玉木邸その2
「玉木、これは一体何なのだ?」
突然の問いに文之進の顔は引きつった。
慌てて声のする方へ顔を向け、そこにいるのが文之進も良く知る長州藩の家老、村田清風である事を認め、狼狽した。
「む、村田様ではございませんか。き、今日は、何用でこの様な所においでになられたのですか?」
「お美代が面白い物を見れるというのでな、こうしてわざわざ参った次第である。」
「お美代様が? 面白い物とは、まさか!?」
驚愕に目を見開く文之進に、清風は笑顔で告げる。
「そう! 誠に面白き物であったな! あの頑固一徹、口を開けば武士とはこうこうで、としか言えぬものと思っておったあの玉木文之進が、まさか商売人の真似事に手を出してポテチ、柿の種なる代物を売り出したかと思えば、講談師もかくやと思われる物語を語りだすとはな! 儂の長い人生でも、今日程驚いた日はなかったぞ!」
「や、やはり全て見物なさっておったのですか……」
「何を気落ちする事がある! 儂は褒めておるのだぞ? 胸を張らぬか! それよりも、これは一体なんじゃ?」
がっくりと肩を落とした文之進を叱咤し、清風は話を進める。
正直、文之進の心情などどうでもよろしい。
日頃、武士武士うるさい男がしょんぼりとしている所など、見たくは無いのだ。
正直気持ち悪いと思った清風。
将棋に似た遊びの事を聞きたいのだ。
「は、はい。これは戦棋という遊戯です。」
「なぬ? 戦棋じゃと? 耳慣れない遊びじゃな。」
「はい。全く新しい遊戯にございます。」
「何? 新しい遊戯じゃと? 全くお主という人間は、何度儂を驚かせれば気が済むのじゃ? ここに来てからは驚きっぱなしじゃ!」
「いえ、全て私が考えたわけではないのですが……」
「なぬ? どういう事じゃ?」
「いえ、それは私の甥が……」
文之進の言葉は、ふと周りを見渡し、集団の一角にいた人物を目にした事で耳には届かなかった。
清風が驚いた、その場にいた人物。
それは清風の甥の山田亦介である。
亦介は長沼流兵学者であり、明倫館において師範を務める男でもあった。
西洋兵式や海防策にも通じ、清風がその行く末を期待した男である。
「玉木、あれなるは儂の甥である亦介ではないのか?」
清風の追及から逃れるこのチャンスを見逃す文之進ではない。
「その通りです! 亦介の奴は毎日の様にここに出入りし、ああやって戦棋を楽しんでおるのです!」
見事清風の追及をかわし、その矛先を亦介に向ける事に成功した文之進。
清風が亦介に近寄ろうとするのをしっかと確認し、逃げる様に屋敷へと引っ込もうとした、その刹那。
「玉木、後で話があるのでな。」
愕然とした表情を浮かべる文之進であった。
文之進は文之進として後で問い詰めるとして、今はこの亦介であろう。
自分に黙ってこんな所に出入りし、あまつさえ、暢気にこの戦棋なる新しい遊戯を楽しんでいる甥。
それに腹が立った清風は、つかつかと亦介の後ろまで歩み寄り、恨めしげな声を出した。
「まーたーすーけぇ、儂に隠れて何をしておるのじゃ?」
いきなり名前を呼ばれた亦介は文字通り飛び上がった。
が、盤を引っくり返さなかった事は褒めてあげてもいいかもしれない。
ぎこちない動作で恐る恐る振り返り、そこにいたのがやはり伯父である事を確認すると、いきなり土下座し始めた。
「申し訳ありませぬ! 伯父上をお誘いしようとは思っていたのでござるが、伯父上の忙しさについ遠慮してしまいました!」
「言い訳は聞かぬ! 儂に隠れて、この様な楽しき場に出入りしておるとは何たる薄情者よ!」
只管平伏する亦介に、清風がさらに言い募ろうとした矢先、
「御前様、他のお客様のご迷惑ですからお止め下さいまし。亦介さんもお顔を上げなさいな。男児がみだりに土下座などするものではありませんよ。」
お美代が清風を窘め、それ以上の騒ぎには発展しなかった。
「うちの者がご迷惑をお掛けしました。お楽しみの所大変申し訳ありません。」
亦介の対戦相手に深く頭を下げる。
「そんな! 私などに恐れ多い事でございます! 顔をお上げ下さいませ!」
非常に慌てた様子の対戦相手。
お美代は顔を上げ、そこでようやく亦介の対戦相手に向き合った。
「おや、貴方は……」
お美代が戸惑った亦介の相手は三郎太であった。
亦介は慌てて説明する。
