マリア
「そろそろ頃合いだな……」
「いよっ! この色男!」
月も高くなり、盛んに囃し立てる仲間たちの中、歳三は宿舎を後にした。
勇だけは固く口を閉ざし、無言で見送る。
歳三が何も言わない以上、勇としても手を出す訳にはいかない。
羨ましがる者らを他所に、一人真剣な面持ちで友の後ろ姿を追った。
「歳三の雄姿を見学に」
「止めとけ。」
龍馬の軽口を途中で遮る。
抗議の声を上げようとするのを制し、部屋へと戻った。
そんな勇の態度に他の者も興ざめし、文句を言いつつもそれに従う。
歳三は月が照らす道を、一人黙々と歩く。
昂ぶる気持ちは嘘の様に消えており、静かな闘志が体中に満ちていた。
感覚器官が冴えわたっているのか、まるで昼間の様な明るさに感じる。
空気の動きさえ見える気がして、それを楽しむ余裕さえ生まれていた。
『お待ちしておりましたわ。』
木立が並ぶ薄暗い道の先で、その女は待っていた。
舞踏会の時と同じ恰好で、頭には白い頭巾が巻かれている。
歳三を認め、スカートの端を持ち上げ、チョコンと頭を下げた。
歳三は改めてその女の顔を見つめる。
舞踏会では、慣れない場で知らずに緊張していたのか、女を観察するゆとりがなかったらしい。
心が落ち着いている今、じっくりと眺める事が出来た。
白人の顔の違いは良く分からないが、地味な顔立ちに思われる。
それこそ、この旅に同行している楠本イネや吉田スズに比べれば、至って普通の娘に見えた。
けれども、その立ち振る舞いには、武家の子女に通じた気品を感じる。
武道を嗜む者に共通した、ピンとした姿勢の故であろうか。
それよりも、女から感じたのは儚さであった。
ここにいる事情は知らないし、生い立ちなど想像も出来ない。
しかしながら、真っ当に生きているのではない事だけは、容易に理解出来た。
こんな所に居たい訳では無い、全身からそう訴えている様な、そんな気配である。
果たし合いを求めてきたのは女の方なのに、まるでそれが嘘の様だ。
相手を斬る技術を必死に修めてきたのが自分だ。
決闘など、望む所である。
たとえその相手が女であれ、剣を持つ身に性別の区別などありはしない。
剣を持って立ち塞がる者があれば斬って捨てるし、もしも相手の技量が上であれば、斬られるのは自分という話だ。
それだけの事だ。
目の前の女が歩んできた道も、それと似た気がする。
けれども、その二つの間には、超える事の出来ない溝を感じた。
何がどう違うのかは、しかとは分かりかねたが、似ている様で全く異なるモノに思えた。
その違いに何故か心が苛立つ。
手のひらに刺さった棘が、取れそうで取れない様なもどかしさがあった。
「何か腹が立つな……」
歳三はポツリと呟いた。
勿論、女は理解出来ない。
『時間も無いので、早速いかせて頂きますわ!』
どこから出てきたのか、女の手には一振りの剣があった。
細身で直刀の両刃の剣である。
それは、教会の屋根に掛けられた十字架に似ていた。
応えて歳三も兼定を抜く。
「まあ、今更考えても仕方ねぇな。」
肌の色も生まれた国も持つ剣の種類も違うのに、男と女の構えは同じ正眼である。
互いの切っ先が、相対する者の目を捉えていた。
高まる緊張に、二人の間の空気が震える。
「いざ、尋常に!」
歳三が吼える。
『行きますわよ!』
女もそれに応えた。
まさに互いが動き出そうとした次の瞬間、
「勝負する訳ねぇだろ!」
『え?』
言うなり歳三はクルッと向きを変え、女を置いて一目散に駆けだした。
『ちょ、ちょっと! 待ちなさい!』
女が慌てて後を追う。
歳三は後ろを振り向きもせず、林を抜け、タロイモ畑を突っ切り、いつか松陰が眠りこけていた海岸へと辿り着き、ようやく止まった。
女もすぐに追いつき、息を整えてから食って掛かる。
『どういう事なの! いきなり逃げ出すなんて!』
女の声に歳三は涼しい顔で答えた。
「正体を隠して殺しをする奴が待つ場所なんざ、死地に決まってんだろ? あんな林の中、何を仕掛けられてんのか分からねぇ!」
『チッ』
互いの言葉は理解出来ないのに、その意味する所は通じるらしい。
女は図星を突かれて舌打ちした。
「じゃあ、改めていくぜ?」
『仕方ありませんわね……』
そして再び向き合い、互いの剣を構える。
こうして一人の侍と、暗殺者の女の戦いが始まった。
「一応聞いといてやるか。」
地に臥し、自分を見上げる女の喉元に兼定を突き付け、歳三は言った。
女の剣は遠くに落ちている。
頭巾が取れて長い髪が乱れた女の姿は、それまでの印象とは打って変わって可憐に見えた。
『何で、ござい、ますか?』
肩で息をしている女は、声を振り絞って応える。
『お前の名は?』
英語で聞いた。
『……マリア、ですわ、土方様。』
ややあってマリアは答えた。
歳三の事は当然の様に調べてある。
「マリア、か。」
聞き取りやすく、言いやすい名前であった。
「立て。」
刀を突き付けたまま命じる。
