チェキロー族の受難
その商人が戻ってきたのは、畑にトウモロコシの種を蒔いてから暫く経っての事だった。
村人達は怪訝な顔で男を迎える。
いつもなら、春の種蒔き前と秋の収穫後にしかやってこない。
しかも常に複数の馬車で訪問するのに、今回はその商人だけだ。
『白人よ、どうしたのだ?』
村の長が尋ねる。
来る事に問題がある訳では無いが、もはや物を交換する為の毛皮が無い。
男が答えた。
『取引をしたい。』
『取引?』
『そうだ。俺の言う事を聞いてくれたら、ここに持って来た物を好きなだけやろう!』
商人の馬車には沢山の荷が積まれていた。
先の訪問時と似た品で、鍋やダッジ・オーブンといった鉄製品から、シャツやズボン、毛布や布きれ、女の髪飾りといった物で溢れている。
先の売買では、毛皮が足りずに欲しい物が手に入らなかった者も多い。
渡りに舟とばかり、商人の言葉に頷く者は多かった。
村人の思いを受け止め、長が聞く。
『お前の望みとは何だ?』
商人は即答せず、いわくありげに勿体ぶって言う。
『なーに、ちょいと向こうの川で探して欲しい物があるだけさ!』
その顔には果てしない欲望が浮かんでいた。
『そうじゃねぇって言ってんだろ!』
商人が怒声を発する。
場所を移し、川で砂金採りの要領を教えていた。
川の泥などに堆積した砂金を探すのは比較的容易である。
必要な道具といえば泥を掬う為のスコップと、それを受け止め、水の中で金と泥とを分離する皿があれば事足りる。
金の比重は岩石と比べて大きく(水が1で岩石は2~3、金は19)、砂金の粒は小さな物が多い(ディケアミスが見つけた物はナゲットと呼ばれる砂金の塊)ので、水の中で土砂を入れた皿を揺らせば、粒子が小さく比重の大きい砂金は下に沈んでいく。
上に溜まった土を捨て、水の中で揺らすを繰り返していけば、皿の底に砂金が残る事となる。
ある程度の丁寧さと根気があれば、誰でも習得出来る作業であろう。
チェキロー族の者達も次第次第に要領を掴み、皿の底に残った砂金を集めていった。
「ディケアミス! 大変だ!」
「兄さん、どうしたの?」
血相を変えて家へと帰って来た兄にディケアミスは尋ねた。
「あの商人がやって来た!」
「何ですって?!」
平穏な日常が戻り、川で拾った石の事などすっかりと忘れていた兄妹である。
突然の報せに酷く狼狽した。
「あの白人は何しに来たの?」
「皆を使って川で何か探してる!」
「そ、それって!」
「あ、ああ……」
二人は言葉を飲み込んだ。
それ以上言ってはいけない気がした。
「兄さん、どうしよう?」
妹の顔色は真っ青だ。
「村を守らないと! 兎に角、行ってみよう!」
「わ、わかった!」
何をどうすべきなのか分からないものの、二人は家を飛び出した。
『一日も経ってないのにこんなに集まるのか? 凄すぎるぜ……』
集まった砂金の量に腰が抜ける程に驚く。
手には、ずっしりという表現を通り越す重さの砂金があった。
たったの一日で金持ちの仲間入りだと笑いが止まらない。
目の前では、チェキローの者らが尚も砂金を集めている。
掘れば掘る程金が出てくるといった感じで、これでは最終的にどれだけの砂金が採れるのか見当もつかない。
『へっ! これが俺の器量だったって訳だ!』
目の前に転がったチャンスを見逃さず、しっかりと掴んだから今がある。
『俺じゃなかったら見逃してたぜ!』
あの娘が父親に見せた、小さな金の塊が全ての始まりだ。
『インディアンを相手にする商売で終わる俺じゃなかったのさ!』
馬車に揺られて年を取っていくなど、耐えられないと思っていた。
『俺が今までどれだけ苦労して金儲けをやってきたと思ってやがる!』
貧乏が嫌で、他に男を作って出て行った女の事が唐突に思い出される。
『あの阿婆擦れめ! ざまーみろ! 散々俺を馬鹿にしやがって、俺の凄さを思い知ったか!』
悪し様に罵った。
『ここの金があればどんな大邸宅だって余裕で建つし、どんな女も選り取り見取りだぜ!』
生まれ故郷に豪勢な屋敷を建て、かしづく美女に囲まれた生活を送る。
男は一人、バラ色の未来に思いを馳せた。
『白人よ。』
チェキロー族に呼ばれ、商人は我に返る。
『な、何だ?』
『今日はもう十分に働いた。我らは帰る。今度は我らが約束の物を受け取る番だ。』
『ちっ、仕方ねぇな……』
初日から飛ばす必要は無いだろう。
