サンフランシスコを発つ前に
もう一回だけ演劇ネタです。
『今日こそニンジュツを教えてもらうぞ!』
『またお前か……』
ニンジャの前に一人の男が立ち塞がっていた。
『私は囚われた娘を救いに行かねばならんのだが?』
『問答無用! いくぞ!』
『仕方ない……』
男は刀を抜いて勢い良く飛び出し、ニンジャに斬りかかる。
ニンジャはそれを巧みに躱した。
「いけぇニンジャ! やっちまえ!」
観客の男達が一斉に叫ぶ。
それを不思議に思った一人が、隣で絶叫する友人に尋ねた。
「何でそんなに興奮してるんだ?」
「あれを見ろ!」
問われた男は不機嫌そうに顎で示す。
その先には、
「キャー! トシ様! こっち向いてぇ!」
「トシ様の強さならニンジュツなんか要らないわ!」
ニンジャに斬りかかるトシに、盛んに黄色い声援を飛ばす娘達がいた。
「……成る程。こりゃあニンジャを応援しねぇとな!」
「だろ?」
「「いけぇニンジャ!」」
男達の熱い想いを受けて、ニンジャの刀がうなる。
『くッ! トシの奴、日に日に強くなっていくな……』
トシを撃退したニンジャであったが、相応のダメージを負っていた。
足取りも重く、娘が攫われたという屋敷に辿り着く。
刀を足場にして塀を乗り越え、結んだ紐を手繰り寄せて刀を回収する。
忍び足で屋敷の中を探り、娘が囚われた部屋を見つけた。
中の様子を探ろうとした次の瞬間、突然扉が開く。
『へっ! 良く来たなニンジャ! だが、テメェも今日でお終いだ!』
『何?』
『私はいいから、逃げてニンジャ様!』
縛られた娘が叫ぶ。
『テメェを倒す為に、腕の確かな用心棒の先生を雇ったのさ! サミー先生!』
『ククク、我が虎徹が貴様の血を欲しておる……』
抜いた刀を眺め、不気味に笑う男が一人。
『テッシュー先生!』
『……手負いの獅子は危険と言うが……』
そして盲目らしい剣士がユラリと立ち上がった。
『手強そうだな……』
眉間に皺を寄せつつ呟いた。
『このままでは不味い……』
『ニンジャ様?』
『娘! 今はお前だけでも逃げるのだ!』
『で、でも!』
『いいから行け!』
『は、はい!』
ニンジャは、どうにか救い出した娘を逃がす。
娘はニンジャの事が気になりつつも、足手まといにならない様に屋敷を離れた。
『お前一人残ってどうするつもりだ?』
『……逃がさねぇぜ?』
サミーとテッシューがジリジリと迫る。
『暗黒波動に魅入られし者共よ! 世の平和を守る為、何としてもお前達はここで討つ!』
『口だけは威勢がいいな!』
『……動きにキレが無いぞ?』
不敵に笑って尚も距離を詰める。
と、ニンジャは突然その場に両手を付き、呪文を唱えた。
『アブラウンケンソワカ、出でよ、狂戦士の鎧よ!』
ニンジャが呪文を言い終えるやいなや、空中に鎧がフッと現れた。
鮮血をべっとりと浴びた様な、禍々しい程の赤い鎧である。
そして、獲物に絡みつく蛇の様に、鎧はニンジャの体を覆いつくした。
途端、ニンジャの口から、この世のモノとは思えない絶叫が響く。
全ての不吉さを凝縮している気がして、見守る観客達が震えあがった。
「オニシマズはヤバいってニンジャ!」
「あの鎧は何なんだ?」
「ヤベェ鎧さ。戦場で死んだ、幾万の兵士達の呪いがかかった鎧らしい。着ければスゲェ力を発揮するが、破壊の衝動に駆られて我を失い、敵味方無く襲い掛かるんだ。そりゃあ恐ろしいブツさ!」
「何だって?!」
友人の説明に恐怖を抱き、心配げにニンジャを見る。
「前はそれで人質まで殺しそうになったくらいだぜ!」
「どうやって助かったんだ?」
「その時は意志の力で鎧の呪いをねじ伏せたんだが、今回は手負いだしな。呪いに打ち克てるかは分からねぇな……」
「そりゃヤベェ!」
ハラハラとして眺めた。
誰も動く者のいない空間に、一人の赤鬼が立っていた。
周りには無数の屍だけが見える。
その屍の中、鬼はもっと敵を寄越せと咆哮した。
斬り足りぬと泣きわめいた。
屋敷の門に手を伸ばし、町中に出て行こうとする。
そんな鬼の背中に声が掛けられた。
『ニンジャよ! 俺が倒したかったのはその様なお前ではないぞ!』
トシであった。
逃げた娘に遭遇し、ニンジャの事を聞いたのだ。
