イネの奪還と町からの脱出
色々とご都合主義ですが・・・
『ヨセフ君、首尾はどうですか?』
『厳しいですが、成功報酬と引き換えにすれば取り戻せそうです。』
『それはどのくらいですか?』
『えっと、このくらいです……』
弁護士から提示された金額を、ヨセフは恐る恐る打ち明ける。
それは目が飛び出さんばかりの額であった。
『成る程、流石にアメリカの弁護士ですね。がめつい事この上も無い……』
『ゴールドラッシュで一番儲けているのは、金堀人に物を売りつけている商人と、彼らの間で起こるトラブルを解決している弁護士だと言われていますから……』
『さもありなん、ですね。しかし、今は急ぎます。それでお願いします。』
『分かりました。私も全力で頑張ります!』
『本来であればお客様なのに、申し訳ありません。』
『とんでもないですよ!』
没収された金と武器を回収する為、ヨセフは弁護士の元へと走る。
「千代、皆の調子はどうですか?」
「下痢も止まってきて、段々と快方に向かっていますわ!」
スズと交代し、看病から帰って来ていた千代である。
「でも、飲み水が原因だったなんて驚きました!」
彼らが下痢を繰り返していた理由、それは飲み水が硬水であったからである。
何事であれ鋭敏な人はいるモノだ。
今回の事も、飲み水に含まれるミネラル分に体が過剰に反応してしまったのが、今現在入院している者達であろう。
松陰のアドバイスで水を蒸留し、それを病室に持ち込んで飲み水にした所、徐々に調子が良くなってきていた。
「台湾での対症療法が逆に仇となってしまったみたいだね。」
「水が違うなんて、イネ姉様も気づかれる筈がありませんわ!」
「日本で硬水なんて聞かないから仕方ないさ。」
水に塩と砂糖を入れて飲む、経口補水液の知識が害になるなど夢にも思うまい。
しかし、千代はある事に気づく。
「でも、それならここのお医者様は、水が合わない事を知っていてもおかしくありませんか?」
尤もな疑問であろう。
広いアメリカ大陸でも軟水の地域は多く、その様な地域で育った者がこの町に来て、飲み慣れない硬水で体調を崩す者が過去にも居た筈だ。
その質問に対し松陰は口を濁した。
真相を言えば千代が激怒するのは必至なので、ここは知らない振りをする。
「聞いたけど、医者だと言っても相当いい加減みたいだよ? 我々はイネさんを基準にして見てしまうけど、それは他の医者に酷なんじゃないかな?」
「そうですわね! イネ姉様が凄いだけですわね!」
イネを褒められ、千代はそれ以上の追及を止めた。
ウンウンと頷く千代に、松陰は内心で安堵する。
事実は全くの逆で、ここの医者は原因を知っていながら放置していたのだ。
モンモル教団からの圧力で、敢えて正しい治療を施さず、原因不明としてほったらかしにしていたのが真相だ。
医者であるのに病を治せず、悩むイネに言葉巧みに言い寄ったのが、教団を率いるマイケル・ダンその人であった。
俺なら治せるとイネに持ち掛け、篭絡したらしい。
町の者ならば継之助らの症状を知っている筈であるが、モンモル教団からの報復を恐れて口をつぐんでいた。
ソルトレイクシティでモンモル教団の権力は絶大である。
何の力もない市民には、仕方の無い事であった。
そんな事を素直に千代に話したら、下手をすれば包丁を持って教団に突撃しかねない。
そんな事となれば事態は益々複雑になるので、自分で片を付ける為に黙っておいた。
「香霊様は偉大なり。」
夜の帳の中、松陰は一人で通りを歩いていた。
通りに人の姿は見えず、建物の灯りもすっかりと消えている。
真っ暗の中一直線に目指しているのは、政府軍との戦いのあったモンモル教団の敷地である。
何やらブツブツと呟きながら、傍から見ればフラフラとした足取りで歩いていた。
「他にも美味なる物は多々あれど、香霊様こそ絶対なり。」
その言葉には熱が籠っており、思いの丈が知れる。
「天上天下にあまねくその高貴なる香りを漂わせ給う香霊様の、いと尊き御心など、どこまでも卑小な私には皆目計りかねるが、香霊様から賜った天命に従う事が私の運命ならば、喜んでそれを受け入れよう。」