「伯母上、この三郎太殿はこう見えて侍大将なのでござる! 侍大将と言われてもわからないかもしれませんが、この場にいる者の中では一番強いという事でござる。因みに、私は三郎太殿の下の位の侍でござる。この戦棋の場においては、身分も年齢も一切不問でござる故ご注意下され。ですので我々は皆、それぞれの名に殿を付けて呼び合っているのでござる。伯母上伯父上にそれは無いとは存じ上げますが、身分の事をとやかく言われたいのでしたら、ここよりお帰り下され。」
亦介は一気に説明する。
それは大次郎改め松陰の発案であった。
松陰と名を変えたのは、穢多の集落で学問を教える事を了承してもらった時、この際だからという理由からである。
これで、もう出世魚の様に名前が変わる事もない。
それにしても当時の人は通称を変えすぎではなかろうか。
そんなに通称をコロコロ変えて、誰が誰か正確に把握していたのだろうか。
本名である諱は矩方で変わらないのだが……。
それは兎も角、遊びに身分や年齢を持ち出されては興醒めであるし、お互い手加減しないから面白いのだ。
それに、これは奇兵隊創立への布石の一つでもある。
史実の奇兵隊は身分によって服装にも差があったようだが、大次郎改め松陰の構想する奇兵隊にそれはない。
穢多だろうが非人だろうが等しく受け入れ、等しく扱うつもりである。
戦棋に階級を設けたのもその一環だ。
どれだけ現実での身分が高い者だろうが、戦棋の場においては強い者の下に位置する事に慣れてもらおうと思って、である。
三郎太は実力で侍大将の座まで上り詰めたが、遊びとはいえ穢多の下につくのを嫌がる者が多かった。
しかし、文之進や亦介といった面々が、嫌な顔一つせずに下の階級に甘んじているのを見て、不承不承ではあろうが受け入れてくれたのだ。
そして、一度対戦してみれば三郎太の実力は明らかで、侍大将に相応しいと納得したのである。
いざこざは、紙芝居に穢多の子供達が来る時も起こった。
しかし、紙芝居においては特に八重の意向が働き、穢多の子供の受け入れが決定されたのだ。
渋る文之進を八重が押し切ったのである。
これには松陰も梅太郎も千代もびっくりで、のほほんとした普段とは別人の様であったと三人は思った。
しかし、その勢いのまま、水飴の無料化までも決まってしまったのである。
せめて必要経費分は回収したいと食い下がる松陰に、嫌ならここでは出来ません、ときっぱり宣言されたのだ。
渋る松陰に、他の方法で稼げばいいでしょう? と言われ、やむなく水飴の無料配布に同意したのだ。
八重が水飴の無料化を希望したのには訳がある。
貧しい武家に生まれた八重は、小さな頃から、お祭りなどで他の子供がお菓子を買ってもらって食べているのを横目に見ながら育ってきた。
松陰が紙芝居をやって水飴を売りたいと言って来た時、真っ先に思い出したのが幼い頃の記憶であった。
他の子供達が美味しそうに食べているのを横目に、食べたい気持ちをぐっと我慢して、子供達に祭りの時くらいは少しは贅沢をさせてあげようと、何か欲しい物はないかと聞く両親に、殊更に興味の無い風を装って何も要らないと断り続けた幼い頃の記憶だ。
千代が物語を考え、梅太郎が絵を描いたという紙芝居は、文之進も八重もびっくりする様な素晴らしい出来だった。
これは子供達に大人気になると感じ、子供の頃のお祭りの記憶とだぶったのだ。
試食させてもらった水飴も、素朴な甘さが好ましかった。
美味しい水飴を喜んで舐める子供達の傍で、指を咥えてそれを眺める事になるであろう、貧しい家の子供達の姿を、幼い自分の姿と重ねてしまったのだ。
成長し、世の中の事を多少は知った今なら、松陰の言う、経費だけでも回収しなければ続けられないという理屈もわかる。
それは理解できるのだが、自分の目の前で、貧しい子供達に寂しそうな顔をさせる事など許容できるはずもなかった。
それでもやるのなら、せめて自分の目には見えない所でやって欲しい。
そう思った八重である。
そんな八重の意向を尊重し、回収不能となった水飴の経費を稼ごうと考えたのが戦棋である。
子供用の娯楽ばかりではつまらないだろうと大人用に考えたのだ。
盤と駒と場を用意するから遊びたいならお金を払ってね、という方式である。
前世では人並みにゲームも嗜んだので、この時代に合うであろう、戦国合戦風の戦略バトルとしての戦棋である。
その際、文之進が恩着せがましくあれこれアドバイスしてきたので、それにカチンときた松陰が、戦棋の場では身分の上下を問わず、それぞれの名で呼ぶべし、と決めたのだ。
ここでも柿の種を販売する。
