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アメリカ脱出

 当世具足に身を包んだ侍達が、ニューヨークのセントラル・パークで向き合っていた。

 赤備えと黒漆塗りの鎧が約百体、それぞれの色に分かれて並んでいる。

 それぞれの陣営の端には、一際目立つ甲冑に身を包んだ大将役が一人ずつ、屈強そうな男達に囲まれ、悠然と座っている。

 赤と黒の陣営は睨み合う様に対峙し、時が来るのを静かに待っていた。


 公園には市民が多数詰めかけ、思う様に身動きの出来ない程である。

 また、近くの建物も人で一杯で、ベランダや窓から身を乗り出し、広場を見下ろしていた。

 物売り達が大声を張り上げ、この時とばかりに商売に精を出す。

 ニューヨークの街は、いつにない熱気に包まれていた。


 開戦を告げる法螺貝の音が広場にこだまする。

 鎧姿の武者達は一斉に抜刀し、ときの声を上げ、走り出す。

 市民は「おぉ」と歓声を上げ、それぞれの進軍を見守った。

 両軍は公園の中央で激突し、手に持った刀で切り結ぶ。

 鉄がぶつかる甲高い音があちらこちらから上がった。


 斬られ、その場にどっと倒れ込む者がいるかと思えば、数人がかりで一人を囲む者もいる。

 迂闊に攻め込み反撃される者、慎重過ぎて睨み合うだけの者など、その戦い方は様々であった。

 ジリジリとした時間が経過し、戦況は徐々に赤色の優位で進み始めた。

 

 と、中央から敵陣を突破しようとする一団が黒側から現れた。

 劣勢を悟り、一か八かの勝負に出たのだろう。 

 大将自らが先頭に立ち、撃って出たのだ。

 見守る市民は盛んに応援した。


 瞬く間に赤色の陣営を打ち崩し、敵陣の後方に迫る。

 遂に大将同士が相まみえた。

 戦場は一瞬にして静まり返り、大将同士の一騎打ちを見守る形となった。

 市民の興奮具合も最高潮に達する。


 攻める黒を迎え撃つ赤といった風の勝負であった。

 盛んに攻め立てる黒に、見守る市民の声援が飛ぶ。 

 しかし、敵陣を突破してきた疲れからか、黒の動きが鈍り始めた。

 次第に赤の攻撃の方が多くなり、黒は防戦一方となる。

 逆転を狙った上段からの一撃を躱され、大きな隙を作ってしまった。

 ハラハラして見ていた市民はアッと息を呑む。

 当然、赤がそれを見逃す筈も無く、大将同士の勝負はついた。

 大将を失った黒の陣営は潔く負けを認め、ここにニューヨークの戦いを終えた。

 

 激闘を終えた両陣営は、死んだ者も立ち上がり、乱れた装備を整え揃って観衆に頭を下げた。

 集まった市民は感激し、盛んな拍手を送っている。

 日本の文化と歴史を紹介する一環として行われた模擬合戦は、大成功の内に幕を閉じた。

 そればかりか再演を望む声が殺到し、困ったニューヨーク市が日本側に相談する事となり、翌年からは譲り受けた甲冑を市民が纏う形で、日本の合戦劇が催される事となっていく。

 アメリカ中から参加希望者と観客を集める、ニューヨーク市を代表するお祭りとなるのは、もう少し先の話である。


 


 「すみません……」


 ベッドに臥せた松陰が口にした。

 ワシントンで熱を出して倒れ、寝込んだままニューヨークまで来ている。

 隣ではスズがつきっきりで看病を続けていた。

 

 「疲れでも出たのですかね……」

 

 自嘲気味に呟く。

 イネの見立てでは、旅の無理が祟ったのだろうという事であった。


 「お守りはどうしたのさ?」


 兄である梅太郎が尋ねた。

 汗を拭く際に、胸元になければならない筈のお守りが見えなかったのだ。

 嫌な予感がし、思わず口を突いて出た質問である。


 「ハワイの同志に預けてきました……」


 松陰は力なく答えた。

 宗教組織である神聖香霊会をハワイに作る為、アレックス王の兄ロトに手渡してきている。

 それを聞き、梅太郎は松陰の状態に合点した。  

 お守りの効果が切れてしまったのだと。

 

