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待ち人来りて

 『パナマに向かう船はどうするのですか?』


 取り決めが纏まり、世間話となった中でヤコブが尋ねた。

 彼が把握している限り、今の時期にパナマに向かう船は無い。

 ゴールドラッシュの熱狂は船員にまで及び、彼らは船を捨てて砂金を掘っていたからである。

 一獲千金の成功話には事欠かない、ここサンフランシスコ。

 偉大なフォーティーナイナーズが建てた豪邸を目の当たりにし、彼らの派手な生活ぶりを見聞きすれば、地味な上に危険を伴う航海に従事する気にはならないだろう。

 俺も必ず成功してやると、ツルハシとスコップを手にして内陸部に向かう者が多かった。


 尤も、ヤコブに言わせてみれば、周りが始めた時には既に遅い、だ。

 その意見は半分正しく、ゴールドラッシュの恩恵に与れたのは先駆者くらいで、後から参加した者の大半がかかる労力の割には儲けが少なくなっていた。

 正しくない残りの半分であるが、それは金の採掘方法が、資本を必要とする機械的な方法に代わりつつあった点である。

 川の泥を皿に掬い、根気よく皿を揺り動かして砂金見つけるといった原始的な方法は、この頃から徐々に終わりを告げていた。

 水力を利用して岩石を破壊する機械を動かし、大量の土砂を大量の水で処理して金を採掘する、資本と労働力を必要とする方法が採用され始めていたのである。

 人力で砂金を狙うには競争者が多くなりすぎていたし、有望な鉱区は資本家に買い占められて迂闊には近づけない。

 機械力で大規模にやるには莫大な資本が必要である。

 どうにもならない現実の中、豊かになる為にカリフォルニアまでやって来た筈なのに、気づいた時には食う為に金を掘る様になっていた。


 それなのに、同じ野望を抱いてカリフォルニアにやって来る者は後を絶たない。

 刻一刻と状況は悪くなっていく一方なのに、それでも彼らが金掘りを止められない理由。

 それは、首尾よく金の塊を見つけたという報せである。

 自分はミジメな生活を送っているのに、他人だけがそんな幸運に恵まれるなど許せない。

 また、同じ事をしているのであるから、自分にも同じ未来が待っているかもしれない。

 泥をさらえば僅かながらでも金は見つかるので、尚更諦める事も出来なかった。

 あっちで金が出たと聞けばすぐに移り、この地形が出るかも知れないというアヤフヤな理屈にも飛びついた。

 採掘場を巡って乱闘騒ぎが起きたり、俺の金を盗んだと言って殺人事件に発展する事も多い。

 まさに狂騒という言葉が相応しいだろう。


 そんな事情を知っていたヤコブであるので、松陰らの移動の手段が気になったのだ。

 松陰は答える。


 『いえ、海路は採らずに陸路を真っ直ぐ行くつもりです。』

 『何ですって?! 本気ですか?!』


 ヤコブは驚きに目を丸くした。

 やっぱりそうだよなぁと、松陰は彼の反応に計画の無謀さを痛感する。

 その経緯を思い出していた。




 「路銀はここで稼ぐとして、ここで決めたいのは東に向かう道です。先行した堀田様と同じ道を辿るのが賢明だと思いますが……」


 サンフランシスコに到着し、居残り組と合流した後で松陰が尋ねた。

 スズらが集めた情報によると、東に行くには陸路もあるらしい。

 この頃はまだ鉄道は走っていなかっただろうと、海路しか頭に無かった松陰であるが、陸路もあると聞いて俄然興味を持った。

 アメリカ大陸を横断すると聞けばそう感じるのも無理はあるまい。

 しかし、詳しくその内容を聞けば、それは却下せざるを得なかった。

 駅馬車を使えばかかる時間は短いが、平原に住むインディアンや強盗団の襲撃が危険だと聞いたからである。

 

 この派遣団の目的の一つには西洋諸国の見聞があり、先行組はアメリカの各都市を見学する。

 特に技術方の面々は最先端の機械技術に興味津々なので、各種工場を詳しく熱心に見て回るだろう。

 どれ程の工場があるのかは想像するより他に無いが、アメリカは広いので、それに必要な時間も多い筈だ。

 その為、多少の時間的な余裕はある。

 先行組がアメリカを発つ前までに、彼らに合流出来れば良いだろうくらいに考えていた。

 