砂金の量は多く、一日やそこらでは取りつくせない。
商人はそれぞれが望む品物を渡し、その日を終えた。
『この調子で明日も頼むぜ!』
『? 分かった。』
チェキローの者らは怪訝な顔をしていたが、砂金に気持ちの浮ついた商人は気にする事も無い。
そんな様子を、ディケアミス兄妹は森の中からじっと見ていた。
『何でこれだけしか集まって無いんだ!』
商人が叫んだ。
目の前には五人のチェキロー族しかいない。
昨日は数十人もいたのに、余りの変わり様である。
理由を問い詰めたくとも、集まっていた者は英語が良く分からないので聞く事も出来ない。
『お前らは昨日と同じ様にやってろ!』
五人には昨日の作業を続ける様に身振りで指示し、自分は集落に向かった。
英語の達者な者を見つけ、詰問する。
『どうして来ないんだ!』
噛みつかんばかりの剣幕である。
しかし、チェキローの答えは素っ気ない。
『白人よ。我らは欲しい物は既に手に入れた。これ以上お前の指図に従って働くつもりは無い。』
『何故だ?! もっと働けば、もっと欲しい物が手に入るだろ?』
意味が分からずに問いただす。
けれども、答えはやはりシンプルであった。
『必要以上に欲しがるのは罪だ。』
『何言ってやがる?』
チェキローは言葉を重ねる。
『お前達白人には分からないかもしれないが、我らはそうやって生きてきたのだ。母なる大地は、必要以上に求めなければ常に我らの欲しい物を与えてくれる。昨日の物も、母なる大地から出てきた物だ。必要以上に欲しがってはならない。』
『お前にはそうでも、俺はもっと欲しいんだよ!』
商人が堪らずに叫んだ。
チェキローが言う。
『だったら白人よ、お前が自分でやれば良いではないか。』
『クソッ! 怠け者共め!』
なす術なく商人は退散する。
『金の価値も知らない愚か者共が!』
グチグチと文句が出る。
『時間をかけたらそれだけ誰かに見つかっちまうだろうがよ!』
砂金採りの道具を買った際、あれやこれやと詮索されている。
結構な数を購入したので、密かに目を付けられているかも知れない。
もしかしたら、その噂を聞きつけた誰かが、今も自分をじっと監視しているかも知れない。
金が出る事を誰かに知られたら、瞬く間に人が殺到するだろう。
そうなれば自分の取り分は減ってしまう。
急に不安になり、男は馬車の上からキョロキョロと見渡す。
森があったりで視界はそこまで良くない。
それが尚更に不安を増幅する。
急いで川へと戻り、作業を速める様に声を荒げた。
その日の作業を終え、男はまた品物を要求された。
男は支払いを拒否しようとしたが、約束が違うと詰め寄られ、渋々渡す。
友好的な部族とはいえ、今は一人で大勢のインディアンの中だ。
彼らの反発を招けば命の危険も起こりえる。
今更に身の安全を心配し、動物の鳴き声にビクビクとしながら銃を抱えて夜を越え、嫌な予感のするまま朝を迎えた。
悪い予感は的中し、ついに誰も集まらなかった。
『俺を馬鹿にしてんのか? 許さねぇぞ……』
酷く暗い顔をして呟き、馬車に乗り込む。
馬車が川から離れるのを見ていたディケアミス兄妹は、白人が消えた事にホッとする気持ちもあったが、それ以上に消せぬ不安が胸中に広がった。
手綱を握る商人の横顔が、二人がこれまで見た事も無い怖い表情だったからだ。
恐ろしい嵐を予期させる黒い雲の様な、そんな顔色である。
悪い精霊にその身を乗っ取られたとしか思えない。
兄妹は言い知れぬ恐怖に襲われブルブルと震えながら、段々と遠ざかっていく馬車を見送った。
「何だ?!」
「あれは白人の軍隊?!」
チェキローの者が気づかない間に、例の商人は消えた。
用が済んだから帰ったのだろうと、部族の多くが思っていた。
夏が過ぎ、葉を茂らせたトウモロコシが実りを迎える頃、突如として現れたアメリカ合衆国の陸軍である。
幾度か戦火を交え、その旗の下に集まった者らの強さ、恐ろしさは骨身に染みて知っている。
何事かと驚きながらも、用心の為に急ぎチェキロー族の戦士を集め武装を整え、整列して彼らを迎えた。
この地に移る際に武器の多くを破棄させられ、その後に購入した猟の為の銃は数が少ない。
多くの者が伝統的な弓、手斧を携えての整列である。
長は威厳を保ち、進み出たアメリカの軍人に尋ねた。
『白人の戦士らよ、我らチェキローの村に何の用だ?』
