式会社の事など色々と教えてあげて下さい!』

 『渋沢栄一です。宜しくお願い致します。』

 『宜しく頼む。』


 誠実そうな栄一に頭を下げられ、ネイサンも慌てて応えた。




 「お母様、あれが食べたい!」

 「松、慌てて走ると転ぶわよ。」


 小さな松は目を輝かせ、行列の出来たチョコバナナの屋台に駆け寄った。

 それは西洋より輸入されたチョコレートを使ったお菓子で、台湾産の乾燥バナナをチョコでコーティングしたモノである。

 子供から大人まで、誰もが好きなお菓子となっていた。

 一行は松に追いつき、行列に並ぶ。


 「うふふ。あなた達とこうして江戸の町を歩けるなんて、夢の様ね……」

 「あの時の約束がようやく果たせました……」


 任子は居並ぶ松陰らに微笑みかけた。

 

 「まさか、江戸の町を、お供も無しに歩くとは、な……」


 共に行列に並ぶ家定が感慨深げに口にする。

 屋台の周りの者はチョコバナナの事で頭が一杯なのか、先代の征夷大将軍に気づいていなかった。

 顔を知らないのが一番の理由かもしれない。

 注意深く見れば、鋭い目をした者達が彼らの周りに多数配置されているが。


 「美味しい!」


 チョコバナナを買い求め、皆で味見し、歓声を上げた。


 「次はあれ!」


 松が別の屋台に向かう。

 皆でその後を追った。 

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