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極寒の地 ★

 外は激しいブリザードが吹き荒れていた。

 昼の時刻の筈なのに夜の様に暗い。

 そんな暗闇の中、風がビュービューという音を立て、切り出した丸太で作った小屋の壁に氷雪を打ちつけていた。

 小屋の中の侍が、背中に立ち昇ってきた寒気に思わずブルっと震える。

 慌ててミンクのコートの襟を細めて体温が逃げない様にし、愚痴った。


 「くそッ! 毎日ひでぇ寒さだ!」


 暖房として小屋の真ん中で石炭を燃やしているが、節約の為にその火力は弱い。

 とはいえ無ければ凍えてしまうので、石炭は長い冬を越える為の命綱であった。

 その侍は盛んに愚痴りながら焼けたストーブに手をかざし、温める。

 十分に手を温めた所で、これまたストーブの傍で温めていた焼酎の盃を取り、一息にグイっと飲み干し、言った。


 「酒でも飲んでねぇと、やってられねぇ!」


 その表情はウンザリを通り越し、呪詛に近いモノだった。


 「全くよ、あの時の俺を殴ってやりてぇぜ!」


 こうなったのも、元はと言えば自分のせいだった。

 欲をかいた為にここに残り、それを日々後悔している。

 

 「確かに砂金は手に入るが、狂っちまいそうだ!」


 床に無造作に放り出してある、砂金の入った革袋を忌々し気に見る。

 冬の間に基地を守る事と引き換えに、その間に掘った砂金は、一定の割合で自分の物にして良いという事になり、自ら志願してここに残った。

 雪が激しくなる前までは金も採れたが、一旦吹雪けばそれ以上は無理だった。

 都合数日間しか掘れなかったかもしれない。

 それからはずっと小屋の中で、寒さを凌いでいるだけに感じる。


 たとえ天引きされても、これだけの量の砂金を故郷に持って帰れば、一体どれだけの金になるのか想像もつかないが、ここにいる限りは一文にもならない。

 何せ辺り一面、人っ子一人いない白銀の世界である。

 田舎の故郷とはいえ、団子を出す茶屋はあった。

 江戸の賑やかさや華やかさとは比べ物にならないが、日々を送る人々の営みがあった。

 それに比べてここには何も無い。

 仲間が戻って来ない今、孤独に押しつぶされそうであった。

 

 「全く、あいつら何やってんだ? まさか道に迷った訳じゃないよな……」


 共に残った他の仲間達は、新鮮な食料を求めて数日前から狩に出掛けている。

 カリブーと呼ばれる馬鹿でかい鹿を仕留める為だが、突然に始まったブリザードで立ち往生しているのではないかと心配した。

 かといって男に出来る事は何も無い。

 仕方が無いので仲間が帰って来た時の為にストーブでお湯を沸かし、いつでも温かい物を飲める様にしておいた。 


 「こんな事になるんなら、大人しくペテロパブロフスクカムチャツキーに行くんだったぜ……」


 異国の長ったらしい地名も、何度も口にする事ですっかり覚えてしまった。

 地図で見れば目と鼻の先に思える。

 ここからベーリング海を西南方面に進めば同地であり、オレゴンやサンフランシスコよりも近い。

 聞けば松前藩の商人達が物資を運んでおり、町には活気が満ちているとの事。

 火山があって温泉も湧いており、疲れを癒すのに最適だったと聞く。 

 雪に閉ざされたノームにあり、それらを思い出して深い溜息が出た。



 時を遡り、一行が砂金を発見した場面へと戻る。


 『君はここに金がある事を知っていたのかね?』


 プチャーチンが不審げに松陰に尋ねた。

 余りに出来過ぎている様に思える。

 日本人達の中でも松陰だけが全く驚いていないので、尚更だ。


 『偶然ですよ。』


 松陰はサラリと答える。

 

