カメハメハ四世との謁見 ★
「美しい眺めだな……」
「ここが真珠湾、パールハーバーです。」
「真珠湾か。言い得て妙だ……」
「これが全部異国の船かよ?!」
オアフ島に上陸する為、威臨丸は真珠湾を進んでいる。
真珠湾はハワイ諸島の中でも群を抜いて良好な湾であり、船を泊めるのに最適な穏やかさを保っていた。
複雑な海岸線と透明度の高い海、巨大で優美な帆船が混在し、自然と人工物の織りなす美しさがあった。
停泊している船にはアメリカの捕鯨船から始まり、イギリス、フランスといった国旗も見える。
それらと比べ、威臨丸は一回りも二回りも小さい。
けれどもその身に誇りを漲らせ、堂々と進む。
「この真珠湾は戦略的に大変重要な場所です。その理由が分かりますか?」
甚だ平和な湾を見つめながら、松陰が問うでも無く問いかけた。
その目には、未来に訪れるかもしれない光景が映っている。
帝国海軍の艦上攻撃機が放つ魚雷群が、アメリカ海軍の戦艦アリゾナを始めとする敵艦を、次々と撃沈していくシーンだ。
真珠湾への奇襲から始まったとされる大戦は、アメリカによる広島長崎への原爆投下で終わりを告げた。
もしもこの真珠湾を日本の影響下におけたなら、あの大戦の在り方そのものを変えてしまえるかもしれない。
松陰がそんな思いでいるとは知らない周りは、ああだこうだと言い合った。
「ここは我が国とアメリカのほぼ中間なんだったか?」
「旅の休憩地に最適ちや!」
「それだけではないな。異国に備える際に、砦の地としての価値は高い。」
「でも、既に異国の船で一杯ですよ?」
「夷狄など討ち払えば良い!」
「くくくっ、威勢がいい事だ。」
やいのやいのと言い合う。
「石松さんも何か言いたげですね?」
気づいた松陰が尋ねた。
けれども、何やら躊躇しているらしい。
次郎長に視線を送ると、阿吽の呼吸で引き継いだ。
「おい、石松。威勢がいいのがテメェの良い所だ。遠慮しねぇで言ってみな?」
次郎長に促され、ようやく口を開く。
「港は、港ってだけで莫大な金が動く所だ。荷の揚げ降ろしにゃあ人手がいるし、その手配だけでも儲かるぜ? これだけ大きな港に、これだけの船となると、乗ってる奴らの数はどんだけだ? 飯場は賑やかだろうし、海の男とくりゃあ賭場もあるだろうぜ。こんな所に食い込めりゃあ、相当儲かるんだろうな……」
心底羨ましいと言った表情である。
次郎長は清水に一家を構えていたが、真珠湾周辺の賑わいとは比較にならない。
人が集まる所では大金が動く。
武士では中々気づけない視点からの意見であろう。
「軍事的にも渡航の経由地としても、はたまた金儲けの点からも、ここ真珠湾には是非とも手を出しておきたいですね。」
少なくともアメリカにだけ占有されるのは宜しくない。
出来れば共同利用という形に持っていきたい所だ。
そんな事を考えながら船は湾内に停泊し、一行は船の見張りを残して上陸した。
アメリカの捕鯨船の中には小笠原を利用している船もあり、日本の国旗を知っている乗組員も多かった。
港はたちまち大興奮となり、一行は大歓声で迎えらる事となった。
そんな事になるとは思ってもいなかった松陰らは、戸惑いながら監督官庁に向かう。
「まるで珍獣扱いだったな……」
「げにまっことちや!」
「英語で挨拶したらビックリしてましたよ?」
「だな。それは笑えた。」
ハワイ政庁舎で入港の挨拶を行ったのだが、対応した外務大臣以下の目つきが、まるで見世物小屋を訪れた客のそれだったらしい。
「しかし、ハワイは白人の国なのか?」
「それは思った。」
政府庁舎内にいたのは白人が多かった。
肌の浅黒いハワイ人にも会っていたが、それは少数である。
松陰が解説した。
「まあ、彼らは世界中どこへでも出かけて、内からその国を乗っ取るのが好きですからね。」
「何と!」
「恐ろしい事だ……」
他国の事とはいえ、その境遇に同情する。
「しかし、まさか王様と面会せねばならなくなるとは思いませんでした……」
「だから先走るなと言ったのだ!」
勇が松陰をなじる。
「でも近藤さん? 呼ばれているのに行かないのは、それこそ無礼ですよね?」
「それも分かっている! これ以上は言わん!」
総司の言葉に怒った様に返す。
頑固な勇らしい。
