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松陰の取り扱い方法

「この度は、本当に申し訳ございませぬ。」


 目の前で亦介が謝っている。

 玉木邸にて亦介を見つけた日より数日後の事である。


 清風は、最早怒ってなどいなかったが、何もせぬのも何だかなと思い、謝罪を受けていた。


 「もう良いのだ、亦介。顔を上げなさい。」

 「申し訳ありませんでした、伯父上。」


 亦介も肩の荷が下りたといった、ホッとした顔であった。

 

 「それで、本日は伯父上にお土産があるでござる。」

 「何? お土産じゃと?」

 「はい。松陰殿が伯父上に是非渡して欲しいと。」

 「うーむ、あの場なら兎も角、元服を迎えてもいない者に殿をつけるのもどうなのじゃろうか?」


 清風の顔には困惑が浮かんでいた。


 「しかし吉田でも、松陰というのも、なんだかしっくりこぬのう……。まあ良いか。松陰殿で良いな。で、松陰殿が儂にじゃと?」

 「伯父上も面倒な性格でござるな。ポテチの新作だそうでござる。」

 「なぬ?」 


 亦介は持って来ていた包を取り出した。 


 「これなるは、ポテチの新作、海苔塩でござる。」

 「海苔塩じゃと?」


 亦介が紙の袋を開けると、微かに磯の香りが漂ってくる。

 成程、名前の通り、海苔の風味らしい。

 清風は迷わず手を伸ばし、一枚を手に取ってみた。


 ポテチの表面には、緑色の、細かくなった海苔らしきものが張り付き、匂ってみれば磯の香りが鼻腔に広がり、すこぶる食欲をそそる。

 口に含めば海苔の風味と、程よい塩加減が実に良い塩梅で、塩味とはまた違った美味しさがあった。


 「ふむ、これもまた実に美味いものじゃ。いやはや全く、松陰殿には驚かされてばかりじゃのう。」

 「誠に持ってそうでござるなぁ」

 「ポテチなる食べ方を考えたかと思えば、すぐにこうして新しい味を考えだすとは、一体何を見ておるのやら。儂の様な凡人には想像もつかんわい。」

 「誠に。私の様な非才の身には想像もつきませぬ。」

 

 盛んに手が伸びた。


 「亦介、お主はさっきから一人で食べ過ぎではないのか?!」

 「伯父上が一人でぶつくさ言っておるからではないのでござるか?」


 尚も言い募りそうになった、その時、


 「あら? 私の分は取っておいては下さらぬのですか?」


 お茶を持ってきたお美代が、罵り合う二人に、努めて平静な声で問いかけた。

 清風も亦介も声を失くし、慌てて袋の中を見てみるも、もはやポテチの影も形もない。

 清風も亦介もばつが悪い顔で、


 「すまぬ、お美代。御前の分まで食べてしもうた……」

 「本当にすみませぬ伯母上……」


 しきりに謝る二人。

 そんな二人にお茶を配り、お盆に載ったお茶請けを出す。


 「ふふふ、意地悪が過ぎました。本日は吉田様のご母堂であるお滝さんから教わった、ポテチの作り方に沿って作ってみましたので、お二人とも宜しければどうぞ召し上がって下さいまし。」


 お美代はお皿に載った歩手地を二人の前に置いた。

 驚く二人である。


 「御前が作ったのか?」

 「そうでございますよ。と言っても、ジャガイモの皮を剥いて薄く切り、熱した油で揚げ、味付けしただけです。簡単なものでございましたよ。コツは油を熱し過ぎず、竹の箸を浸して泡がでる程度にする事なのだそうです。」

 