 カレーという、自分の知らない食べ物への執念だけが、松陰を駆り立ててきた事を知っている梅太郎にとっては、今の状態は仕方の無い事だと思う。

 ヨーロッパを目前にして、今更戻るのは耐えがたいのだろう。

 理性で考えれば戻るべきだと分かっていても、体が言う事を聞かないのだ。

 離れたいのに離れられなかった、萩の漢方薬店と同じである。

 お守りを渡してからはある程度防げていたが、どんな理由にせよお守りの無い今、どうにもならないに違いない。

 

 病の原因が、お守りの香りが無くなったからだと聞けば、多くの者が口を揃えて責めるだろう。

 武士にあるまじき卑しさ、弱さだと、声高に糾弾するであろう事は目に見えている。

 北斎の下で修業を積んだ経験から、武士の道徳基準と世間の意識のズレは理解しているつもりだ。

 大義の実現の為には、個人の命や事情など軽んじられて当然だと思うのが武士であるし、梅太郎も了解している。

 食べ物への執着から寝込むなど、到底認められる筈があるまい。

 やるべき事を粛々と為せと言うだけだろう。


 しかし、幼い頃より傍で見聞きしてきた、弟松陰のインドという国への想いとカレーへの執着の深さ。

 寝言で呟き、夢で涙する程にカレーを求めていた姿を知っているだけに、たかが食べ物如きで軟弱だなどと責める気にはならない。

 それに、彼らは知らないのだ。 

 卑しいだけに見える、食べ物をひたすらに求める頑張りの結果が、この遣米使節だという事を。 


 この使節団の中に、海禁策を採る幕府を向こうに回し、一歩も引かずに開国すべしと、その論を展開出来る者がどれだけいるというのか。

 自論を展開出来たとて、開国するしないに関わらず、それぞれの選択において予想される将来の不安と、それへの備えまで提案出来るというのだろうか。

 そしてそうであったからこそ、突拍子もないと感じる話を、藩主敬親を始め、幕府のお偉方も聞き入れたに違いないのだ。

 それだけでも容易には信じがたいが、何より驚かされるのが、弟を突き動かす原動力が、カレーへの狂おしいまでの情熱だけだったという事だ。

 

 彼は言った。

 カレーへ通じる道を遮るのなら、幕府といえども容赦はしないと。

 鎖国で行く手を阻むつもりなら、その鎖を叩き壊して進んでやると。

 そして、インドで必ずカレーを食べてみせると。

 その計画を聞いた時には肝を潰すくらいに驚いたモノだが、見事その言葉を実現する、あと一歩という所まで来ている。

 残すはヨーロッパ諸国を訪問するだけで、それが終わればインドだからだ。

 傍から見れば、狂っていると感じる程の執念が、遂に叶うのである。

 それなのにここから戻るなど、出来る筈があるまい。

 梅太郎はそれを十分に理解し、寝ている松陰に言った。


 「留まって治療している暇なんて無いから、このままヨーロッパに向かうけど、それでいいよね? 何の用かは聞かないけど、そんな状態じゃ無理でしょ? 戻ってもらうのは誰かに任せればいいよね? 誰か戻ってくれる人はいないかな?」 