正使である堀田らの到着はいつになるのか分からないまま、一行はハワイの王宮に向かった。
『日本国より参りました。この度はお招きに預かりまして、誠にありがとうございます。』
継之助が述べた。
一行の中で一番年上と言う事で、代表しての事だ。
本人は辞退したかったが、挨拶だけでもと松陰に押し切られた。
勉強した英語の一節をどうにか覚え、言った。
『ハワイへようこそ! 歓迎しよう!』
迎えるカメハメハ四世は、見慣れぬ服装の異国人の、ぎこちないが立派な英語での挨拶に驚きながらも、にこやかな笑顔で応えた。
見れば全員が、自分と変わらない程に若い。
『ジョン・マンが帰国した筈だが、彼を知っているか?』
親しく言葉を交わす時間を設け、ハワイの王が問うた。
同じ年代の異国の客人の訪問に、王は嬉しくなって是非にと願ったのだ。
西洋でも最新式である筈の蒸気船の事も、ハワイの今後の為に尋ねたいと思う。
『ジョン・マンと言うと、中浜万次郎さんですね。彼は別の船でこちらに向かっています。実は、我々は先行隊であり、この度の御挨拶も正式なモノではないのです。申し訳ありません。』
『そうだったのか? それは構わぬが……』
継之助の後を引き継いだ松陰の言葉に、アレックス王は頷いた。
更に質問を重ねていく。
『英語は彼に習ったのか?』
『それもありますが、14年前に私も遭難しております。その時、イギリスの商人に助けられたので、彼から習いました。』
『そうなのか?!』
納得する。
『では、蒸気船もその時に? 聞けばスクリュー式だとか。』
『はい。彼は読書家で、様々な書籍を所有していました。帰国の際にはその殆どを譲ってくれたので、必死で勉強しました。我が国の技術者達の工夫と弛まぬ努力の甲斐もあって、蒸気船を我が国だけで作り上げる事が出来たのです。』
『それは素晴らしい! 是非とも見学させて欲しい!』
前半は真っ赤な嘘であるが、後半は紛れも無い事実である。
『光栄でございます。このハワイを統一された偉大な王、カメハメハ大王の御子孫であらせられる御身に見て頂けましたら、作った技術者も喜びましょう。お褒めの言葉を直接掛けて頂ければと思います。』
『何?! その者が来ているのか?!』
『はい。』
『こうしてはいられぬ! 早速参ろう!』
『アレックス王?!』
行動派の若き王は兄が止めるのも聞かず、王宮を後にした。
『誠に有意義な時間であった! 礼を言う!』
『こちらこそ、お褒めの言葉を賜りまして、誠にありがとうございます。』
蒸気船の見学を終えたアレックス王が、感激して感謝の言葉を口にした。
紛う事無きスクリュー推進の蒸気船であり、尚且つ蒸気タービンなどと言う、これまで見た事も無い機構を備えた船であった。
初めは西洋からの購入品だと疑っていた王も、技術者とのやり取りからそれは誤解であったと知る。
正真正銘、これまで外部と積極的な接触を断ち、国を閉ざして内に引きこもっていた筈の極東の島国が、西洋に勝るくらいの技術力を身につけていたのだ。
このままではアメリカに支配されると、生まれ故郷であるハワイの将来を憂う若き王は、甚だ暗い未来に微かな光明が差すのを感じた。
地図で見れば地球の反対側に位置する日本だが、よくよく考えれば、この海の西にある、海を隔てただけの隣の国なのだ。
彼らの国から十日前後で到着したと聞けば、ヨーロッパと比べても驚く程に近い距離ではないか。
ジョン・マンの事は個人的に知ってはいたが、彼の国がこの様な高い技術力を備えていたなど、想像もしていなかった。
アメリカから日本製の物品は届いてもいたが、絵画や陶器といった品々であり、西洋とは違う感性を持った人々なのだろうくらいにしか思わなかった。
しかし実際は、自国のハワイよりも遥かに高度な科学力、工業力を身につけた国であろう。
髪形といい服装といい、見かけは珍妙な出で立ちであるのに、立ち振る舞いは驚く程に洗練されており、彼らの国の高い文化性を感じる。
腰に差した刀と呼ばれる携帯用の武器は、武器と呼ぶには余りに研ぎ澄まされており、ある種の美しささえ感じる、まるで完成された芸術品を思わせた。
刀を差した武士は、誇りと名誉を何よりも重んじると説明されたが、彼らの在り方にさもありなんと腑に落ちたのだった。
