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チョコとの遭遇

 『お前さんは本当に、今話題となっている日本人なんかね?』


 ネイサンが質問した。

 日本人を見た事がないのか、エドワードの話しぶりだけでは確証が持てなかったらしい。


 『証明する手立てがありませんが、本当ですよ。』


 松陰は肩を竦めて答えた。

 パスポートでもあれば良いのだろうが、当時にはそんな便利なモノは無い。

 見かねた店主が助け船を出す。


 『私はテムズ川で見ましたよ。確かにあの時に来た人達の中の、お一人の様です。』

 『そうかい!』


 店主は使節団のロンドン到着時に見物に来ていた様だ。

 その言葉に喜ぶ。


 『実は孫達が日本人の事を噂していてね! この事を帰って孫達に話せば、きっと喜んでくれるだろうよ!』

 『それは良かったです。』 


 孫の喜ぶ顔を見る事は、爺様としては非常に嬉しいだろう。

 寛ぎの時間を邪魔したお詫びとして、孫達への土産話を提供しようと思い立つ。


 『宜しければこちらの席で、一緒にお茶でも飲みませんか? 費用はエドワード氏が払ってくれますので、新しいお茶でも如何です? 窓際は通りから丸見えなので、私がそちらに行く訳にはいかないのです……』

 『そ、そうかい?』


 松陰の申し出に、ネイサンは躊躇う事なく頷いた。

 窓際のテーブル席から松陰の隣に移る。

 同時に、松陰の注文の品が来た。


 『ミルクティーとスコーンです。では、お客様は何に致しますか?』

 『次はコーヒーと、折角だからチョコレートでも貰おうかい。』

 『承知致しました。』


 ネイサンの注文した物に松陰は驚く。


 『チョコレートですと?!』

 『何だい? 駄目だったかい?』

 『あ、いえ、そういう意味ではなく、チョコレートがあるのですか?』

 『あるから頼んでいるんだが……』

 『何と! チョコレートが既にあるとは! では、私にもチョコレートを!』

 『少々お待ち下さい。』


 人類がカカオを利用してきた歴史は長いが、その殆どはチョコレート飲料としてであった。

 固形チョコレートは1847年、イギリスで開発されている。

 店主がコーヒーと共に黒い色の物体を出した。

 

 『見た目は完全にチョコレートですね!』


 その一つを摘み、いそいそと口へ運ぶ。

 舌の上で滑らかに溶けるチョコレートの風味を味わう、事は出来なかった。

 眉を顰めて感想を述べる。

 

 『風味はチョコレートなのですが、苦味がありますし、舌触りもザラザラしていますね……』


 前世のチョコレートとは違い過ぎた。

 ネイサンはキョトンとした顔でチョコレートを食べ、言う。 


 『良く分からんが、こんな物じゃないのかい?』

 『いえ、まあ、そうですね。その通りです……』


 滑らかな口どけと、苦味を軽減したチョコレートの登場は、まだ暫く先である。

 期待していただけに少々気落ちはしたが、懐かしいチョコレートの風味に満足し、松陰はネイサンに向き合った。


 『お騒がせしたお詫びとして、お孫さんへの土産話に、日本の事を少しだけ紹介致します!』

 『おぉ! ありがたい!』

 

 こうして松陰は、日本の事をざっと紹介していった。

 特にイギリスと日本の類似点を指摘していく。


 『イギリスの騎士に対して、日本の侍と言えるかもしれません。』

 『ちょ、ちょっと待って! 今、何と言った? シャムライと言ったのかい?』

 

 ネイサンが聞き間違いをした様だ。

 松陰がそれを正す。


 『シャムライではなくて、侍です。』

 『サムライ……』

 『シャムライって何ですか?』

 『い、いや、何でもない!』


 慌てた様にかぶりを振り、誤魔化す様に言う。


 『成る程! 似ているねぇ! 同じ島国同士だからなのかい?』


 西洋に騎士道があるなら日本には武士道がある。

 名誉を重んじ、交わした約束を守るなど、規範とする徳目の共通点は多い。


 『島国同士と言うよりは、共同体に所属する構成員に求められるモノには、洋の東西の違いは少ないという事かと思われます。我が国では和を以て貴しとなすと言いますが、ここイギリスでも同じ事ではありませんか?』

