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フランスへ

 「島全体が一つの城ではないか!」

 「干潮に道が現れるとは風流な……」


 チョンマゲを結った侍達が感嘆の声を上げた。

 使節団の本体はモン・サン・ミシェルに来ている。


 「あれは修道院ですから、我が国で考えると高野山の様な場所でしょうか。」


 松陰が解説した。

 傍から見ればお上りさんの御一行的な様相を呈していたが、諸外国を知る為には必要な事だと結論付けられ、大手を振っての見学となった。

 

 「何と豪華な屋敷だ!」

 「富と権力の象徴なのだろうが、あからさますぎではないか?」


 フランスの首都パリへと到着し、ベルサイユ宮殿でナポレオン3世との謁見を果たす。

 宮殿の規模、外観、内装の全てに度肝を抜かれた。

 松陰がフランスの近代史の流れを簡単に述べる。


「ご指摘の通り、こんな宮殿を建てて悦に浸っていたから、革命によって王政が倒れました。恐怖政治が始まり、その反動からか帝政に移り、再び王政に戻り、やっぱり共和制となって、国民投票によってナポレオン皇帝の即位です。」

 「複雑怪奇だな……」


 正睦が唸った。

 疑問が浮かんだのか松陰に尋ねる。


 「国民とは民草まで含めて、だったか?」

 「そうですよ。」

 「民が王を決めると言うのか?」

 「それが彼らの選択です。フランスには元々王様がおりましたから、伝統への回帰なのかもしれません。まあ、再びその王政を廃止した訳ですが……」

 「自ら王を倒しておいて、都合が悪ければ再び王に就いて貰おうなど、随分と虫が良い話ではないか? それとも、王と皇帝は違うのか?」


 質問を重ねた。


 「何が違うのでしょうね? まあ、この帝政も長くは続きませんよ。社会が複雑になった今、一人の人間が絶大な権力を持って君臨する事は難しいです。統治の象徴として存在するのなら悪影響は無いでしょうが、それだったら初めから王様を倒す必要はありませんでした。」

 「成る程。」

 「それとも、王を戴いている間は窮屈に感じていたけれども、いなくなってからどことなく居心地が悪くなったのでしょうか。人は案外その様な存在が必要なのかもしれませんね。」

 「うーむ、他人事では無い話だな……」


 幕府による統治の限界を理解している正睦ではあったが、その後の事を上手くやらないと国内が大変な事態になると思った。

 謁見が終わり恒例の歓迎会が催され、一行はパリの宿に向かう。


 「街は華やかだが、臭いな……」

 「犬の糞がそこかしこに落ちているぞ……」


 ロンドンではテムズ川の臭いに閉口した一行であったが、パリも似た様な状況だった。

 

 「一説によるとベルサイユ宮殿の厠はあまりに少なく、集まった人々は庭で用を足したそうです。女性の服装がああなっているのは、立ったままするのに困らない為だとか。毎日お風呂に入る習慣もなかったので、体臭を紛らわせる為に香水文化が発展したそうです。」

 「女性のあの服にはそんな理由があったのか……」


 正睦は妙な所で納得してしまった。


 「ホテルの部屋にも備え付けられているオマルですが、パリの住民は朝になると中身を近くの川に捨てる様ですね。面倒臭がりな人は窓から道に放るので、朝の通りを歩く際には注意が必要だそうですよ。」

 「何と恐ろしい!」

 「西洋人には公という意識が無いのか?」


 松陰の話に憤るやら呆れるやら。 

 そして一行はフランスを見て周り、次にベルギーへと到着した。

 ベルギーと言えばビールであろう。

 低温で下面発酵させ、冷たくさせて飲むラガービールは冷蔵庫の発明によって普及したが、当時は上面発酵のエールビールが主流である。

 折角なのでホテル周辺の飲み屋に分散し、市民との交流を図った。

 ベルギー市民も、かねてより噂となっていた日本人使節団と身近に接する機会を得て、時ならぬお祭り騒ぎとなっていた。


 「喉越しが堪らん!」

 「苦味が良い味を出しているな!」

 「これはこれで確かに美味しいですが、冷えていたらもっと……」


 早速エールを味わう。

 しかし、キンキンに冷えたラガービールの喉越しを思い返していた松陰には、若干物足りなく感じた。

 豊潤な香りを楽しむ為には冷えすぎていない方が良いし、エールは常温で飲む物が多いので偏見と言えよう。

 どことなく不満げな松陰は置いておき、他の者は大いに楽しんでいる。


 「エールはエールで素晴らしいが、ソーセージも中々の物だぞ!」

 「そうね! パリっとした皮を噛みしめるとジュワっと肉の脂が溢れ出て、ピリッとした香辛料が肉の甘さをグンと引き出しているのね!」

 「的確だ……」


 男性陣はスズのコメントに呆気に取られた。


 「ま、まあ、それは兎も角、口の中に残った肉の脂をビールで洗い流せば、どちらもいくらでもいける!」

 「まさしく!」

 