 『そんな馬鹿な! アメリカを出発してから、ほぼ一直線でここへ来たじゃないかね!』


 プチャーチンが問い詰めた。

 オレゴンを出てからは迷う素振りも見せず、真っ直ぐとここに来ている。

 彼が疑うのも当然と言えた。


 『それも誤解です。』

 『何が誤解なのだね?』


 尚も誤魔化そうとする松陰に若干イラついたのか、矢継ぎ早に言った。

 そんな彼を前にして松陰の口調は変わらない。


 『アメリカのオレゴンで出会った、インディアンの老婆を覚えていますか?』


 急に問われプチャーチンは戸惑う。


 『老婆? ああ、覚えているが、彼女が何だと言うのかね?』


 ついこの間会ったばかりだが、関連性が見えない。 

 そんな彼に松陰が言った。


 『彼女はメディスンマンです。』

 『メディスンマン? 確か、アメリカのインディアンの占い師だった筈。俗に言うシャーマンだな。アフリカ辺りだと、怪しげな祈祷師しか見なかったが……』


 流石に世界を旅しているプチャーチンであった。


 『彼女は本物ですよ。グレートスピリットの声を聞く事が出来るのです。』

 『グレートスピリット? 創造神とは違うのかね?』

 『その辺りはややこしいので、この場では言及しません。』

 『この場で宗教論争をしたい訳では無いから良いが……』


 信仰に関して話せば面倒な事になるのは目に見えている。

 松陰に続きを促した。 

 

 『今回、彼女に我々の旅の成功を占ってもらいました。地図を見せたのはその為です。次にどこに向かえば良いのか、地図の場所を指し示して頂いたのです。』

 『そう言えば、あの老婆はこの辺りを指していたな……』


 プチャーチンもその時の様子を覚えていた。

 しかし気になる事もある。


 『確かにあの老婆がこの場所を示した事は認めよう。だが、占いというモノは、あんな野外で道具も無くやるモノだったかね? 立ち話にしか見えなかったのだが……』

 『そんな事を気にしますか?!』

 