それは決意にして覚悟であった。
「香霊様の愛の奇跡を日本に広める。これこそ、私に課せられた私の天命だ。」
その為にこそ、吉田松陰としてこの時代に転生したのだと思う。
「それだけではなく、誰もが幸せになって欲しいというモノもある!」
だからこそ、今回のイネの結婚は断じて認められない。
「そして、卑劣な振る舞いを行った者の、その責任はどうなるのか?」
とても許せるモノではなかった。
「それだけではない! 何の罪も無いのに、無残にも殺された者達の、その無念は誰が晴らすのか?」
この町の状況では、それが為されるとは思えなかった。
「成り行きとはいえ、政府軍を追い払った責任は私にもある。ならば、たとえ悪名を被ろうとも、私に出来る事を為そう。」
その為にここに来た。
「あった!」
松陰は土の中からそれを発見し、躊躇う事なく風呂敷に包む。
「ただの人殺しか、顔も知らない人々の敵討ちか、全ては香霊様の御心のままに!」
目的を果たし、踵を返す。
イネの結婚式は明日である。
『新郎マイケル・ダン、汝はここにいるイネを、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し、慈しむ事を誓うか?』
『はい。』
モンモル教の牧師が問い、新郎が答えた。
新郎の顔はどこかにやけており、満足気に見える。
『新婦イネ、汝はここにいるマイケル・ダンを、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し、慈しむ事を誓うか?』
続いて新婦に問いかける。
イネは顔を伏せたままで、唇が微かに震えていた。
『新婦イネ?』
牧師が再び問いかけた。
ハッとしたイネは顔を上げ、一瞬だけキョロキョロと辺りを見渡す。
新郎の姿が目に入ると観念したかの様にギュッと口を結び、覚悟を決めて口を開く。
『は』
『待ったぁぁぁ!!』
イネの宣誓を遮り、男の声が会場に響いた。
周りからザワザワとした囁きが漏れる。
『その結婚、待ったぁぁぁぁぁ!!』
再び大きな叫び声が上がり、一人の男がバージンロードを駆けていく。
それを邪魔しようとモンモル教徒が行く手を阻むが、男がその手に持った物を彼らに見せつけると、不思議な事に彼らの足が止まるのだった。
結局そのまま新郎新婦の前まで辿り着き、二人に対峙して述べる。
『その結婚式に異議あり!!』
「吉田様?!」
それは松陰その人であった。
マイケル・ダンが呆れ顔で口を開く。
『またお前か? 今度は何だ?』
牢屋の4人の戦への不参加について、交渉を持ちかけた際に面会していた二人である。
松陰が言った。
『その娘は私が頂いていく!』
『何を馬鹿な事を!』
『私の天命にはその娘の幸せも含まれている! みすみすお前に渡してなるものか!』
『異教徒の癖に笑わせるな! 何が天命だ!』
マイケルが吐き捨てる様に言った。
それを無視し、松陰はイネに問いかけた。
「イネさん! イネさんはこのままその男の妻になってもいいのですか? お父様の母国に行ってみたかったのではありませんか?」
「そ、それは……」
イネが言葉に詰まる。
会話の内容は理解出来なかったが、イネの様子から事情を察したマイケルが松陰を嘲笑った。
『馬鹿め! 一度決めた事を軽々しく翻す女ではないだろうが!』
『クソッ!』
このマイケルも、信者数で万を超えるモンモル教団を率いる男である。
並のカリスマ持ちでは無い。
イネの性格を正確に見て取り、逃げられない様に誘導して心を絡め捕っていた。
形勢不利と見るや、松陰はその手にあった物を二人の前に出し、叫んだ。
『ならば一緒に死んでやる!』
「吉田様?!」
『それは炸裂弾!?』
『ああ、そうさ! 政府軍の炸裂弾だ!』
昨夜、戦の跡地で拾った不発弾であった。
無造作に地面へと放り、もう片方の手にあったハンマーを振りかぶる。
『テメェも一緒に死んでゆけ!』
『ま、待てぇぇぇ!』