 躊躇う事なく手を伸ばす二人。 


 「ふむ、これはまた格別じゃな! 揚げたては更に美味いのう!」

 「本当に美味いでござる!」

 「お気に召した様で何よりでございます。」


 止まる事なく手を出す二人に、にっこりと微笑むお美代であった。


 「はて? これはまた違う風味じゃな。これは醤油と梅干ではないのか?」

 「お気づきになられましたか。」

 「何ですと?! これでござるか。おお! 本当に醤油の中に梅干の風味が効いておる味ではないでござるか!」

 「海苔塩もそうでございますが、この梅醤油という味付けも、その時教えて頂いておりました。」

 「なんと! そうであったのか!」

 「伯母上も人が悪いでござるなぁ。」


 すまし顔のお美代にしてやられた感の二人であった。


 「それにしても、海苔塩に梅醤油であるか。松陰殿には本当に何度も驚かされるのう。」

 「全くでござる。海苔塩だけかと思い込んでおりましたのに。」

 「ポテチの作り方が世に広まれば、もっとたくさんの人が、更に別の新しい味付けを考え出すだろうと、吉田様は仰っておりましたよ。」


 お美代の言葉に驚く清風。 


 「何と! 松陰殿は独占して儲けるつもりがないのか?」

 「作り方は簡単でございますし、既に真似する者は出てきている様ですよ。それに、このポテチは油で揚げているので時間が経ち過ぎると体に良くないそうですよ。ですので、各地でそれぞれ作って食べるのが良いそうでございます。」

 「成程、その様な理由があったとは……。ますます驚かされるのう。」

 「食べる者の健康まで考えておるとは、拙者も思いませなんだ。」


 松陰の考えに驚くばかりの清風と亦介である。


 お美代は空になった湯呑みにお茶を注ぎ、空のお皿を片付け、退室した。


 「松陰殿の深謀には、誠感心させられるばかりじゃな。」

 「あの知識、見識、発想、実行力、いずれも常人を遥かに越えておるでござる。それが、元服も迎えておらぬ一人の子供というのが空恐ろしい限りでござる。」


 確かに亦介の言う通りだと思う清風である。

 しかし、亦介の物言いに、何か違和感を感じた。 


 「だが、少々心配にはなるのう。」

 「何が、でござるのですか?」

 「いや、何、松陰殿が若過ぎる事じゃ。どれだけ頭が優れておろうが、幼い事に変わりは無い。経験が足りな過ぎじゃろう。周りには、足を引っ張る事だけには長けた者もおる。成功者をやっかむだけでなく、あわよくば引き摺り下ろそうとする者も多い。何がしかの金をせびろうと悪さを企む者もおる。今は玉木がしっかりついておろうし問題はないじゃろうが、このまま松陰殿が育っていけば、どんな輩が何を企んで近づいてくるか、わかったものではないじゃろう。」

 「それはそうでござりますな。しかし、あの松陰殿ならば、その様な輩は軽く一捻りしそうな気もするでござる。」


 清風の懸念はもっともに思える。

 それはそうだ。

 周りから見れば、松陰は10歳にも満たない子供なのだから。

 しかし二人は勿論知らない。

 松陰が、精神年齢から言えば、玉木文之進と同じくらいだという事は。

 文之進と八重の新婚生活を見て、内心は少しイラついている事など想像もついていないだろう。


 そして清風は気になっていた事を亦介に問うた。


 「して亦介、玉木の所へ出入りする様になったのはいかなる訳じゃ?」


 もう帰っても良いだろうか、と思っていた亦介は、聞かれたくなかった事を清風に問われ、がっくりときた。


 しかし、とも考える。

 この伯父ならば松陰を悪い様には扱わぬだろう、と。

 なんせ松陰のこれからを心配しているのだから。 

 それどころか、松陰の身を守るのみに留まらず、松陰がその才をいかんなく奮う際にも、後見人としてうってつけではないか、と。


 亦介は思い出す。

 文之進よりこっそりと渡された、書いた者の名を伏せられた書き物の事を。

 その先進性もさることながら、諸外国の事情等、この国の者にとって必読の書とも言える驚くべき内容に、亦介はただただ驚き、愕然とし、書いた者の名を文之進に執拗に問い詰めた。

 是非会って直接その教えを請いたいと願ったからである。

 渋る文之進に強く迫り、秘密にしてくれとの約束で、やっとの事で聞き出した名が松陰であったのだ。


 亦介とて兵学者の端くれである。

 それなりに書物は読んできたつもりであった。

 しかし、松陰の書いた物は、亦介がこれまで読んできた物とは比べようも無い程の興奮に満ちた、新しい知見が詰まった素晴らしい出来であったのだ。

 それが僅か9つかそこらの子供が書いた?