試合中のおつまみにどうぞ、である。
ポテチは売らない。
駒が油まみれになるからだ。
「何とまあ、他ではおよそ考えられん事ばかりじゃのう。」
「私は大変良いと思いますよ。」
「まあ、上役から身分をだしに、待ったをかけられては堪らぬからのう。……何だお美代? 儂はそんなせこい事をした事はないぞ?」
「そうでございましたか? 亦介さんとの将棋では、何度も待ったを言っておられた気がいたしましたが……」
「亦介だったからじゃ!」
「うふふ、冗談でございますよ。」
「まったく!」
爺様婆様の惚気たやり取りに周囲はうんざり顔である。
責任者出て来い! あのバカップルをどうにかしろ! 皆の顔はそう言っていた。
全く営業妨害も甚だしい。
それがわからぬ松陰ではない。
正確には責任者ではないのだが、今の文之進には期待できない。
いくらこの場が身分を問わずとはいえ、清風は部外者である。
下っ端役人である文之進に、上司も上司な清風をどうにかできるはずも無い。
因みに、清風から逃げる様に屋敷に引き込んだ文之進は、冷たい千代の視線にいたたまれず、普段は近寄りもしないお菓子売り場の八重の手伝いをしていた。
「村田清風様とお見受け致します。戦棋の事に興味がございましたら、いかがですか? もし私で宜しければ、一通りご説明させていただきますが……」
亦介と三郎太の対戦も再開させてあげたいし、この厄介な爺様をこの場から隔離も兼ねての提案だ。
「ふむ、お主は?」
「これはご挨拶が遅れました。私は無給通杉百合之助の次男、吉田松陰にございまする。」
「吉田? はて、そういえば、明倫館山鹿流兵学師範の吉田大助は若くして病に倒れてしまったな。惜しい奴を失ったものよ。」
「はい。私はその吉田家を継ぎましてございまする。父百合之助の実弟が大助であり、吉田家の跡継ぎとなっておりました。」
松陰の自己紹介に清風の眉もあがる。
行く末は兵学師範になる者が、教えるという意味を思う。
「なるほど。つまり、山鹿流兵学師範のお家柄を継いだお主が、直々にこの私に戦棋とやらを手ほどきしてくれると言う訳じゃな?」
「手ほどき程度でしたらば、私にも勤まるものと自負しております。」
「相分かった。頼むとしよう。」
「では、こちらへ。」
「いや、ここで良い。特別待遇は不要じゃ! それがここのしきたりであろう?」
「これは失礼致しました。すみません兄上、こちらに台を用意してもらえますか?」
松陰の声に急ぎ場を用意する梅太郎。長椅子は全て出払っているので小さな座椅子である。
「奥方様はいかがなされますか? 見物されますか?」
「そうですね、私は八重さんとお話しでもしておりましょう。」
「そうであるか? 儂には構わずともよいのでな。存分に話して参れ。」
「ええ。そうさせていただきます。」
そういってお美代は八重の元へと歩いて行った。
八重の元には千代もいるはずだが、問題はないだろう。
今は文之進が八重といるとは思ってもいない松陰である。
「お待たせ致しました。では、始めましょうか。」
「宜しく頼む、松陰殿。」
「これは参りました。では、始めましょう、清風殿。」
戦棋とは、要は大戦略風の戦略ゲームである。
六角形の時点でお分かりの方もおられるかと思うが、大戦略とは、詳しくはググってもらうとしよう。
自分の駒を進めて、相手を全滅させるなり達成条件をクリヤーしていくシミュレーションゲームである。
使える兵科は歩兵や戦車や航空機などで、それらはお金で購入、進化させる事ができる。
それぞれの移動スピードや攻撃力、防御力などは様々で、当たり前の話であるが歩兵で戦車は砕けない。
戦車を砕くには対戦車ヘリが必要で、対戦車ヘリには航空戦闘機等、相性を考えた用兵が必要である。
また、将棋はマスが四角なので一つのマスと隣り合うマスの数は4つに過ぎないが、大戦略は六角形なので隣り合うマスの数が6つとなり、移動や囲い込みなど、より戦略性が増すのだ。
戦略なのは経済がからみ、稼いだ資金によって購入できる兵科が変わってくる為である。
戦闘自体は戦術ゲームでしかない。
ただ、この時代に航空機などある訳も無く、使える兵科は刀兵、騎兵、鉄砲兵、大筒兵、工兵のみとした。
戦棋についてはスルーして下さい。
穴のありまくりなゲームだとは思いますが、詳しいルールを考えるのは不得手です。
優しい目で見逃してやって下さい。
よろしくお願いします。