マイケルの声を無視し、力一杯振りかぶったハンマーで炸裂弾の雷管をぶっ叩いた。
しかし、何の反応も無い。
『馬鹿な! 爆発しない?!』
驚き、もう一度ハンマーを振った。
ガキンという音を出してぶつかったが、やはり爆発は起きなかった。
『くっくっく! 残念だったなぁ! 流石天命を持った男の事はある!』
マイケルが心底おかしそうに笑った。
そして脇で控えている者らに言う。
『ひっ捕らえろ!』
『は、はい!』
『クソッ! 放せ!』
両腕を掴まれ、身動き出来ない松陰はその場に取り押さえられた。
ジタバタと必死でもがき、それを抑える男達でその場は一時騒然となる。
『さ、イネさん、こっちへ!』
『マリアさん?』
『こちらへどうぞ。』
『でも……』
『今は何も言わないで、さあ!』
同じ様に侍女として脇に控えていたマリアが、イネの身を案じて彼女をその場から遠ざけた。
マイケルはそれには気づいていない。
『お前達! そいつを外に放りだせ!』
男らに命じた。
『牟屋にぶち込みますか?』
『牢屋に居られるのも五月蠅くて敵わん! 他の仲間と共に、とっととこのまま町から追放しろ!』
『分かりました!』
マイケルに命じられ、信徒は松陰を掴んで引きずっていく。
『クソッ! 放せぇぇぇ!』
松陰はもがきながら絶叫した。
それを見届け、マイケルは松陰の持って来た炸裂弾を眺めた。
『ふんっ! 脅かしやがって!』
驚いて損をしたと、足で軽く蹴飛ばした。
『ダン様、危険です!』
『馬鹿が! 何も起きなかったではないか!』
部下に怒鳴り散らす。
そこでふと気づき、目線を上げてイネを探した。
けれども彼女はどこにもいない。
どこに行ったのだと思い、姿を探すと、視線の端に白い服を着た女がもう一人の女に付き添われ、この場を離れているのが見えた。
どこへ行くつもりだと怒りが湧いたが、そこで何やら嫌な予感に襲われた。
冷や汗を感じながら足元の炸裂弾に視線を戻すと、それを合図とするかの如く、辺りは爆発に包まれた。
会場は一瞬にして大騒ぎとなり、パニックへと陥った。
参列者はそこから逃げ出そうと我先に出口へと殺到する。
信者が必死に押し留めようとするが、最早手が付けられない。
背後で起きた突然の爆発に驚いたのか、松陰を掴んでいた手が離れる。
松陰は気づかれない様にそろそろと動き、彼らが気づいた頃には逃げる群衆に紛れていた。
マリアとイネも無事に会場から逃げ出す事に成功し、待機していた仲間の馬車に合流した。
『全員集合ですね! さあ、出発です!』
『おぉ!』
そそくさとソルトレイクシティを脱出し、再び東への道を進んだ。
教団らのその後を記しておくと、マイケル・ダンが爆死した事によって一時的に混乱が生じたが、穏健派が勢力を拡大して教団を掌握、事態を鎮静化し、町は速やかに落ち着きを取り戻した。
合衆国憲法を順守する意向を内外に発表し、一夫多妻制の廃止を掲げた。
開拓民虐殺事件の真相糾明を求めるユタ凖政府への協力を約束し、実行犯の特定と引き渡しを決める。
後の供述によってマイケル・ダンが直接指示していた事が明るみとなり、証拠の手紙が発見された事によって事件の全容が解明される。
首謀者不在のまま実行犯が縛り首となり、これを以て事件の終息が宣言された。
なお、政府軍を率いていたリー少佐は教団の頑強な抵抗を賞賛し、その健闘を讃えている。
その際、戦に参加していた者から直接話を聞き出し、溝を何重にも掘る事によって陣地を構築する方法を学んだ。
その話を持ち帰った少佐は、早速溝の効果を実証すべく実験を始める。
確かな効果を確信した少佐であったが、合衆国政府に正式採用を打診する前に、内戦である南北戦争が始まってしまう。
将軍へと昇格していたものの、故郷である南軍側に就いたリー将軍は、自身の編み出した、塹壕と名付けた防御陣地によって、北軍を大いに苦しめる事となる。
硬水でそこまで体調を崩すのか、御者が知らなかったのか、その辺りは大人の都合です。
炸裂弾の都合の良い爆発も、香霊様のご加護という事でお願い致します。