鬼はトシの声に反応して振り返り、ニヤリと笑って首を寄越せと駆け出す。
その手には、鎧と同じ様に赤く染まった刀が握られていた。
『最早俺の声は届かぬか! ならば剣にて貴様を止めてくれよう!』
トシも刀を抜き、ニンジャに向かって駆け出した。
『トシ?』
『やっと正気に戻りやがったか……』
地に臥すトシの傍らに、鎧が脱げて呆然としたニンジャが立っていた。
トシは死闘の末に、狂戦士の鎧をはぎ取る事に成功したのである。
しかしその代償は大きく、誰が見てもその命は尽きようとしていた。
『お前が俺を?』
『勘違いするな! 俺が用のあるのは、貴様のニンジュツだけだ! ニンジュツも使えない奴など必要無いから、元に戻してやっただけに過ぎん! さあ、ニンジュツを教えてもらうぞ!』
『し、しかしお前の体は……』
トシに寄り添うが、その顔には悲痛さが浮かんでいた。
そんなニンジャに言い放つ。
『辛気臭い面をするな! これしきの傷、俺には何ともない! 俺はお前のニンジュツを手に入れるまで、決して死にはしない!』
『あ、ああ……』
『早速今から教えろ! まずはブンシンノジュツからだ!』
『ああ、いいとも……』
『へっ! やっと、頷きやがった、か! 何、だ? もう、ジュツをかけて、やがんのか? お前が、何人にも、見えやがる。相変わらず、凄いジュツ、だぜ……』
『トシ?』
その目は閉じかけている。
『何て……言うん……だった……か……リン……ピョウ……トウ……シャ……』
『……皆陣烈在前……』
『カイ……ジン……レツ……ザイ……ゼン……どう、だ?』
『ああ、それがブンシンノジュツだ。』
『やった……ぜ……これで……俺も……』
『ああ、これでお前も立派なニンジャだ!』
『へへっ……俺が、ニンジャ……』
トシは、憧れたニンジャの腕の中で息を引き取った。
その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
「トシっていい奴だったんだな……」
「あ、ああ。男だったな……」
観客の男達もトシの最期に涙した。
『ククク、全て見せてもらったぞ。軟弱なヤツめ。』
『誰だ!?』
トシの死を嘲笑うかの様な笑い声が響く。
許さぬとばかりに気配を探ると、屍達の上に黒い煙の様なモノが見えた。
やがてその煙は、一人の屍の中にスッと入り込んで消える。
すると、死んだ筈のサミーが、ガクガクと全身を震えさせながら立ち上がった。
『まさか!? 禁呪死屍縛り?!』
『ほう? 禁呪を知っているとはな。』
青白い顔のサミーがニタリと笑う。
「キンジュって何だ?」
「俺も初めて聞いたが、ヤベェ臭いがプンプンとしやがるぜ!」
観客も息を呑んで見つめる。
『お前は誰だ? 禁呪は誰から教わった? 何をしに来た?』
『次から次へと良く尋ねる男だな……』
サミーを操る何者かは、面倒臭げに呟いた。
それを聞いたニンジャは怒り、鋭く問い質す。
『いいから答えろ!』
『フッ、青い男だ。まあ、答えてやろう。俺はお前と同じだ。つまり、闇に生きる者同士という訳だ。よって名乗りも要らぬ。呼びたければダークニンジャとでも呼べばいい。それで禁呪を知っている理由も分かろう。ここに来たのは、お前を俺の部下にする為だ。』
『何?! お前もニンジャだというのか?! 俺を部下にする? 禁呪を使う様なヤツを野放しにすると思うのか!』
ニンジャは即座に構え、問答無用で斬りかかった。
『そうか、残念だ。なら、死ね。』
言うなりサミーの体が、鞠を大きく跳ませた様に空中高く飛び上がった。
呆気に取られて動きが鈍ったニンジャは、サミーの一撃をまともに喰らい吹っ飛ぶ。
刀が折れたのを感じ、消えゆく意識の中でダークニンジャの声を聞いた。
『今回は特別に見逃してやろう。世界を支配するには、俺一人の力では足りないからな。だが、次は容赦せん。殺されたくなければ強くなる事だ。』
そう言うなりサミーの体は、操る糸が切れた様にその場に崩れた。
そして、ニンジャの意識は途絶えた。
「ダークニンジャだぁ?」
「ニンジャは大丈夫なのか?」
「世界を支配するだとぉ?」
観客は周りの者と盛んに話し合い、ある結論に達した。