 プチャーチンの想像する占いとは、薄暗い部屋の中、怪しげな衣装を纏った占い師が、水晶やタロットカードといった小道具を使って行うイメージであった。 

 松陰がピシャリと言う。


 『本物にそんな小道具は必要ありません!』

 『成る程!』


 妙に納得した。


 『それに彼女が本物だという事は、事実が証明しているでしょう?』


 そう言って松陰は金色の砂浜を振り返った。

 夕日を浴びて砂金がキラキラと輝いている。

 そんな砂浜には、気の早い者達が我先と砂金を集めていた。

 ショベルを使って手元の皿に砂を入れ、川の水で砂を洗い流し、砂金だけを残す。

 二人共そんな指示はしていないから明確な命令違反であったが、先は長いので今だけは自由にやらせていた。

 興奮に沸く部下達の様子を眺め、プチャーチンは何か言いたげであったが、今度は閉じた口を開かなかった。




 「提督! 日本の奴らを始末すれば、金は全て我々の物になります!」


 昼間に散々に砂金を集め、クタクタになったロシア人の乗組員達は、夜の暗闇の中、興奮冷めやらぬ形相でプチャーチンの部屋に押しかけていた。

 一日で集まった金の量を見て独占欲が沸いたのだろう。

 部下に詰め寄られたプチャーチンは暫し考え込み、口を開いた。


 「君達は勘違いをしているぞ?」

 「勘違い、ですか?」

 「そうだ。我々はあの日本人の情けでここにこうしているのだ。」

 「情け?」


 プチャーチンの言葉に面食らう。

 そんな部下達に言った。


 「彼らは金を独占する事も出来た筈なのに、ご丁寧にも我々をここまで連れて来てくれたのだ。」

 「何ですって?!」


 耳を疑い、尋ねた。 


 「しかし、金があったのは偶然なのでしょう?」

 「そんな訳があるか!」

 「いえ、あの日本人が言っていたのではありませんか?」


 松陰の発言を思い出す。


 「あれは嘘に決まっている!」

 「嘘?」

 「そう、嘘だ。何故なら、金を掘る事を前提としていたとしか思えない、完璧な準備の仕方じゃないか!」

 「そう言えば、どうしてシャベルをこんなにも用意してあるのでしょう?」


 シャベル、ツルハシ、金選鉱鍋(砂金と砂などを分離する為の皿)を、これでもかと準備してあった。


 「方法は分からんが、ここに金があると確信していなければ出来ない芸当だ。」

 「確かに!」


 上官の指摘に頷く。


 「この場所自体は言う通り、インディアンの老婆が示したのかもしれない。だが、そこに何があるのかまでは言わなかった筈だ!」

 「彼らの会話の内容は分かりませんが……」

 「それに、シャーマンが金のある場所を言い当てる? 聞いた事が無いぞ!」

 「そんなシャーマンがいれば、世界で争奪戦が始まりますね。」

 「アメリカが放っておく筈がなかろう!」

 「それはそうです!」


 あり得ないと合意した。


 「であれば、ここに金がある事を知っていたのはあの男という事になる!」

 「そうですね。」


 プチャーチンは続けた。


 「誰かから聞いたのかも知れないが、あの男はアラスカに金がある事を知っていたのだろう。この場所はあのシャーマンに尋ねて確かめたのかもしれない。だが、そうであるなら我々を連れて来る必要は無い。自分達だけで来れば金を独占出来るではないか!」

 「そ、そう言われてみれば……」

 「黙って来れば分からないのに、どうして我々に教えた?」

 「それが情けだと言うのですか?」


 部下の指摘には答えず、尚も語る。


 「それに、金を見つけた者の反応など容易に想像出来るのではないか?」

 「そ、それは!」


 部下はアッと声を上げた。


 「金を発見したのは我々だけで、それぞれ武器を備えた軍艦に乗る、異国の船乗り同士だ。国際社会の目など存在しないこのアラスカで、次に何が起こるのかなんて考えるまでも無いのではないかね?」

 「お、仰る通りです!」

 「それに、」

 「それに?」


 上官の言葉を待つ。


 「相手は2隻でこちらは1隻だ。」

 「初めから想定していたという事ですか?」

 「そうだろうな。それだけではないぞ?」

 「え?」


 問いかける様に見る。


 「彼らの装備は知っているね?」

 「ええ、まあ……」


 ロケットと呼ぶ新兵器を見せてもらった事がある。

 大砲を用いずとも、破壊力のある炸裂弾を遠くに飛ばせる武器であった。

 距離が離れれば命中率は著しく落ちるが、近距離ならば外す事も無い。

 それに加え、手に持てる筒から発射するので目標の変更が容易であり、大砲には不可能な運用が可能であった。

 もし地上で戦う事になれば、大砲を下ろせない自分達に比べ、ロケットのある彼らは圧倒的に有利だろう。 


 そして歩兵銃もある。

 蝋で固められた紙製の薬莢を使う、後装式のライフル銃であった。

 試射させてもらったが、恐ろしく命中精度が高い。

 ロケットと併せ、大変な脅威となるだろう。


 「何より、彼らは腰に帯びた刀だけでも突撃してくるぞ?」

 「それは!」


 部下達は言葉に詰まった。

 日本に滞在中、江戸の剣術道場をいくつか見て回った事がある。

 その時は時代錯誤だと感じたが、今となって恐ろしさを覚えた。

 こんな所では弾薬がいつ尽きるかも分からないのに、彼らはそれでも戦える技を鍛えていた事に思い至ったからだ。

 自分達も剣の扱い方を心得ているとはいえ、彼ら程熱心には習熟していない。

 顔から血の気が引く思いがした。 

 