 であるから、今は安全策の船旅を採るべきだろう。

 パナマ地峡には鉄道が敷設されており、苦も無くカリブ海に出る事が出来る。

 それからの船路は早い。

 それに比べて陸路であるが、強盗団と聞いても心強い面々と一緒なので何故か心配しないが、それよりは寧ろ、インディアンとの間で緊張状態に陥りたくなかったのだ。

 これから先に待つ彼らの暗い未来を思うと、正直に言って彼らの前には出たくない。

 出れば何とかしてあげたくなるであろうからだ。

 事はアメリカの政治や国民の意識に絡む問題である。 

 大きすぎて自分の手に負える筈がなかった。

 そんな意味も含めて異議は無いよねと言いたかった松陰であるが、残念な事に聞いた相手が悪い。

 

 「俺は人の後を追うのは好かぬ!」

 「俺もだ!」

 「僕も違う道がいいです。」

 「陸路があるいうじゃか。」


 口々に反対する。


 「でも、危険だって聞きましたよね? 我々は日本国の代表ですよ? もし万が一我々に何かあったら、アメリカ政府にも迷惑が掛かりますから、今は安全な方法を採るべきでしょう?」

 「日本国の代表ならば益々逃げる訳にはいかん!」

 「堂々と真っ直ぐ進むのが日本男児ちや!」


 アメリカ地図を指さし、サンフランシスコから東に伸びる線をなぞった。

 素直に聞いてくれそうには無い。


 「陸路は確実に大変ですよ? 駅馬車があってもその駅馬車が大変だとか! 狭いし揺れは酷いし中は臭いそうですし! 仮に駅馬車を使わないとしたら食べ物はどうします? 水場もあるのか分からないし、そもそも内陸部には人が住んでいないのですよ? アメリカは広いから、足で歩くなんて馬鹿げています!」

 「それだ! アメリカは広いと何度も聞いた。だが、どこまで広いのかまるで見当もつかん! しかし、自分の足で歩いて目で見てみれば、広さが確実に分かるではないか!」


 継之助が尤もな意見を述べた。

 実際松陰も、アメリカの広さは地図などで知っているだけで、実感として把握している訳ではない。


 「で、でも、インディアンの襲撃もあるとか……」

 「望む所だ!」

 「返り討ちにしてくれる!」

 「で、でも、彼らは住む土地を追われた人々なのですよ?」

 「それとこれとは関係なかろう?」

 「その理屈だと、自分の物を盗まれた者は他人の物を盗んでも良いのか?」

 「い、いえ……」


 松陰の反対空しく、敢え無く陸路を進む事が決定した。 

 皆の意見を聞くと普段から掲げていた手前、こうなる事は分かりきっていたのかもしれない。




 『私は反対したんですけどねぇ……』

 『そ、そうなのですか。大変だったのですね……』


 自嘲気味に呟く松陰をヤコブは慰めた。

 と、何を思ったか、ヤコブは驚く事を言い出す。


 『ミスターヨシダにお願いがあります!』

 『何ですか?』

 『私の息子もご一緒させて頂けませんか?』

 『は?』


 聞き間違いかと思ったが、そうではなかった。


 『私の末の息子であるヨセフなのですが、我々夫婦が可愛がり過ぎたせいか、引っ込み思案で内気に育ってしまいました。何か国語も堪能な程に頭は良いので、そこさえ治せば立派な商人になれると思うのです。陸路を向かう旅路であれば、引っ込み思案な性格ではやっていけない筈です。どうか息子を同行させて下さいませんか?』