 次々と運ばれてくるソーセージとビールを平らげていく。 


 『すみません、貴方がミスターヨシダ?』

 『はい?』


 宴も半ばを過ぎた頃だろうか。

 喧噪の中で名を呼ばれ、松陰は顔を上げた。

 一人の女性が自分を見つめている。


 『そうですが、貴女は?』


 その女性は松陰の答えに満足したのか、スカートの裾を軽く持ち上げ頭を下げ、自己紹介を始めた。


 『お目にかかれて光栄ですわ。私はフローレンス・ナイチンゲールと申します。』

 『ナイチンゲール!?』

 『どうかなさいましたか?』

 『あ、いえ、は、初めまして!』


 名前を聞き、慌てて立ち上がり挨拶を返す。

 ナイチンゲールは話しを続けた。


 『ドクタータカノの発表に深い感銘を受けて参りました。ペニシリンは世紀の大発見ですわ!』

 『それはありがとうございます。ですが、その言葉はドクタータカノに直接伝えて下さればと思います。』

 『もう伝えておりますわ!』

 『え?』


 意味が分からない。


 『それでしたら、何故私に?』


 松陰は訳が分からずに尋ねた。

 彼女はにっこりと笑って答える。


 『ドクタータカノは勿論、ミスタークマキチにもドクターシーボルトからも、ミスタームラタにもミスクスモトにも十分に伺った結果、貴方にお会いしなければならないと確信しました!』

 『と、言うと?』


 彼女の笑顔に何やら不吉な予感を得る。


 『皆さん、聡明な方々ばかりでした! ミスタークマキチとは直接お話し出来ませんでしたが、通訳を介して話すからこそ、分かる事もありましたよ?』

 『え?』


 益々不安が募った。

 と、口調を変えて話し始める。


 『勿体ぶった話し方は嫌いなので率直にお聞きします。』

 『は、はい!』


 その目は真剣そのもので、彼女の人柄を表している様に思えた。


 『ペニシリンの発見は、全て貴方が意図した事ですね?』


 思ってもみなかった質問に松陰は焦る。


 『な、何を言っているのですか?』


 堪らず誤魔化そうとするが彼女には通じない。


 『とぼけても無駄ですわ! 彼らの話しぶりから察するに、貴方がペニシリンの存在を知っていた事は明白!』

 『うっ!』

 『その反応、図星だったみたいですわね!』

 『え、いえ、あの……』

 『言い訳は結構ですわ! 理由があるのでしょうから、それを聞く様な事はしません!』

 『え?』


 予想と違った反応に戸惑う。

 ナイチンゲールは続けた。 


 『世紀の大発見と言えど、世間に名が知られるのを嫌がる人もいるでしょう。貴方がそうとは言いませんが、そもそもそんな事は問題では無いのです!』

 『問題では無い?』

 『そうです! 少なくとも私は興味がありません! そんな事よりも、より重大な懸念がありますわ!』

 『そ、それは?』

 

 ごくりと唾を飲み込み、彼女の言葉を待った。

 そんな松陰にビシッと指摘する。 


 『貴方が他にも色々と知っていて、わざと黙っているのではないか、という懸念です!』

 『……』

 『酔いが回るのを待って正解でしたわね! 動揺を隠せていませんわよ?』


 彼女の言う通りであった。

 いつもは努めて酔わない程度にしか飲まないのだが、旨いソーセージについついビールが進んでしまっていた。

 その為、目線の動きで内心がバレてしまったのだろう。

 落ち込む松陰に告げた。


 『何度も言いますが、それは別に構わないのです。仮に大砲よりも優れた人殺しの道具を知っていたとしても、言わないでくれるのでしたら私としても有難いですから。』

 『成る程……』


 戦争の在り方を一変させるダイナマイトを、既に開発しているとは言えない。 

 尤も、開発しているだけで情報を国外に流出させてはいないが。

 思わずヒヤリとした松陰にナイチンゲールが言う。


 『問題は、病気や怪我に苦しむ患者を助ける方法を知っているのに、黙っている事があってはならないという事ですわ! それは断固として許しません!』 

 『流石は白衣の天使の元祖ですね。』

 『白衣の天使? それは何です?』

 『あ、いえ、何でもありません……』

 

 言葉を濁した。


 『兎に角、ペニシリン以外にも、患者を救う方法を知っているのではありませんの?』

 『突然そう言われましても……』

 『思い出せばあるという事ですか?』

 『うーん……。栄養に関してなら教えられるかもしれませんが……』

 『栄養? それは何です?』


 松陰の言葉に食いついた。

 身を乗り出して尋ねる。


 『ここで教えるのですか?』


 松陰は辺りを見渡した。

 周りは尚も盛り上がっており、所々で侍達を囲んで歓声が上がっている。

 その中心では酔った者が日本の芸などを披露していた。

 ナイチンゲールもそれに気づいたが、意に介さない。


 『周りの騒ぎなど関係ありません!』


 強い眼差しで言いきった。

 偉業を成し遂げる人物はやはり違うなと思ったが、そうであれば尚更ここは断らなければなるまい。


 『貴女の意志は分かりました。』

 『では!』

 『ちょっと待って下さい!』

 『何ですの?』


 松陰に止められ踏鞴たたらを踏む。


 『私は今酔っております。酔った頭では貴女の満足のいく結果は得られないでしょうから、酔いの醒める明日にしませんか?』

 『むう……。仕方ありませんわね……』


 彼女もそれもそうだと思い直し、今日の所は引き下がった。


 『ならば私も一杯頂きますわ!』


 折角なので宴会に付き合う事にした。

ナイチンゲールの雰囲気が出せているのか不安です。

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