 『た、確かに調和は大事な事だよ!』

 『そしてそれはアメリカのインディアンにも言えますし、アフリカの部族でも同じでしょう。』

 『そう言われてみれば、そうかもしれん……』

 『とは言え、侍の矜持を表すには、そうですね……シェイクスピアのヴェニスの商人で例えましょうか。』


 イギリスという事でそれを選んだ。

 またもネイサンが驚く。

 日本人に関し口の悪い近所の者は、東洋の未開な野蛮人だと盛んに言いふらしていたからだ。

 そんな野蛮な未開人の口から、まさかイングランドが世界に誇る偉大な作家、シェイクスピアの名前が出ようなど、想像もしていなかっただろう。


 『シェイクスピアを知っているのかい?』

 『ロミオとジュリエット、ハムレットくらいは知っていますよ。』

 『えぇと、日本では人気なのかい?』

 『私が個人的に知っているだけです。』

 『そ、そうかい……』


 ネイサンは顔を引きつらせつつ言った。

 そんな彼に続ける。 


 『ヴェニスの商人では、強欲なユダヤ人の金貸しシャイロックが、払えなかったら肉1ポンドだという条件で金を貸しますよね?』

 『あ、ああ。確か、そうだったね……』


 外国人の方が詳しいと感じたのか、顔は引きつったままだ。 


 『借りた側は結局返せず、シャイロックは契約を果たせと裁判を起こし、無事に認められる。』

 『そ、そうだね……』

 『喜び勇んで肉を切り取ろうとした時に、契約には肉とだけ書かれているのであるから、血は一滴も流してはならないと裁判官に言われ、シャイロックは泣く泣く諦めるというお話です。』

 『あ、あぁ、そうだった!』


 やっと話を思い出したとでも言いたげに、相槌を打った。


 『侍の矜持では、一旦約束したのだから、契約を果たせという裁判になっていないと思われます。』

 『え?』

 『金を返せなくなった時点で、自らの肉を差し出したでしょう。』

 『は?』

 『たとえその事で死ぬ事になっても、それが約束だからです。』

 『な、何だって?!』 


 交わした約束を違える事は、名誉を傷つける行為ではある。

 尤も、現実の金貸しから、その様な約束を求められる事は無いのだろうが。


 『まあ、それはヤケクソに似た意地かもしれませんし、そんな約束を求めたシャイロックには、残された遺族が間違いなく復讐するでしょうけどね。』

 『そ、そうかい……』


 理不尽な要求であろうが、約束は約束であろう。

 社会の通念を無視した契約は認められない現代とは違う。

 ただ、命の安い時代であれば仇討ちのハードルもまた低いので、理不尽な要求自体が抑制されるのが通例だ。


 『それは兎も角、名誉を重んじる侍は、交わした約束をきっちりと果たしてこそ、名誉が守られると考えます。仕える主家の為であったなら、躊躇わずに嘘もつきますけども。』

 『そ、それはどうなんだい?』

 『嘘をついた責任は、その個人が取れば良いのではありませんか?』

 『よ、よく分からない価値観だが……』


 個人の利害よりも、所属する共同体の利益が優先されるのが日本であるかもしれない。

 共同体を守る為であるなら、個人においては重要視される名誉も捨て置かれるのだ。

 一方の西洋では、現実の権力者を超越する絶対者の神がいるので、神への信仰を守る為であれば、共同体を裏切る事も推奨される行いであろう。


『とまあ、その様な感じで、約束を守る事は大事だとされています。』

 『な、成る程ねぇ……』

 『そして、日本のとある商人達の間には、売る方に良し、買う方に良し、社会に良しという言葉もございます。』

 『売る方に良し、買う方に良し、社会に良し、かい?』

 『そうです。それであって初めて継続した商売が出来るという考え方です。シャイロックのやり方は社会的な反感を買いますので、たとえその契約が双方の同意によって行われた物であったとしても、早晩規制されるだけでございましょう。』

 『そ、そうだね……』


 民衆の反感を買う事は、幕府であっても恐れる事態であった。

 また、移動の自由の無い当時、一旦悪い評判が立てば商売人には致命的である。 

 