 青くなった彼らにプチャーチンが言う。


 「こうなる事は初めから想定していたのだろう。だから予め数で上回り、新しい武器も装備しておいたのだ。恩知らずな我々が、彼らに牙を剥いた時に備えて。」

 「し、しかし、そうなら何故我々を?」


 それは初めの疑問でもある。 

 プチャーチンは暫し沈黙し、口を開いた。


 「恐らく、彼らの倫理観に由来するのであろうな。」

 「倫理観ですか?」

 「そうだ。君達も江戸で経験したと思うが、日本人は庶民に至るまで、驚く程に他人の物に勝手に手を出さないのではなかったかね?」

 「そう言えば……」


 その言葉に部下達は思い出していた。

 江戸の町を散策している時、自分の物を置きっ放しにして他の事に熱中している人々の姿を。

 それなのに誰も盗もうとしない光景を。

 ロシアであれヨーロッパであれ、大都市であれば、目を離した隙にかっぱらいに荷物を持っていかれるだろう。


 「この場合もそうではないのかね? 他人の土地にある物を、いくら持ち主が与り知らぬからといって、勝手に盗んでいく行為を許されないと考えているのではないかね?」

 「な、成る程……」


 説明に納得した。


 「我々に黙って金を採れば良いモノを、律儀に教えてくれただけでも感謝すべきなのに、恩を忘れて襲うのかね? それも、そうなる事を想定して周到に準備していたであろう相手を、だよ。」

 「前言は撤回します……」


 部下らは項垂れた。

 そんな彼らにプチャーチンが語る。 


 「ここは約束通り3割で我慢しよう。祖国はクリミア戦争で大変な時期だ。3割でも大いなる助けとなるだろう。それに取り分は、3年後にその中身を話し合う事になっている。それも彼の想定範囲なのだろうが、これだけの金だとまでは思っていなかったのではないかな? たったの3年くらいでは集めきれないだろう。3年後には最低でも5割は要求し直すさ。」


 気落ちした部下らを励ます様に快活に笑う。

 そんな上官の様子に元気も戻る。


 「流石は提督です! では、出来るだけ作業をゆっくりと進め、3年間は殆ど手を付けないのが宜しいですか?」

 「馬鹿を言うんじゃない! 時間をかければそれだけ他の者に知られてしまう可能性が高まる! 仮にアメリカ人に知れてみろ! ゴールドラッシュと同じで直ぐに人が殺到し、残らず奪い去られてしまうぞ!」

 「そ、それは確かに!」


 そんな事態を想像し、肝が冷えた。


 「分かってはいると思うし、ここにはその相手もいないが、この場所の事は口外するでないぞ?」

 「肝に銘じておきます!」

 「秘密を保てれば保てただけ我々の取り分は多くなる。その暁にはお前達にも給金を弾むので、全力で金採取に取り組む様に!」

 「はい!」


 こうしてロシア人と日本人の協同による、アラスカでの密やかなゴールドラッシュが始まった。

 この6年前にはカリフォルニアでゴールドラッシュが起こっているが、瞬く間に世界中に知れ渡り、多くの地から人が集まったと言われている。

 そんな狂騒の中、ロシア人と日本人だけは参加しなかったらしい。

 それが今回は、例外であったその両者のみが砂金採りに奔走する事となった。


 アラスカのノームは僻地過ぎ、偶然であれ不意の訪問客が来る事はほぼ無い。

 物資の補給に向かうのはロシア領のペトロパブロフスクカムチャツキーであり、寒村であるこの村であれば情報の秘匿は比較的容易だろう。

 物資は松前藩から運ばれ、藩主崇広とは顔見知りだ。 

 とはいえアラスカは極寒の地であり、冬季に砂金を掘る事は困難である。

 また、極地の海は荒れやすいので、往来出来る期間は限られる。

 難しい条件の下、現地では地道な作業が続く事となる。

挿絵(By みてみん)

砂金掘りは一応の終了です。

次話は日本に戻ります。


地図でノームとペトロパブロフスクカムチャツキーを結ぶ距離だけ直線距離で計測してしまってます。

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