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幕末香霊伝 吉田松陰の日本維新  作者: ロロサエ
幕末の始まり編
174/239

派遣前訓練その一

前話を修正しています。

選ばれた16人のうち、高杉晋作を外して中村半次郎を入れました。

薩摩が少なかったと思い返して、です。

そして最後のやけ酒の場に、晋作を加入させています。

 「皆さんおめでとうございます。最終選考を残してはおりますが、ひとまず試験は終わりました。これから、アメリカに渡る為の訓練を行って頂きます。」


 江戸城三の丸に集められた遣米使節団訓練生を前に、責任者の大久保忠寛が話していた。

 

 「訓練は主に基礎的な英語の習得と航海への慣れ、向こうの生活様式への理解などです。」


 訓練生の中には苦い顔をする者もいた。

 腕に自信はあれど、異国の言葉を学ぶ事はその限りでは無い。 


 「とは言っても余り心配はしないで下さい。あくまで基礎的な会話程度であり、英語に通じた通訳は付きますから。皆さんの使命は、異国の現状をその目でしっかりと見てくる事です。彼我の違いをその身で体験し、双方において何が良くて何が足りないのか見極めて下さい。皆さんの実体験から得られる知見は、我が国の今後の在り方を考える上での善き指針となるでしょう。」


 皆の顔が引き締まる。 

 今回の使節団の派遣は、我が国の開国を伝える為とは知っている。

 それと共に西洋の国の進み具合も、その横暴さも聞き及んでおり、自らに課せられた責任の重さを思った。 

 西洋の力を見誤れば清国と同じ過ちを犯し、我が国を大変な危機へと導きかねない。

 軽んずれば足元を掬われ、過大に評価すれば卑屈になってしまうだろう。

 

 しかし、武の道を究めんと修練に励む者が、やすやすと相手の迫力に負けてしまう事は無い。

 学問の道を修めし者が、虚飾に惑わされて本質を見失う事もなかろう。

 少なくとも今回集められた者らは、この国の文武における優秀者と言える。

 そんな彼らが異国から持ち帰るモノが、日本の未来を決定するのだ。 


 「では、今後の予定を話しておきます。皆さんには迎賓館で寝起きして頂き、そこで様々な事を学んで頂きます。」


 迎賓館という言葉に皆は驚いた。

 そこは異国の賓客を招く為の施設であり、身分的に低い者もいる自分達が行けるとは思いもしない。

 大丈夫なのかと不安げな顔をする者もいた。


 「ご心配には及びません。西洋人の慣習に沿って作られた施設は他にありませんので、それらを学ぶには迎賓館が一番良いのです。今はロシアの方がいらっしゃいますが、それも西洋の方に慣れるには丁度良いでしょう。」


 その説明にホッと安堵の息を漏らす。

 そしてロシアの全権大使であるプチャーチンは、未だ帰国の途には就いていなかった。

 松陰の提案に沿い、ある目的の為に待機している。


 「詳しい事は迎賓館で説明します。明日、当座の着替えなどを持って赤坂の長州藩下屋敷前に集まって下さい。お昼までには必ずご集合下さいね。」


 こうしてひとまずの解散となった。




 「スズさん?」


 会場で見つけたスズに、松陰は恐る恐る声を掛けた。

 千代やイネらと共に隅の方で固まっていたのだが、聞こえていないのか、あらぬ方向を向いたままである。

 周りは徐々にその場から去り始めていた。

 先ほどまでの喧噪が嘘の様に静かになっていく中、松陰らの一画だけ、別の緊張が漂っている様であった。


 「あれ? 松兄様ではありませんか?」


 千代が、さも驚いたという風に声を掛ける。

 イネは黙って頭を下げるが、スズは変わらずそっぽを向いていた。


 「松兄様もアメリカに行かれるのですか?」

 「も?!」


 千代の言葉に旗色の悪さを悟る。

 これは思った以上に反感を買ってしまったらしい。

 こちらを見ようともしないスズに、その怒り具合を知った。

 下手な事を言えば更に悪化しそうである。

 何を言うべきか悩んでいると、松陰の名を呼ぶ別の声が響いた。


 「おんしが吉田松陰先生かよ?」


 それは、男の松陰でも若干見上げる背丈を持った女性であった。

 身体つきは太くがっしりとしており、まるで大地に根を張る大木を思わせる。


 「貴女は?」

 「坂本乙女ぜよ。」

 「坂本龍馬のお姉さんの?!」

 「龍馬を知っちゅうんか?!」

 「あ! いえ、まあ、前途有望な者の事は、人を使って前から調べておりますので……」

 

