夢?
真っ赤に焼けた大地が静かに息を吐き出していた。
定期的なリズムで呼気を噴き上げるそれは、まるで命を宿しているかに見える。
しかし、その周囲に命を感じさせる物は何一つとして無い。
灼熱の赤いマグマと、冷えて固まったガラス質の溶岩しか見えない、荒涼たる風景が広がるだけだった。
気づけば松陰は、噴煙を上げる火山の火口に立っていた。
一瞬で自分という存在を塵まで焼き尽くす様な、とてつもない熱気が襲ってきた様に思われ、恐怖で思わず目を瞑る。
けれどもそれは錯覚だったのか、何事も起きなかった。
恐る恐る目を開け、身の安全を理解してホッと息をついた。
視線をキョロキョロと動かしてみたが、周りには誰もいない。
人を探しに足を踏み出そうとしたが、根でも生えた様に一歩として動かせそうもなかった。
仕方がないので、噴煙を上げている火口に目を向ける。
眩しいくらいに赤いマグマが、地の底からさかんに湧き上がって来ていた。
大地の生命力を表している様な、それでいて何かを訴えかけている様な、そんな印象である。
松陰は時間の経つのも忘れ、魅入った。
と、先ほどまで盛んに湧き上がっていたマグマの噴出が止まる。
静寂が辺りを包み込んだ。
松陰は、火山活動が小康状態になったのだろうかと自問する。
しかし、それは一瞬だけだった。
周りに漂う張り詰めた空気が、その考えをきっぱりと否定していた。
それはまるで嵐の前の静けさを思わせた。
足元から微かな振動を感じ取る。
徐々に大きくなっていくその振動に合わせ、松陰の鼓動も早まっていった。
立っている事も出来ない程に地面が揺れ始め、ついにその時がやって来た事を知る。
空気をビリビリと震わせる爆発音と共に、大量のマグマが火口から立ち上った。
火山の噴火だ。
真っ赤に焼けた溶岩が次々と爆発する様に吹き出し、真っ黒な煙が空を覆う。
大量のマグマが地を流れていく。
松陰は、地球の作り出す壮大なショーを特等席で鑑賞した。
ふと遠くで、悲鳴が聞こえた気がした。
我に返った松陰は気づけば場所を移し、今まさにマグマに飲み込まれようとしている人影の上空に立っていた。
それは女性だった。
手に花束を持った若い女が一人、流れるマグマに囲まれ、立ち往生している。
襲いかかかる熱気から逃れようと必死に逃げ道を探しているが、溶岩の流れは速く、既に道は寸断されている。
どこにも逃げ場を無くし、顔を恐怖に染め、恐れおののいていた。
駆け付けようにも体が動かない。
声を出そうにも口を開く事さえ出来なかった。
何もする事ができず、松陰はじっとその様子を上空から眺めていた。
そして今一度大きな噴火が起こり、山を下るマグマの量が増える。
「サンディ!」そう女性は叫び、あっという間にマグマに飲み込まれてしまった。
「っ!?」
ハッとし、松陰は目が覚めた。
キョロキョロと周りを見渡し、見慣れた船内だと気づく。
豪快ないびきを上げ、仲間達が眠っていた。
思わずホッとする。
額にはねっとりとした汗が浮かび、心臓はバクバクと鼓動を打っている。
袖で汗を拭い、息を整え寝床を抜け出した。
甲板に出て風に当たる。
随分と南に来た様で、海上を渡る風は生ぬるかったが、火照った体にそれは気持ち良かった。
進路である東の空は白ずみ、間もなく夜が明けそうだ。
昨日に調べた緯度と経度では、目的地は近い。
「夢、だったのか?」
先程の光景が思い出される。
夢と言うにははっきりとしすぎており、ありありと思い出せた。
胸騒ぎが止まらない。
なぜなら、
「ハワイと言えばキラウエアだしなぁ……」
目的地のハワイと言えば、世界的にも有名な活火山キラウエアであろう。
「マグマの粘度が低かったし……」
夢の中の溶岩は、まるで水の様に流れていた。
ハワイのマグマはサラサラとしており、それもあってキラウエアは活動が活発な割りになだらかな山となっている。
日本の火山とは思えなかった。
「千里眼と言うヤツか?」
遠くに離れた所から、まるでその地にいる様に見通す能力だが、自分にはそんな異能は無い。
キラウエアの噴火の映像は前世のテレビで見ているので、ハワイに向かっている今、記憶が刺激された事で見た、ただの夢かもしれない。
けれども、消えない胸騒ぎに不安は増すばかりだ。
「だとすると、あの女性は誰だったのだろう?」
助ける事は出来ず、マグマに飲み込まれるのを見ているだけでしかなかった。
南国らしい服装に身を包み、何かの儀式中だったのだろうか、体が隠れる程の花束を抱えていた。
尚も考えようとしていると、