「次はどうなるんだ?」
『これくらいでどうですか?』
『話になりませんな!』
『では、これでは?』
『それだと、これを認めてもらわないといけませんねぇ』
『じゃあ、こういう事でどうでしょう?』
『それなら納得です。』
『良かった。では、契約は成立ですね!』
『いやぁ、いい商売が出来ましたよ!』
松陰とユダヤ人金融家ヤコブ・カウフマンは固い握手を交わした。
市長の屋敷の広間での事である。
上等な椅子に腰かけ話し合っていたのは、演劇“ニンジャ”の公演に関する取り決めについてであった。
ひとまず区切りがついた“ニンジャ”であったが、思わせぶりな終わりに続きを期待する声は大きく、市長としてもそれに応えない訳にはいかず、松陰に頼み込んだ次第だ。
威臨丸のボイラーが破損し、為すすべなく海を漂っている所をアメリカの商船に助けられ、無事にアメリカに着く事が出来た松陰らであった。
まさかスズらが待っているとは思わず再会を喜んだのだが、更に驚いたのが彼女らが演劇をして滞在費を稼いでいた事だ。
自分達もお金は無い。
ならば手伝おうという事で加わった“ニンジャ”であったが、役者の人数が増えた事で出来る演目が多くなり、益々人気に火をつける事になってしまった。
最後は調子に乗って続きを期待させる終わり方をしてしまい、どうにも引っ込みがつかなくなって市長の頼みを断れなくなったのだ。
あれだけ期待を煽りながら、今更続きはありませんも無いだろう。
下手をすれば、日本人への反感を招く恐れもある。
スズらは言うに及ばす、自分達も屋敷に泊めてもらっている引け目もあった。
それならいっそ、全てをお金に換えてしまえと提案したのが、今回まとまった公演に関する取り決めだ。
台本を英訳しての譲渡、公演する権利の確認、キャラクターグッズの販売権、演劇指導などが含まれた取り決めは、サンフランシスコで金融業を営むヤコブ・カウフマンとの激しいやり取りの下、無事締結されるに至った。
これで松陰達は、纏まった額のアメリカドルを得る事が出来た。
「武士が商人の真似事などと……」
握手を交わす松陰とヤコブを眺め、市之進がブツクサ文句を述べた。
自分達が始めて人気を得ていた演劇であるのに、突然加入した松陰らに、手柄を横取りされたと感じる気持ちもあったのかもしれない。
「これ、市之進。その方は心得違いをしておるぞ。」
「慶喜様?! 私がどんな心得違いをしていると仰られるのですか?」
慶喜の言葉に狼狽えて、思わず問うた。
「まず、我らは手違いとはいえ路銀を失ってしまった。追いかけ様にもパナマに行く船が無いと言うのだから、我らは待つ事しか出来なかったな。しかし、路銀が無ければ飯も食えぬが、その時にその方は何か良い案を出したか?」
「い、いえ……」
慶喜の質問に顔を伏せて答えた。
「舞台をする事を言い出したのは、その方が批判する吉田に縁のある者らだ。我らは他に策もなく、言われるままに芸をしていたに過ぎん。木で出来た刀なども売ったが、そんな事で得られた金は微々たる物だ。それに比べてあの吉田は、一体何を売った?」
「そ、それは……」
答えに窮した。
未だに良く理解出来ていない為でもある。
しかし慶喜は、嬉しそうに顔を輝かせて口にした。
「余には考えもつかぬ物ばかりではないか! 台本を売るのは分かるにしても、どうして劇を上演する事を許す事が金に換わるのだ? 勝手に真似すれば良いではないか!」
「そう言われてみればその通りでございますね……」
慶喜の指摘に、市之進も改めて不思議に思った様だ。
「父上があの者を贔屓にしておった理由が垣間見えたぞ。綺麗どころも揃っておるし、再びあの汗臭い船に乗らずに正解だったな!」
「慶喜様!? その様な事を口にするのは憚られますぞ!」
ニヤリと笑う慶喜に市之進も慌てて言った。
次話、サンフランシスコを発ちます。
それはそうと、今回の話を書いている最中、トシが死ぬ所で涙が出てきました。
自分の創作物で、尚且つ芝居なのに、何故でしょう?
昔から漫画でもアニメでもこういうシーンではポロポロ泣いてましたが、それにしても・・・
年齢のせいで涙腺が緩みっぱなしなのでしょうか?
歳だけに・・・