誘惑と出発
「どうするのだ?」
「どうすると言われましても……」
継之助に問われた松陰であったが、返す言葉が見つからなかった。
目の前には地面に転がった金の珠がおよそ200個、日の光を浴びて鈍く光っている。
非現実的な光景に見え、本当なのかと疑問に思えてきた。
実在しているのか確かめる為、その一個に手を伸ばす。
掴んで持ち上げようとしたが、外見の大きさからは想像もつかない程の重量で、手にはずっしりとした重さがあった。
片手では落してしまいそうで、慌てて両手で支える。
砂金の粒を叩いて固めたのであろうその珠は、松陰の視線を受けてキラキラと輝いていた。
妖しい輝きに目を奪われる。
ふと、これがあれば何が買えるのかとの思いが脳裏をよぎった。
カレーを作る為のスパイスは漢方薬として輸入されているが、量を揃えようと思えば高価に過ぎる。
しかし、この金塊があれば十分だろう。
これだけあるのだから、一個くらい自分が貰っても良いのではないか、そう思った。
そんな事を考え付いた自分にハッとする。
何を馬鹿な事をと、妄念を頭から振り払い、これからどうするのかを考える事に集中した。
けれども、口をついて出てきたのは金に関する質問だった。
『どうやってこれだけの数を集めたのですか?』
老婆は英語に不自由なので長に聞く。
『子供の時分から、毎日集め続けたと言っている。』
長が訳した老婆の言葉に溜息をついた。
一体どれだけの時間を費やしたのかと、その苦労に思いを馳せた。
長が続ける。
『金が出たせいで白人から住む村を追われ、ここまで逃げてきたのに再び金が出た。ここから先に逃げる場所は無い。金が白人に見つかったら、今度こそチェキロー全てが殺されると思い、必死で集めて隠したそうだ。』
一同は先程ついた溜息を今度は飲み込んだ。
老婆の表情は淡々としており、その心中は読み取れない。
『取れども取れども次々に出てきたので絶望したそうだ。』
砂金掘りにとっては夢の様な話かもしれない。
しかし老婆の場合は、何かの呪いでしかなかっただろう。
『集めて大きくなったら池の底に沈め、次を集めたそうだ。やがて我らも大婆様に従い、金を集める様になった。全ては予言にある、我らの遠い家族がやって来る日まで、白人の手からこの村を守る為に。』
長はそう言って松陰達を見つめた。
それは長だけでなく、老婆は勿論の事、村人全員がそうであった。
真剣な眼差しで、待ちわびた遠い異国からの兄弟達を見た。
『金があれば我らの安住の地は手に入ると言った。これだけあれば足りるのか?』
長が問うた。
松陰は勿論だと答えようとしたが、何故か口が動かない。
それどころか頭の中は、先程振り払った筈の妄想が蘇り、一層激しくなっていた。
老婆が何か叫んだ気がしたが、松陰の耳には入らない。
これだけの金を集めたのにこれまで使おうとしなかったのは、彼らの村を見れば一目瞭然である。
池の中には生活を一変させるだけの金があるのに、彼らの暮らしは貧しいままだからだ。
普段であればその欲の無さに驚く所であるが、今日は違った。
馬鹿にしていた。
金がありながらと、その価値に気づいていそうも無い彼らの鈍感さを侮っていた。
こんな奴らに金を使うのは勿体ないと考えて、その独占を願った。
自分であれば十二分に活用出来るだろう。
そしてそれは更なる欲を呼ぶ。
仲間さえも邪魔に思えてきたのだ。
どうにかして全員を殺してしまえば、この金を全て自分の物に出来るとの思いが芽生え始めていた。
今は不味いが、頃合いを見れば十分に可能だろう。
そんな恐ろしい事まで考えていた時だ。
抜き身の刀が一本、松陰の目の前にスッと突き出てくる。
ギョッとして動きが止まる中、その刀は静かに振り上げられ、腹に響く男の声と共に振り下ろされた。