 亦介はまるで信じられなかった。

 それならいっそ、文之進が書いたとでも言われた方が信じただろう。

 その才に嫉妬はするが、頭を下げてでもその教えを請うただろう。

 しかし、子供が書いたとは到底思えなかったのだ。


 信じられなかったので直接会いに行った。

 松陰は玉木の屋敷で子供に水飴を配っていた。

 そんな松陰に、極々さりげなく、その知識、見識を問うてみたのだ。

 そして、松陰の才を知る。

 己如きでは図れないと知った。

 

 それからは毎日の様に玉木の屋敷に通った。

 松陰に頭を下げて教えを請うたが、その身にあらずとすげなく断られた。

 尚も食い下がる亦介に松陰は苦笑し、教える事は出来ないけれども、共に考えましょうと言ってくれたのだった。

 その頃松陰が始めていたのが戦棋である。 

 亦介は、これも修行のうちだと、戦棋を指したのだ。 


 しかしそれも中々に奥が深く、年の若い三郎太という穢多の子供に負けたのだ。

 聞けば松陰の一番弟子だという。

 穢多の者を弟子にする突飛さにも驚いたが、真に驚くべきは人の才を見抜くその眼力であろうと思う亦介であった。


 これは物凄い逸材である。

 文之進もそう思っているのかもしれないが、亦介はそんな思いを一人胸に秘めてきた。

 しかし、どうせなら、この伯父までも巻き込んでしまえと思い始める。

 とはいえ、ここで勝手に話すのも憚られる。

 何せ、事は松陰の身の安全に関わる事なのだから。


 「それにつきましては、後日玉木共々伯父上に説明したいでござる。」

 「なぬ? 玉木共々じゃと?」

 「はい。事は松陰殿の身の安全に関する事ならば、私の口から軽々しくは言えませぬ。」


 亦介の真剣な物言いに清風もその意味を薄々予感し、居住まいを正して亦介に向き直った。

 先程の違和感はこれだったのだろう。

 清風の知らない事を知っている風な亦介の物言いだったのだ。


 「相分かった。お前がそう言うのなら、それ程の事というわけじゃな。宜しい、いつでも玉木を連れて来なさい。」


 そして後日、文之進を連れた亦介の訪問を受け、文之進より渡された数々の書き物に目を通し、飛び上がらんばかりに驚いた清風は、急ぎ松陰の父百合之助を呼び出し、事の詳細を聞き出し、更なる衝撃を受けた。

 香霊大明神なる存在より賜った知識だというそれら。

 あのお告げ騒動より以降、松陰は着々と書き続け、その数優に20を超える程に達していたのだ。


 その際、亦介も知らなかった、これより起こるアヘン戦争に関する顛末を知り、更に驚愕する清風と亦介。

 しかし、文之進に勝るとも劣らない百合之助の誠実な人柄に、とても嘘をついているとは思えなかった清風である。

 松陰の既に成している結果もある。

 それがこれらの知識に裏打ちされた事なのは明白であった。

 そしてアヘン戦争と名づけされたこの恐ろしい戦の顛末に、清風の心胆は凍えた。

 これが、今まさに始まろうとしているというのだ。


 事態の深刻さと事の重大さを慮った清風は、如何すべきか考えるものの、さりとて妙案が浮かばない。

 亦介、文之進、百合之助も思いつかない。

 これらの書き物の扱いもそうであるし、何より一番は松陰の今後の身の振り方である。

 4人が頭をつき合わせてうんうん唸っている所に、お美代がお茶を運んで来た。


 「どうしたのですか、皆様。ずいぶんと難しいお顔をされておりますよ。」


 洩れ聞く話の断片で、何となく事情は察するものの、女の出る幕ではないと思い、せめて気分転換でもと、ポテチの新作も作って持ってきたのだ。


 「今日は柿の種を参考に、唐辛子を利かせてみました。宜しければ皆様、どうぞ召し上がってみて下さい。」


 別の物を参考にし、アレンジを加える。

 何気にスペックの高いお美代であった。


清「ほう! これはまた、ピリッとした刺激が心地よいのう。」

亦「いや、これは美味いでござるな。」

文「柿の種とはまた違う趣でございますな。」

百「甚だ結構でございます。」


 皆の絶賛に、それはようございました、と嬉しそうなお美代。

 ここで清風、ふと思いつき、妻に聞いた。


 「お美代、御前は松陰殿の今後をどの様に考える?」


 夫の質問に暫し考え込み、一言、


 「私なんぞがあれこれ言うよりも、吉田様に直接お聞きなされば宜しいのでは?」


 アッとした顔をする清風。

 こうして、松陰を交えた会談を行う事が決まった。

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