 慌てて誤魔化した。


 「龍馬が前途有望? おまん、ようわかっちゅうのう!」


 喜んだだけで深くは考えなかったらしい。


 「何か御用ですか?」

 

 話を逸らすつもりで尋ねる。

 と、乙女はいきなりその場に平伏し、畏まりつつ言う。


 「松陰先生のお陰で、あてはこの場に来る決心がついたぜよ! 女の身でも、この国の為に働けると聞いて、げにまっこと嬉しかったちや!」

 「頭を上げて下さい!」

 

 堪らず叫ぶ。

 そして、 


 「吉田松陰先生ですと?!」


 乙女の言葉に反応した者らが、松陰を囲む様に集まってきた。

 松陰の若さに驚く者もいたが、多くは尊敬の眼差しで見つめている。

 感激したのか、


 「先生の著作を読み、是非ともアメリカを見てみたいとやって参りました!」

 「私もです!」

 「この国の将来の為、身を捨てて働く覚悟です!」

 「野蛮な西洋に神国を犯させはしません!」


 などなど、己の胸中を吐露するのだった。

 最早どうにもならない状態に、松陰はオロオロするばかり。

 そんな様子に驚いて、目を丸くする者がいるかと思えば、訳知り顔に流石お兄様と呟く者もいる。

 そして、我が事の様に、嬉しそうに微笑む者の姿があった。



 

 次の日、長州藩下屋敷前は喧噪に包まれていた。

 遣米使節団候補生が集合していたから当然であろうか。

 忠寛らは出欠を確認し、皆を連れて迎賓館前へと移動する。


 迎賓館の建つ赤坂の地は、元々は長州藩下屋敷の敷地である。

 外国の要人を迎え入れるにあたり、相応しい施設の建設が必要となった際、長州藩主敬親の申し出を受け選定された。

 広大な敷地に立つそれは、伝統的な建築物しか知らない者の目には非常に珍しく映る。

 白く輝く壁はお城の白壁にも思えたが、不思議なのは壁に嵌め込まれた障子の様な物体である。

 近寄って見てみれば、建物の中が透けて見える透明な板で出来ていた。


 「何だこれは?!」


 興味津々に眺める者がいる中で、半信半疑に叩いて確かめてみようと目論む者もいた。

 

 「叩くのは止めて下さい! それはガラスで出来た窓です。ガラスは江戸切子などで使われていますが、それを平にして板にし、壁に嵌め込んでいます。壊れやすいので絶対に衝撃を加えないで下さい!」

 「なんと!」


 ガラス製の器は普及していたが、板となると初めて見る者ばかりであった。

 そんな調子で見る物全てが珍しく、騒ぎとなって説明どころでは無い。

 しかし、それも仕方の無い事であろう。

 忠寛の声が響く。 


 「まずは各班、担当官の指示に従って割り当てられた部屋へと移動して下さい。今日は何の訓練もありませんので、食事の時間まで部屋で過ごしていて下さい。ただ、壊れやすい物もありますから、担当官の説明は良く聞いて下さいね。担当官の指示に従えない者は、ここから去って頂くだけですから、お気を付けを。」


 班割は既に済ませてある。

 各班、それぞれの担当官の下に集まり、迎賓館に入っていく。


 「何?! 草鞋を脱がずに入るのか?!」

 「何だこの入口は? 引いて開く扉なのか?」


 建物に入る時から前途多難であった。

 そして、


 「ひ、広い!」


 玄関を入ってすぐのロビーで、驚きの声が上がる。

 