呆気に取られて刀の主を探すと、厳しい顔の勇が立っている。
にこりともせずに言う。
「欲に心を奪われたか? 目が濁っておったぞ?」
勇の言葉に松陰は我に返った。
「私は一体何を考えていた?」
とんでもない事を企んでいた気がして、身を包む寒気に思わずブルっと震えた。
勇が重ねて言う。
「まだ金を手放さないか……。その金への醜い執着心を、俺の虎徹で叩き斬ってやろう!」
松陰の手には相変わらず金がある。
勇は再び虎徹を振り上げ、裂帛の気合と共に、松陰を真っ二つにせんとばかりに振り下ろした。
「うわ?!」
松陰は情けない声を上げ、手の中の金を放り投げて尻餅をつく。
虎徹が目の前で空を切り、思わず斬られたと感じたからだが、それ程までに勇の太刀筋は鋭かった。
慌ててあちこちを触るものの、どこからも血は出ていない。
安心した所で全身からどっと汗が滲んできた。
そして動悸が鎮まってみれば、心がスッと軽くなっているのを感じる。
粘りつく様な妄執は、綺麗さっぱりと消え失せていた。
「勇君ありがとう! 私は欲に目が眩んでいた様です……」
「これだけの金だ、それも仕方なかろう。」
「虎徹の一振りに救われましたね……」
「古来より名刀には霊気が宿り、悪鬼を斬り、邪気を祓うと言うからな。」
そう言って勇はニコリと笑った。
「よし!」
松陰はガバリと立ち上がり、大声で叫ぶ。
「一同、抜刀!」
その声に、帯刀している者は慌てて刀を引き抜いた。
「素振り百本、始め!」
言うが早いか、その場で素振りを始める。
勇も笑顔で参加した。
長を始め、他の者はポカンと口を開けてそれを眺めるだけだった。
『お見苦しい所をお見せしました……』
素振りが終わり、息を整えた所でチェキロー族に向き合い、深く頭を下げた。
体を動かして汗を掻き、頭はスッキリと晴れ渡っている。
試しに金を見てみたが、疼く様な感覚はどこかへ消えていた。
頭を戻して老婆に向かい、言う。
『先程は途中になってしまいましたね。この吉田松陰。長州藩士の誇りに懸け、必ずや、皆さんの安住の地を見つけて御覧にいれましょう!』
『おぉ!』
松陰の宣言を長は部族の者達に伝えた。
一斉に歓声が上がり、予言の人を囲んで踊るのだった。
『では、まずはこの金を村へと運びましょう!』
皆で協力し、全ての金塊を村へと持って帰る。
そして作戦会議を始めた。
『ヨセフ君!』
『は、はい!』
まずはヨセフに尋ねる。
『この金をどうしたら良いと思いますか? 今すぐ売った方が良いですか?」
『これだけの量となると、一回では売り捌けないと思います。買い取り側が用意せねばならない額が大き過ぎるからです。ですから何回かに分けて売るしかないでしょう。しかし、そうなると別の不安も発生します。』
『襲われる可能性ですね。』
『そうです。もしもこれだけの金を持っている事を誰かに知れると、その後どうなるのかは想像したくありません……』
『まあ、そうですね……』
金を採る為だけに人が集まったこの地域に警察組織などありはしない。
そんな所で1トン近くの金を持っている噂が広まれば、暴力に訴えて自分の物にしようとする者が殺到するだろう。
チェキロー族の村に起こった悲劇を見れば、それは明らかだ。
『それについてはジョニーさん、どう思われますか?』
『お、オデ?』
突然名を呼ばれたジョニーは戸惑った。
何を話しているのか理解出来ていなかったからだ。
『これだけの金がある事を知ったら、他の人は暴力を使ってでも盗みに来ると思いますか?』
『人の見つけた金を盗んだら縛り首だぁ! オデ、そったら事絶対にやんねぇ!』
ジョニーは即座に否定する。
松陰は彼の勘違いに苦笑し、質問を変えた。
