使節団、小笠原へ
江戸の海沿いという海沿いには人が溢れていた。
アメリカ使節団の出発を見る為、こぞって集まっている。
人々の期待に満ちた目に見送られながら、三本マストの西洋式帆船が二隻、風を受けて江戸湾を静かに抜けて行った。
幕府の造船所にて作られた、日本丸と瑞穂丸である。
町民は船が視界から消えても、容易には立ち去ろうとしない。
時代の変化を肌で感じ、その余韻に浸っていた。
「出発したでござるなぁ」
「やっと、ですけどね……」
「どうしたでござる? 元気が無いでござるよ? ようやくのアメリカ行ではござらんか?」
「まあ……」
亦介の質問に松陰は曖昧に答えた。
「吉乃殿と離縁したのは聞いたでござる。男と女の事ゆえ、拙者には何も言えんでござるが、過ぎた事を悔やんでも仕方が無いでござるよ。」
「分かってはいますが……」
亦介の言う事は理解出来るが、すぐには立ち直れそうもない。
湿った空気を変えるべく、亦介は別の話題を振る。
「それはそうと、どうして一緒に出発しないのでござる?」
「私は蒸気船で向かいますから、一緒の出発だと早く行き過ぎるでしょう。ですので、日にちをずらします。」
「そうでござったか!」
どうせアメリカに行くのならと、挑戦出来る事はしておこうとした。
蒸気機関だけしか推進装置を持たない船で、太平洋を横断しようという試みである。
「スズや千代殿は一緒では無いのでござるか?」
「蒸気船は狭いし、汚れます。彼女達はあちらに乗ってもらいました。」
スズらが乗った船は、既に視界から消えている。
「ごねたのではござらんか?」
「嫌なら下船してもらうだけです。」
「厳しいでござるな。」
「島沿いに進める台湾とは訳が違います。安全を最優先に考えました。」
「そうでござるか。」
そして後日、我が国製造の蒸気船威臨丸が江戸の港を静かに出発した。
関係者しか知らされておらず、見送りの数は少ない。
威臨丸に乗ったのは吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、坂本龍馬、中岡慎太郎、土方歳三、近藤勇、沖田総司、河井継之助、清水次郎長、森の石松、船の保守管理役として前原巧山である。
「退屈しない事を祈るぜ。」
「夷狄討つべし!」
晋作が不敵に笑い、玄瑞は攘夷への決意を述べた。
「世界を見てくるぜよ!」
「ワクワクするな!」
龍馬は冒険に心躍らせ、慎太郎は期待に目を輝かせる。
「俺は農民の出だしな。」
「歳が乗らないなら俺もこっちだな。」
「狭くて臭いし、僕はあっちの方が良かったのに……」
新撰組三人衆が口にする。
「これが西洋の発明である蒸気船なのか……」
継之助が蒸気船の構造に息を呑む。
「あっしは無宿人でござんすし、お侍様と同じ船に乗るのは憚られますぜ。」
「親分が乗らねぇのに、俺が乗る訳にゃあいかねぇ!」
訓練には間に合わず、いきなりの船出となった次郎長と石松であった。
煙突より煙を吐き出し、威臨丸は進む。
先行する日本、瑞穂丸の船内では、
「気分が悪いんだが……」
「あ、はーい!」
我が国初の女医である楠本イネは、医務室を訪れる患者の対応に追われていた。
「拙者は腹が痛い……」
「少々お待ち下さいね!」
続々と集まる患者に休む暇も無い。
他にも医者はいるのだが、何故か彼女の勤務時間にだけ、病気になる者が多くなるらしい。
「船酔いが始まったであります……」
「全く、船酔いには慣れないねぇ……」
「お二人ともですか……」
顔なじみの蔵六が、海舟と共に青い顔でやってきた。
「今日は弓でもやるかい?」
「望む所!」
すっかりと仲良くなったスズと乙女は、互いの武芸を披露している。
船の中では体がなまりやすい。
多くの者がそれぞれ稽古に励んでいた。
二人に混じり、その腕を磨く者も多い。
「梅兄様? 絵は出来ておりますか?」