その答えは非情だった。
『合衆国大統領の命により、貴様たちにこの地からの退去を命じる!』
軍人の一人が手に持った命令書を読み上げた。
言葉の分かる者らにどよめきが起こる。
英語を理解する者らが訳して仲間内に伝え、動揺は瞬く間に集まった部族全体に
広がった。
『白人よ! 我らはお前達との約束に従いチェキローの地を捨て、渋々この地へと移ってきた! それなのに、更にこの地から出ろと言うのか?! まずはその理由を述べよ!』
『これは我がアメリカ合衆国議会の承認を得た、大統領による正式な決定である! 貴様達に拒否権は無い!』
『我らは何も知らぬ! その様な一方的な命令は不当だ!』
『問答は無用! 大人しく言う事を聞くなら良し! 聞けぬなら実力を以て排除する!』
『大事なトウモロコシの実りを迎えた今、尚更聞く訳にはいかぬ!』
『ならば言葉は要るまい! 後は戦いでその正義を示すのみ!』
『笑わせるな白人よ! 我らは何もしておらぬ! それなのに、我らの土地を理由も無く奪うのが、お前達の言う正義なのか!』
こうして、チェキロー族とアメリカ合衆国陸軍との戦が始まった。
ディケアミスらの父親も戦闘に参加し、勇猛果敢に戦う。
しかし装備の質、量、人員の差は歴然で、チェキロー族の戦士達の多くは戦場にその命を散らした。
チェキロー族の完敗で、住む地からの退去が決まる。
『どこへ行けと言うのだ!』
『ここより西に貴様らインディアンの居留地を設けた! そこへ向かえ!』
そして満足な食料も持たず、やって来る冬への備えも出来ず、チェキロー族の涙の旅路が始まった。
頼りとなる男の数は少ない。
飲み水にさえ事欠く道のりは、体力の無い者の命を容赦なく奪った。
父を失ったディケアミス一家も苦労して進む。
まだ成人もしていない兄であったが、少ない男手として周りに頼られ、必死にその期待に応えようとした。
戦士として部族を守って来た父を尊敬していた兄は、その父がいない今、家族を守るのは自分だと幼い体に鞭打ち、偶に現れるバッファローがいれば狩りに参加し、飲み水を探し、歩けない病人を背負い、歩いた。
ただでさえ少ない食料の中、お腹を空かせた妹に分け与え、自分は我慢するのだった。
幼い体でその様な無理は長続きしない。
熱を出し、病に倒れてしまう。
家族が兄を看病しようにも、部族の行進を止める訳にはいかない。
チェキロー族の後ろから、アメリカ軍がその行動を監視しているからだ。
進むのを止めても良いのは死んだ者だけ。
それを分かっている兄は、泣き叫ぶ妹を安心させる為に微笑み、歯を食いしばって立ち上がり、足を動かした。
けれども、いくらも進まないうちに倒れ込み、遂に前後不覚に陥った。
ディケアミスが兄を背負い、進む。
熱にうなされながら、ディケアミスに言った。
「大婆様の予言を思い出した! お前は日の沈む方へ向かえ!」
「兄さん?」
「日の沈む地より、かつて別れた古き兄弟達がやって来る。帰る地を失った我らを、彼らが導いてくれるだろう。大婆様はそう言った!」
「分かったから、今は良くなる事だけ考えて……」
「日の沈む地だ!」
「分かったから……」
尚も言い続ける兄に、ディケアミスは泣きながら応えた。
そしてその夜、同じ言葉を繰り返しながら息を引き取った。
「こ、これは?!」
ディケアミスは驚愕に目を見開く。
「どうしてなの?」
命からがらこの地に移り住み、生活も落ち着いてきた所なのに。
「どうしてまた?」
再び自分の前に現れるなんて。
「悪い精霊の呪いなの?」
目の前には輝く小石があった。
「隠さなきゃ!」
ディケアミスは決意する。
「絶対に白人に見つかっちゃいけない!」
強欲な白人に見つかったら、またしても住む土地を失うだろう。
「私が村を守るんだ!」
大好きだった兄が守ろうとした村を、今度は必ず守ろう。
「全部集めて隠すんだ!」
ディケアミスの密かな戦いが始まった。
チェキローの名は実在の部族チェロキー族から取っています。
チェロキー族への迫害の経緯は複雑です。
物語なので単純化しましたが、独自の文字を作り、新聞まで出していたチェロキー族ですから、そんなに簡単な話である筈がありません。
詳しい事はwikiでどうぞ。
その後のインディアンへの隔離政策とか、実際はもっと・・・
次から松陰達に話を戻します。