 『約束を守るのは信頼を失わない為です。人であるので失敗は避けられませんが、信頼が損なわれなければ次の機会を与えられるでしょう。しかし一度信頼を失ってしまえば、挽回の機会すら与えて貰えません。』

 『信頼、かい……』

 『そうです。信頼を守る為には誠心誠意を以て事に当たらねばなりません。日本人の誠実さを表す、一つの証拠をお見せしましょう。』

 『証拠?』

 『これです。』


 そう言って松陰は立ち上がり、失礼と一声掛けて腰の刀を抜く。

 ネイサンはギョッとしたが、落ち着いた態度の松陰に騒ぐ事は無かった。


 『これは刀と言います。刀は侍の魂とも言われますが、その魂である刀を作りあげる職人もまた魂を込めた仕事をしなければ、たちまちのうちに信頼を失うでしょう。』

 『美しいね……』


 ネイサンは人を殺す武器である筈のそれに、ある種の美しさを感じた。

 

 『顔が映るくらいまで磨き上げられています。誠実な作業がなければ、完成しない類のモノです。』

 『武器にそこまでする意味が分からんが……』


 ネイサンが正直な所を述べた。


 『実はその通りです。刃物の表面は磨き上げ過ぎない方が切れるのですが、刀は侍の象徴でもあるので、霊性さをも求められます。曇りの無い刀は、曇りの無い心を表します。誠実な仕事によって鍛えられた刀ですから、それを持つ側にも見合った誠実さが求められるという訳ですね。』

 『誠実さ、ね……』

『極限まで研ぎ澄まされた刃先は、勤勉さの表れでもありましょう。』

 『確かにこんな仕事をするには、勤勉でなければ不可能だ……』


 松陰はここぞとばかりに好き勝手な事を言った。

 ネイサンは溜息をつく。

 ふと思った疑問を口にした。


 『そう言えば君は英語が上手いねぇ。日本は大英帝国の支配地域ではない筈だろう? それとも、日本では英語が話されているのかい?』

 『日本語ですよ。』


 ここまで英語を操れば、ネイサンがそう思っても不思議はない。

 ついでに日本語の説明もする。


 『日本語はひらがな、カタカナ、漢字の三つの文字がございます。』

 『三つの文字?!』


 信じられないといった顔をした。 


 『こんな感じです。』


 松陰は懐から出した紙に、携帯用の筆箱を出してサラサラと書いていく。

 

 『これがひらがな、これがカタカナ、そして漢字です。漢字は中国から伝わり、日常的に使う数は数千あります。ですがひらがなとカタカナは48音です。漢字は意味を表した文字で、ひらがなとカタカナはアルファベットと同じ音を表しています。』

 『こ、これは?!』

 『どうしました?』

 『い、いや……』


 カタカナを見た所で何やらショックを受けたらしい。

 そんなネイサンに付け加えた。 


 『とまあ、この3つを組み合わせて使います。漢字は一語で多くの意味を表すので覚えてしまえば非常に便利ですよ。』

 『数千というのが信じられんが……』


 そんな話をしている時だった。


 『ショーイン!』


 勢いよくお店の扉が開き、エドワードが戻って来た。


 『馬車の準備が出来たぞ! さあ、行こう!』

 『分かりました。』


 お代わりした紅茶の残りを飲み干し、席を立つ。

 エドワードは店主が申し出た損害額を払う。

 

 『それでは私はこれで。』

 『楽しかったよ、ありがとう!』


 ネイサンと握手を交わし、別れを告げて店を後にした。

 馬車に乗り込み、出発する。

 走り去る馬車に向かい、ネイサンが小さく呟いた。


 『調和、誠実、勤勉を尊ぶ異教徒とは……』

フィリピンでブラックのホット・チョコレートを飲みましたが、苦過ぎました。

一口で無理だと悟った程です。

コーヒーの感じで砂糖を入れても甘くならず、苦労して飲んだ記憶があります。

当時のチョコレートは砂糖をぶちこんでたとは思いますが、甘くはなかった様なので、一体どれくらいの苦さだったのか・・・

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