「ああ、勿論。これだよ。」
梅太郎が出来上がった絵を千代に渡す。
出来栄えを確認し、千代は褒めた。
「お見事ですわね。」
「北斎先生の所で修行した成果かなぁ?」
妹の誉め言葉に梅太郎も満更だ。
「それは何の絵ですか?」
「あっ! そ、それは駄目だ!」
紙の束に挟まれていた絵を千代が見つける。
梅太郎が必死に止めようとするが、間に合わない。
男女が絡み合う絵に、千代の視線が冷たくなる。
「……春画ですか?」
「船では必需品だって大次が言うから……」
兄は全てを弟に押し付けた。
「そうであるので、我が国は幕府と藩を解体し、中央政府の下に国を統一せねばならんのです!」
「成る程、それは尤もだ。」
小楠が力説し、慶喜が頷く。
これからの日本を引っ張っていくであろう者たちに、来たるべき政治体制の展望を話して聞かせ、議論し、統一された見解の醸成に努めた。
「ここをこうすればもっと正確に動くのでは?」
「成る程。それは考えなかったばい!」
技術方では儀右衛門らが、アメリカで披露する予定のカラクリ人形などを調整していた。
新たに参加した者が新しいアイデアを提供し、更なる改良が加えられていく。
そうこうしている間に小笠原に着いた。
想定通り、三艘はほぼ日にちを空けないでの到着である。
「ようこそおいで下さいました堀田様。」
「久しいな、鳥居よ。息災か?」
「はい、お陰様で。」
妖怪として江戸の町人に忌み嫌われた鳥居耀三は、幕府の命で小笠原に駐在していた。
小笠原には西洋諸国との取り決めで、太平洋で操業する西洋の捕鯨船への薪と水の供給、嵐の際の避難地としての港町を作る事が決定。
島には既にアメリカ人が捕鯨基地を建設していたが、日本の領有を認めさせて人員を撤退させる為にも港町の設置は必須であった。
耀三は印旛沼の開削工事を無事に完了させ、引き続いての大任を任されたのだった。
耀三は一行を引き連れ、小笠原を案内する。
石作りの堅牢な港、嵐に耐えられる町の家屋、湧き水を引いてくる導水管、果実や野菜を育てる畑、薪を得る林などなど、耀三が指揮して整えた町の様子が披露された。
一行が到着した時にも数隻のアメリカの船が停泊しており、船員達にも概ね好評であった。
密かな要望としては、春を売る女の入島を許可して欲しいというモノがあったが、耀三が許可を出す筈も無いだろう。
消費した水や野菜などを補充し、乗員が疲れた体を休めている間、耀三がふとこぼした。
「堀田様、実は遭難した者がいるのですが……」
「何?」
その者が連れて来られた。
「陸奥宗光と申します! 遭難してここ小笠原に辿り着きました! 何卒船に乗せて下さいませ!」
そう言って頭を下げるのは、若干10歳の少年であった。
忠徳が言葉を掛ける。
「これは今からアメリカに向かう船であるぞ?」
「え? そうなのですか? それは全く知りませんでした。でも、いずれ国に帰るのですよね?」
「まあ、そう言われればその通りだが……」
知らぬ筈が無いのに、宗光はぬけぬけと言い放つ。
その態度は誠に大胆不敵。
カミソリ外交と評された、その才能を表している様だった。
「堀田様、どうされますか?」
忠徳は正睦に判断を委ねる。
「その経緯は甚だ怪しいが、漂流したと言うのなら已むを得まい。同胞は助けるのが筋であろう。」
「分かりました。」
「ありがとうございます!」
おおよその所を慮り、正睦は宗光の乗船を許した。
顔つきを見れば、意図して小笠原で待っていたのは明白である。
その志を思い、特別に認めたのだろう。
補給物資を積み終え、船は再び出発する。
「次はハワイです!」
「おぉ! とうとう異国であるか!」
「どの様な国なのだろうな?」
「そこで残念なお報せですが、ハワイは国と言うよりは、小さな島です。」
次の経由地であるハワイを目指し、船は進む。