「起きたのか?」
後ろから声を掛けられた。
「歳三君?」
振り返れば土方歳三であった。
蒸気船だけではないが、夜も船は進んでいる。
交代制で航海を続けていた。
「もうすぐ夜明けだな。」
「そうですね。」
「ハワイだったか、そろそろじゃないのか?」
「計算上はそうですね。」
現在地と船速から、到着は明日か明後日くらいと思われる。
「船旅はいい加減に飽きたぜ……」
歳三がウンザリした顔でぼやいた。
「船は狭いですからね。」
松陰も微笑む。
間もなくハワイに到着である。
執務室の椅子に腰かけ、男が一人思案していた。
その表情は真剣そのもので、悩みの深さが見て取れる。
現状は刻一刻と悪化しつつあり、そこから計られる未来は暗い。
何が出来るのか、どうすべきなのかを必死で考えていたが、名案は浮かばず、いつも堂々巡りであった。
議会を構成する政治家は白人が占め、政府の要職すらハワイ人は少ない。
数年前には外国人の土地所有が認められ、ハワイの土地が続々と白人の物となってきている。
サトウキビ畑といった産業も白人の占有であり、ハワイ人はその下で過酷な労働に従事するだけだ。
このままでは、ハワイはいずれ白人の支配する所となるだろう。
しかも、ハワイ人の人口自体が病気で減り続けているのだ。
アメリカ系の白人による、ハワイへの影響力の増大を日増しに感じ、男は深く溜息をついた。
「王様が溜息をついていると臣下が不安になりますよ?」
突然に声を掛けられる。
ハッとして顔を上げると、笑いながらこちらを見ている存在に気づく。
男は苦笑して声を掛けた。
「兄さん、二人の時に王様は止めてくれって言っただろ?」
「何を言うのですアレックス王! 臣下の礼を忘れるなど! どこで誰が見ているのか分からないというのに!」
「臣下の礼を言うなら、兄さんはノックを忘れているぞ?」
「失敬な! ちゃんとしたのに、お前が聞こえなかっただけだろ!」
憤慨していつもの口調に戻った兄に、弟は笑った。
先程までの深刻そうな顔はどこへやら、年相応な屈託のない笑顔である。
兄もつられ、二人して笑う。
「エマが戻れば結婚式だな。」
ひとしきり笑い、兄が言った。
「昨日出発したから、順調にいけば戻るのは1週間後くらいかな?」
「伝統とはいえ、面倒な事だ!」
「それは言いっこ無しだぜ、兄さん。」
「そうだったな、すまん!」
兄は頭を掻いた。
「それはそうと、何か用があったんじゃないのか?」
「そうだった、忘れてた!」
「兄さんは補佐官なんだから、しっかりしてくれよ!」
「すまん、すまん!」
苦笑いする弟に兄は謝った。
「で、何だい?」
「外国船が入港して、外務大臣に面会を求めて来たそうだ。」
「外国船? どこの船だい?」
「どこだと思う?」
兄はニヤリとする。
「さぁ? それだけで分かる筈がないじゃないか。」
その意図は分かったが、流石にそれだけでは見当もつかない。
兄は付け加えた。
「俺もお前も知ってる人物の生まれ故郷だぞ?」
「兄さんも俺も知っている? そんな風に聞くんだから、まさかアメリカやイギリスな訳が無いな。相当珍しい国なんだろうが、うぅむ……」
「流石に鋭いな。その国の名前を聞いた時は、俺も正直ビックリしたぜ? しかも乗って来たのは、その国が独自に作ったスクリュー推進の蒸気船らしい!」
「スクリュー式の蒸気船? それは最新式じゃないか! そんな技術を持っていて、俺の知っている人物の出身国? アメリカじゃなければ、イギリスかフランスくらいしか思いつかないぞ?」
「違うんだなぁ、これが。」
「何だって?!」
その言葉に衝撃を受けた。
兄とは共にヨーロッパまで留学したが、イギリスとフランス以外に、最新式のスクリュー式の蒸気船で、ここハワイまで航海してくる様な国は思い当たらない。
それ以上考えても答えは出てこず、降参して尋ねる。
「あぁ、もう! どこなんだよ!」
イライラした弟に、兄は悪戯めかせて口にした。
「日本だ。」
「日本って、極東の島国の、あの?」
「そう、あの鎖国の国の日本だ。」
兄の答えに驚き、慌てて後ろを振り返った。
壁には世界地図が貼ってある。
左端のハワイ、アメリカ大陸、大西洋、中央のヨーロッパときて、右端に小さく日本の絵が描かれている。
まさに極東に位置する島国であった。
「日本の出身と言えば……、そうか! ジョン・マンか!」
「そう、ジョン・マンの生まれ故郷だ。」
「確かにそうだった!」
弟は手を叩いて合点した。