『すみません。ジョニーさんは決して人の物を盗まない事は理解しました。では、ジョニーさんは、他人の金を盗んで縛り首になった人の事はご存知ですか?』
新しい質問にも即答する。
『そんならいぐらでも知ってっど! 盗んだ、盗まないだで喧嘩ぁ始めで、相手を殺して縛り首もおっど。掘る場所を横取りされて、寝でる時に仕返しする奴もおっど。』
『な、成る程。やはり知られたら危険な様ですね……』
『そうですね……』
ヨセフが青い顔をして同意した。
『金を売るとしたらサクラメントですか?』
ヨセフへの質問だったが、ジョニーが答える。
『商人が村に買いに来っど。安いだども、売りに行っだら掘る場所を取られるだで、皆商人に売るだぁ。』
『そうなんですね。』
『それは知りませんでした。』
流石に現場を知る者であった。
『一番良いのは、ヨセフ君のお父さんに全て買い取って頂く事ですよね?』
『ですね。近郊の金が集積するであろうサクラメントは、買い取り価格も安い筈です。父ならばニューヨークに伝手もありますから、サクラメントとは比較にならない価格で売り捌ける筈です。ですが、サンフランシスコに戻るのは危険過ぎませんか?』
『サクラメントまで戻れれば、後は船をチャーターするだけですが……』
『そこまで安全に行けるかどうか、ですね……』
どうすべきなのか判断がつかない。
『馬車でこのまま東部まで運ぶというのは、流石に無茶ですかね?』
『御者に聞いてみないと分からないです。』
『御尤も! それに、秘密を守ってもらわないといけませんね!』
4頭立ての馬車を扱う技量の無い一行は、御者も合わせて雇っていた。
寄り道も含め、掛かる日数分を支払う条件で、計8名を雇用している。
そんな彼らに秘密を保持してもらうと共に、成功報酬を提示した。
『契約通りに旅を全うしてくれたら特別報酬を払います! この珠をお一人に一つ差し上げましょう! どうですか?』
1個が約5キログラムなので、一人約2500万円のボーナスである。
御者達は全員、躊躇う事無くその首を縦に振った。
松陰はそこまで頭が回っていなかったが、彼らにしてみれば、断れば命が無いだろうくらいのモノだ。
秘密を守る手っ取り早い方法は、信頼出来ない者には死んでもらう事である。
『馬車で東部に運ぶ事は出来ますか?』
頷いてくれたので、自分の考えの是非を問うた。
しかし返ってきた答えは、松陰の目論見を否定するモノだった。
『今の荷物でも手一杯なのに、これ以上載せるのは無理だよ!』
『な、成る程……』
『ロッキー山脈を越えられる訳が無い!』
『そ、そうですか……』
往路での事を思い出す。
道路は舗装されておらず、馬車の車輪が溝に嵌まる事が度々あった。
その度に馬から降りて馬車を押し、やっとの思いでここまで辿り着いている。
あの苦労を思えば、これ以上荷台が重くなるのは不味いだろう。
考える松陰にヨセフが尋ねる。
『売るのは勿論なのですが、土地をどうやって手に入れるのですか? 合衆国政府に知り合いがいないと、すんなりとはいかないと思いますが……』
『それは心当たりがあります。』
『宜しければ、どの様な方かお聞きしても?』
『いえ、南北戦争を終結に導く英雄が、今この時にもどこかで元気にやっている筈なんですが……』
『え? 南北戦争?』
『まあ、そのうち分かりますよ。』
悪戯めかせて笑う。
そして決断を伝える為、皆に向き合った。
『皆さん聞いて下さい!』
その場の全員が松陰を見つめた。
口を開こうとしたその時、
(大変だぁ!!)
チェキロー族の若者が一人、大声を上げながら広場に転がり込んで来た。
(どうした?!)
長が慌てて尋ねる。
(馬に乗った、知らない白人がいた! 俺を見たら慌てて逃げた! 多分、金を見られてる!)
(何!?)