マリアは重い体に鞭打ち、ノロノロと立ち上がった。
「動くなよ?」
言いつつ刀を器用に動かし、マリアの体を覆う服の紐を斬る。
服はするりと彼女の体を滑り落ち、たちまちのうちに持ち主を裸にした。
月の光を浴びて白い肌が浮き上がる。
マリアは屈辱で体まで赤く染め、顔を歪めた。
『嬲るおつもりですか?』
射殺そうとでも言うかの様な鋭い視線で、目の前の男を見つめる。
「動くなと言っただろう?」
『サムライは名誉をとても大事にするとお聞きしましたのに!』
名誉を守る為に自ら腹を切ると聞いた、東洋の島国の兵達。
密かな尊敬の念を抱いていただけに、やはり男はどこも同じなのかと幻滅してしまった。
尊敬が怒りに変わり、依然として刀を突きつけられた状況にも関わらず、食って掛かるばかりに詰め寄った。
「動くな!」
『くッ!』
一喝して下がらせる。
抵抗しなくなったのを確認し、女に向かって手を伸ばした。
キッと睨む女を無視し、その顔に手を添える。
顎を持ち上げ、その顔をつぶさに確かめた。
恥辱に染まる女の顔を通り越し、その後頭部を探る。
「やはりな。」
歳三の呟きにマリアはハッとした。
戻って来た手には、髪の中に隠し持っていた武器が握られている。
大きな針といった物だ。
「知らずに抱いたら、これでブスリと言う訳か。大方、毒でも仕込んでやがんだろ?」
『……』
指摘に女は押し黙る。
「服に銃でも仕込んでやがると思ったが、それは無かったか。この針が最後の懐刀って訳だ。」
針を海へと放り投げ、マリアに向き合う。
「女の身でそこまでやれたのは褒めてやるぜ。ただ、相手が悪かったな。剣の道だけを追ってきた俺に比べて、お前は剣以外にも手を出さざるを得なかったんだろ? 多分その差だろうぜ。」
『……』
マリアは思った通りの手練れであったが、今一歩至っていない様に感じた。
剣の扱い、戦い方には精通しているが、剣を己の物とまではしていない印象があった。
一意専心という言葉が脳裏に浮かぶ。
しかし、それを説明しても仕方あるまい。
マリアは歳三が何を言っているのか分からなかったが、自分を褒めている気がして何故か微笑んだ。
「ま、そんな事はどうでもいいな。女の身でそこまで鍛えた事に敬意を表して、このままあの世に送ってやるぜ。首を落としてやるから跪きな。」
身振りで示す。
マリアは観念したのか、狼狽える事なくその場に跪いた。
両手を胸の前で組み、目を閉じて祈りの言葉を静かに口ずさむ。
『天にまします我らの父よ。願わくは、御名の尊まれん事を。御国の来たらん事を。御旨の、天に行わるる如く、地にも行われん事を。我らの日用の糧を、今日も我らに与え給え。我らが人に赦す如く、我らの罪を赦し給え。我らを試みに引き給わざれ、我らを悪より救いい出し給え。国と力と栄えとは、限りなく汝の物なればなり。アーメン。』
死を目の前にして、その声には些かの動揺も無かった。
思えばあの舞踏会で、歳三とダンスを踊った時から、こうなる事を予感していたのかもしれない。
後悔も懺悔も頭に浮かぶ事は無く、寧ろ満足が満ちていた。
心安らかな笑みを浮かべ、最期の時を待つ。
『……』
何も起きない。
寄せては返す、波の音がする。
『……』
やはり、波の音だけがあった。
マリアは不審に思い、薄目を開けて周りを伺う。
幾分傾いた月が目に入るだけで、砂浜には自分以外に誰もいなかった。
驚いて立ち上がり、必死に歳三を探す。
すると、既に遠く、背中を見せて走る歳三の姿があった。
『情けを掛けたおつもりですか!?』
憤りで頭に血が上る。
命令に従って人を殺めて以来、報復で殺される事は常に覚悟していた。
女の身であれば、捕まったら乱暴されるのも当然の事だろう。
隠し持っていた毒針は、いざという時の自決用でもあった。
そんなマリアにとって今回の一連の出来事は、屈辱以外の何物でも無い。
暗殺を阻止され、正体をあっさりと見抜かれ、勝負にも完敗し、体に手を付けられもせず、あまつさえ命も取られなかったのだ。
『嬲る価値も、殺す価値さえも無いと言うのですか!?』
誇りが傷つけられただけに留まらず、死の覚悟さえも馬鹿にされた気がした。
怒りに体が打ち震え、頬を赤く染める。
しかし、今から追うには余りに離れすぎているだろう。
腸が煮えくり返りそうになりながら、ひとまず脱げた服を拾おうとして気づく。
『また会おうですって?!』
そこにはミミズがのたうった様な字で、SEE YOUとだけ書かれてあった。
呆気に取られたマリアは、やがて可笑しさが沸き上がる。
『フフフ。サムライって面白いわね。いいですわ、またお会いしましょう。』
久しく感じた事の無い、清々しい気分であった。
「あいつ?!」
数日後、サンフランシスコへ向けてオアフ島を出発した日本丸の上に、未だ出発の準備が出来ていない威臨丸に向けて手を振る、マリアの姿があった。
暗殺者にロングソードは合わない気もしますが・・・
次話、サンフランシスコ港に到着です。