日本人であるジョン・マンは、アメリカから日本に向かう際、ここハワイを訪れていた。
共に遭難してアメリカの捕鯨船に救助され、寄港地であるハワイに留まっていた漁師仲間を加え、故郷へと旅立っていったのだ。
その際、王宮へも挨拶に訪れており、当時カメハメハ三世の下で行政経験を積んでいた兄弟とも会っていた。
鎖国をしているという彼の故郷は、何事も無く自分らを受け入れてくれるのか心配だと言っていたのだが、二人には他人事ではなかった記憶がある。
兄弟の生まれ故郷であるハワイでも、昔は様々な禁忌があったと聞く。
酋長に関する禁忌、女に関する禁忌など、それはそれは多かった様だ。
種類によっては破った者に死罪が適用され、大変厳しい物であったという。
ハワイを統一した偉大な大王、カメハメハ一世はこの禁忌を重視したが、その次代であるカメハメハ二世の治世下、すっかりと取り払われたらしい。
キリスト教が普及するにつれ、宣教師の指導もあって表立っては口にされないが、今でも人々の習慣の中に残っている禁忌があり、兄弟達にはジョン・マンの心配に頷けたのだ。
「その日本から船がやって来たっていうのか?」
「そういう事だ。アメリカへ渡る途中、物資の補給に立ち寄ったらしい。」
「成る程。」
昨年、アメリカが日本へ開国を促す為、艦隊を派遣した事は知っている。
その回答であるのなら納得出来る話だ。
けれども、それでは腑に落ちない。
「日本と言えば、ずっと鎖国していた島国というじゃないか。それが何でヨーロッパでも最新式の、スクリュー推進の蒸気船なんて持っているんだ? 兄さんは日本が独自に建造したと言ったが、イギリスかフランスから買っただけで、ただの聞き間違いなんじゃないのか?」
「俺は行政長官からの報告を伝えただけだ! 詳しい事など知らん! そう思うなら自分で聞けよ!」
「悪かった。それはそうだな。」
弟は謝った。
兄が本題を尋ねる。
「なら、会うのか?」
「勿論だ。」
こうして、若干二十歳のハワイ王国の王、カメハメハ四世アレクサンダー・リホリホと、日本の遣米使節である松陰達の面会が王宮にて行われる事となった。
ハワイの伝統、禁忌などは思い付きです。
カメハメハ四世の就任は、本来は1855年1月ですが、都合上1853年としています。
エマさんとの結婚も、本来なら1856年です。
史実通りですと整合性を取るのが難しいので、事実を色々と変えております。
物語上の展開の為でありますので、ハワイの伝統や文化を軽んじているつもりはございません。
事実と反する描写も多々出てくるとは思いますが、あくまで年代の整合性や面白さを追求しての事ですので、何卒ご了承下さいませ。
蛇足ながら。
ハワイ上陸前
勇 「堀田様を待つべきだ!」
松陰 「頑固ですね・・・」
総司 「そうですよ! 折角着いたのに、どうして船で待たないといけないんですか?」
勇 「我らとて使節団の一員だ! 正使である堀田様の到着を待たず、勝手に上陸して外交を行うなど許されん!」
松陰 「だからそれは説明したじゃないですか。航海には危険が付き物です。もしかしたら残りの船は遭難しているかもしれない。待った所で来ないかもしれませんと。」
勇 「縁起でもない事を言うのはけしからん!」
歳三 「近藤さんの言う事も理解出来るが、俺はいい加減狭い船にウンザリしてるんだが・・・」
勇 「武士ならばそんな事我慢しろ!」
歳三 「これだからなぁ・・・」
晋作 「うぜぇ奴だ・・・」
玄瑞 「何と真っすぐな男だ!」
継之助「融通が利かんだけだと思うが・・・」
松陰 「仕方ないですね・・・」
松陰が龍馬に目配せする。
龍馬 「うっ! は、腹がぁぁぁぁ」
慎之介「龍馬?!」
松陰 「どうしました龍馬君?!」
龍馬 「腹が痛いぜよぉぉぉぉ」
松陰 「これはいけない!」
松陰 「急いで医者に見せないと危険です!」
歳三 「何?! それは緊急事態だ! 早速上陸しねぇと!」
総司 「大変だ! 龍馬さん、大丈夫ですか?!」
勇 「何?」
晋作 「わざとらしいぜ・・・」
玄瑞 「それはいけない! 私は医者の息子です!」
継之助「よ、余計な事を!」
勇 「玄瑞君、痛みの原因はわかったかね?」
玄瑞 「私にはわかりません・・・」
松陰 「ハワイの医者に見せる為、今すぐ上陸します! いいですね勇君?」
勇 「火急の事態なら已むをえまい・・・」
総司 「龍馬さん、しっかりして下さい! すぐに上陸ですよ!」
龍馬 「助かったぜよぉぉぉ」
こうして一行はハワイに上陸した。