 意見を聞く風なだけで、松陰の意見を聞く気はなかった。 

 決定事項というヤツだ。 


 「俺が戻ろう。」

 「近藤さん?!」

 「なーに、一緒に埋めた手前、責任というモノがある。」


 部屋の隅に陣取っていた勇が真っ先に手を挙げた。

 乗り掛かった舟であるし、チェキローの娘を送りに行く意図もある。

 このままアメリカを去るのは心苦しかった。


 初めは自らの手で、チェキロー族と交わした約束を果たす事を考えていた松陰も、梅太郎の言動から自分の状態を察した。

 場合によっては、これ以上の負担を周りにおしつけかねない。

 土地の購入は叶ったのだから、後の事は任せるべきだと判断した。

 そうとなれば進めるべき話は多い。


 『ジョニーさん?』

 『何だぁ?』

 『オレゴンに買った土地なのですが、アメリカ人がいない事には始まりません。ジョニーさんに代表をお願いしたいのですが、引き受けて下さいませんか?』

 『何言ってるだ! オデには無理だ!』


 全力で頭を振って拒絶した。

 これ以上言っても聞き入れそうに無いので、別の方向から進める。 


 「乙女さん?」

 「何ね?」


 ギロリと睨まれた気がしたが、構う事なく続けた。


 「ジョニーさんを助けて下さいませんか? 乙女さんなら、全てを任せられるのですが……」 

 「それは嫁にいけちう事ね?」

 「有体に言えばそうです……」


 今度は呪い殺しそうな視線で応えてくれた。

 彼女の親でもあるまいし、その様な話を勧める身にないが、しっかり者の乙女がついていれば大丈夫だと思うので、挫けそうになる心を懸命に鼓舞する。 

 暫し息の詰まる睨み合いが続き、乙女が口を開いた。


 「龍馬!」

 「乙女姉?」

 「おとやんとおかやんに伝えちょくれ。乙女はアメリカで嫁に行ったと!」

 「分かったぜよ!」


 龍馬は即座に答えた。

 ジョニーの人となりは理解していたので、結婚に心配はしていない。

 坂本のお仁王様ともあだ名されていた姉であるので、熱烈な求婚をしていたジョニーの下に嫁ぐのは、寧ろ一安心であった。

 松陰はホッとする。

 そして乙女はジョニーに向き合い、床に正座をして頭を下げた。


 「不束者やけんど、宜しくお願い致す。」


 乙女に頭を下げられたジョニーは吃驚仰天し、日本語が分からないのでどういう事なのかと松陰を見た。


 『ジョニーさんのプロポーズを受け入れますという意味ですよ。』


 信じられないという顔で乙女の前に座り込み、にじり寄る形で尋ねる。


 『本当だか? オデと結婚してくれるだか?』

 

 松陰は同時通訳し、乙女はしっかりと頷いた。


 『やっただぁ!!』


 途端に喜び、瞬く間に乙女を抱きかかえた。

 所謂御姫様だっこというヤツだ。

 恥ずかしさで顔を真っ赤に染めて抵抗する乙女に構わず、ジョニーは抱きかかえたまま部屋を出て行った。


 『早速結婚式を挙げるべ!』 


 廊下に大きな声が響いた。


 『マリアさん、フォローをお願い出来ますか?』

 『分かりましたわ……』


 はぁという溜息を漏らし、マリアはジョニーの後を追った。

 

  


 「乙女姉がオレゴンに行く言うちょるなら、儂も行くぜよ!」


 龍馬が宣言する。

 異国に姉一人を置いて行く訳にはいかない。

 松陰にもその方が都合が良いので、それで話を進める。


 「では龍馬君は日本とハワイ、アメリカを繋ぐ貿易会社の設立準備も併せてお願いします。乙女さんには味噌や醤油が必要でしょうから、日本から届けてあげて下さい。オレゴンは太平洋に面していますから都合が良いですよ。それに、サンフランシスコにも近いですから、照り焼きバーガーを広めれば、ニンジャ効果で大儲け間違い無しですよ!」

 「会社? 照り焼き馬鹿? 一体何ね?」

 「それは後で説明します。」


 醤油は初め、アメリカ人には中々受け入れられなかった。

 肉を醤油に浸して焼く調理方法を知ってもらう事で売り上げを伸ばしていったのだが、それをなぞる。

 ついでにハンバーガーまで売り出してしまおうと考えた。

 ニンジャの知名度を利用し、ニンジャが食べて育ったと宣伝すれば間違い無いだろう。

 

 龍馬と言えば海援隊であろう。

 彼の夢であったであろう、海を越えた商売をここでやってもらう。 

 ハワイの海舟にも届けて欲しいので、丁度良いのだ。

 次はヨセフである。


 『ヨセフ君?』

 『何でしょう?』

 『土地の購入で残った金が半分あります。ヨセフ君が管理し、運用もして頂けませんか?』

 『え?』


 寝耳に水の提案であった。

 松陰は説明する。


 『土地を買っただけでは住めません。開発には資金が必要ですが、管理出来る人がいないと無駄遣いをして直ぐに尽きてしまうでしょう。かと言って、資金を眠らせたままだと勿体ないです。投資すべきです。』

 『まあ、そうですね……』


 金融業の父を見て育ち、資金管理と投資の大切さは分かる。

 しかし、そんな責任のある役目が自分に務まるのかと不安であった。

 そんなヨセフに、更なる不安材料を伝える。


 『今後、アメリカ政府のインディアン政策は厳しくなっていきます。西部の開拓が本格的に始まるからです。もしかしたらオレゴンに買った土地も没収の憂き目に遭うかもしれません。そうならない為には、政治家に働きかける事が必須になります。』

 『それは確かに……』


 ロビー活動の重要性も理解していた。


 『ヨセフ君しか任せられる人がいません。お願い出来ませんか?』


 松陰の訴えに静かに考え込み、答えを出した。


 『微力ながら、引き受けたいと思います。』

 『ありがとうございます!』


 こうして懸念事項に手を打ち、使節団はアメリカを発った。

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