若者の言葉に、長を始め村の者が絶句する。
『どうしました?』
ただ事では無いと感じ、急いで長に尋ねた。
長は顔を歪め、絞り出す様に答える。
『見知らぬ白人がいたそうだ。馬に乗って逃げたらしい。金を見られたのではないかと言っている。』
『何ですと?!』
それは、全てをひっくり返しかねない報せだった。
継之助が問い掛ける。
「どうする?」
「むむ……」
状況が変わり、再び考えを巡らせる。
唐突に、前世で読んだ漫画の事を思い出した。
蝦夷地に隠された金を巡り、熾烈な争奪戦が繰り広げられる物語だ。
これだと感じ、皆に指示を飛ばす。
「継之助さんを指揮官に、日本の方々とヨセフ君、マリアさんは急ぎ馬車と馬で発って下さい! 勇君は残って下さい!」
「了解だ!」「うむ。」
『ジョニーさんは私と一緒です!』
『分かっだ!』
「馬車に積む金は、御者に払う報酬と併せ、十個程お願いします! それくらいなら馬の負担は変わらない筈です!」
「おぉ!」
事後であるがチェキローの長に了解を取る。
『十個程、使っても構いませんか?』
『遠い家族よ、それは既にお前達に任せた物だ。』
『ありがとうございます!』
礼を述べ、再び一行に向き合った。
「その十個は見せ金として使い、出来るだけ人の目を惹きつけて下さいますよう、お願い致します!」
「残りはどうするのだ?」
「我々で処理します!」
「承知した!」
「集落を離れればそこは無法の地! 襲ってくる者がいれば、容赦せずに殺して下さいませ!」
「お、おぉ?」
松陰の日頃の言動からかけ離れた、物騒な言い様に継之助は目を白黒させた。
「スズ! 千代!」
「はい!」
「何でございましょう?」
心なしか、ウキウキしてい様にも見える二人に言う。
「こんな事になってすまない! 私はチェキローと行く! 乙女さんは寧ろ心強いけど、イネさんとマリアさん、ヨセフ君の安全を頼む! 襲ってくる輩に容赦は要らないし、情けは無用だ!」
「任せて!」
「承りましたわ!」
松陰の言葉に元気よく応えた。
「継之助さん!」
「な、何だ?」
「スズと千代は戦場を経験しております! 迷った時には二人の意見を参考にして下さい!」
「何だとぉ!?」
それはその場にいた全員の叫びであった。
「では、出発して下さい!」
「お、おぉ……いや、待て! 合流はどこだ?」
肝心な事を継之助が問う。
松陰は当初の目的地を伝える。
「一月か二月かかるか分かりませんが、ソルトレイクで会いましょう!」
「承知! では皆の者、行くぞ!」
「おう!」
こうして日本の一行は、慌ただしくチェキローの村を出発した。
時間をおかずに村人に向き合う。
『ではチェキローの皆さんは、私と一緒に金を運びましょう! 大人は一人2個程度、子供でも1個は運べますよね?』
『勿論だ。しかし、どこへ?』
『山に向かい、適当と思われる場所に隠します! このまま持って歩くのは無理ですので!』
『分かった。』
村人は子供も含めて300名くらい。
全てを運ぶのに数は十分である。
『ジョニーさん、すみませんが、10個くらい大丈夫ですか?』
『オデは馬鹿力だけが自慢だぁ!』
そう言って力こぶを自慢気に見せた。
「勇君はお婆さんを背負って下さい!」
「何?!」
「問答は無用です!」
「わ、分かった!」
何やら文句がありそうだったが、それを聞く暇は無い。
村人に言う。
『この村には二度と帰って来れないでしょう! テントを畳み、家財道具を纏めて下さい! 残った馬に荷物を括り付け、すぐに出発しますよ!』
『分かった。』
『これは、約束の地への旅路の始まりです! 必ずやその地へお連れしますので、今は何も言わずに私に付いてきて下さい!』
『勿論だ。』
直ぐにテントを引き払い、出立の準備を整え、チェキロー族は村を後にした。
チェキローの村からサンフランシスコへ戻った方が断然近いのですが、彼らは後戻りしません!
という事でご納得下さい・・・