 『でも、危険ですよね?』

 『親としては勿論心配です。ですが、ミスターヨシダの一行であれば心強い。お願い出来ませんか?』


 ヤコブはそう言って頭を下げた。

 その表情は真剣で、冗談で言っている訳ではない事が分かる。

 松陰は暫し考え、やがてふぅと息を吐いて答えた。


 『これも何かの縁ですね。分かりました、息子さんをお預かりしましょう。』

 『本当ですか? ありがとうございます!』

 『ただし、本人の意志をしっかりと確認して下さいね? 無理やり何て絶対に御免ですよ?』

 『それは勿論です!』


 こうしてヤコブの息子ヨセフが一行に加わる事となった。

 出発を5日後に控え、ヤコブとの契約を果たす為に尽力する一同の姿があった。


 「鉄舟君と泥舟君はお札作りをして下さい!」

 「お札?」

 「そうです! 家内安全、商売繫盛、安産祈願、無病息災の4種です。意味は分からなくとも、ニンジャが売れば御利益がありそうですよね!」

 「おう!」


 松陰はてきぱきと指示を出してゆく。


 「慶喜様はニンジャの恰好でそれを売る係です。呪文を唱えてお札にオーラを込める仕草も合わせれば尚宜しいでしょう!」

 「それは名案だな。」

 「円四郎様と市之進様はまずお札の数を揃え、後に慶喜様の御手伝いです!」

 「分かった。」

 「歳三君は女性陣に元気な姿を見せて来て下さい! あれはお芝居ですよと!」

 「流石に勘違いしてる奴はいないだろ?」

 「甘い!」


 これは儲けよりはファンサービスである。


 「女性陣は芝居の稽古を見てやって下さい!」

 「分かりましたわ松兄様!」

 「斬られ役は殺陣の指導を!」

 「くくく、やられ役が下手だと台無しだからな。」

 「残りの人は買い物に行って下さい!」

 「買い出しってワクワクしますよね!」

 「誠そうちや!」


 そして準備は整った。



      