 「天井から何やら釣り下がっておるぞ!」

 「キラキラして美しいな!」


 儀右衛門謹製のシャンデリアに感嘆の声を漏らす。


 「おい、床を見てみろ!」

 「やけにフカフカしていると思ったが、真っ赤なむしろが敷かれているのか!」

 「何と贅沢な!」


 床には真っ赤な絨毯が敷き詰めてあった。

 イギリス商人のエドワードに頼み、買い付けていた。


 「階段にまで敷かれているのか!」

 「やけにでかい建物だと思ったが、二階建てだったのだな!」


 ロビーの真ん中には階段があり、中二階で左右に分かれている。

 二階へ上がり、廊下を進んでそれぞれの部屋へと向かう。


 「なんと長い廊下だ!」

 「どれだけ部屋が続いているのだ?」


 廊下に張られた窓から外を眺めれば、向かい側にも同じ様な建物がある。

 先ほど中二階で別れた反対側なのであろう。

 左右を合わせれば、いくつの部屋数なのか見当もつかない。

 それぞれの部屋へと到着する。


 「部屋もでかいな!」

 「部屋の中まで赤い筵が敷かれているのか?!」

 

 部屋を見回し、盛んに感嘆する。


 「しかし、部屋の中にまで草鞋で入りこむとはな。」

 「だな。汚い気がするぞ……」

 「これが西洋の流儀なのか?」

 「不思議だ……」


 納得出来かねるらしい。

 

 「それに、風が通らないから暑いぞ!」


 季節は夏である。

 窓は閉められているので暑かろう。


 「窓は開きます。これが鍵になっておりますので、外して下さい。」


 担当官が窓の開け閉めのやり方を教えた。

 早速開けてみる。


 「おお、開いたぞ!」

 「早く全部開けてしまえ!」


 日本の夏は暑い。

 使い勝手を考え、部屋の廊下側にも窓が備え付けてあった。

 廊下の窓も開放し、ようやく部屋に風が通る。

 じっとりと汗ばむ肌に、僅かな風も心地よかった。

 因みに、窓にはコールタールを染み込ませた麻製の網戸が張られており、蚊対策が為されている。

 しかも部屋の中には、数年前から普及し始めた蚊取り線香も焚かれていた。

 これで、不快な蚊に悩まされる事は少なくなっている。


 そして、迎賓館内の諸施設の使い方が説明されていった。


 「これが厠なのか?!」

 「座って使うだと?!」


 洋式便器の使い方にびっくり仰天する。


 「西洋人はこんな高い所で寝るのか?!」

 「俺は床で寝るぞ!」


 ベッドに魂消た。

 しかし、ベッドは人数分は置いていない。

 体験として順繰りに使用し、他の者は床で寝るのだ。 


 「椅子に座って食事をするのか?!」

 「ナイフ? フォーク? 箸を出せ!」

 「パン? ご飯を出せ!」

 「肉だと?! 俺は肉は食わん!」


 食事時には喧しい事この上ない。


 「着物は袖が邪魔だ!」

 「ボロボロ入っていくぞ……」


 慣れないナイフとフォークに食べ物がこぼれてしまい、着物の袖に入り込むのだった。


 「食った気がせんぞ……」

 「西洋人はこんな物を毎日食っているのか?」

 「白い飯が欲しい……」


 一度目の食事から泣き言を口にする者もいた。


 「何だ、風呂は同じなのだな。」

 「何? 裸はまずいだと?」

 「小うるさい事だ……」


 疲れを癒す筈のお風呂で細かい指導が入り、ウンザリするのだった。


 「やっと今日が終わるのか……」

 「長い一日だった……」

 「疲れたぞ……」

 「酒が飲みたい……」


 珍しい物ばかりで疲れ果てた者が多い。

 部屋はすし詰め状態であったが、不満を感じる事も無く、皆すぐに眠りにつくのだった。

迎賓館の広さ、部屋数等の詳細は不明です。

トイレは部屋には無く共用で、一応水洗です。


ロシア人の大部分は横浜の居留地におります。

蚊取り線香はペリーの時にもプチャーチンの時にもあったのですが、彼らは気づかなった様です。

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