そして何よりも、自分達と接するのに他意を持たない誠実さを感じる。
ハワイの今後の為にも、是非とも友好関係を築いておきたい人々であろう。
『突然の願いにも拘わらず、快く応じてもらい感謝する。ついては何か礼をしたいと思うが、何かあるか?』
船を降り、王宮に戻ってアレックスは言った。
親しくしておきたい所ではあるが、国を背負う身としては、突然現れた彼らを全面的に信頼するには早すぎるだろう。
この様な提案に何を答えるかで、その者の腹のうちが量れる事もある。
若き王からの言葉に、日本人は額を突き合わせて話し合った。
「と申されておりますが、何かありますか?」
「そんな事を突然言われてもな……」
「第一、我らは正使でもないのだぞ? 勝手な真似は出来ん!」
「勝手に船を案内してますけど……」
「こら総司! 混ぜっ返すでない!」
「ハワイの女を紹介して……」
「あ?!」
「ひぃ?! じょ、冗談ぜよ……」
「だな。つまらん奴だ……」
意見が纏まらない。
仕方がないので松陰が提案する。
「実は、ハワイでやってみたかった事があるのですが……」
そう言って己の意見を述べた。
「それは面白そうちや!」
「ですね!」
龍馬と総司が頷く。
「近藤さんはどう思う?」
「それくらいなら問題はない。」
歳三の問いに勇は否定しない。
「なら決まりですね。」
反対意見が無いので、松陰はアレックス王に向き直り、言う。
『お見苦しい所をお見せ致し、誠にすみません。意見が纏まりました。』
『それは構わぬ。』
『実は前々からハワイでやりたかった事があるのです。』
『前々からだと?! それは一体何だ?』
松陰の言葉にアレックスは興味を惹いた。
それではまるで、昔からハワイを知っているかの口ぶりである。
そんなアレックスに、松陰は部屋の隅に飾られた品を指さし、言った。
『サーフィンです。』
『何?!』
松陰が指さした箇所には、彼が知っている形とは違えども、確かにサーフボードと思われる板が飾られていた。
『あれはパパ・ヘッエナルだが、サーフィンとは何だ?』
『何ですと?! あ、そういう事か。サーフィンとは、こういう感じの遊びです。』
言い方が違うと推測し、松陰はエア・サーフィンをやってみた。
『場所は海です。板の上に寝ころび、泳いで沖へと出ます。向きを変え、やって来た大きな波に合わせて板の上に立ち上がり、波に乗ります。』
『それはヘッエナルだな!』
王は顔を綻ばせ、思わず自分の膝を叩いた。
『そのヘッエナルを、前からやってみたかったのです。』
前世の話ではあるが、一度サーフィンをやりたいと思っていたのに、結局やれなかった。
折角ハワイに来たのだから、やり残した事をやりたかったのだ。
けれども、そんな松陰の言葉に、先程までは喜んでいた王の顔が途端にしょんぼりし、絞り出す様に言う。
『ヘッエナルをしたいのか?』
『何か問題でもありましたか?』
『いや……』
そのまま押し黙る。
そしてチラッと視線を走らせ、控える兄ロト・カプイワの方を見た。
「アレックス王! 今は結婚式を優先すべき時! 教会を怒らせるのは控えた方が良いですぞ!」
「わかっている!」
二人で言葉を交わす。
ハワイ語らしく、松陰らは理解出来ない。
理解は出来ないが、何やら不穏な様子であった。
『えぇと、何か問題があるのでしたら一向に構いませんので、断って下さいね。』
『いや、そうではない! そうではないのだが……』
松陰の申し出を一旦は否定するが、歯切れが悪い。
暫く考え込み、ようやく決心がついたのか、
『異国からの客人に先にお願いしたのはこちらだ! であれば、客人の願いをどうして断れよう!』
「王?!」
「構わぬ。客人をもてなす方が重要だ!」
そう言い切った王の顔には威厳が漂っていた。
時は既に夕刻に近い。
サーフィンは明日に持ち越しとなった。
その夜、
『そう言えば、一つお聞きしたい事があるのですが……』
『何だ?』
『キラウエア山は最近噴火しましたか?』
『しておらぬが、一体何だ? と言うか、どうして我が国の山の名前まで知っておるのだ?』
『いえ、ジョン・マンに聞いたのですよ。』
『それはそうだな!』
これで千里眼という線は消えた。
もしかして予知夢かと、胸騒ぎが走る。
誰の発言か書き分けが難しい!