 『お婆ちゃん? 待ってる人は来た?』

 『来ない、ね。』


 出発を明日に控え、スズは別れの挨拶を老婆に言いに来ていた。

 老婆は同じ様に丘の上に座って海を見つめている。

 やはりその答えは素っ気ない。

 老婆がスズに聞いた。


 『あんたの、待ってる人は、来た、のかい?』

 『ええ。それで私は明日ここを発つから、今日はお婆ちゃんにお別れを言いに来たの。』

 『それは、良かった、ね。』

 『ありがとう!』


 老婆の質問にスズは笑顔で答える。

 待ち人が来ない老婆には申し訳ないが、だからと言って何も言わないまま去る気にもなれない。


 「そのお婆さんがスズの言ってた人?」

 「そう。」


 一緒に来ていた松陰が尋ねた。

 散歩がてらサンフランシスコの町を見て回ろうとスズが提案し、時間を見つけてやって来た次第である。 


 「インディアンなんですって。」

 「そうだね。」


 市内にも多数いた彼らは想像していたよりも悲惨であった。

 大地の恵みに感謝して誇り高く生きた彼らが、今では酒を恵んでもらうだけの存在に堕している。

 そんな姿は胸が痛んだ。

 スズがしみじみと言う。


 「不思議だよねぇ。江向の近所に住んでた、新田のお婆ちゃんに似てるんだもの……」


 夕日を浴びて座る老婆の姿は、いつも縁側に座って日向ぼっこをしていた新田の御隠居と重なる。

 松陰が江向の日々を思い出して応えた。


 「そう言えば似てるね。でも、それは全然不思議じゃないよ。だって、インディアンは大昔に別れた、我々の遠い遠い親戚だからね。」

 「それって本当?!」

 「本当だよ。我々の祖先は今の日本にやって来たけど、あのお婆ちゃんの祖先は蝦夷地の更に北の海、ベーリング海峡を渡ってこのアメリカ大陸にやって来たんだよ。」


 松陰の説明に喜び、スズは老婆に話しかけた。


 『お婆ちゃん! 私とお婆ちゃんって遠い家族なんだって!』

 『家族?!』


 老婆は大層ビックリした様だ。

 異国から来た者にその様に言われたら誰だって驚くだろう。


 『ど、どういう事、だい?』


 勢い込んで尋ねた。

 スズの後を受け、松陰が説明する。


 『えーとですね、何と言ったら良いのかなぁ……。まあ、簡単に言うと、お婆さんと我々は遠い遠い兄弟という事ですね。』

 『遠い、兄弟!?』 


 更に驚いた様だ。

 まるで雷に打たれた様に、呆然とした表情である。


 『あ、あんた、ど、どこから、来たんだい?』


 老婆がやっとの事で声にした。


 『えーと、日本って言っても分からないかなぁ。……そうだ! あの太陽の沈む地から来ました。』

 『ひゅ』 


 海に沈む夕日を指さし、松陰は言った。

 老婆はその答えに息を呑む。

 そんな老婆をスズが心配したが、スズの声は聞こえないらしく、苦しそうに肩で息をしているだけであった。

 やがて呼吸は落ち着いたが、代わりに目からボロボロと大粒の涙が溢れてきた。 

 あたふたする二人を置いてけぼりにして、老婆が感極まった様に叫ぶ。


 「兄さん! 兄さんの言った予言の人がとうとう来たよ!」


 それまでの無表情ぶりが嘘の様に、老婆の顔には内なる感情の発露があった。

 けれども二人には老婆の言葉が分からない。

 

 「予言の人! 我らチェキローを助けておくれ!」


 松陰に縋りつき、泣く泣く訴える。


 「帰る地を失った我らを導いておくれ!」


 言葉は分からないが、その必死さは伝わってきた。

 何を言ったらいいか分からず、松陰は老婆の泣くに任せた。


 「おい!」

 「勇君?」

 「帰りが遅いから迎えに来たぞ。」


 勇らが迎えにやって来た。

 必ずしも治安が良いとは言えないサンフランシスコであるので、大事をとっての事だ。

 現れた勇に、老婆は目を飛び出さんばかりに驚く。

 パクパクと口を動かして何か喋ろうとするが、声にならない。


 「兄さん?!」


 やっと口にしたと思ったら松陰を放し、今度は勇をしっかりと掴むのだった。


 「何だこの婆様は?」


 勇は怪訝な顔をする。

 得体が知れないが、老婆を邪険に扱うのも気が引けた。

 

 「何か事情がありそうですね……」

 「良く分からんが、知り合いなのか?」

 「先ほど会ったばかりですが、勇君がお婆さんの知り合いにでも似ているのではないですか?」

 「そうなのか?」


 訳が分からず、泣き続ける老婆を黙って見守るしかなかった。

駅馬車が1854年に通っているのかは判然としませんが、している前提で話を進めます。

パナマ地峡の鉄道開通は、本来であれば1855年です。

物語の進行上、既に開通している事にしています。

ご了承下さいませ。


1860年の使節団はパナマから鉄道で大西洋に抜け、船でニューヨークに向かいました。

1871年の使節団になると、大陸横断鉄道に乗って旅をしています。

流石アメリカですね。

チートと呼びたくなる程の発展具合、それを支える工業力です。


老婆の正体は序章で出てきたチェキローの娘です。

老婆になるまでの時間、一体何をしていたのかは後々分かりますが、予言を成就する為には必要な時間だったのでご了承下さい。


老婆は近藤を兄と見間違えましたが、ネイティブ・アメリカンのシッティング・ブルを見た時、近藤勇と似ているなぁと思ったのがネタのきっかけです。


おまけ

松陰「こ、これはまさか、あの?!」

スズ「松先生、どうしたの?」


サンフランシスコの町中で松陰が立ち止まって叫んだ。

スズはその視線の先を追う。


スズ「リーヴァイ・ストラウス?」


そう、それはかのリーバイスであった。

この当時のリーヴァイ・ストラウス社は、幌や帆に使われていたキャンバス生地を使った作業パンツを作って販売していたお店である。

お店にジーンズは無かったが、店名に前世を思い出して感動してしまったのだ。

感動ついでに作業用パンツを数枚買う事にした。


リーヴァイ『いらっしゃいませ~』

松陰『店長はいらっしゃいますか?』

リーヴァイ『はい、私ですが、何か?』

松陰『貴方がリーヴァイ・ストラウスさん!!』

リーヴァイ『はぁ……』

松陰『握手して下さい!!』

リーヴァイ『一体何なのですか……』


感激しきりの松陰にリーヴァイは戸惑った。

そしてパンツを買って店を出る。


松陰『ジーンズが出来たら言って下さい! 真っ先に買いますからね!』

リーヴァイ『はぁ、ありがとうございます(ジーンズって何だろう?)』


世界最古のジーンズが出来るまで、残り30年程である。

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